「奇蹟を求めて」を読んで
P・D・ウスペンスキー著

人間と宇宙に関する問題を解明する教えを求めるP・D・ウスペンスキーの探求は、ヨーロッパ、エジプト、東洋にまで及んだが、それはついに1915年、彼をペテルスブルグでのゲオルギー・グルジェフとの邂逅(かいこう)に導く。
本書にGと記されているのは、このグルジェフである。
『奇蹟を求めて』は、ウスペンスキーの8年間にわたる、グルジェフの弟子としての修行の記録である。



私がエジプト、セイロン、インドへのかなり長い旅を終え、イギリス経由でロシアへ帰ってきたのは、1914年の11月、つまり、第一次世界大戦が始まった頃であった。戦争が始まったとき、私はコロンボにいた。
ペテルスブルグを離れるとき、私は、〈奇蹟を捜し〉に行くのだと言っておいた。この〈奇蹟〉なるものを定義するのは非常に難しいことだ。しかし、私にとっては、この語は、極めてはっきりとした意味を持っていた。すなわち、ずっと以前に私は次のような結論に達していたのである。
〈我々が今いる矛盾の迷路からは、既知の、あるいは使用済みのいかなる道とも違った、全く新しい道によるのでなければ逃れ出ることはできない〉
しかし、その新しい、あるいは忘れ去られた道がどこから始まるのかが、わからなかったのだ。私はすでに、この偽りの現実の薄い被膜の向こうに、何らかの理由で我々がそこから切り離されているもう一つの現実が存在していることは疑いようのない事実だと考えていた。〈奇蹟〉とは、この未知の現実を看破することであった。そして、私には、その未知なるものへの道は東洋において見いだせると思われたのである。なぜ東洋に? これに答えるのは難しかった。おそらくこの考えには何か物語めいたところがあったのだろうが、しかしいずれにせよ、ヨーロッパでは何も見つけることはできないという、絶対的な確信があったのである。
帰路、数週間をロンドンで過ごしている間に、私がこの探索行の成果について考えていたことはすべて混乱に陥ってしまった。それというのも戦争の恐ろしいほどの馬鹿馬鹿しさと、ロンドンの空気やそこで交わされる会話、新聞などに満ち満ちていた感情とに、意に反して影響されたためであった。
しかし、ロシアに帰り、旅に抱いていった考えを再考したとき、自分の探索こそが、〈明白な不条理〉【これは私が小さいときに読んだ本に関係している。それは『明白な不条理』という本で、スチューピンの〈小図書館〉にあった。その中には、例えば背中に家を担いだ男や、四角い車輪の荷車などがあった。その当時私はこの本に非常に魅了された。というのも、どこが不条理なのかわからない絵が沢山あったからだ。それらは生活の中の全くありきたりのものに見えた。後になって私は、この本は本当に真実の世界を描写していると考えるようになった。なぜなら、成長するにつれてこの世はすべて〈明白な不条理〉から成り立っていると確信するに至ったからだ。その後の経験もこの確信を強めるだけであった。】の世界で起こっている、あるいは起こりうるいかなることよりもずっと重要であると感じたのである。そこで私は、戦争を〈その中で我々が生き、働き、しかも様々な問題や疑問への答えを捜さなければならない生において、今では普遍的となってしまっている破滅的状況の一つとみなすべきだ〉と自分に言い聞かせた。戦争、ヨーロッパの巨大な戦争(私はそんなものが起こりうるとは信じたくなかったし、また現にそれが起こったということさえ、長い間認めようとしなかったのだが)が現実になったのだ。我々はその真っ只中にいるのであり、そして私はこの戦争を、どこにも通じていない〈生〉を信じることはもはや不可能であり、我々は急がなくてはならないことを明示する巨大な〈死を思い起こさせるもの〉として受け取らなくてはならないと思った。
戦争はロシアにとって、またおそらくはヨーロッパ全体にとって必至であると思われた最終的崩壊がくるまでは、ともかくも私個人には関わってこなかった。そしてその崩壊はいまだ差し迫ってはいなかった。もっとも、迫りつつある崩壊はほんの一時的なものに思え、まだ誰一人、これから先その中で生きていかなければならない内と外の両面の分裂と崩壊に、気づいている者はいなかった。
帰途、東洋の、ことにインドで受けた印象を全体的に要約してみると、問題は出発のとき以上に困難に、また複雑になっていることを認めなければならなかった。インドや東洋は、その超自然的なものの魔力を失っていなかったばかりか、反対にこの魔力は、以前にはなかった新しい陰翳(いんえい)さえ獲得していた。私はそこで、ヨーロッパでは遠い昔に消滅してしまった何かを見いだすことができると確信し、私のとった方向は正しいと思った。また同時に、その秘密は、私がそれまで考えていたものよりもずっとすばらしく、また深く隠されているということも確信したのである。
出発のとき、私は自分がスクールを捜そうとしていることを承知していた。この考えにはかなり以前に行き着いていた。すなわち私は、個人的な、個々別々の努力では不十分だから、どこかに存在しているには違いないが、すでに我々とは完全に縁が切れてしまった真の生きた思想に接することが必要であるという認識に達していたのである。
このことを理解はしていたが、スクールについての考えは旅行中しばしば変わり、単純で具体的なものに思えることもあれば、冷ややかで遙か遠いものに思えることもあった。つまり私の言いたいのは、スクールはそのおとぎ話めいた性格をほとんど失ってしまったということなのだ。
出発のときには私はまだスクールに関しては大きな幻想を抱いていた。〈抱いていた〉というのはちょっと強すぎるだろう。むしろスクールとの肉体を介さない接触、いわば〈他次元〉での接触の可能性を夢見ていたと言うべきだろう。うまく説明できないのだが、ともかく私には、スクールと接触を持ち始めるそもそものきっかけさえもが奇蹟的な性質を帯びたものになるのではないかと、思われたのである。例えば私は、ピタゴラスのスクールやエジプトのスクール、あるいはノートルダムを建てた人々のスクール等、遠い過去のスクールとの接触の可能性を想像してみた。時と空間の障害は、このような接触がなされるときには消え去るにちがいないと思われた。スクールという観念そのものが本質的に幻想的なのであって、これに関しては幻想的すぎるものはないという気がしたのである。というわけで、この観念と、インドでスクールを捜そうとする試みとの間に、私は何の矛盾も感じなかった。恒久的で、外界の影響から独立した接触を持ちうるのは、インドをおいて他にないように思えたのである。
多くの出会いや印象を得た結果、帰国のときには、スクールの観念は遙かに現実的かつ実体的なものとなり、幻想的な性格は消えてしまった。そのとき気づいたのだが、これはおそらく〈スクール〉が、単に捜すということだけでなく〈選択〉を、つまり我々の側の選択を要求しているために起こったのであろう。
スクールが存在していることを、私は疑わなかった。しかし同時に、私が耳にし、接触した限りでのスクールは、捜していたものではないことも確信するに至った。それらは、あからさまに宗教的な性格のものか、あるいは半宗教的な性格を持つものであったが、狂信的なところはたしかに一致していた。このようなスクールに興味はなかった。もし私が捜し求めていたのが宗教的な道であったのなら、それはロシアで見つけることができたからである。他のスクールは、例えばラーマクリシュナの弟子や信奉者たちのスクールのように、禁欲主義の陰影を帯びた、少しばかり感情的な道徳・哲学的タイプのもので、このようなスクールにはたしかに善良な人たちが集まってはいたが、彼らが真の知識を持っているとは感じられなかった。この他、普通〈ヨーギのスクール〉と呼ばれるものは、恍惚(こうこつ)状態における創造力を基盤にしているのであるが、私の目には、何か〈精神主義〉的性向をもっているように見えた。私は彼らを信用することができなかった。彼らに達成できるものはせいぜい自己欺瞞か、正統派神秘主義者たち(私はロシアの修道院の文献にみられるものを言っているのである)が〈美〉と呼ぶものか、あるいは誘惑か、いずれにせよそんなものにすぎないのである。
またこの他にも別のタイプのスクールがあったが、それとは接触できず、噂を聞いただけだった。いずれにせよ、これらのスクールは多くのことを約束したが要求も多かった。つまり、すべてを同時に要求したのである。言いかえれば、ヨーロッパに帰ることを断念してインドにとどまり、すべての考えも目的も計画も放棄し、前もって何も知るところのない道を進むことを要求したのである。これらのスクールには大いに関心があったし、それらと関わりをもっている人々やそれらについて私に話してくれた人々は、普通のタイプの人々からは確かに際立ってもいた。しかしそれでも、もっと理性に重きをおいたスクールがあるべきであり、また人はある程度まで、自分がどこへ行こうとしているのか知る権利があると思われた。
これと同時に、スクールがどのような名称を冠していようと、つまり、魔術的であろうと秘教的であろうとヨーガ的であろうと、ともかく、他の種類のスクール、絵の学校とかダンスの学校、医学の学校と同じく、普通の地上的な次元に存在すべきだという結論に私は達した。〈他次元〉に存在するスクールという観念は、ただ弱さの徴候、あるいは真の探求を邪魔する夢にすぎないことに気づいたのだ。さらには、これらの夢は奇蹟へ至る可能性を秘めた道における主要な障害物の一つであることを理解したのである。
インドへ行く途中、私はこれから先の旅行の計画を立てた。このときは、東イスラム圏、つまりロシアの中央アジア地域とペルシアから始めたいと考えていた。しかしこれは実現する運命にはなかった。
ロンドンから、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドを経て、私はペテルスブルグに帰ってきた。そこはすでに〈ペトログラード〉と改名されており、投機熱と愛国心が渦巻いていた。その直後私はモスクワに行き、インドから原稿を送っていた新聞の編集を始めることになった。そこには6週間いたが、その間に、後に起きた多くの事件と関連する一つの小事件が起こった。
ある日、新聞社の事務所で次の記事の準備をしていたとき(「モスクワの声」の紙上だったと思うが)、「魔術師たちの闘争」というバレエのシナリオに関する批評を見つけた。そのバレエは、記事によれば、ある〈ヒンドゥー教徒〉のものだということだった。バレエの舞台はインドで、ファキール【後出のダーヴッシュと同じく、スーフィーの道を進む者のことで、厳密には〈精神的に貧しい者〉の意。ただし、ここではもっと広く、修行法として禁欲苦行を用いる者を言う】の奇蹟や聖なる舞踏その他を含む東洋魔術の完全な姿を見せてくれるらしかった。その過度に気どった文体にはうんざりしたが、ヒンドゥー教徒のバレエのシナリオライターというのは、モスクワでは少しばかり珍しかったので、私はそれを切り抜いて、「このバレエには、わざわざインドまで捜しに出かけながら、実際のインドでは見いだせないものすべてが含まれているであろう」という短い添え書きをつけて私の書類に入れておいた。
そのすぐ後に、いろいろな理由から私はその書類を残してペテルスプルグヘ行った。
そこで、1915年の2月と3月に、私はインド旅行についての公開講演を行なった。講演のタイトルは、〈奇蹟を求めて〉と〈死の問題〉であった。これらの講演は書くつもりでいた本の序章としてなされたのだが、その中で私は、インドでは〈奇蹟〉は探られるべきところで探られておらず、いかなる普通の方法も用をなさず、また、多くの人が思う以上にインドの秘密は護られている。しかし、〈奇蹟〉は必ずそこにあり、それは人々がその隠された意味に気づかないか、近づく方法もわからないまま通り過ぎてしまっている多くのものによって示されている、と述べた。私はまたしても〈スクール〉のことを考えていたのである。
戦争にもかかわらず、私の講演は多大の関心を集めた。ペテルスブルグ市議会堂のアレクサンドロフスキー・ホールでの各講演には、それぞれ千人以上の人が集まった。私は多くの手紙を受け取り、人々の訪問も受けた。このことから私は、〈奇蹟の探求〉を土台にして、もはやこれ以上慣習的な嘘や、嘘の中に生きることに耐えられなくなった多数の人々が団結することは可能に違いないと感じた。
復活祭の後、私はこの講演を行うためモスクワに出かけた。講演中に会った人々の中に2人の男、音楽家と彫刻家がいた。彼らはすぐに、モスクワでGという男の指導のもとに、様々な〈魔術的な〉研究や実験を行っているグループのことを話し始めた。このGはコーカサス系ギリシア人で、まさにあの〈ヒンドゥー教徒〉であり、それで私は、3、4ヵ月前に新聞で見たバレエのシナリオが彼のものであることを知ったのである。正直言って私は、この2人がそのグループについて話してくれたことやそこで行われていること、つまりあれやこれやの自己暗示的な奇蹟にはほとんど関心をひかれなかった。これと全く同じような話は前に何度も聞いたことがあり、そういったものに対しては、はっきりとした意見をもっていたからである。
例えば、部屋の中で空中を漂っている〈眼〉を突然見て魅せられた女性が、それに従って通りから通りへとさまよい、最後にその眼の持ち主である東洋人の家に辿り着く。あるいはその東洋人のいる席で、人々は突然彼が自分たちを見通し、すべての感覚、考え、欲望を見抜いていると感じる。そして足に奇妙な感覚を覚えて動けなくなり、彼の力に完全にとらえられて離れていても彼の意のままになってしまう。こういった話はすべて、どんな場合でもつまらない作り話だと思っていた。人々は自分で奇蹟を発明もすれば、望み通りのものを作りだしもするのである。それは、迷信と自己暗示と不完全な思考が結びついたものであり、私の観察では、こういった話の裏にはいつもきまって、そういう力を持つとされる男たちが力を合わせて、自分たちを売りだそうとしている様子がありありと見えるのだった。
そんな経験があったので、私がGと会って話をすることに同意したのは、新しい知己であるMがそれを強硬に主張したからである。
最初にGと会ったとき、私は彼に対して抱いていた意見を完全に変えさせられてしまった。
このときのことは、実によく覚えている。我々は、繁華街から外れた騒々しい通りの小さなカフェに着いた。そこで私は一人の東洋人を見た。もう若くはなく、黒い口ひげをたくわえ、鋭い眼をしたその男は、初っ端から私を驚かせた。というのも、彼は変装でもしているようで、全く場違いに見えたからである。私はまだ東洋の印象で一杯だった。このインドの小王か、アラブの族長のような顔をした男は、(一瞬、私には彼が白いアラビア服か、金ぴかのターバンをまとっているかのように思えた)商売人や問屋業者たちが商談をしているこの小さなカフェで、ベルベットの襟のついた黒いオーバーを着て、黒い山高帽をかぶっていた。彼は思いもよらぬ奇妙な、ドキッとするような印象を与えた。つまり、下手な変装なのですぐに見破りはしたが、まさか口にも出せず、素知らぬ振りで通さなければならなかったので、まごついてしまったといった具合だった。彼は強いコーカサス訛りで不正確なロシア語をしゃべり、その訛りからは哲学的思想とはかけ離れたものを連想してしまい、彼の印象の奇妙さと意外性をますます強めた。
何から話を始めたのか覚えていないが、たぶんインドのこと、その秘教性、あるいはヨーガのスクールなどについて話したのだと思う。それらの話から私は、Gが広く旅行し、私が聞いたことしかない所や、訪れてみたいと思っていた所へも行ったことがあるのだろうと推測した。彼は私の質問にも全く当惑せず、それどころか質問以上のことを答えてくれたように思えた。彼の注意深い、正確な話しぶりには好感がもてた。Mはまもなく帰っていった。Gはモスクワでやっていることを話したが、私は完全には理解できなかった。彼の仕事は主に心理学的な性質のものだったが、その中で化学
が大きな役割を果たしていることが彼の話から察せられた。当然のことながら、最初に彼の話を聞いたときは、その言葉を文字通りに受け取ったのである。
私は言った。「あなたの言うことは、何か南インドのスクールについて聞いたことを思いださせます。あるすぐれたバラモンがトラヴァンコーアで、若い英国人に人体の化学を研究しているスクールのことを話したとき、種々の物質を操作することによって、人の道徳観や心理的な性向を変えることができると言ったということです。これはあなたが言っていることと非常に似ていますね。」
G:そうかもしれない。が、全く違ったものかもしれない。いくつかのスクールでは同様の方法を使っているように見えて、実は全く別の角度から見ている。方法、いや、考え方まで似ているからといって、それで何かがわかるわけでもありますまい。
P「もう1つ、非常に興味をひかれた問題があるんです。」と私は言った。「ヨーギたちがある状態を引き起こすために摂るものがありますね。ああいったものは、ある場合には麻薬であるということはないのですか? 私自身この方面ではいろいろな実験をやったし、魔術に関して読んだものはすべて、いかなる時代、いかなる国のスクールも〈魔術〉を可能にする状態をつくりだすために、かなり頻繁に麻薬を使用してきたことを明言しています。」

G:そう、多くの場合それらはあなたの言う〈麻薬〉だ。しかし麻薬は、全く違ったふうにも使用することができる。麻薬を正しく使っているスクールがある。そこの人々は、自己研究のために、つまり進む方向を見るために、可能性をよりよく知るために、すなわち修練を続けていけばどんな結果が得られるかを前もって〈あらかじめ〉知るために、麻薬を用いるのだ。このことを知り、自分が理論的に学んだものは実際に存在するのだということを納得したとき、人は意識的に勉強を始め、自分がどこへ進んでいるのかを知るようになる。こういった可能性が存在することは、なかなか信じられないのだが、時にはこの方法がそれを納得する一番容易な方法になる。これには特殊な化学が関係している。各機能に特有な物質があり、一つ一つの機能は強められもすれば弱められもし、また覚醒させておくこともできれば、眠らせることもできる。しかしそうするには、人体の機構と特殊な化学に関する多大な知識が必要だ。このような方法を用いているスクールでは、実験は本当に必要なときだけ、すべての結果を予見でき、また望ましくない結果をも処理できる経験豊かで有能な人の指導のもとでのみ行われるのだ。これらのスクールで使われる物質は、多くがアヘンやハシシュといった薬種からつくられるのだから、君の言うような単なる〈麻薬〉ではない。このような実験を行うスクールとは別に、同じような物質を、実験や研究のためではなく、短い間ではあるが、はっきり表れる望ましい結果を得るために使っているスクールがある。たしかにこれらの薬物をうまく使えば、人はある限られた時間だけ非常に冴えたり強くなったりすることができる。むろん、その後は死か発狂が待っているのだが、そんなことはおかまいなしだ。そんなスクールもある。だから、おわかりのようにスクールについては非常に注意深く話す必要がある。やっていることは同じでも、全く違った結果が出てくるのだから。


モスクワでのワークに関して彼は、彼の言葉によれば〈心の準備と力の状態に応じて〉違ったワークを行なっている互いに繋がりのない2つのグループをもっていると言った。それらのグループの会員一人一人は、年間千ルーブルを払い、普通の生活をしながらGのもとで活動することができるということであった。年千ルーブルは、個人資産のない多くの人々にとっては高すぎると思う、と私は言った。
Gは、他のやり方はできない、なぜなら、このワークの性格上、多くの弟子はもてないからだと答えた。同時に、このワークの組織に自分の金は使いたくないし、また使うべきでもない〔彼はそこを強調した〕と言った。彼のワークは慈善的な性格のものではないし、またそうであることもできない。だから弟子たちは、自分自身で、集会用のアパートを借りたり、実験をしたりする諸経費を出すべきだと言うのであった。と同時に、これまでの観察から、人生の弱者はワークにおいても弱いということがわかったとつけ加えた。Gは言った。
G:この考えには、いくつかの側面がある。個々人のワークには金がかかり、旅行その他も必要だろう。千ルーブルにもこと欠くほど生活の下手な人は、このワークには加わらない方がいい。長い間には、ワークのために、カイロとかそういった場所に行かなければならないこともあるだろう。それには費用がいる。だからこの要求は、我々と一緒にこのワークをやっていけるかどうかを判断する一つの基準なのだ。それに、そうすればいいのはわかっていても、確実に彼らに割ける時間が私にはごくわずかしかない。私は自分の時間をとても大切にしている。自分の仕事もあるし、また何より、時間を非生産的に使うことはできないし、また使いたくもないからだ。このことにはまた別の側面もある。人は金を払わないことには価値を認めないのだ
私は複雑な気持ちで聞いていた。Gの言ったことを嬉しく思う気持ちも一方にはあった。感傷や〈利他主義〉に関する決まりきった話や、〈人類の善のために働く〉という言葉などが全くないことに惹かれたのである。が、また他方では、全然説明など求めていないのに、金のことについてGが何かを私に納得させたいと思っている様子を見て驚きもした。
私に得心のいかないことがあったとすれば、それはただ、Gが、彼が言ったような方法で十分な金を集めることができるのか?ということだった。私が会った弟子で、年千ルーブルも払えそうな者は一人もいないのに私は気づいていた。もし彼が本当に、東洋で、隠された知恵の、見ることも触れることもできないような痕跡を見つけ、またその方面の研究を続けているのなら、他のあらゆる科学的な企て、地球の未知の部分の探査とか、古代都市の発掘、また入念かつ数多くの物理的、化学的実験を必要とする研究などと同様、その仕事に資金が必要なのは明らかだった。このことで私を説得する必要はなかった。それどころか、もしGが私を彼の活動にもっと深く関わらせてくれたら、私はおそらく彼のワークにしっかりした足場を築くために必要な資金を調達できるだろうし、また彼のところへ、もっと心構えのできた人たちを連れていくこともできると考えていたのである。しかしもちろん、私はまだこのワークが何を基盤にしているのか、ひどくぼんやりしたことしかわからなかった。
はっきりとは言わなかったが、Gは、もし望むなら私を彼の弟子として受けいれてもよいことをほのめかした。私は、ペテルスブルグの出版者と契約した何冊かの本の準備があるので、今のところモスクワには留まれない、と言った。Gは時々ペテルスブルグに行くと言い、近いうちに必ず行って連絡すると約束した。私はGに言った。
P「しかし、もし私があなたのグループに加わったら、私はとても難しい問題に直面するでしょう。あなたが弟子たちに、習ったことを秘密にすると約束させているのかどうかは知りませんが、私にはそんな約束はできかねます。これまでに、ともかくも聞いた限りでは、あなたのとよく似ていると思われる活動を行っているグループに参加しかけたことが二度ほどあります。そのときはとても興味がありました。しかしどちらの場合も、加わるときにはそこで習うことをすべて秘密にすることを承諾、もしくは約束しなければならなかったのです。私はどちらも拒否しました。というのは、何よりも私は著述家で、何を書き、何を書かないかを決めるに際しては完全に自由でありたいと思ったからです。もし私が聞いたことを秘密にすると約束したら、後になって関係あることもないことも含めて、心に浮かんだことと聞いたことを区別するのは非常に難しくなるでしょう。例えば、私はあなたの考えをまだほとんど知りませんが、もし我々が話をするとすれば、すぐに時間と空間、あるいはより高い次元等々という問題に進むことが、私にははっきりわかっています。それらは私が既に長い間考え続けてきた問題です。それらはきっとあなたのシステムの中で大きな位置を占めているにちがいありません。」 Gはうなずいた。P「もうわかったと思いますが、もし我々が今、秘密という誓約のもとに話すとしたら、少し話しただけでもう、書いていいことといけないことの区別がつかなくなるでしょう」
G:しかし、この問題について君自身はどう考えるのだね。人はしゃべりすぎるべきではない。弟子にだけ話される事柄があるのだ。
P「そんな状態は、ほんの一時的にしか受けいれられません。もちろん、私があなたに習ったことを直ちに書き始めるのは馬鹿げたことでしょう。しかし、もし原則として、あなたが自分の考えを秘密にしたいなどと思わず、それが歪められた形で伝えられることにだけ気を配るというのなら、私はそういう条件を受けいれ、あなたの教えをよりよく理解するまで待つこともできるでしょう。私はかつて、非常に大規模な種々の科学的な実験にたずさわっているグループに出会ったことがあります。彼らは自分たちの仕事を全く秘密にしませんでした。しかし彼らは、自分一人でその実験を遂行できるようにならない限り、それについて話す権利はなく、また記述もしてはいけないということにしていました。実験を1人で出来るようになるまで、沈黙を守らなければならないのです。」
G:この問題についてそれ以上にうまく言うことはできないだろうし、もし君がそのような規則を守るつもりなら、この問題は我々の間には二度ともちあがらないだろう。
P「あなたのグループに加わるのに、何か条件があるのですか?」と私は尋ねた。「それにそのグループに加わった者は、グループやあなたに拘束されるのでしょうか? 言いかえれば、あなたのワークから離れるのは自由なのでしょうか? それともはっきりとした義務を負わされるのでしょうか?」
G:いかなる条件もないし、またありえない。我々の出発点は、人間は自分自身を知らない、自分自身ではないということ〔彼はこの言葉を強調した〕、つまり人間は、自分がなれるもの、またあるべきものでないということだ。そのために人間はいかなる契約関係にも入っていけず、また義務もひきうけられないのだ。未来に関することは何一つ決定することができない。今日彼は一人の人物だが、明日はもう別の人物になっている。彼は全く束縛などされておらず、望むならいつでもワークを離れてよろしい。つまり我々の側にも、彼の側にも、いかなる義務もないのだ。
そうしたければ学んでもよろしい。ただし、かなり長期間学ぶことになるだろうし、また相当の自己修練が必要となる。もし既に十分学んでいるのであれば、話は違う。彼は我々のワークが性に合うかどうかがわかるだろう。我々と一緒にワークをやるかどうかは彼次第だ。その時点まで彼は自由だ。もし留まれるなら、彼は将来、決断したり契約を結んだりできるようになるだろう。
一つ例をとりあげてみよう。ワークに加わった後、たとえ短い間にせよ、習ったことを秘密にしておかなければならないという状況が起こるかもしれない。しかし、自分自身を知らない者が秘密を守れるだろうか? もちろん彼はそうすると約束するだろうが、はたしてその約束を守れるだろうか? というのも彼は一人ではなく、彼の中には様々な人間がいるからなのだ。そのうちの一人が約束し、自分はその約束を守りたいと信じている。ところが翌日になると彼の中の別の者が、妻に、あるいはワインを飲みながら友達にそれを洩らしてしまう。頭のまわる人なら、自分は知らず知らずのうちにすべてを洩らしているのではないかと疑うかもしれない。ともあれ、ついには彼は催眠状態に陥り、さもなくば不意にどなりつけられて縮みあがってしまい、他人の言いなりになってしまうだろう。こんな男にいったいどんな義務が果たせると思うかね? いやいや、こんな男とは我々は真剣に話そうとは思わない。秘密を守るためには、まず自分自身を知らなければならず、また存在していなければならない。そして人間は、他のすべての人間と同様、そこから遥かに隔たっているのだ。
時々我々はテストとして一時的な規約を設けることもある。普通それはすぐに破られてしまうが、我々は信用していない人にはいかなる重大な秘密も教えないから、それはたいした問題ではない。つまり、約束を破ることで彼が我々との関係を破棄し、その結果学ぶチャンスを失うとしても、それは我々にとっては何でもない。むろん我々から学ぶものがあればの話だが。だがそれは、彼の友人みんなに影響を与えるだろう。たとえ彼らがそんなものは期待していないにしてもね。



Gに出会った最初の週だったと思うが、彼との会話の中で、私が、もう一度東洋へ行くつもりだと言ったのを覚えている。
P「これは考えてみる価値がありますか? 求めているものがそこで見つかるでしょうか?」と私は彼に尋ねた。
G:休養か遊びに行くのならいいだろう。しかし、求めているものを捜すのであれば、わざわざ行く価値はないな。欲しいものは全部ここで見つけることができるからね。
私は、彼がワークのことを言っているのがわかった。
P「しかし、古い伝統をもつスクールには、それなりの利点があるのではないでしょうか?」と私は聞いた。これへの答えの中には、私が後になるまで理解できなかったことがいくつかあった。
G:見つけるのはいいが、ただ〈哲学的な〉スクールしか見つからないよ。インドには〈哲学的な〉スクールしかない。ずっと以前に分裂してしまったのだ。つまりインドには〈哲学〉、エジプトには〈理論〉、そして現在のペルシア、メソポタミア、トルキスタンには〈実践〉というふうにね。
P「それは今でも同じように残っているのですか?」と私は聞いた。
G:部分的にはそうだ。しかし君は、私が〈哲学〉〈理論〉〈実践〉という言葉で言おうとしているものをはっきり理解してはいない。これらの言葉は、普通に理解されているのとは違ったふうに理解されねばならない。
では、スクールについて話してみよう。スクールには
特殊なものしかない。つまり何でも教えるスクールというものはないのだ。個々の師やグルは、ある一つの分野の専門家で、天文学者であったり彫刻家であったり音楽家であったりするわけだ。だから弟子はまず第一に、自分の師の専門分野を学ばねばならず、その後で初めて別の分野を研究すべきなのだ。もっともすべてを学ぶには千年はかかるだろうがね。
P「では、あなたはどのように学んだのですか?」
G:私は一人ではなかったのだ。仲間にはあらゆる種類の専門家がいた。みんな自分の分野を研究していた。後で集まったとき、みなが発見したものを集め、総合したのだ。
P「今、あなたの仲間たちはどこにいるのですか?」Gはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと、遠くを見ながら話した。
G:何人かは死に、何人かは働いており、何人かは隠遁(いんとん)してしまった。
この修道僧のような言葉はひどく唐突で、私は奇妙な、嫌な気分になった。同時に私は、Gが何か演技をしているような感じがした。つまり、私に興味をもたせ、話から脱線させないように慎重に言葉を私に投げつけているような気がしたのである。
私はもっとはっきり、どこで彼はそれらの知識を見つけたのか、その源は何か、その知識はどれくらいの深さまで達しているのかを尋ねようとしたが、彼ははっきり答えなかった。Gはあるときこう言った。
G:たしか君がインドへ行ったとき、新聞は君の旅の様子やその目的を書いたね。私は弟子たちに、君の本を読んで、その本から君がどのような人間であるか判断し、それを元にして君が何を見つけられるか当てよ、という課題を与えた。だから我々は、君がそこへ向かっているときには既に、君が何を見つけるかわかっていたのだ。


別の機会にモスクワでGと話した時には、私はしばらく前に滞在していたロンドンや、ヨーロッパの他の大都市で進行しつつある恐るべき機械化について、しかもこの機械化なしではもはや、あの巨大な渦巻く〈機械じかけのおもちゃ〉の中では、生きることも働くことも不可能になってしまった状態について語った。
P「人々は機械になりつつあります。そして実際、時には完全な機械になってしまいます。しかも、彼らが考えることができるとは信じられません。もし考える気があれば、あれほど完全な機械になれるはずがない。」
G:その通り。ただし全く正しいというわけではない。つまり、どの頭脳を仕事に使うかが問題だ。適切な頭脳を使えば、機械的な仕事をしていてもちゃんと考えることができる。もう一度言うが、適切な頭脳を使うことが問題なのだ。
私が〈適切な頭脳〉という言葉の意味を理解できたのは、ずっと後のことである。彼は続けた。
G:もう一つは、君が話している機械化は全然危険なものではない。機械的な仕事をしていても、彼はおそらく人間だろう〔彼はこの言葉を強調した〕。それよりも遥かに危険な機械化があるのだ。つまり、人間自身が機械になってしまうことだ。これまでに君は、あらゆる人間が、彼ら自身が、機械であると考えたことはないかね。
P「あります。厳密に科学的な見地からすれば、すべての人間は外的な影響に支配されている機械です。ただ問題は、科学的な観点を完全に受けいれることができるか、ということです」
G:科学的であろうとなかろうと、私にとっては同じことだ。私の言っていることをわかってほしいのだが。見てみなさい〔彼は通りを指さした〕、彼らは完全に機械で、それ以外の何ものでもない。
P「言われることはわかります。私はよく、この機械化に抵抗して自分の道を選べる者が、今の世界にいかに少ないかと考えるのです。」
G:それこそが君の最大の誤りだ。君は、自分の道を選ぶ、あるいは機械化に抵抗できる何かがあると思っている。つまり、すべてが等しく機械的であるとは思っていないのだ。
P「もちろんそうは考えません。絵画や詩や思想は全く種類の違う現象です。」
G:いや、全く同じものだ。それらも他のものと同じように機械的だ。人間は機械であり、機械からは機械的な動き以外何も期待できない。
P「いいでしょう。しかし、機械でない人間は一人もいないのですか?」
G:いるかもしれない。ただ、君の見ているあの人々はそうじゃない。おまけに君は彼らを知らない。これこそ君に理解してほしいことなのだ。
私は、彼がこの点にこれほどこだわるのを、むしろ奇妙に思った。彼の言ったことは、明白で議論の余地のないものに思えたのだ。とはいえ、あのような短くて意味深長な暗喩は嫌だった。それは常に違いを無視するからだ。私は、ある意味では違いこそが最も重要で、物事を理解するには、相違点を見ることがまず必要だと常々主張してきた。だから私には、明らかに疑問の余地がないと思われる考えを(もしそれが完全なものでなく例外も許すのであれば)、Gがあれほど主張するのは変な気がしたのである。
P「人はみな違います。」と私は言った。「だから私には、人間すべてを同じ見出しのもとにおけるとはどうしても思えません。野蛮人もいれば機械に囲まれている人々もいるし、知的な人も天才もいます。」
G:全くその通り。人は一人一人大変違っている。しかし、彼らの間の真の違いを君は知らないし、見ることもできない。君の言っているような違いは全く存在しない。これはしっかり理解しなさい。君の見る人、知っている人、知り合いになるかもしれない人々はみな機械だ。君が言ったように、外からの影響だけで動いている機械なのだ。彼らは機械として生まれ、機械として死ぬ。野蛮人だろうが知識人だろうが関係ない。今この瞬間、我々が話している間にも、何百万という機械が互いを絶滅させようとしている。彼らにどんな違いがあるというのかね? 野蛮人はどこにいて、知識人はどこにいるのだろう? 彼らはみなよく似ている・・・。
しかし、機械であることをやめる可能性はある。我々が考えねばならないのはこのことであって、いろいろな機械が存在するということではない。もちろん、いろいろな機械がある。車も機械だし、レコードプレイヤーも機械、拳銃も機械だ。しかしどれほど違っているだろう。それらはみな機械なのだ。

これと関連した別の会話がある。
P「現代心理学についてどう思いますか?」と、私は一度、最初に耳にした時から、どうも信用できなかった心理分析という問題をもちだすつもりで、Gに聞いてみた。しかし、Gはそこまで私をいかせてくれなかった。
G:心理学について話す前に、それは誰を扱うのか、また誰を扱わないのかをはっきりさせておかなくてはならない。
心理学は人々、つまり人間、人類を扱っている。機械を扱う心理学〔彼はこの語に力を入れた〕はあるのだろうか? 機械の研究には、心理学ではなくて力学が必要なのだ。だからこそ、我々は力学から始めるのだ。心理学までは、まだまだ先は遠い。

P「人は、機械であることをやめることができるのですか?」
G:うむ、それこそが問題だ。そんな質問をもっと度々していれば、これまでの話はもっと実りがあったかもしれない。機械であることをやめることはできる。しかしそれにはまず、機械を知る必要がある。機械、本当の機械は、自分を知らないし知ることもできない。機械が自分を知れば、それはもう機械ではない。少なくとも、以前のような機械ではなく、既に自分の行動に責任をもち始めている。
P「人間は、自分の行動に責任をとっていないということですか?」
G:人間は〔彼はこの語を強調した〕責任をとる。機械が責任をとらないのだ。

別のとき、私はGに聞いた。
P「あなたの方法で研究する際、最良の準備は何ですか? 例えば、いわゆる〈オカルト〉文献や〈神秘〉文学の研究は役に立つのでしょうか?」
その際私は、特に〈タロット〉とそれに関する文献を念頭においていたのである。
G:たしかに、本の中には多くのものがある。君を例にとってみよう。もし君がいかに読むかを知っていれば、君はすでに多くのことを知っているだろう。つまりこれまでに読んだものを全部理解していれば、君はすでに今捜し求めているものを知っているはずだ。あるいは、もし君があの本に書いたことをすべて理解していれば、ええと、あれは何という題名だったかな〔彼は『ターシャム・オーガヌム』と言おうとしたのだろうが、うまくいかなかったようだ〕。ともかく、もしそうであれば、私は君のところいっておじぎをし、教えを乞うだろう。ところが君は、自分が読んだものも書いたものも理解していない。それどころか、〈理解する〉という言葉の意味さえわかっていない。それでも、理解することは絶対に必要で、だから本は、その内容を理解するなら役に立つだろう。しかし当然のことながら、本で真の準備をすることはできない。だから、何がよいか一概には言えない。その人がよく知っていること〔彼は〈よく〉という語を強調した〕、それが彼の準備だ。コーヒーを上手く淹れる、あるいは靴を上手につくる方法を知っていれば、それだけでもう彼と話が始められる。しかし問題は、何かをよく知っている者は1人もいないということだ。みんないろんなことをただ表面的に、どうにかこうにか知っているだけなのだ。
Gはここでも、説明を予期せぬ方向にもっていった。疑いもなくGの言葉には、その普通の意味に加えて、全然別の意味が含まれていた。この隠された意味を探りあてるためには、その語の普通の単純な意味から始めなければならぬことに私はすでに気づいていた。彼の言葉は普通の意味でも常に意味深長で、しかもそれは、その含蓄の深さの一部にすぎなかった。もっと広くて深い意味が長い間隠されたままになっていた。
別の会話で私は、この教えを理解するには何をすべきか?と聞いた。
G:何をするかだって?〔とGは驚いたように聞き返した〕 何であれ、為すのは不可能だ。まず最初にあることを理解しなくてはならない。人間は無数の誤った考えや概念をもっている。特に自分自身に関してはひどいものだ。だから新しいものを手に入れる前にそれらを破棄しなければならない。さもないと、新しいものは誤った土台の上に乗せられ、前よりもっと悪い結果になるだろう。
P「どうしたら誤った考えを捨てられるのですか? 我々は自分の知覚形態に依存しており、誤った考えはその知覚形態の産物だと思うのですが?」 Gは頭を横に振った。
G:また君は何か別のことを話している。君は知覚から生じる誤りのことを言っているようだが、私はそんなことは言っていない。与えられた知覚の限界内では、人は多かれ少なかれ誤るだろう。しかし、前に言ったように、人間の最大の妄想は、自分は為すことができると思いこんでいることだ。人はみな何かできると思いこみ、またしたいと思う。だから、誰もが最初にする質問は、私は何をすべきか? となる。しかし実際は、誰一人何もしないし、また出来もしない。これをまず理解しなさい。すべてはただ起こるのだ。人間に生じること、彼によって為されたこと、彼から出てくるもの、これらはすべて起こるのだ。しかもそれは、上空の気温の変化で雨が降ったり、太陽の光で雪が溶けたり、風で埃が舞い上がったりするのと全く同じように起こるのだ。
人間は機械だ。彼の行動、行為、言葉、思考、感情、信念、意見、習慣、これらすべては外的な影響、外的な印象から生ずるのだ。人間は、自分自身では、一つの考え、一つの行為すら生みだすことはできない。彼の言うこと、為すこと、考えること、感じること、これらすべてはただ起こるのだ。人間は何一つ発見することも発明することもできない。すべてはただ起こるのだ。
この事実を自ら確証し、理解し、それが真実だと納得するということは、すなわち、人間に関する無数の幻想、つまり自分は創造的で、自らの生を意識的に生きている等々の幻想を放棄することにほかならない。そのようなものは何一つとしてない。すべては起こるのだ。大衆運動、戦争、革命、政権交替、すべては起こるのだ。それらは、個人の人生ですべてが起こるのと同じように起こる。人は生まれ、生き、死に、家を建て、本を書くが、それは自分が望んでいるようにではなく、起こるにまかせているにすぎない。すべては起こるのだ。人は愛しも、憎みも、欲しもしない。それらはすべて起こるのだ。

しかし、君が誰かに「あなたは何もすることができない」と言っても、誰も信じはしないだろう。それは、君が人々に言うことの中で最も侮辱的で不快なことだ。それが特別不快で侮辱的なのは、それが真実だからで、そして誰一人真実を知りたいとは思っていないのだ。
君がこれを理解すれば、話がしやすくなるだろう。しかし、心情で理解するのと〈全身全霊〉で感じ、心底確信し、決して忘れないこととは別のことだ。
この為すこと〔Gはこの語に力を入れた〕についての間題には、別の問題が関連している。つまり誰もが、他人は間違った行動をしている、物事を正しくやっていないと思っている。誰もが、自分はもっとうまくやれると思っている。彼らは、今やられていることや、特にすでにやられたことを、それとは別のようにやったり、あるいはやりかえしたりすることはできないことを理解しないし、またしようともしない。
今みんなが戦争についてどんなふうに話しているか気づいているだろうか。みながみな自分の見解や理論をもっていて、為すべきことが為されていないと考えている。実際は、すべてはなるようになっているのだ。しかもそれは、ひと通りしかない。もし一つのことが違うようになりうるのなら、すべては違うようになりうるだろう。そうなれば、おそらく戦争など起こらなかっただろう。
これを理解してみなさい。つまり、すべてのものは他のすべてのものに依存しており、すべては関連していて独立したものは一つもないということだ。だから、すべてはそれがとりうる唯一の道を進んでいるのだ。人々が違ってくればすべては違ってくるだろう。彼らはあるがままであり、またすべてのものもそうなのだ。

私は理解に苦しんだ。「為しうることは何一つ、絶対に何一つないのですか?」と私は聞いた。
G:絶対に何一つない。
P「では、誰一人として何かをすることはできないのですか?」
G:それは別の問題だ。為すためには存在しなければならない。そして第一に存在するとはどういう意味かを理解しなくてはならない。話を続けていけば、我々が特殊な言語を使っており、我々と話すためにはこの言語を学ぶ必要があることに気づくだろう。普通の言語で話しても意味はない。それで理解し合うことは不可能だからだ。これも今は奇妙に思うだろうが、本当のことだ。これを理解するには、別の言語を学ぶ必要がある。人々が使う言語では理解し合うことはできない。なぜそうなのか、いずれわかるだろう。
それから、真実を話せるようにならねばならない。これも奇妙に聞こえるだろう。君は、人間は真実を話せるようにならねばならないということを、はっきり掴んでいないのだ。君は、そんなことは、そうしようと望むか決心するだけで十分だと思うだろう。それから、人が故意に嘘をつくことは比較的まれだということを言っておこう。ほとんどの場合、彼らは真実を話していると思っている。にもかかわらず、彼らは常に嘘をつく。そうしたいと思うときも、真実を話そうとするときも。彼らは自分にも他人にもいつも嘘をつく。だから誰も、自分も他人も理解できないのだ。考えてもみなさい。もし人々が互いに理解し合えるのなら、これほどの不調和、これほどの深い誤解、他人の見方や意見に対するこれほどの憎悪が可能だろうか? しかし彼らは、嘘をつかざるをえないために理解し合えないのだ。真実を話すことは世界で最も難しいことで、それができるようになるには、長期間、多大の修練を積まなければならない。そうしたいと思うだけでは十分ではない。真実を話すためには、何よりもまず自己の中で、真実とは何か、嘘とは何かを知らなくてはならない。ところが誰もこれを知りたいとは思わないのだ。
Gとの会話、その中で彼がいろいろな考えを思いもかけぬ方向に進めていくことに、私は日増しに興味をふくらませていった。だが、私はペテルスブルグヘ帰らねばならなかった。
モスクワでの最後の会話で、私は、彼の私への配慮と、多くのことに対する私の見方を変えさせてくれた(もう、その時にはそう考えていた)。彼の説明に対して感謝を述べた。
P「しかし、結局のところ、どうということはない。そうでしょう? 一番大事なのは事実ですからね。」と私は言った。「もし私に、新しい未知の特性を帯びた正真正銘の事実を見ることができれば、それだけが、自分は正しい方向に進んでいるのだという決定的な確信を私に与えてくれるでしょう。」
私はまたしても〈奇蹟〉のことを考えていたのである。
G:事実は存在するだろう。約束しよう。しかしその前に、他のことが必要なのだ。
そのときは、彼の最後の言葉は理解できなかった。それが理解できたのは、後年ようやく本当に〈事実〉に突きあたったときで、それもGが約束を守ってくれたからだった。それは約1年後、1916年8月のことだった。
やはり同じ最後の会話で、Gは、私が後年ようやく理解できたことをいくつか話した。
Gは、彼のところで私が同席したある男についての話の中で、その男とある特定の人たちとの関係について語り始めた。
G:彼は弱い人間だ。人々は彼を利用している。もちろん無意識的にだがね。そしてそれは、彼が人々を考慮しているからだ。もし考慮しなければすべては違っているだろうし、また彼らの方も違ってくるだろう。
(考慮というより配慮?という方がわかりやすいかもしれません)

人間は他人を考慮すべきではないというのは、私には奇妙に思えた。
P「〈考慮する〉というのはどういう意味なんですか。私はあなたを理解しているようで理解していません。この言葉はたくさんの意味をもっているようですが?」
G:全く逆だ。それには一つの意味しかない。それを考えてみなさい。
後年私は、Gが〈考慮〉と呼ぶものを理解した。それが人生の中でいかに大きな部分を占めているか、また内的な奴隷性と依存性を生みだす態度を、なぜGが〈考慮〉と呼ぶのかがわかったのである。これについては、かなり度々話し合う機会があった。
また別のときは、戦争について話した。我々はトヴェルスカヤ通りのフィリポフ・カフェに座っていたが、そこは人が一杯でやかましかった。戦争と、それで一山あててやろうという熱気が、不快で狂熱的な雰囲気を生みだしていた。私はそこへ行くのを拒否したぐらいだ。しかしGは頑として譲らず、そして彼と一緒のときは、私はいつも彼に従うのであった。私はすでに、彼が時々わざと話しにくい状況をつくりだしていることに気づいていた。それはあたかも、彼と話すために、ある種の余分な努力と、不快で居心地の悪い状況と自分とを、折りあわせることを要求しているかのようであった。
しかしこのときは、話はそれほどすばらしいものにならなかった。つまり騒音のために、彼の話の一番面白そうなところが聞こえなかったのだ。最初は理解できたが、だんだんに話の糸がとぎれがちになった。何度かその糸をつかもうとしたのだが、とぎれとぎれにしか聞こえないので聞くのはあきらめて、彼の話しぶりだけを観察することにした。
会話は私の質問で始まった。「戦争を止めることはできますか?」。Gは「できる」と答えた。ところが私は、それまでの話から、彼はまちがいなく「いや、できない」と答えると思っていたのだ。
G:しかし、問題はどのようにかだ。
それがわかるには、多くのことを知る必要がある。
戦争とは何か? それは惑星の影響の結果だ。天空のどこかで、2つか3つの惑星が近よりすぎて緊張が生じたのだ。狭い道で、人が君のすぐそばを通り過ぎるとき、自分がひどく緊張するのに気づいたことはないかな。同じ緊張が惑星間に起こるのだ。そこでは、それはたぶん1、2秒のことだろう。ところがこの地上では人は殺し合いを始め、たぶん数年は続くだろう。しかも彼らは、我々は憎みあっているのだとか、この殺人には高尚な目的があるのだとか、あるいは自分たちは誰か、あるいは何かを護るというものすごく高貴な行いをしているのだとか、それに類することを信じこんでいる。彼らは、自分たちはゲームのカードにすぎないことがわかっていないのだ。
彼らは何か重要なことをしていると思っている。好きなように動きまわれると思っている。何でも決定できると思っている。ところが現実には、所作、行為はすべて惑星の影響の結果にすぎない。彼ら自身は、文字通り何ら重要なことをしてはいない。これには月が大きな役割を果たしている。が、それは別の機会にしよう。ただ、ヴィルヘルム皇帝も将軍も大臣も議会も、いかなる重要性ももっていないし、また重要なことはできもしないということだけは、理解しなくてはならない。大きな規模で起こることはすべて外から、つまり、影響の偶然な組合せか、もしくは普遍的な宇宙法則によって司られているのだ。

おそらくこの文章を初めて見た多くの人は、ばかげていると思うでしょう。
私自身としては戦争の原因は主に、人間の内面や政治の失敗、民族や人種、宗教間対立等々が原因だと考えていましたが、ここでGが言っているのは、惑星間の緊張から生じる外的な影響力についてです。それら緊張が激しくなると、人々は強く感化され混乱し、脱出口を探すかのように殺し合いを始めるといったことのようです。もちろん国家間の対立を人々が制御できなくなったという理由等々、人間の内的な問題から戦争が始まるということもあるでしょうが、そもそも内的な面が制御できないということ自体が、惑星の影響力と関係しており、内的な混乱の遠因の一つが惑星間の外的な影響力にあると考えると、ここでの文章はよりよく見えてくると思います。
惑星間の影響力は非常に強く、その力は人類にとって脅威でしょう。たとえば、西暦2018年の今、各地で噴火や地震等が活発に起きており、これは地球が活動期に入っているからだと専門家も述べております。この時期に人々が平静さを失わなければいいのですが、、。
Gの言うように、人々が内面をまったく制御できない奴隷なのであれば、惑星間の緊張から生じる強い影響力には逆らえず、周期的に大戦争の危機が起こるでしょう。

私が聞いたのはそれだけだった。彼の言ったことを理解できたのは、ずっと後年になってからだった。つまりそれは、偶発的な影響がどのように比較的無害なものに転換、あるいは変質しうるかということで、〈犠牲〉の秘儀的な意味に関連する非常に興味深いものだった。しかし、ともかく現在では、この考えはただ歴史的、心理学的な価値を持つものでしかない。本当に重要なのは(彼が何げなく言ったのでそのときは気にもとめず、後に会話を再構成しようとしたとき初めて思いだしたのだが)、惑星の時間と、人間の時間との違いに言及した彼の言葉だった。
しかし、思いだした後も、長い間その思想の意味を完全に掴むことはできなかった。しかもこれは、非常に多くのことの基礎になるものであった。

この頃のことだったと思うが、私は太陽、惑星、月に関する話に大きな衝撃を受けた。何から話が始まったか覚えていないが、Gは小さな図を描いて、彼が〈様々な世界内の力の相互関係〉と呼んでいるものを説明した。これは前の、人類に働きかける影響力の話と関連していた。大雑把に言えば次のようになる。
人類、より正確には地上の有機生命体は、種々の源泉や世界から生じる影響、すなわち惑星、月、太陽、星からの影響を同時に受けている。これらの影響はすべて同時に働きかけるが、時に応じて、ある影響が優勢になったり、また別のものが強力になったりする。人間の側は影響を選択する可能性をもっている。つまり、ある影響から脱して別の影響のもとに入る可能性があるのである。
G:しかしどうやって? これを説明するには時間がかかる。だから別の機会にしよう。ただ、一つのことを理解しておきなさい。それは別の影響を受けずに、ある影響から自由になることはできないということだ。問題の核心、すなわち自己修練とは、受けたいと思う影響を選び、そして実際にその影響のもとに入ることにほかならない。そのためには、どの影響が有益であるか知っておかなくてはならない。
この話で面白かったのは、Gが、惑星と月を、はっきりした年齢と寿命、そして別次元の存在へ発展、変化する可能性をもつ生命体として扱ったことである。彼によれば、月は普通考えられているような〈死んだ惑星〉ではなく、それどころか全く逆に〈生まれつつある惑星〉で、彼の表現を借りれば、〈地球の所有している知性の段階〉にいまだ到達していない、発展の最も初期の段階にある惑星なのである。
G:しかし月は生長し、発展している。おそらくいつかは、地球と同じレベルに達するだろう。その時、その近くに新しい月が出現し、地球はそれらの太陽になるだろう。かつて太陽は地球のようで、地球は月のようだった。そしてそれ以前には、太陽は月のようだったのだ。
この説には私も深く感銘を受けました。
太陽と地球は親子関係にあり、地球と月は親子関係にあります。月のおじいちゃん(性別はありませんが)であり地球の親である太陽が寿命を迎えると、今度は地球がそれまでの太陽の役割を果たすようになります。そして月だった惑星、その巨大な惑星も順調に成長できれば現在の地球のようなプロセスをたどるようになります。
もちろんその太陽系や、他の惑星の成長の度合いによって成長の過程は異なるでしょう.
この説と人間生活の営みを比べて気づいたのですが、諸惑星を大宇宙、人間を小宇宙として比べると、人間が子供を産んで育て死ぬというプロセスと照応していることから、この説の信憑性の高さを強く感じました.
人間が成長に失敗し、病気や災害等で亡くなるように、諸惑星も成長に失敗することがあること。
寿命であれ何であれ人間が死ぬと分解するように、惑星も爆発とともに分解し、それを構成していた物質はほかの惑星、もしくは生物の養分となります。
こうして人間社会の世代が変わるように、一家族と呼べるような一つの太陽系もまた世代交代を繰り返します。

これはすぐに私の注意をひいた。それまで私は、カント・ラプラス説に始まって、つい最近まで続いている惑星と太陽系の起源についての一般の説や、その種々のヴァリエーションほど人為的、独断的で信用できないものはないと思っていた。一般大衆はこれらの説を、少なくとも最近のものは、科学的で証明済みのものと思っていた。
しかし実際は、これほど非科学的で立証されていないものはなかった。だから、Gのシステムが全く新たな法則にその起源をもち、これまでのものとは違った宇宙序列を示している全然別個の説、すなわち有機的な説をとりいれていることは、私には非常に面白く、また重要に思われたのである。
P「地球の知性は、太陽の知性に対してどんな関係にあるのですか?」と私は聞いた。
G:太陽の知性は神秘的なものだ。しかし地球も同じようになることができる。ただし、もちろん保証されているわけではなく、何も達成しないまま死滅するかもしれない。
P「それは何にかかっているのですか?」 Gの答えはひどく曖昧だった。
G:あることが為されるには、あるはっきりした期間が定められている。もし、ある時までに為されるべきことが為されないなら、地球は達成しうることもしないまま死滅してしまうだろう。
P「その期間はわかっているのですか?」
G:それはわかっている。しかし人々は、それを知っても益はないだろう。いや、むしろ悪くなるかもしれない。信じる者もいれば信じない者もおり、説明を要求する者もいるだろう。そしてそのうちに、互いの頭を叩き割り始めるだろう。大衆とはいつもそんなものだ。

同じ時にモスクワで、芸術に関していくつか面白い話をした。それは、私がGに最初に会った夜に読まれた、あの物語に関連していた。
G:地上の人々は、姿かたちは全く同じでも、非常に違ったレベルに属しうるのだが、それはまだ君にははっきりわからないだろう。それと全く同じように、芸術にも様々なレベルがある。ただ君は、そのレベルの相違が、君が思っているよりずっと大きなものであることに気づいていないのだ。君は様々に違うものを同一レベルの、互いに非常に近いものと考え、おまけに、自分は別のレベルにもいけると考えている。
私は、君が芸術と呼ぶものすべてを芸術とは呼ばない。
君が芸術と呼んでいるものは、単なる機械的な再製品か、自然あるいは他人の模倣か、ただの幻想か、それとも独創的であろうとする試みにすぎない。本当の芸術は全然別のものだ。芸術作品、特に古代の芸術作品の中には、説明しえないもの、現代の芸術作品には感じることのない何かを内包しているものがたくさんある。しかし、その違いが何であるかわからないために、君はすぐそのことを忘れ、いつまでたってもすべての芸術を一つの種類と考えてしまうのだ。ともかく、君の芸術と私の言う芸術との間には大きな違いがある。君の言う芸術では、すべては主観的だ。つまり、芸術家が感覚を知覚する方法、その感覚を表現する形式、それを見る人々がその形式を知覚するやり方は、すべて主観的だ。ある一つのことから、ある芸術家はあることを感じ、別の芸術家は全く別のことを感じるだろう。全く同一の日没が、前者には喜びの感情をよびおこし、後者には悲しみを呼び起こす。両者は、全く同じ知覚を全然別の方法や形式で表現しようとしたり、あるいは全く違った知覚を同じ形式で表現しようとするかもしれない。それはすべて、彼らがいかなる教えを受けたか、あるいはそれにいかに反抗したかによる。また観客、聴衆、読者は、芸術家の感じたことや伝えたいことをではなく、芸術家が自分の感覚に表現を与えている形式が、連想によって彼らの内に呼び起こすものを感じるのだ。すべては主観的かつ偶発的だ。すなわち芸術家の印象や〈創作〉〔彼はこの語を強調した〕、観客、聴衆、読者の知覚、これらはすべて偶然の連想に基づいているのだ。
真の芸術には、偶発的なものは何もない。それは数学だ。その中のすべては計算でき、前もって知ることができる。芸術家は自分の伝えたいと思うものを知り、しかも理解しており、彼の作品は、鑑賞者を同一レベルの人々と仮定すれば、ある人にはある印象を、別の人には別の印象を与えるということはありえない。それは常に、数学的な確かさで同一の印象を生みだすのだ。
同時に、同一の芸術作品は、レベルの違う人々には別々の印象を与えるだろう。しかも低いレベルの人々は、高いレベルの人々と同じものを受けとることは絶対にない。これが本当の客観的な芸術なのだ。科学的な作品、天文学とか化学とかの本を考えてみなさい。これなら人によって理解がまちまちになることはない。十分に準備できている人、その本を読む能力のある人なら誰でも、著者の意味するところを正確に理解するだろう。客観的な芸術作品はちょうどその本のようなもので、ただそれは人間の知的側面だけでなく、感情にも働きかけるところが違うだけだ。
P「そのような客観芸術の作品は今もありますか?」と私は聞いた。
G:もちろんある。エジプトの巨大なスフィンクスは、そのような芸術作品だ。また、いくつかの歴史的に有名な建造物、神々の像、その他たくさんある。本のように読むことのできる神々の像、種々の神話的な生き物の像もある。ただし頭でではなく感情で読むのだ。それも作品が十分に精巧である時だけだ。
中央アジアを旅している時、ヒンドゥークシのふもとの砂漠で、我々は奇妙な像を見つけた。最初は何か古代の神か悪魔だと思い、ただ面白そうなものという印象しか受けなかった。が、しばらくするうちに我々は、その像が多くのものを、すなわち巨大で完全で複雑な宇宙論の体系を秘めていることを感じ始めた。そしてゆっくりと、一歩一歩、その体系を解読し始めた。それはその像の胴体に、脚に、腕、頭、目、耳、いたるところに見られた。像には偶然のもの、意味のないものは何一つなかった。徐々に我々はこの像をつくった人々の目的を理解していった。彼らの思考や感情を感じはじめたのだ。何人かは彼らの顔を見、声を聞いたと思ったほどだ。ともかく我々は、数千年という時間を超えて、彼らが我々に伝えたかった意味をつかんだのだ。いや、意味だけではない、それと結びついたあらゆる感情や情緒をも感じとったのだ。あれこそ正に芸術だった!

私は、Gが芸術について話したことに、非常に興味をもった。芸術を主観的なものと客観的なものに分ける彼の原理は私に多くのものを教えてくれた。それでもまだ私は、彼がこれらの言葉に含ませたものをすべて理解したわけではなかった。私はかねがね芸術の中に、私自身定義も定式化もできない、ある区分ないしは段階があるのを感じていたが、それはこれまで一度も定式化されたことがなかった。にもかかわらず、私はそういう区分や段階が存在することを信じていた。だから、そういった区分なり段階なりに気づいていない芸術についての話は、すべて空っぽで無意味で、単に言葉の上の議論にすぎないように思われた。Gの語った、我々が見落とし、理解し損ねている様々なレベルに関する示唆の中に、感じるだけで定義できなかった正に段階そのものへのアプローチを感じたのである。
全体として、Gの語った多くのことが私を驚かせた。むろん、受けいれ難いものや幻想的で根拠のないように思える考えもあった。しかし他のものはその反対に、私自身考えてきたことや、ずっと以前に到達した考えと奇妙に一致していた。何にもまして私は、彼の言ったことがすべて関連しあっていることに興味をひかれた。私はすでに、彼の様々な考えはあらゆる哲学的、科学的思想とは違って、その一つが他から切り離されているといったものではなく、一つの統一体を形成していることを感じてはいたが、まだその一部分を見たにすぎなかった。それについて私は、モスクワからペテルスブルグヘの夜行列車の中で考えてみた。そして本当に捜していたものを見つけたのかどうか自問してみた。言葉や考えから行為へ、〈事実〉へと進むために知らなくてはならないことを、Gが本当に知っているということはありうるのだろうか? 私はいまだ何についても確信がもてず、きちんと定式化することもできなかった。しかし私には、何かがすでに変わり、これからはすべてが違ったように進むに違いないという確信が心のどこかにあったのである。


G「人は、簡単に手に入れたものは尊重しない。」


ある会合で、誰かが、再生の可能性について、また、死者との交信を信じることができるかどうかについてたずねた。
G:多くのことが可能だ。しかし、人間の存在は、もしそれが死後も存在するとすれば、生前も死後も、非常に質の違ったものでありうるということを理解する必要がある。すべてが外的影響に依存し、すべてが偶発的に起こり、今あるものであるかと思うと、次の瞬間には他のものに、また次の瞬間にはまた別のものになるといったような〈人間機械〉には、いかなる未来もない。埋葬されて、それで終わりだ。塵は塵に還る。これは人間にこそあてはまる。来世がいかなるものにせよ、それについて語りうるためには、ある種の結晶化、人間の内的資質の融合、外的影響からの確固たる独立が必要だ。もし人間の中に、外的影響に抵抗できるものがあるとすれば、まさにそれ自身が、肉体の死にも抵抗できるかもしれない。しかし、指を傷つけたくらいで気絶したり、何もかも忘れたりするような人間の中に、肉体的な死に抵抗するいかなるものがあるか、各自考えてみるといい。もし人間の中に何かがあれば、それは生き残るだろう。もし何もなければ、生き残るものは何もない。しかし、
たとえ何かが生き残るとしても、その未来は非常に多様なものでありうるのだ
より円滑な結晶化が行われた場合には、〈再生〉と呼ばれるものが死後に可能かもしれないし、別の場合には、人が〈彼岸の生〉と呼ぶものが可能だろう。どちらの場合もそれは、〈アストラル体〉【オカルティズムでは必ず出てくる言葉であり、肉体の上層にある体という点では異論はないが、その位置は必ずしも一定していない。一般には、宇宙の全存在物、狭義には人間を7つの階別に分ける。下から、〈物質界〉ないしは〈肉体〉、次に〈エーテル体〉〈アストラル体〉〈メンタル体〉〈スピリチュアル体〉〈モナド体〉、最上層に〈神〉もしくは〈真我〉となる。また、神智学では通常4つに分けられる。例えばリードピーターは身体を〈肉体〉〈エーテル体〉〈アストラル体〉〈メンタル体〉に分け、ルドルフ・シュタイナーは〈肉体〉〈エーテル体〉〈アストラル体〉〈自我〉に分けている。グルシェフの区分もこれと似ているが、75頁にある通り、〈肉体〉のすぐ上に〈アストラル体〉を置き、その上に〈メンタル体〉〈原因体〉を置く。また、より端的に〈第一の体〉〈第二の体〉〈第三の体〉〈第四の体〉とも呼んでいる。しかしグルジェフにおける著しい特徴は、彼が、
高次の体は生まれながらにしてもっているものではなく、すべては意識的修練によって獲得することができる、とする点である。】における、あるいは〈アストラル体〉の助けを伴った生の継続なのだ。君は〈アストラル体〉という言葉が、何を意味するか知っているだろう。しかし、君の知っている体系でこの言葉が使われる場合、すべての人間は〈アストラル体〉をもっているとしている。これは完全に間違っている。〈アストラル体〉と呼ばれうるものは、融合を通して、つまり、激しい内的修練と葛藤を通して得られるのだ。人間は生まれながらにしてそれを備えているのではない。しかも、非常にわずかな人だけがそれを手に入れることができるのだ。
もし〈アストラル体〉が形成されれば、それは肉体の死後も生き続けるかもしれないし、再び他の肉体の中に生まれるかもしれない。これが〈再生〉なのだ。もし〈アストラル体〉が再生できなければ、時が経つとそれも死ぬ。つまり、〈アストラル体〉は不死ではないが、肉体の死後も長く生きのびることができるのだ。
融合すなわち内的調和は、〈あつれき〉を通して、つまり人間の中における〈イエス〉と〈ノー〉の葛藤を通して得られる。もし人間が内的葛藤なしに生きるなら、もしすべてが彼の内で何の障害もなくただ起こるだけならば、もし彼が誘われるままに、風に吹かれるままにどこへでも行くなら、彼は今の状態から一歩も踏みでることはできない。しかし、もし彼の内で葛藤が始まれば、そして特に、この闘いに確かな方向があるならば、不変なる特性がひとりでに形成され始め、彼は〈結晶化〉を始める。しかし結晶化は、正邪を問わずどんな土台の上でも起こりうる。〈あつれき〉、〈イエス〉と〈ノー〉の間の葛藤は、誤った土台の上でもたやすく起こりうるのだ。例えばある思想への狂信的な信奉、あるいは〈罪の怖れ〉なども、〈イエス〉と〈ノー〉の間に激しい葛藤をよびおこすことができ、人はこれらの基盤の上で結晶化することもある。このような人間にはそれ以上生長する可能性はない。そこから先へ生長するためには、彼はもう一度溶解しなければならないのだが、それは、すさまじい苦痛を通じてしか達成しえないのだ。
結晶化はどのような基盤の上ででも可能だ。山賊を、実に有能な本物の山賊を例にとってみよう。コーカサスで私はそんな山賊を知っていた。彼は道端の岩の後ろで、ライフル銃をもって身動きもせずに8時間立ち続けるのだ。君にこんなことができるかね? その間中、ここに注意してほしいのだが、彼の内部で闘争が行われているのだ。のどが渇き、暑く、ハエに咬まれるが、彼は動かずに立っている。
別の例は僧侶だ。彼は悪魔を怖れ、一晩中額を床に打ちつけて祈る。そうして結晶化が達成される。
このような方法で、自分の内部に巨大な力を生みだす。苦痛に耐えることができ、望むものを手に入れることができる。これは、そのとき彼の内部に、純粋で不変の何かができたことを意味している。このような人々は不死となることができる。
しかしそんなものが何になるだろう?
この種の人々は、時にはある程度の意識を保持している場合もあるけれども、結局は〈不死なる物〉になるのだ。しかし、それでさえ非常に稀にしか起こらないのだということを肝に銘じておきなさい。

この夜の話のとき、Gの言ったことを全く取り違えたり、彼の話の中でも副次的な、非本質的な部分にだけ注意を払い、かつ記憶に留めるという人たちの多いことに驚いたことを今でも覚えている。Gの話の中の根本的な原理を、ほとんどの人が取り逃がしていた。本質的な部分に関して質問したのは、ほんのわずかの人たちだけだった。その一つが記憶に残っている。
「どのようにして人は、自分の中で〈イエス〉と〈ノー〉の間の葛藤を呼び起こすことができるのですか?」と誰かが聞いた。
G:犠牲が必要だ。何も犠牲にしなければ、何も得ることはできない。しかもその時点で貴重なものを犠牲にすること、長期にわたって多大の犠牲を払うことが必要なのだ。
とはいえ、永久にではない。これをしっかり理解しなさい。ほとんどの場合、理解されていないのだから。

犠牲は結晶化の過程の間だけ必要なのだ。結晶化が達成されれば、自制、欠乏、犠牲はもはや必要ではない。そのときには、人は望むものをすべて手にすることができる。彼はもはや、いかなる法則によっても支配されない。彼自身が法則なのだから。



「もしも古代の知識が保存され、また一般的に言って、我々の科学や哲学と異なる、あるいはそれより優れてさえいるかもしれない知識が存在するとすれば、なぜそれは、そんなに注意深く隠されているのでしょうか? なぜ、共有の財産としないのでしょうか? なぜその知識の所有者は、虚偽や悪や無知に対する、より効率的で勝つ見込みのある闘いのために、喜んでそれをみんなの前に差し出して広く行きわたらせようとしないのでしょう?」
思うにこれは、秘教主義の思想に初めて触れる者すべての心に、通常起こる疑問であろう。

G:それには二つの答えがある。まず第一に、その知識は隠されてはいない。第二に、その性質そのものからして、それは共有の財産にはなりえない。後者をまず考えてみよう。私は後で、知識は〔彼はこの言葉を強調した〕、それを吸収する力のある者には普通思われているよりもずっと理解されやすいもので、
問題は、人々がそれを欲しがらないか、もしくは受けとることができないことにあるということを証明してみせよう。
しかし、まず別のこと、すなわち知識はすべての人、いや多数の人のものとさえなることはできないということを理解しなくてはならない。これは法則だ。君たちは、
知識が、地上の他のものと同じく物質であるということを理解していないから、このことがわからないのだ。物質であるとは、物質性のあらゆる特性を備えているということだ。物質性の第一の特性の一つは、物質は常に限定されている、つまりある場所、ある状態の元での物質の量は限定されているということだ。砂漠の砂、海の水でさえ一定不変の量なのだ。だから、もし知識が物質であるならば、ある場所、ある時のそれは一定の量しかない。ある期間、例えば一世紀間、人類は自由にできる一定量の知識を所有していると言うことができる。ともあれ、生活を普通に観察していても、知識という物質は、少量取られるか大量に取られるかによって全く違った性質をもつことがわかる。ある場所で一人か少人数のグループに大量に取られれば、知識は非常にいい結果を生むが、わずかしか取られなければ(つまり沢山の人が取ってしまえば)、それは何の結果も生まないか、あるいは彼らが期待していたのとは反対の否定的な結果さえ生みかねない。だから、もしある一定量の知識が何百万という人々に分配されれば、一個人の取る量は非常にわずかになり、そんなに少量では、生活の中でも、物事の理解においても、何一つ変わりはしないだろう。そして、この少量の知識を受けとる人の数がいかに多かろうと、彼らの生活は全く変わらず、いやそれどころかもっと困難になるかもしれない。
しかしその反対に、もし大量の知識が少数の人々に集中されれば、それは非常に大きな結果を生みだすだろう。この観点からすれば、知識を大衆の間に広めないで、少数の人々の間に保っておく方がはるかに有利なわけだ。
もし一定量の金で多くのものをメッキしようとすれば、それだけの量で何個メッキできるか正確に知っているか、もしくは計算する必要がある。もし大量にメッキしようとすれば、金は不均等にしか付かず、ツギハギのようになって、初めから全然付けない方がよっぽどマシだったということになる。そして結局、金は無くなってしまうのだ。
知識の分配も全く同じ原理に基づいている。もし知識がすべての人に分け与えられるなら、誰にも何一つ手に入らないだろう。もし少数の人々の間で保持されれば、各自は保存に十分なだけを受けとるだけでなく、それを増やしさえするだろう。
知識を多量に取る者がいるために、知識を、いわば拒まれた人々がひどく惨めで、必要以上に不当な立場に置かれていると見えるところから、この理論は一見ひどく不公平に思えるかもしれない。しかし、実際には決してそうではない。知識の配分においては露ほどの不正もないのだ。
大部分の人々は、いかなる知識も欲しがりはしないというのが実情なのだ。彼らは自分たちの分け前を拒否し、人生の様々な目的のために割りあてられた取り分さえ取ろうとはしない。人々は持っていたわずかな常識さえ失い、集団で大規模な破壊に自らを投じる完全な自動機械と化してしまう。言いかえれば、自己保存の本能さえ失う。これは、戦争とか革命とかいった類の集団狂気の際に特に明らかになる。そのため、巨大な量の知識は要求されないまま残り、その価値を認識した人々の間で分けることができるというわけだ。
ここには何ら不正なものはない。なぜなら、知識を受けとる者は他人のものを何一つ取るわけでも、奪うわけでもないからだ。彼らはただ、他人が無価値だとして拒否したもの、あるいはもし彼らがそれを取らなければ、どうせ失われてしまったに違いないものを取るだけなのだ。ある者が知識を収集できるのは、別の者がそれを拒否するからにほかならない。
人類の歴史には、大衆がとりかえしのつかないほど理性を失い、文明が何世紀、何十世紀という時間をかけて築きあげてきたものすべてを破壊し始める時期があり、これらの時期はだいたい文化や文明の崩壊の端緒と符合している。このような集団狂気の時期は、しばしば地質学上の大異変とか、気候上の変化、あるいは惑星と関係のある同種の現象に符合しており、非常に多量の知識という物質が放出される。
すると今度は、知識という物質を集める仕事が必要になる。そうしないと失われてしまうからだ。そういうわけで、この収集の仕事はしばしば文化や文明の破壊、凋落(ちょうらく)の始まりと符合する。

この点ははっきりしている。大衆は知識を求めも捜しもせず、また大衆の指導者は、自分たちの利害のために、新しいもの、未知のものに対する民衆の恐怖心と嫌悪感をあおりたてる。この恐怖ゆえに人類は現在の奴隷状態に陥っているのだ。この奴隷状態の恐ろしさの全貌は想像することさえ困難だ。我々は何を失いつつあるかを理解していないのだ。しかし、この奴隷状態を理解するためには、人々がどのように生きているか、彼らの存在の目的、欲望、情熱、野心の対象は何か、何を考え何を話しているか、また何に仕え何を崇(あが)めているかを見るだけで十分だ。我々の時代の教養ある人々が何に金を使っているか、戦争を別にしても、何に最高の価値を与えられているか、どんなところに大衆が集まるかを考えてみなさい。
これらの問題をちょっと考えてみると、人類が今のような関心をもったままでは、それとは何か違うものを得ようなどと期待することは不可能だということがはっきりする。しかしすでに言った通り、これはそうなるほかないのだ。人類全体に、年半ポンドの知識が配給されるとしよう。もしこの知識がすべての者に分配されるとしたら、各人はほんのわずかしか受けとれないので、彼はその愚かさから抜け出ることができない。しかし、ほんのわずかな人々しかこの知識を欲しがらないために、これを得た者は、そう、一人1グレーン(0、0648グラム)ぐらいは手に入れ、さらに賢明になる可能性を獲得できるのだ。望んでもみなが賢明になれるわけではない。それに、万一誰もが賢明になったとしても事態は変わらないだろう。くつがえすことのできない普遍的な平衡があるからだ。
これが1点。もう一つは、すでに言ったように、誰も何一つ隠してはいないということ。いかなる神秘もない。しかし、
真の知識の習得、あるいは伝達は、多大の労力と努力を、それを受ける人与える人の両方に要求する。そしてこの知識を所有する者は、それを可能な限り多数の人々に伝達し、分かちあうため、また人々がそれに近寄りやすくなるよう、あるいは彼らが真理を受けとる準備ができるよう、あらゆる手を尽くしている。しかし、知識は力ずくで人に与えることはできないし、それに、すでに言ったように、平均的な人間の生活を、つまり彼が毎日やっていることや興味をもっているものなどを偏見なく見るならば、知識を隠しているとか、知識を人々に与えたがらないとか、知っていることを人々に教えようとしない、などという罪で知識の所有者を告発できるかどうかはすぐにはっきりする。
知識を手に入れたい者は、すべての人に与えられている助けと指示を利用してその源を探り、それに近づく努力の第一歩を踏みだすことが絶対必要なのだ。しかし、概して人々は、そんな助けや指示を見たいとも認めたいとも思わない。本人の努力がなくては知識を得ることはできない。普通の知識に関しては、このことはとてもよく理解されているのに、偉大なる知識の場合となると、その存在の可能性を認めさえすれば努力は不要だと思ってしまうのだ。例えば、中国語を習得したかったら数年間一所懸命勉強しなければならないし、医学の原理を把握するには5年はかかるし、絵画や音楽を勉強するにはおそらくその2倍の年月が必要だということは誰でも知っている。にもかかわらず、努力もせず、眠りながらでも知識を手に入れることができると主張する説もある。そんな説があるということ自体、なぜ知識は人々のものとなることができないかを、さらにはっきり説明してくれる。同時に、この方面で何かを得ようと一人で努力しても、いかなる結果も得られないことを理解することが絶対に必要だ。人は、知識を持っている人々の助けがあって、初めてそれを手に入れることができるのだ。これは一番最初に理解しなければならない。人は知っている人から学ばねばならないのだ

これに続く会合の席で、質問に答えて、Gは以前述べた再生と来世についての考えを推し進めた。話し合いは出席者の質問で始まった。
「人間は不死性を持っていると言えますか?」

G:
不死性は、その意味を十分に理解もせずに、人間がもっていると思いこんでいる特性の一つだ。この種の特性としては他に、内的調和という意味での〈個体性〉〈永続的かつ不変的私〉〈意識〉、そして〈意志〉がある。これらの特性はみな人間のものとなることはできるが〔彼はできるというところに力を入れた〕、それはもちろん、それらが実際に人間の、すべての人一人一人のものであるということではない。
現在、つまり発展の現段階において人間がどんなものであるかを理解するには、人間がいかなるものになりうるか、つまり、彼が何を獲得できるかをある程度想像してみる必要がある。可能な発展の正しい順序を理解することによって初めて、人々は、実際にはもっていないもの、おそらくは多大の努力と労働の後にのみ得られるものを、既にもっているという錯覚から解放されるだろう。
新旧多くの体系の中にその痕跡が見られる古代のある教えによれば、人間に可能な限りの発展を成し遂げた人間、本当の意味での人間は、4つの体から成り立っているという。これら4つの体は次のような物質で構成されている。すなわち、しだいに微細になり、相互に融合し、そして、ある明確な関係をもってはいるが独自の行動ができる4つの独立した有機体を形成するような物質で。4つの体が存在できる理由は、人間という有機体、つまり肉体は非常に複雑な組織をもっているので、ある条件下では、その内部で、意識の活動にとって肉体よりはるかに便利で敏感な器官を生みだす、新しい独立した有機体が育ちうるということにある。
この新しい体の中に現れる意識は、新しい体を統御することができるとともに、肉体に対して完全な力と制御力をもっている。この第二番目の体の中に、ある条件がそろえば、これもまた独自の性質をもった第三の体が生長することが可能だ。この第三の体に現れる意識は、前の2つの体に対して完全な力と制御力をもっており、そしてこの第三の体は、第一の体も第二の体も持つことのできない知識を獲得する可能性をもっている。第三の体の中に、条件がそろえば第四の体が育つことができ、それは、第三の体が第二の体と、第二の体が第一の体と違っているのと同じくらい第三の体と違っている。第四の体の中に現れる意識は、前の3つの体と自らに対する完全な制御力をもっている。
これら4つの体は、教義体系によって様々に定義されている。
Gは、図1にあげたような図を描いて言った。


G:第一は肉体で、キリスト教では〈肉欲的〉(カーナル)体と言われ、第二は、キリスト教用語では〈自然〉(ナチュラル)体であり、第三は〈霊的〉(スピリチュアル)体、第四は秘教的キリスト教では、〈神的〉(デヴァイン)体と言われている。神智学では、第一のものは〈肉〉体、第二は〈アストラル〉体、第三は〈メンタル〉体、そして第四は〈原因〉体と呼ばれている。
東洋のある教えでは、第一の体は〈馬車(身体)〉、第二の体は〈馬(感情、欲求)〉、第三は〈御者(知性)〉、そして第四は〈主人(私、意識、意志)〉と呼ばれている。
このような対応や類似点は、人間の中に肉体以上の何かを認めるほとんどの体系と教えの中に見られる。しかし、これらの教えのほとんどは、多かれ少なかれ同じような形で古代からの定義や区分を繰り返しながらも、最も重要な特徴を忘れ、あるいは省いている。それは何かと言えば、
人間は高次の体をもって生まれてくるのではないということ、つまりそれらは、内外ともに好ましい条件が存在する場合に限って人為的に育成できるということだ。
〈アストラル体〉は人間にとって絶対に必要なものではない。それはわずかの人だけがもてる大変な贅沢なのだ。〈アストラル体〉がなくても十分うまく生きることができる。肉体は生に必要な全機能を有している。〈アストラル体〉をもたなくても、非常に教養のある、あるいは霊的な人間であるという印象を与え、他人ばかりか自分自身をも欺くこともできるのだ。
これはもちろん〈メンタル体〉と第四の体にもあてはまる。普通の人間はこれらの体、あるいはこれに相当する機能を所有していない。しかし人はしばしばそれをもっていると思いこみ、他人にもそう思わせる。その理由は第一に、肉体はより高次の体を構成しているのと同じ物質で動くのだが、ただそれらの物質は彼の内部で結晶化されておらず、そのため彼のものになっていないということ。第二に、肉体はより高次の体のそれと類似したすべての機能をもってはいるが、もちろんそれらはかなり違ったものだということだ。肉体だけを所有している人間の機能と、四つの体を所有している人間の機能との違いは、前者では、肉体の機能が他のすべての機能を統御している、言いかえれば、すべては外的な影響に左右される体によって統御されているのに対し、後者では、制御力もしくは支配力は、より高次の体から放射されるという点である。
肉体の機能は、四つの体の機能に相応するものとして表すことができる。

Gは、肉体をもつ人間と四つの体をもつ人間の相応的な機能を示す別の図表(図2)を描いた。
G:第一のもの、つまり肉体だけをもつ人間の機能について言えば、自動機械は外的な影響力に左右され、あとの3つの機能は、肉体とそれが受ける外的影響に依存する。欲求、あるいは嫌悪【〈欲しい〉〈欲しくない〉〈好きだ〉〈好きでない〉】つまり第二の体に位置する機能は、偶発的なショックや影響に依存する。第三の体の機能に相応する思考は完全に機械的な過程だ。普通の機械的な人間には〈意志〉はなく、欲求があるだけで、欲求や願望の持続性の強弱が、強い意志、弱い意志と呼ばれているのだ。
第二のものは4つの体の機能に関するもので、そこでは肉体の自動性が他の体の影響に依存している。不調和でしばしば相矛盾する様々な欲求の活動のかわりに、完全で、分割できない、永続的な一つの私がいる。つまり肉体とその欲求を支配し、肉体の不満と反抗をともに克服できる個体性があるのだ。機械的な思考過程のかわりに意識があるのだ。そして異なる〈私〉から出てくる様々な、しばしば矛盾する欲求だけから成るのではなくて、意識から出て、個体性あるいは単一の永続的な私によって統御される意志がある。
このような意志だけが〈自由〉と呼ばれうる。なぜなら、それは偶発事から独立し、外から変えられたり、支配されたりすることはないからだ。
東洋のある教えは、この4つの体の機能、その段階的な生長、そしてその生長の条件を次のように記している。
種々の金属粉でいっぱいの容器か蒸留器を想像してみよう。その粉末は互いに結合していないので、蒸留器の位置が偶然に変わるたびに、その相対的な位置が変わる。もし蒸留器が振られたり、指で叩かれたりすると、一番上にあった粉末は底かあるいは真ん中辺りにきて、同時に底にあった粉末は一番上にくるかもしれない。粉末の位置には不変性はなく、またこんな条件下では永続的なものはありえない。これは我々の精神生活の正確な描写だ。瞬間瞬間に新しい影響が一番上にある粉末の位置を変え、その場所に、全く反対側にある別の粉末をもってくるのだ。科学は、粉末のこのような状態を機械的混合状態と呼ぶ。この種の混合における粉末の相互関係の基本的な特徴は、その相互関係が不安定で可変的だということだ。
機械的混合状態では、粉末の相互関係を安定させることは不可能だ。しかし粉末は融合させることができる。粉末の性質がこれを可能にするのだ。そのためには特殊な火を蒸留器の下で燃やさなければならず、粉末を熱し溶かすことによって最終的にそれを融合させるのだ。この方法で融合させると、粉末は化学的化合物の状態になる。こうなるとそれらは、機械的混合状態にあったときのように簡単には、分離させたり位置を変えたりすることはできない。蒸留器の内容物は、分割できない〈個体〉になったのだ。これが第二の体の構造の見取り図だ。この融合を可能にした火は摩擦によって生じる。それは人間の場合には、〈イエス〉と〈ノー〉
(肯定と否定)の間の葛藤によって生じる。もし自己のすべての欲望に負けてしまえば、あるいはそれを煽ったりすれば、内的葛藤、〈摩擦〉、あるいは火は生じない。しかし、もし確たる目的を達成すべく自分を邪魔する欲望と闘うなら、それは火を生みだし、しだいに彼の内的世界を統一体へと変容させていくだろう。
蒸留器の例に戻ろう。融合によって得られた化学的化合物は、一定の特質、つまりある特定の重量や一定の電気伝導率などをもっている。これらの特質が当の物質の特性を構成する。しかし、ある働きかけによって、この特性の数は増やすことができる。つまり、この合金に本来なかった性質を付与することができる。それを磁化したり、放射性をもたせたりすることも可能かもしれない。
この、合金に新たな性質を付与する過程は、第三の体の形成と、第三の体の助けによる新しい知識と力の獲得の過程に相応する。第三体の体が形成され、獲得できる限りの性質、力、知識のすべてを得たとき、この力と知識を固定させるという問題が残る。というのも、それらはある種の影響によって与えられていたのだから、その同じ影響か、あるいは他の影響によってとり去られるということもありうるからだ。獲得された性質は、3つの体全部に特殊な力を加えることによって、永続的かつ奪いとれないものに変えることができるのだ。
これらの獲得された性質を固定させる過程は、第四の体の形成過程に相応する。
そして、4つの完全に発達した体をもつ人間だけが、本当の意味での〈人間〉と呼ばれうるのだ。この人間は凡人がもっていない多くの特性をもつ。
その一つが不死性なのだ。すべての宗教と古代の教えは、第四の体の獲得によって人間は不死性を獲得するという考えをもっている。そして同時に、第四の体、つまり不死性を獲得する方法も指示している。
この点について、ある教えは、人間を4つの部屋のある家と比べている。人間は一番小さくてみすぼらしい部屋に住み、言われるまで、宝物のつまった他の部屋の存在に気づかない。これを知ったとき、彼はこれらの部屋、特に、最も重要な第四の部屋の鍵を探しはじめる。そして、この部屋へ入る方法を見つけたときに初めて、彼は本当に自分の家の主人となるのだ。というのは、このとき初めて、その家は完全かつ永久に彼のものとなるからだ。
第四の部屋は人間に不死性を与え、すべての宗教的な教えはそれへの道を示そうと努めている。短い道、長い道、困難な道、やさしい道、非常に多くの道があるが、一つの例外もなくすべて一つの方向へ、つまり不死性へと導いているか、あるいは導こうとしているのだ。


次の会合で、Gは前回やめたところから話し始めた。
G:私は前回、不死性は生まれつき備わっているものではないと言った。しかし、人間は不死性を獲得することができる。一般に知られているあらゆる不死性への道は、3つのカテゴリーに分けることができる。

1.ファキールの道
2.修道僧の道
3.ヨーギの道


ファキールの道は肉体との闘いの道、第一の部屋に働きかける道だ。これは長く、困難で、不確かな道だ。ファキールは肉体に対する意志と力を発達させようと努める。これは肉体を責めさいなむことからくるものすごい苦痛によって得られる。ファキールの方法全体は、信じ難いほど困難な様々な肉体訓練から成っている。ファキールは、同じ場所に何時間も、何ヵ月も、何年も動かずに立ち続けたり、太陽、雨、雪の中で、裸の石の上に腕を広げたまま座ったり、火で身体を責めさいなんだり、蟻塚(ありづか)の中に足を突っ込んだり、そういったことをする。
もし肉体的意志とでも呼びうるものが彼の内部に発達する以前に病気になったり死んだりしなければ、彼は第四の部屋に到達するか、第四の体を形成することが可能になる。しかし彼の他の機能、感情的、知的、その他は未発達のまま残る。彼は意志こそ獲得したが、それを適用する対象をもたず、知識や自己完成のために活用することもできない。概して、彼は新たな仕事を始めるには、すでに年をとりすぎているということになる。
しかし、ファキールのスクールのあるところには、ヨーギのスクールもある。ヨーギたちは普通ファキールを監視している。もしファキールが、必死で求めていたものを年をとりすぎる前に獲得すると、彼らは彼を自分たちのスクールに連れていき、そこでまず彼を癒やし、行動する力を回復させ、それから教え始める。ファキールは、赤ん坊のように歩くことや話すことを学ばねばならない。しかし彼は今や、修行の道程における信じ難い困難を克服してきた意志をもっており、この意志は、この道の第二段階における困難、すなわち知的、感情的機能の発達に伴う困難を克服する助けになるだろう。
君たちは、ファキールがどれほどの辛苦を耐え忍ぶか想像もできないだろう。君たちが本当のファキールを見たことがあるかどうか知らない。私はたくさん見てきた。例えば、インドのある寺院の内庭で見、近くに寝さえした。ファキールは、20年の間、昼も夜も、四つん這いになって、つま先と手の指とで自らを支え続けていたのだ。彼はもはや自分で立つことはできなかったので、彼の弟子たちがまるで生命のない物体のように彼をあちこち運んだり、河で彼を洗ったりしていた。しかしこれはすぐに獲得されたものではない。この段階にたどりつくために、彼が何を克服してきたか、いかなる苦しみを耐えぬいたかを考えてみなさい。
とはいえ人は、この道の可能性や結果を理解しているがゆえに、あるいは宗教的な感情のゆえにファキールになるのではない。ファキールの存在するすべての東方諸国では、大衆の間に、何かよいことのあった後に生まれた子供を、ファキールにあげる約束をするという習慣がある。この他に、ファキールはよく孤児を養子にしたり、貧しい親から小さな子供を買い受けたりする。この子供たちは弟子となり、彼らを真似、あるいは真似るようにしつけられる。ある者は外面的に真似をするだけだが、後に、自分自身ファキールとなる者もいる。
これに加えて、自分の見たファキールに感銘を受けただけで、ファキールになる人もいる。寺院内のすべてのファキールの近くに、同じかっこうで座ったり立ったりして彼らを真似ている人々がいる。もちろん長い間ではないが、それでも時には数時間も続くことがある。また時には、祝祭の日に偶然寺院に入りこみ、そこで特に感銘を受けたファキールを模倣し始めた男が、もう家に戻らずに、そのファキールの弟子たちの群に加わり、時を経て、彼自身がファキールになるということもある。断っておくが、私は〈ファキール〉という語をカッコつきで使っている。ペルシアでは、ファキールとは単に乞食を意味し、またインドでは非常に多くのペテン師たちが、ファキールと自称している。ヨーロッパ人、特に教養あるヨーロッパ人は、多くの場合、ヨーギや様々な遊行修道僧たちにもファキールという名を与えている。しかし、実際のファキールの道、修道僧の道、ヨーギの道は全く違ったものだ。これまで私はファキールについて話した。これが第一の道だ。

第二の道は修道僧の道だ。これは信仰の道であり、宗教的感情、宗教的犠牲の道だ。強烈な宗教的情緒、強烈な宗教的想像力をもつ人だけが、本当の意味での〈修道僧〉になれるのだ。修道僧の道も非常に長く困難だ。修道僧は、何年、何十年という期間を自分自身との闘争に費やすのだが、彼の労力はすべて第二の部屋、第二の体、つまり感情の上に集中される。彼は、他のすべての情緒を一つの情緒、つまり信仰に服従させることによって、内部に調和と、情緒を〈コントロールする〉意志を発達させ、そうして第四の部屋に至るのだ。しかし彼の肉体と思考能力は未発達のままだ。獲得したものを活用できるためには、彼は肉体と思考能力を発達させなければならない。そしてこれは、新たな犠牲、新たな困難、新たな放棄によってのみ達成することができるのだ。修道僧は、ヨーギとファキールにならなければならないのだ。そこまでたどりつく者はほとんどいないし、あらゆる困難を克服する者となるともっと少ない。彼らのほとんどはそこに至る前に死ぬか、もしくは外見だけ修道僧らしくなるかだ。

第三の道はヨーギの道だ。これは知識の道、精神の道だ。ヨーギの道は、第三の部屋への働きかけと、知識によって第四の部屋に入ろうとする努力とから成る。ヨーギは精神を発達させることによって第四の部屋に至るのだが、彼の肉体と感情は未発達のままで、ファキールや修道僧と同様、獲得した成果を活用することができないのだ。彼はすべてを知っているが、何一つすることができない。行動を開始するためには彼は肉体と感情、つまり、第一と第二の部屋に対する支配力を手に入れなければならない。そのためには、彼は新たに修練を始め、長期間努力してその成果を手に入れなければならない。しかしながら、この場合には、彼は自己の立場を知っており、また自分が何を欠き、何をしなければならないか、どの方向に進まなければならないかを知っているという利点をもっている。しかし、ファキールや修道僧の道と同様、ヨーギの道の途上でもこれを知る者はほとんどいない。つまり、修行中に、自分がどこに進んでいるかを知るレベルに達する者はほとんどいないのだ。非常に多くの者が何かあるものを達成したところで止まってしまい、それより先には進まないのだ。
それらの道はまた、師や指導者との関係においても互いに違っている。
ファキールの道では、本当の意味での師はいない。その場合、師は教えるのではなく、ただ模範として役に立つだけだ。弟子の仕事は師をまねることだ。修道僧の道においては、人は師をもち、彼の義務の一部、仕事の一部は、師への絶対的な信頼をもつこと、彼に絶対的に服従すること、従順であることだ。しかしこの道では、たとえ神の観念に対する理解、神に仕えることについての理解の中に主観的で矛盾したものがたくさんあっても、最も重要なことは、神への信仰、神への愛、神に服従し仕えようとするたゆみない努力に対する信頼なのだ。
ヨーギの道では、師なしでは何もできないし、またしてもいけない。最初、彼はファキールのように師を模倣し、修道僧のように彼を信じなければならない。しかし後になると、この道を進む者はしだいに自分自身の師になっていく。彼は師の方法を学び、しだいにそれを自分で使えるようになっていくのだ。
しかしこれら3つの道(ファキールの道・修道僧の道・ヨーギの道)は、すべて一つの共通点をもっている。それは、最も困難なこと、すなわち人生を完全に変え、すべての世俗的なものを放棄することから始まるという点だ。人は家を、さらに家族を捨て、人生のすべての快楽、執着、義務を放棄し、砂漠へ出ていくか、修道院、あるいはヨーギのスクールに入らねばならないのだ。第一日目から、道の第一歩から、彼は世界に対して死ななければならず、そうすることによってしか何かを得ることなど期待できないのだ。
この教えの本質をつかむためには、が人間の隠された可能性を開発する唯一の方法であるということをはっきり理解しなくてはならない。これは逆に言えば、そのような開発がいかに困難でまれであるかを示している。これらの可能性を伸ばすのは、決して法則によるのではない。人間にとっての法則は、機械的な影響力の輪の中で、〈人間機械〉の状態で存在することだ。だから、隠された可能性の開発の道は、自然にそむき神にそむく道なのだ。それらの道が困難で排他的であるのはこのためだ。道は狭く、困難だ。けれども、その道を通してしか何かを得ることはできないのだ。日常生活、とりわけ近代生活の大部分において、道は、生活という観点から見れば、全く存在する必要もない、小さな全く気づかれない現象だろう。しかしこの小さな現象は、人間が自分自身の隠された可能性の発達のためにもっているすべてを内包しているのだ。道は日常生活に対立するものであり、別の原理に基づき、別の法則に従っている。その力と意義はこの点にこそあるのだ。たとえ科学的、哲学的、宗教的、あるいは社会的な興味に満たされていても、日常生活には、道に含まれる可能性を開くものは何もなく、また何もありえない。道は人を不死に導く、あるいは導くべきものなのだ。日常生活の行きつくところはせいぜい死、それ以外の何ものでもない。道の助けなど借りなくても人間の進化が可能だと認めてしまえば、道という考えを理解することはできない。
概して、この考えを受けいれるのは、たやすいことではない。それは誇張された、不公正な、ばかげたことのように思える。人は〈可能性〉という言葉の意味がよくわからないのだ。彼は、もし自分が何らかの可能性をもっているなら、それは伸びるにちがいなく、またその手段も自分のまわりにあるにちがいないと思いこんでいる。自己の内に何らかの可能性を認めることの全面的な拒否から、人は一般に、それらの可能性の開発を、絶対必要で当然のこととして要求するようになる。彼にとっては、自分の可能性が全く未発達のままで消え去るかもしれないという思いや、また一方、それを伸ばすためには、多大な努力と忍耐とが要求されるというような考えは受けいれ難い。実のところ、ファキールでも修道僧でもヨーギでもなく、また絶対にそんな者にはならないような人々を考えてみると、我々は確信をもって、彼らの可能性は開発しえないし、また将来もできないだろうと言うことができる。このことは、これから言うことを把握するために、はっきり理解しなければならない。


普通の文化的生活の中では、知識を捜し求めている人の位置は、教養人といえども絶望的なものだ。というのは、西洋の宗教は長い間に、生命力が全く枯渇するほど退歩してしまっているのに、彼をとりかこむ環境の中には、ファキールやヨーギのスクールに似たものが一つもないからだ。種々のオカルト的秘密結社、降神術的性質を帯びた幼稚な実験等々は、いかなる結果をも生みだすことはできない。
もし第四の道の可能性が存在していなければ、状況は本当に絶望的になるだろう。

第四の道は、砂漠への隠遁(いんとん)も生計の道を放棄することも要求しない。第四の道はヨーギの道よりずっと先から始まるのだ。これはつまり、第四の道には準備がいるが、この準備は日常生活の中でしなければならず、またそれは、多様な側面を含む極めて真剣なものでなくてはならないということだ。さらに人は、この第四の道で修練するのに好ましい状況、あるいは少なくとも、修練が可能な状況にいなくてはならない。内的、外的生活の両方に、第四の道に対するうち勝ち難い障壁を生む条件がひそんでいることを理解しなくてはならない。さらに、第四の道は、ファキールや修道憎やヨーギの道のようなある確固たる形式を全くもっていない。それはまず見つけられねばならない。これが第一の試練だ。これは、あの3つの伝統的な道のようによく知られてはいない。第四の道のことを一度も聞いたことのない人はたくさんいるし、その存在や可能性を否定する人々もいる。
しかし同時に、第四の道を始めるのは、ファキールや修道僧やヨーギの道を始めるのより簡単だ。第四の道では、普通の生活状態にとどまり、普通の仕事を続け、それまでの交友関係を保ち、何一つ放棄したり手放したりせずにこの道に従って修練することができる。それどころか、人が第四の道を始めるときに置かれている状況、言うなればワークが彼を見いだしたときの状況が、少なくともワークの最初期には、最良のものなのだ。その状況は彼には自然なものだ。つまりその状況は、その人自身なのだ。というのは、人の生活とその状況は、彼の人となりに関連しているからだ。生活から生みだされた状況以外はすべて、人間にとっては人工的なもので、そんな人工的な状態のもとでは、ワークは彼の存在の全側面に同時にふれることはできないだろう。
この性質のおかげで、第四の道は人間存在のあらゆる側面に同時に影響を及ぼす。つまり、
3つの部屋に同時に働きかけるのだ。ファキールは第一の部屋に働きかけ、修道僧は第二の、ヨーギは第三の部屋に働きかける。第四の部屋に着いたときには、ファキールも修道僧もヨーギも多くのものを未完のまま背後に残しており、そのうえ彼らは獲得したものを使うことができない。なぜなら、彼らは全機能の支配者ではないからだ。ファキールは肉体の支配者ではあるが感情と精神の支配者ではなく、修道僧は感情は支配するが肉体と精神までは支配できず、ヨーギは精神の支配者ではあるが肉体と感情の支配者ではないという具合だ。
次に、ここで第一に要求されるのは理解であるという点で、第四の道は他の道と違っている。師の監督と指導のもとで実験としてやるのでなければ、理解できないことは何一つやってはならない。自分が何をしているかを理解すればするほど、努力の結果は大きなものになる。これが第四の道の基本的原理だ。ワークの結果は、ワークに対する意識に比例しているのだ。第四の道では〈信仰〉は全く要求されない。それどころか、いかなる種類の信仰もこの道に反するものだ。第四の道では、人は、語られたことが真実であることを自ら確かめなければならない。そして得心するまでは何もしてはならないのだ。
第四の道の方法は、ある一つの部屋で何かをやりながら、同時に、それに関連したことを他の二つの部屋でやる。つまり、肉体に働きかけながら同時に精神と感情とに働きかけ、精神に働きかけながら肉体と感情に働きかけ、感情に働きかけながら精神と肉体に働きかける、というふうにやるのだ。第四の道では、ファキール、修道僧、ヨーギの道では得られない知識が使えるためにこういうことができるのだ。この知識こそが、3つの方向に同時に働きかけることを可能にするのだ。肉体、精神、感情における一連の並行した訓練がこの目標達成を助ける。それに加えて、第四の道では、各自のワークを個性化することができる。つまり、各人は必要なことだけをやればよく、彼にとって無意味なことはやらなくていいのだ。
これは第四の道が、単に伝統のゆえに他の道で保存されてきた多くの不必要なものを捨て去ったからにほかならない。
だから、第四の道で意志を獲得すれば、それを使うことができる。というのも、彼は肉体的、感情的、知的機能のすべてをコントロールする力を手に入れたからだ。それとともに、存在の3つの側面に並行して同時に働きかけることにより、多大の時間を節約したことにもなる。
第四の道は時として、ずるい人間の道と呼ばれる。〈ずるい〉人間は、ファキールも修道僧もヨーギも知らないある秘密を知っている。この〈ずるい人間〉はどのようにしてこの秘密を知ったのか? それはわからない。たぶん古い書物の中で見つけたか、受け継いだか、買ったか、誰かから盗んだかしたのだろう。別にどうでも構わない。ともかくこの〈ずるい人間〉はその秘密を知っており、その助けを借りてファキールや修道僧やヨーギを追い越してしまうのだ。

1.この4つのうちでは、ファキールが最も粗野なやり方をする。彼はほんのわずかしか知っておらず、理解もしていない。たっぷり一ヵ月の強烈な苦行を通して、彼が自己の内に一定のエネルギー、すなわち彼の内部に確かな変化を引き起こすある物質をつくりだしたと考えてみよう。彼はそれを目を閉じ、目的も方法も結果も知らないまま、ただ他人を真似、全く盲目的にやっているのだ。
2.修道僧は自分が何をやりたいかをもう少しよく知っている。彼は、宗教的感情、宗教的伝統や、目的達成、すなわち救済への欲望に導かれており、彼に為すべきことを言う師を信頼し、また、自分の努力と犠牲は〈神を悦ばせて〉いると確信している。ファキールが一ヵ月の苦行で生みだしたものを、彼は、一週間の断食、継続的な祈り、窮乏などを通じて獲得できるとしてみよう。
3.ヨーギはさらによく知っている、自分が何を求めているか、なぜそれを求めるか、どうすればそれを手に入れることができるかを。また彼は、その目的のためにはある物質を彼の内部に生みださねばならないことを知っている。この物質は、ある種の精神的訓練や意識の集中を通して、一日で生みだすことができることも知っている。だから彼は、それ以外のわずかの思考も自分に許さず、一日中この訓練に注意を集中し、そして求めていたものを得るのだ。このようにしてヨーギは、ファキールが一ヵ月、修道憎が一週間かかったのに対し、わずか一日で同じものを手に入れる。
4.しかし、第四の道では知識はさらに正確で完全だ。第四の道に従う者は、目的のためにはいかなる物質が必要かをはっきり知っており、また、これらの物質が一ヵ月の肉体的苦痛、一週間の感情的緊張、あるいは一日の精神的訓練によって体内に生みだされることも知っているが、また同時に、もし方法さえ知っていれば、それらを外から肉体組織に導きいれることができるということも知っている。だから、ヨーギのように丸一日を訓練に、修道僧のように一週間を祈りに、ファキールのように一ヵ月を苦行に費やすかわりに、彼はただ彼の望む全物質を含む小さな錠剤をつくって飲みこみ、それによって、時間を浪費せずに望む結果を手に入れるのだ。
次のことにはもっと注意しなければならない。つまり、以上の適切で正当な道の他に、ただ一時的な結果だけを生む人工的な道と、永続的だが悪い結果だけを生む誤った道とがある。これらの道でも人は同じように第四の部屋の鍵を捜し、時にはそれを見つけもする。しかし、彼が第四の部屋で何を見つけるかはいまだにわかっていない。
第四の部屋の扉が合い鍵で人工的に開かれるということも起こる。そして、以上どちらの場合も、部屋は空であるかもしれない。


Gの話はここで終わった。
これに続く話し合いで、我々は再び道の問題にふれた。
「西洋文化の中にいる人間にとっては、」と私は言った。「〈正確な知識〉とあらゆる最新の研究方法とを身につけた教養あるヨーロッパ人には、自分たちにはいかなる可能性もなく、出口のない輪の中で動きまわっているというのに、人生から隠遁してしまった無知なファキールや純朴な修道僧、あるいはヨーギが進化の途上にあるかもしれないなどという考えは、とうてい受けいれがたいでしょう」

G:
そう、それは人々が進歩と文化を信じているからにほかならない。いかなる進歩もありはしないのだ。すべては、何千年、何万年以前と全く同じだ。外形は変わるが、本質は変わらない。人間は昔と全く同じだ。〈文明化された〉〈教養ある〉人々は、最も無知な野蛮人と全く同じ興味をもって生きているのだ。現代文明は、暴力と隷属と華やかな言葉に基づいている。しかし、〈進歩〉や〈文明〉に関する華々しい言葉は単なる言葉にすぎない。
これは、言うまでもなく我々に特に深い印象を与えた。というのは、1916年当時の〈文明〉の最新の表現形態は、世界がかつて遭遇したこともないような規模の戦争という形で拡大しつづけ、何百万という人間をどんどん巻きこみつつあったからである。
この話の数日前、私はリチェイニー通りで、新しい未塗装の木の松葉杖を2階まで届くほど積んだ2台の巨大なトラックを見たのを思いだした。ある理由で、私はこれらのトラックに特別衝撃を受けた。まだ折れてもいない足のためのこの松葉杖の山には、人々が思い違いをしている事物すべてに対する特別皮肉な冷笑がこもっていた。思わず私は、同じようなトラックがきっとベルリンや、パリ、ロンドン、ウィーン、ローマ、コンスタンティノープルでも見られるのだろうと想像した。すると、それらの都市、そのほとんどを私はよく知っており、また、互いに異なり、補いあい、対照的であるからこそ好きだったそれらの都市は、互いに敵対し、憎しみと罪の新たな壁で隔てられてしまった。
私は会合で仲間に、トラックに積まれた松葉杖と、それについての考えを話した。

G:君は何を期待しているのだね。
人々は機械なのだ。機械は盲で無意識に決まっている。それ以外にありようがない。そして、彼らの行動はすべてその性質と関連している。すべてはただ起こるのだ。誰も、何もしはしない。本当の意味における〈進歩〉と〈文明〉は、意識的な努力の結果としてのみ現れうるのだ。それらは無意識的、機械的行動の結果としては出てきはしない。機械の中にいったいどんな意識的努力がありうるだろう? そして、もし一つの機械が無意識だとしたら、百の機械、千の機械、いや、十万、百万の機械が無意識なのだ。そして、百万の機械の無意識的な行為は、破壊と絶滅という結果に終わらざるをえない。すべての悪は、まさに無意識、無意志的な行為の内にひそんでいるのだ。君たちはまだ、この悪がいかなる結果を生みだすか、理解どころか想像さえできないだろう。しかし、いつかは理解するときがくるだろう。
私の覚えている限りでは、ここで話は終わった。


ある会合で誰かが聞いた。「進化をどのように理解すべきでしょうか?」

G:人間の進化とは、ひとりでに、つまり機械的には決して発達しない人間内部の力と可能性の開発と考えられる。このような開発、この種の生長だけが人間の真の進化の証なのだ。その他にはいかなる種類の進化もないし、またありえない。
我々は、発展の現段階にある人間を眼前にしている。自然は人を今あるようにつくり、そして我々の見る限り、大部分の人は今の状態にとどまるだろう。自然の全体的要求に反するような変化は、個々の個体の中にしか起こりえないのだ。
人間の進化の法則を理解するには、ある点以上ではこの進化は全く不必要であること、つまり自然の発展の一時点においては、人間の進化は自然にとって必要でないことを把握しなければならない。もっと正確に言えば、人類の進化は惑星の進化と相応しているが、惑星の進化は、我々には想像もできないほど長い時間の周期の中で進む。人間の思考が及びうる範囲の時間内では、惑星の生命にはいかなる本質的な変化も起こりえず、その結果、人類の生命にも本質的な変化は起こりえないのだ。
人類は進歩も進化もしない。進歩や進化と思われるものは部分的な変化にすぎず、そういった変化は、それに相応した逆方向への変化によってすぐにつりあいをとることができる。
人類は、他の有機生命体と同じく、地球の必要と目的のために地球に存在しているのだ
。そしてこの現状が、現時点における地球の要求にとって最適な状態だ。
現代ヨーロッパ思想のように理論的で事実から離れた思想だけが、まわりの自然とは別々に人間の進化が可能であると考えたり、あるいは、人間の進化を徐々なる自然の克服としてとらえるといったまねができたのだ。そんなことは全く不可能だ。
生においても死においても、進化においても退化においても、人間は等しく自然の目的に応じている。いや、むしろ自然は、おそらくは異なった目的のためではあろうが、進化と退化の結果を等しく利用していると言った方がいいだろう。と同時に、人類全体が自然から逃れることは決してできない。それというのも、自然に抗して闘っているときでさえ、人間は自然の目的に従って動いているからだ。多数の人々の進化は自然の目的に反するのだ。ある少数の人々の進化は自然の目的と合致するかもしれない。人間は自らの内に進化の可能性を含んでいる。しかし、人類全体の進化、つまりすべての人間、いや多数の人間の可能性の発達でさえ普通では地球や惑星界の目的には必要ではなく、実際それは有害で致命的でさえあるのだ。だからこそ、多数の人々の進化を妨げ、それをあるべき段階にとどめておくような(惑星に関連する)特殊な力が存在しているのだ。
たとえば、人類の進化がある点を超えれば、もっと正確に言うと、ある割合を上まわれば、それは月にとって致命的となるだろう。月は現在、有機生命体を、人類を食べて生きているのだ。人類は有機生命体の一部だ。つまり、人類は月の食料なのだ。もしすべての人間があまりにも賢明になったら、きっと彼らは月に食べられるのを嫌がるだろう

しかし同時に、進化の可能性はあるし、それは適切な知識と方法との助けを借りて個々人の中で開発されるかもしれない。このような進展は、いわゆる惑星界の利害と力とに抵抗する人間の中にだけ起こりうる。人は次のことを理解しなくてはならない。
彼個人の進化は彼自身にとってのみ必要なのだ。他には誰もそんなものに興味はない。誰にも彼を助ける義務はなく、またその気もない。それどころか、多数の人々の進化を妨げる力は、個人の進化も妨げるのだ。だからその力の裏をかかなくてはならない。そして、一人の人間ならそれができるが人類にはできないのだ。これらの障害が実は人間に非常に有益であることは、後になればわかるだろう。もしそれが存在しなければ意識的につくりださねばならない。人間は、障害を乗り越えることによってしか、自分の必要とする特質を発達させることはできないからだ
これが人類の進化の正しい見方の基盤だ。強制的、機械的進化というものはない。進化は意識的な闘いの成果なのだ。自然はこの進化を必要としてはいない。そんなものを欲しがりもしないし、それに向かって苦闘するということもない。人間が自分の位置を認識し、この位置を変える可能性を認め、自分の中には使っていない力と気づかずにいた富があることを認識するとき、進化は
(その)人間にとってのみ必要になるのだ。だから進化は、これらの力と富を本当に所有するという意味で可能なのだ。しかしもしすべての、あるいはほとんどの人間がこれを認識し、生まれながらにして自らに属しているものを手に入れたいなどという気を起こすと、進化は再び不可能になる。個人に可能なものは大衆には不可能なのだ。
個人が有利な点は、とても小さいので、自然の経済機構の中では機械的な人間が一人多かろうと少なかろうと何の影響もないという点だ。微細な細胞と我々の身体との相互関係を考えれば、これらの大きさの相互関係は容易に理解できるだろう。一個の細胞のあるなしは、身体の生存に何の変化ももたらさないだろう。我々はこれを意識することはできず、肉体組織の生存や機能にも何の影響も及ぼさない。全く同じように、個々人は、細胞の肉体組織に対する関係と(大きさの点では)同じ関係にある宇宙有機体の生命に影響を及ぼすには小さすぎるのだ。そしてまさにそれが彼の〈進化〉を可能にしている。それこそが彼の〈可能性〉の土台なのだ。
進化の話をする際には、その最も基本的な点、すなわち機械的進化は全く不可能だという点から理解する必要がある。
人間の進化とは、意識の進化なのだ。そして、〈意識〉は無意識的に進化することはできない。人間の進化とは意志の進化であり、〈意志〉は無意志的に進化することはできない。人間の進化は彼の為す力の進化であり、〈為す〉ことが〈起こる〉ことの結果として出てくることはありえない
人々は人間が何であるかを知ってはいない。彼らは非常に複雑な機械、汽車や自動車、飛行機などよりはるかに複雑な機械を手にしているのだ。それなのに彼らは、その構造、働き、あるいはこの機械に何ができるかについて、全く、あるいはほとんど知らない。その最も単純な機能さえ理解していないのだ。
それは彼らが、この機能の目的を知らないからだ。人間は、自らの機械を、ちょうど汽車や自動車や飛行機などの操縦法を学ばなくてはならないのと同じようにコントロールすることを学ぶべきだと思い、また、人間機械の不適当な操縦は他の複雑な機械の不適当な操作と同じくらい危険だとぼんやり考えている。飛行機や自動車、汽車に関しては誰でもこれを理解している。ところが、人間全般、特に自分自身については、こういったことはほとんど考えていない。一般に、自然は人間に、人間自身の機械に関する必要な知識を与えたと考えることは、正しく、また理にかなっているとされている。それでも人々は、人間機械についての本能的な知識では決して十分でないことを知っている。なぜ人々は医学を研究し、その成果を利用するのか? それはもちろん、彼らは自分たちが自らの機械を知らないことを認識しているからだ。しかし
彼らは、機械が、科学が知っている以上に深く知られうることには気づいていない。また、機械から全く違った働きをひきだすことが可能だとは、考えてもみないのだ


Gの講義は我々のグループに多くの議論を引き起こした。
はっきりしないことはまだ沢山あったが、多くのことが結びつき始め、またあることが、全く何の関係もないと思っていた他のことを、不意に説明してくれることもしばしばあった。システムのある部分は、ちょうど人物や風景が写真の感光板を現像するときにしだいに現れてくるように、すでにぼんやりと形を取り始めていた。同時に、多くのことが私の予期していたものと正反対であった。私はただ、結論を急がず待とうと努めた。それまで聞いたことのなかったある新しい言葉が全体の見取り図を変え、それまでにつくりあげていたすべてを再構成せざるをえないこともよくあった。私は、自分はシステム全体を正しく概説できると言えるようになるまでには、かなり長い時間が必要であることを痛感した。だから外部から講義を聞きにきた人々が、一回の講義を聞いただけですぐにその内容を理解し、そればかりか他人にも説明し、そして我々に対して極めて明確な意見をもつに至るのを聞いていると、ひどく奇妙な気がした。実を言うとそんなとき私はよく、Gとの最初の出会いと、モスクワのグループと話した夜のことを思いだした。私はまた、その当時、Gと彼の弟子に対する既成の判断をほとんど受けいれかけていた。しかしそのとき何かが私をひきとめた。そして今、いかに巨大な価値がその思想にあるかを認識し始めたとき、既成の判断を受けいれることがいかに簡単であったか、またGの存在を全く知らずにいることも、あるいは、もし私があの時、もう一度会えるかどうか尋ねなかったなら、彼を見失ってしまうこともいかにたやすかったかと思うと、ほとんど恐ろしくさえなるのだった。彼は講義のたびに、明らかに彼が最も重要だと考えているテーマに繰り返し立ちかえったのだが、我々の多くにとって、それを理解するのは非常に困難だった。
G:人間が発展していく2つの道筋、すなわち知識の道と存在の道がある。正しい進化においては、知識の道と存在の道とは互いに並行し、助けあって同時に発達する。しかし、もし知識の道が存在の道よりずっと先に行ってしまうか、逆に存在の道が知識の道より先に進んでしまえば、人間の発展は誤ったものになり、遅かれ早かれ行きづまらざるをえない
人々は〈知識〉の意味するものを理解している。また彼らは、知識の様々な段階が存在しうることも理解している。彼らは、ちっぽけな知識もあれば偉大な知識もある、つまり、いろいろな質の知識があることを知っている。ところが彼らは〈存在〉に関してはこのことがわかっていない。〈存在〉は、彼らにとっては、単に〈非生存〉(ノンイグジスタンス)に対する〈生存〉(イグジスタンス)しか意味しないのだ。存在と生存が非常に異なった段階であり、カテゴリーであることを理解していないのだ。例えば鉱物の存在と植物の存在を考えてみなさい。それらは違った存在だ。植物の存在と動物の存在も異なった存在であり、動物の存在と人間の存在も異なっている。しかし二人の人間の存在が、鉱物の存在や動物の存在と違う以上に互いに異なることもある。これこそ正に人々が理解していない点だ。また彼らは、
知識存在に依存するということもわかっていない。この後の点を彼らはただ理解していないばかりか、したいともまるで思っていない。特に西洋の文化では、人間は巨大な知識を所有できると考えられている。例えば彼は有能な科学者になり、発見をし、科学を前進させるかもしれないが、同時に、狭量で、利己主義で、あら捜し好きで、下品で、嫉妬深く、虚栄心が強く、愚直で、心が空っぽの人間であるかもしれず、またそうである権利をもっていると考えられている。ここでは、大学教授は、いつでもどこにでも傘を置き忘れなければならないものと考えられているようだ。
しかしそれでも、それが彼の存在なのだ。人々は、彼の知識は彼の存在には左右されないと思っている。西洋文化の中の人々は、人間の知識のレベルには大きな価値を置くのに、存在のレベルには価値を認めず、自らの存在レベルが低いことを恥ともしていない。彼らはその意味すらわかっていない。だから、人間の知識はその存在のレベルによるのだということがわからないのだ。
もし知識が存在よりもずっと先へ進んでしまえば、それは理論的、抽象的になって生活に適用できなくなり、あるいは実際有害になってくる。というのは知識が生活に役立ち、人々が出合う困難と闘うのを助けるかわりに、生活を複雑にし、以前にはなかった新たな困難や苦労や災いをもちこむからだ。
こういうことになるのは、存在と調和していない知識は人間の真の要求に十分応えることができないか、あるいは、十分それに適合することができないからだ。
そんな知識は常に、別のことには無知で一つのことだけに関した知識であり、全体に関する知識の欠けた細部についての知識であり、本質についての知識を欠いた形式に関しての知識にすぎないだろう
今日の文化の中には、このような、存在に対する知識の優勢が見られる。価値についての考えや、存在のレベルの重要さは完全に忘れられている。また、知識のレベルは存在のレベルによって決定されるということも忘れられている。事実、存在のある一定のレベルでは、知識の可能性は限られている。一定の存在の限界内では知識の質は変えられず、せいぜいその限界内で全く同じ性質の情報を蓄積するのが関の山だ。知識の性質は存在の変化を伴うときにだけ変わりうるのだ。
それ自体を考えてみれば、人間の存在は実に様々な側面をもっている。
現代人の最も際立った特徴は、内部の統一性の欠如であり、さらには、彼が最も好んで自分のものだとしたがる性質、つまり〈明晰な意識〉〈自由な意志〉〈恒久的なエゴ、あるいは私〉、そして〈為す能力〉などの痕跡さえも彼の内にないということだ。もし私が、彼に欠けているすべてのものを明らかにしてくれる現代人の存在の主要な特徴は眠りだと言えば、君たちは驚くだろうか?
現代人は眠りの中で生きており、眠りの中で生まれ、眠りの中で死ぬのだ。眠りについては、その重要性と生における役割とは後で話そう。今はただ一つのことだけ考えなさい。それは、眠っている人間はいかなる知識をもちうるか?ということだ。これについてじっくり考え、同時に、眠りは我々の存在の主要な特徴であることを覚えておけば、すぐに次のことがはっきりするだろう。すなわち、もし人が本当に知識を得たいと思うなら、彼はまず第一にいかにして目覚めるか、つまりいかにして彼の存在を変えるかを考えなくてはならない。
外面的には、人間の存在は様々な側面をもっている。能動性と受動性、誠実さと嘘をつきたがる性質、真面目さと不真面目さ、勇気、臆病、自己制御、不品行、短気、利己主義、自己犠牲の覚悟、誇り、虚栄、うぬぼれ、勤勉、怠惰、品行方正、堕落、これらに他の多くのものが加わって人間の存在をつくりあげているのだ。
しかし、これらすべては人間の内で完全に機械的なのだ。もし彼が嘘をつくとしたら、それは嘘をつかずにはいられないということだ。また、もし彼が真実を語るとすれば、それは彼が真実を語らずにはおれないということであり、これはすべてにあてはまる。すべては偶発的に起こり、人間は彼の内でも外でも、何もすることができないのだ。
しかしむろんそこには限度と限界がある。一般的に言って、現代人の存在は非常に劣等な質のものだ。
しかも、そんなに劣悪な質であるからこそ、いかなる変化も不可能なのだ。このことは常に覚えておかなくてはならない。存在を今からでも変えられる人々はとても幸運だ。しかし完全に病んでいて、一緒には何もできないほど壊れた機械である人々もいる。しかもそんな人々が大多数を占めるのだ。このことを考えれば、なぜほんのわずかな人しか、真の知識を受けとることができないかがわかるだろう。彼らの存在がそれを妨害するのだ。
一般的に言えば、知識と存在の間の均衡は、その内の一方の単独の発達よりも重要でさえある。知識、もしくは存在の単独の発達は、どんな形でも望ましいものではない。なのに、ほとんどの場合、人々に特に魅力的に見えるのは、まさにこの片方だけの発達なのだ。
知識が存在を凌駕してしまえば、人間は知ってはいるが為す力がないという状態になる。これは無用な知識だ。他方、存在が知識を凌駕すれば、人間は為すことはできるが知らない、つまり、何かすることはできるが何をやるべきかわからないということになる。彼の獲得した存在は目的のないものとなり、その獲得に費やされた努力は無駄になってしまうのだ。
人類の歴史の上では、知識が存在を凌駕したか、あるいは存在が知識を凌駕したために文明全体が死滅したという例がたくさん知られている
「存在が欠如したまま知識の道が発達すると、あるいは、知識が伴わずに存在の道が発達すると、どんなことになるのでしょうか?」と、この問題について話されているときに誰かが聞いた。
G:存在の道を伴わずに知識の道が発達すると、虚弱なヨーギが生まれる。すなわち、多くのことを知っているが何もできない人間、自分の知っていることを理解していない〔彼はこの言葉を強調した〕人間、正しい認識のない人間、つまりこの知識もあの知識も彼にとっては何の違いもないような人間ということだ。また、知識を伴わずに存在の道が発達すると、愚かな聖者が生まれる。それはつまり、多くのことをすることはできるが、何をすべきか何の目的でするのかわからない人間であり、もし何かするとしても、彼は自分を邪道に導き、重大な誤りを犯させるかもしれない主観的な感情にしたがって行動する。ということは、彼は自分のやりたいと思っている正反対のことを実際にはやってしまうのだ。虚弱なヨーギ愚かな聖者ともに行きづまってしまう。どちらもそれ以上の発展はできないのだ。
このことや、知識と存在の性質全般、また両者の相関関係を理解するためには、知識と存在が〈理解〉といかなる関係にあるかをつかむことが必要となる。
知識は1つのこと、理解はまた別のことだ。
人々はよくこれらの概念を混同し、違いをはっきり把握していない。知識がひとりでに理解を生むということはない。また知識だけを増やせば理解が深くなるということもない。
理解は知識と存在との関係に依存しているのだ。すなわち理解は知識と存在の結合の結果なのだ。また知識と存在は離れすぎてはならない。もしそうなれば、理解は双方から非常に隔たったものとなるだろう。同時に、知識と存在との関係は知識を増やすだけでは変化しない。それは存在が知識と同時に生長するとき初めて変化するのだ。別の言い方をすれば、理解は存在の生長いかんにかかっているということになる。
普通の考え方では、人々は理解と知識を区別しない。彼らは深い理解は広い知識に基づくと思っている。だから彼らは、知識あるいは彼らが知識と呼ぶものは蓄積するが、理解の蓄積方法は知らないし、そんなことは気にもしないのだ。
それでも自己観察に慣れた人は、自分の人生の別の時期に、全く同じ考え、全く同じ思想を、全く違った形で理解していたことがあるのをはっきりと知っている。今では正しく理解していると思われることを、それほど誤って理解していたということが不思議に思われることもよくある。同時に彼は、自分の知識が変わっておらず、この問題については今と同じぐらい多くのことを以前にも知っていたということに気づく。それなら、何が変わったのだろう。彼の存在が変わったのだ。そして、ひとたび存在が変化したら理解も変化せずにはいないのだ。
知識と理解の違いは、知識は一つのセンターの機能であることを理解すればもっとはっきりする。ところが理解は3つのセンターの機能なのだ。だから、思考器官は何かを知ることはできるだろうが、理解は、人間がそれに関連していることを感じ直感するときに初めて生まれるのだ。
我々は前に機械的であることについて話した。しかし、もし頭で知っただけであれば、機械的であるという考えを理解したとは言えない。人はそれを、一個の人間全体として彼の全存在をもって感じなければならないのだ。そうして初めてそれが理解できるのだ。
実際の行為の範囲内では、人々は単なる行為と理解との違いを非常によく知っている。彼らは、知ることと、いかにして為すかを知ることとは別なことであり、いかに為すかを知ることは知識だけからは出てこないということを了解している。ところが実際的な行為の範囲外では、〈理解〉の意味ははっきり理解されていないのだ。
一般に、人々は自分があることを理解していないと気づいたとき、その名前を見つけようとし、そして名前を見つけると自分は〈理解した〉と言う。しかし〈名前を見つける〉ことは〈理解する〉ことではない。
不幸にも、人々は普通、名前で満足しているのだ。たくさんの名前、つまり多くの言葉を知っている人が多くのことを理解していると思われている。もちろんそれは、彼の無知がすぐに明らかになるような実際的な行為の範囲を除いての話だが。

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G:太陽系から人間まで、人間から原子まで、宇宙のすべてのものは上昇するか下降するか、進化するか退化するか、発展するか崩壊するかのどちらかだ。しかし
機械的に進化するものは何一つない。ただ退化と崩壊だけが機械的に進行するのだ。意識的に進化することのできないものは退化するのだ。外部からの助けは、その価値が認められ受けいれられる限り、たとえ初期の段階ではそれが感じられるだけにせよ、得ることができる。理解を可能にする言語は、考察対象とそれに可能な進化との関係の指摘、すなわち進化の階梯(かいてい)におけるその位置の指摘の上に構築されている。
このために我々の通常の概念の多くは、この進化の段階にしたがって分割される
もう一度人間という概念をとりあげよう。私の話している言語では、〈人間〉という語のかわりに7つの語が使われる。つまり人間第一番、人間第二番、人間第三番、人間第四番、人間第五番、人間第六番、人間第七番だ。これら7つの概念を使えばそれだけでもう人々は、人間について話すとき、理解しあうことができるのだ。
人間第七番とは、人間に可能な発展段階の頂上に到達した人で、人間の所有できるすべてのもの、つまり意志、意識、恒久的で不変の〈私〉、個体性、不死性、その他我々の盲目と無知ゆえに自分のものだと思いこんでいる特性をすべて所有している人間だ。この人間第七番と彼のもつ特性をある程度理解して初めて彼に近づきうる漸進的段階、すなわち我々に可能な発展の過程を理解することができる。
人間第六番は人間第七番の非常に近くに位置している。彼が人間第七番と違う点は、彼の特性のいくつかはいまだに恒久的なものになっていないという点だけだ。
人間第五番もまた我々には獲得し難い規範だ。彼は統一に到達した人間だからだ。人間第四番は中間的な段階だ。彼については後で話そう。
人間第一、第二、第三番は、生まれたときと同じレベルにいる機械的な人類を構成する人々だ。
人間第一番とは、精神生活における重心が動作センターにある人のことだ。これは肉体的な人間であり、動作的、本能的機能が感情や思考の機能よりも優っている人間だ。
人間第二番は、人間第一番と同レベルの発展段階にいる、精神生活の重心が感情センターにある人間、つまり、感情の機能が他のすべてに優っている人間、感覚的、感情的人間だ。
人間第三番は、やはり前の2者と同レベルにいるが、精神生活の重心が知性センターにある人間、つまり思考機能が動作的、本能的、感情的機能より優れている人、すべてのことに理論から、知的考察から入っていく理性の人だ。
すべての人間は第一番、第二番、もしくは第三番として生まれる。
人間第四番は生まれついてのものではない。彼は第一、第二、第三番として生まれ、ある特定の性質の錬磨の末、初めて第四番となるのだ。人間第四番は常にスクールでの修練の産物なのだ。彼は第四番として生まれることはできず、また偶然にか、あるいは養育や教育その他の普通の影響によって発展することもできない。人間第四番は人間第三番までとはすでに違ったレベルに立っている。彼は恒久的な重心をもっており、それは彼の考え、修練に対する評価、及びスクールとの関係から成る。しかも彼の精神的諸センターはすでに均衡をとり始めている。つまり、彼の場合、最初の3つのカテゴリーに入る人々の場合のように、一つのセンターが他のセンターに対して優勢を占めるということはありえないのだ。彼はすでに自分自身を、そして自分がどこに行きつつあるかを知り始めたのだ。
人間第五番はすでに結晶化している。彼は、人間第一、第二、第三番が変化するようには変化しない。しかし、人間第五番は正しい修練の結果でもありうると同時に、誤った修練の結果でもありうるということに注意しなさい。彼は第四番から第五番になることもできるが、第四を経ずして第五になることもできるのだ。そしてその場合には、彼はそれより先に発展することはできない。つまり第六番、第七番になることはできないのだ。第六番になるためには、彼は結晶化した本質を再び溶かし、人間第五番としての存在を意識的に失わなくてはならない。そしてこれは、ただ恐るべき苦痛を通してのみ成就できるのだ。幸運にも、このような誤った発展のケースは、非常にまれにしか起こらない。
このように人間を7つのカテゴリー、あるいは7つの番号に分類すると、他の方法では理解できない非常に多くのことが説明できるようになる。この分類は、人間に適用された相対性の最初の概念を与えてくれる。事物は、それを受けとる視点をもつ人、あるいはそれと関係をもつ人のタイプによって、あることにもなれば他のことにもなる。
これにしたがって、人間のあらゆる内的外的表現、人間に属するすべてのもの、また彼によってつくりだされるものすべてが、7つのカテゴリーに分類される。
これによると、知識第一番というものが存在すると言えるだろう。これは模倣や本能に基づき、暗記され、詰めこまれ、ねじこまれたものだ。もし人間第一番があらゆる意味で第一番であれば、彼はすべてをおうむか猿のように習得するのだ。
人間第二番のもつ知識は、単に彼の好きな知識にすぎない。彼は嫌いなものは知らないのだ。常に、また何によらず、彼は楽しいことを求めている。もし彼が病的な人間であれば、反対に自分の嫌いなもの、自分を不快にさせたり不安や恐怖や嫌悪を呼び起こすものだけを知ろうとするだろう。
人間第三番の知識は、主観的な論理思考や言葉、字義にこだわる理解に基づいている。それは本の虫の、学者ぶった人々の知識だ。人間第三番は、例えば、アラビア文字のアルファベットがマホメットのコーランの中にそれぞれ何回出てくるか数えたり、これに基づいてコーラン解釈の全体系を組み立てたりしている。
人間第四番の知識は、これとはかなり違っている。彼の知識は人間第五番からくるもので、その第五番は第六番から、第六番は人間第七番から知識を受けとっている。しかしもちろん、人間第四番は自分の力に応じて理解できる知識だけを理解するのだ。とはいえ、人間第一、第二、第三番に比べると、知識における主観的な要素から自由になり始め、客観的な知識への道を動き始めている。
人間第五番の知識は、包括的な、分割できない知識だ。彼は今や一つの分割不能な〈私〉をもち、彼の知識はすべてがこの〈私〉に属している。彼は、別の〈私〉が知らないことを知っている〈私〉をもつことなどできない。彼の知っていることは彼の全体が知っているのだ。彼の知識は人間第四番の知識よりも客観的な知識に近づいている。
人間第六番の知識は、人間に可能なものとしては完全な知識だ。ただそれは失われる可能性がある。
人間第七番の知識は彼自身の知識であり、それは彼から取り去られることはありえない。それは〈すべて〉についての客観的かつ完全に実践的な知識なのだ。
存在についても全く同じことが言える。すなわち人間第一番の存在、つまり本能と感覚によって生きている人間の存在があり、人間第二番の存在、つまり情緒的、感情的人間の存在があり、人間第三番の存在、つまり合理的、理論的な人間の存在がある等々ということだ。なぜ知識は、存在から離れることができないのかはきわめて明瞭だ。人間第一、第二、第三番は、彼の存在ゆえに人間第四番、第五番、そしてより高次の人間の知識を所有することができないのだ。君たちが彼に何を与えても、彼はそれを彼流に解釈し、あらゆる観念を彼自身のいるレベルにまで引き下げてしまうだろう。
この7つのカテゴリーへ分類されたのと同じ序列が、人間に関するすべてのものに適用されなければならない。すなわち芸術第一番があり、それは人間第一番の、模倣的なまる写しの芸術、あるいは原始人の踊りや音楽のように粗雑なまでに原始的で感覚的な芸術だ。芸術第二番は情緒的な芸術であり、芸術第三番は知的な、捏造された芸術であり、そして、芸術第四番、第五番等々、と続くに違いない。
全く同様に、人間第一番の宗教がある。それは儀式と典礼、壮麗かつ燦然たる供儀や祭祀から成る宗教か、あるいは反対に、陰うつで残酷で野蛮な傾向をもつ宗教だ。人間第二番の宗教は、信仰と愛と崇敬、衝動と熱情の宗教であり、それはすぐに〈異教徒〉と〈不信心者〉の迫害と弾圧と皆殺しの宗教へと変容する。人間第三番の宗教は知的で論理的な、吟味と証明を伴う宗教で、論理的な推論、考察、解釈に基づいている。宗教第一、第二、第三番が実際に我々が知っている宗教のすべてである。この世界で人々に知られ、また存在するあらゆる宗教や宗派はこれら3つのカテゴリーのどれかに属している。人間第四番の宗教、あるいは人間第五番の宗教などがいかなるものか我々は知らず、また我々が今のままにとどまる限り知ることはできない。
もし宗教一般のかわりにキリスト教をとりあげてみると、全く同様にキリスト教第一番というものが存在する。それはキリスト教の衣を着た異教主義だ。キリスト教第二番は感情的宗教で、あるときは非常に純粋だが力がなく、またあるときは宗教審問や宗教戦争へと続く流血や恐怖に満ちている。キリスト教第三番は(それはプロテスタンティズムの種々の形態に例を見ることができるが)、弁証法、証明、理論などに基づいている。それからキリスト教第四番があるが、人間第一、第二、第三番はそれについては何の概念ももっていない。
事実、キリスト教第一、第二、第三番は単なるうわべの模倣だ。人間第四番だけがキリスト教徒たるべく努力するのであり、また人間第五番だけが実際キリスト教徒たることができるのだ。というのは、キリスト教徒とはキリスト教徒としての存在をもつこと、つまりキリストの教えに従って生きることを意味するからだ。
人間第一、第二、第三番はキリストの教えに従って生きることはできない。なぜなら、彼らにあってはすべては〈起こる〉からだ。今日それはあることでも、翌日は全く別のことになってしまう。今日は自分たちの最後のシャツを与える用意ができているかと思えば、翌日には、ある人が彼らにシャツを与えるのを拒んだからという理由で彼を八つ裂きにする気になる。彼らは一つ一つの偶発的な出来事に振りまわされているのだ。つまり、彼らは自分自身の主人ではなく、そのためキリスト教徒たろうと決心することもできないし、本当にキリスト教徒であることもできないのだ。
科学や哲学など、人間の生活や行動のあらゆる表現は、同様に7つのカテゴリーに分けることができる。しかし、人々が話している普通の言語はこの分類から非常にかけ離れており、そのために人々は互いに理解しあうことがひどく難しいのだ。
〈人間〉という言葉の様々な主観的意味を分析する過程で、我々は、習慣的な連想によって一つの言葉に込められる意味や意味の陰翳がいかに種々雑多で矛盾しあっているか、また何にもまして、話者その人にさえ、いかにそれが隠されていて認知されえないものであるかを見てきた。
何か他の言葉をとりあげてみよう。〈世界〉という言葉はどうだろう? 人は各自それを自己流に解釈している、それも一人一人が全く違ったふうに。〈世界〉という言葉を聞いたり口にしたりするとき、誰もが他人とは全く違った、また他人には理解できない連想をもっている。すべての〈世界の概念〉、すべての習慣的な思考形式はそれ自身の連想と観念を伴っているのだ。
世界についての宗教的な観念をもっている人間、すなわちキリスト教徒には、〈世界〉という言葉は一連の宗教的な観念を呼び起こし、必然的に、神という概念、世界の創造と終末、あるいは〈罪ある〉世界、等々といった観念と結びつく。
ヴェーダーンタ哲学の継承者にとっては、世界は何よりもまず幻想、〈マーヤ〉である。
神智学者は異なった〈次元〉、すなわち肉体的次元、アストラル次元、メンタル次元等を考えるだろう。
心霊主義者は〈超越した〉世界を、霊の世界を思い浮かべるだろう。
物理学者は物質の構成という視点から世界を見るだろう。それは分子や原子や電子の世界だ。
天文学者にとっては、世界は星や星雲の世界であるだろう。
例はいくらでもある。現象的世界と本体的世界、四次元や他の次元の世界、善の世界と悪の世界、物質の世界と非物質の世界、世界の様々な国々の勢力の比率、人間はこの世で〈救われ〉うるか、等々・・・。
人々は世界について無数の概念をもっているが、互いに理解しあい、いかなる視点から世界を見ようとしているかを即座に判定しうるような一つの普遍的概念はもっていない。
人間を研究しないでおいて、宇宙のシステムを研究することは不可能だ。同時に宇宙の研究なくして、人間の研究は不可能である。人間は世界の似姿だ。彼は世界全体をつくったのと同じ法則によってつくられているのだ。自己を知り、理解することによって、彼は全世界と、世界をつくり支配しているすべての法則とを知り、理解することができるのだ。また同時に、世界とそれを支配している法則を研究することによって、彼は自己を支配している法則を学び、理解することができる。この点に関して言えば、いくつかの法則は客観的世界を研究することによって、より簡単に理解され吸収されるのだ。だが、その他の法則は自分自身を研究することによってしか理解できない。したがって、世界の研究と人間の研究は、一方が他方を助けながら並行して進まなければならない。
〈世界〉という言葉に関しては、たくさんの世界があるということ、そして我々は一つの世界にではなくいくつかの世界に住んでいるのだということを、最初から理解する必要がある。通常の言語では、〈世界〉(world)という言葉は普通単数で使われるために、このことは抵抗なく理解されているとは言えない。また仮に、もし複数の〈世界〉(worlds)が使われるとしても、それは単に、いわば同一の考えを強調するか、または互いに並行して存在する種々の世界という考えを表現するために使われるにすぎない。つまり我々の言語は、一つの世界の中に別の世界を包含している複数の世界という概念をもっていないのだ。が、ともかく、我々が様々な世界に住んでいるというこの考えは、一つの世界が別の世界を内包した諸世界を示唆しており、それらに対して我々は違った関係をもっているのだ。
もし我々が、自分たちの住んでいる単数、複数の世界とは何か?という問題に対する答えを手に入れたければ、まず最初に、我々と最も親密で直接的な関係にある〈世界〉と呼んでいるものが何なのかを自問しなければならない。
これに対して我々は多くの場合、人々の世界、または我々がその中で生き、その一部を形成している人類に〈世界〉という名を与えていると答えるだろう。しかし、人類は地上の有機生命体の分離できない部分を形成しており、したがって我々に最も近い世界は地上の有機生命体、すなわち植物や動物や人間の世界であるというのが正しいだろう。
しかし有機生命体もまた世界の中にある。それなら有機生命体にとっての〈世界〉とは何だろう?
これには、有機生命体にとっては我々の惑星、すなわち地球が〈世界〉であると答えることができる。
しかし地球もまた世界の中にある。それなら地球にとって〈世界〉とは何だろう?
地球にとっての〈世界〉は、地球がその一部分を形成している太陽系の惑星界だ。
全惑星にとっての〈世界〉は何だろう?
それは太陽、あるいは太陽が影響を及ぼす範囲、惑星がその部分を構成している太陽系だ。
また太陽にとっての〈世界〉は星雲界、銀河系、巨大な数の太陽系の集合だ。
さらに天文学的見地からすれば、〈全宇宙〉の中に非常に隔たった複数の宇宙が存在することを推定するのは、全く可能なことだ。そしてこれらの世界全部が一つになって銀河にとっての〈世界〉になるのだ。
さらに、哲学的思惟に視点を移せば、〈全宇宙〉は、我々には理解できずまた知りえないある〈全体〉、あるいは〈一なるもの〉(りんごが一なるものであるように)を形成しているに違いないと言うことができる。この〈全体〉あるいは〈一なるもの〉あるいは〈すべて〉は、これは〈絶対〉とも、またすべてを自己の内に含んでいて何ものにも依存していないことから〈独立物〉とも呼ばれうるだろうが、〈全宇宙〉にとっての〈世界〉である。論理的には、〈すべて〉が単一の〈全体〉を形成している事物の状態を考えることは十分可能だ。そのような全体はまちがいなく〈絶対〉、すなわち〈独立物〉であるだろう。なぜなら、〈すべて〉は無限で分割不可能だからだ。
〈絶対〉、すなわち、〈すべて〉が一つの〈全体〉を構成している事物の状態は、いわば事物の根源的状態であり、そこから分割と派生によって、我々の観察する現象の多様性が生じるのだ。
人間はこれらすべての世界の中で生きているが、ただその生き方が違うのだ。
これはつまり、人間は第一に彼がその部分を構成している最も近い世界、彼に隣接する世界から完全に影響されているということだ。さらに離れた世界もまた、隣接する世界を通して同様に直接に人間に影響を与えているが、それらの作用は、両者の隔たりや、それらと人間との違いが増すにつれて減少する。後で見るように、〈絶対〉の直接の影響は人間には届かないのだ。しかし、隣接した世界の影響や星雲界の影響は科学には全然知られていないが、人間の生活にすでに完全な明瞭さで現れている。

ここでGは講義を終えた。

11
次のミーティングでは、我々は、主に種々の世界の影響について、またなぜ〈絶対〉の影響は我々にまで届かないのかについて多くの疑問を抱いていた。Gは話し始めた。
G:これらの影響と、〈単一体〉から〈複数体〉への変容の法則を吟味する前に、我々は全宇宙のあらゆる多様性あるいは単一性の中で様々な現象を生みだしている基本的法則を調べなくてはならない。これは〈三の法則〉、あるいは三原理の法則、または三つの力の法則というものだ。これは、分子から宇宙的現象に至るまで、いかなる規模で、いかなる世界で起ころうとも、あらゆる現象は3つの異なった相対する力の結合あるいは交流の結果であるというものだ。現代の思想は2つの力、すなわち、力と抵抗、プラス磁気とマイナス磁気、陽電気と陰電気、男性細胞と女性細胞、等々の存在と、現象を生みだすためにはこれら2つの力が必要だということは認識している。しかしこの現代思想は、これら2つの力でさえ、常にあらゆるところに見ることはない。第三の力についてはいかなる意見も提出されたことがなく、またもしされたとしてもほとんど相手にされなかったのだ。
真実の、厳密な知識によれば、1つないしは2つの力は決して現象を生みだすことはできない。第三の力の存在が必要なのだ。なぜなら、第三の力を借りて初めて最初の2つの力は現象と呼びうるものを(いかなる領域でも構わない)生みだすことができるからだ。
3つの力の教えは、あらゆる古代の体系の根本である。第一の力は能動的あるいは積極的と呼ばれ、第二の力は受動的または消極的、第三の力は中和的と呼ばれている。しかしこれらは単なる名称にすぎない。
というのは、実は3つの力はすべて同様に能動的で、それらが交流するときにのみ、つまりある瞬間における互いの関係においてのみ、能動的、受動的、中和的として現れるからだ。最初の2つの力は多かれ少なかれ人間に理解できるものであり、第三の力も時によっては、これらの力を適用する時点で、あるいは〈媒介物〉の中か〈結果〉の中に発見されるかもしれない。しかし一般的に言えば、第三の力は直接的な観察や理解によって簡単に知られうるものではない。その理由は、人間の普通の心理学的行動の機能的限界と、現象界の知覚の基本的カテゴリー、つまりこれらの限界から帰結される我々の空間と時間の感覚の中にある。人々は空間的に〈第四次元〉を知覚できないのと同様に、第三の力を直接に知覚、観察することはできないのだ。
しかし、自分自身や自分の思考の表現、意識、活動(自分の癖、欲望等々)を研究することによって、人は3つの力の働きを自分の内に見、観察することができるようになるかもしれない。
例えば1人の人間が、彼の特質のある部分を変えて、存在の高次のレベルを獲得するために、自己を修練しようとしていると想像してみよう。彼の欲求、独創力は能動的力だ。その力に反対する習慣的な心理的生活の惰性は受動的、否定的力となる。この2つの力は、互いに均衡を保つか、あるいは一方が他方を完全に征服してしまうかどちらかだろうが、同時にそれは、さらに進んだ行動をとるには弱すぎるものになる。そのためこの2つの力は、一方が他方を吸収していかなる結果も生みださないまま、いわば一方が他方のまわりを旋回しつづけるのだ。これが一生続くかもしれない。人間は欲求や独創力を感じることもあるだろうが、この独創力は生活の習慣的惰性を克服することに全部吸いとられて、本来の目的の方には全く向かわないのだ。そういうわけでこの状態は、第三の力が、例えば新たなる知識という形で出現し、即座に自己修練の必要性と利点を示し、それによって独創力を支え強めてくれるまで続くだろう。そのとき独創力は第三の力の助力を得て惰性を克服することができ、人間は望ましい方向で活動的になるのだ。
第三の力の活動の例とその出現の瞬間は、我々の精神生活のあらゆる表現の中や、人間社会の生活や人類全体の生活のあらゆる現象の中に、また我々のまわりの自然のあらゆる現象の中に見ることができる。
しかし初めのうちは、一般的な原理がわかれば十分だ。つまり、いかなる規模のものであれ、すべての現象は必然的に3つの力の現れであり、1つないし2つの力は現象を生みだすことができず、したがってもし、あることの中に停止を見たり、同じところで停滞しているのを見たりするなら、その場所には第三の力が欠けているということができるのである。これを理解するにあたって、我々は意識の主観的状態の中で客観的世界を観察することができないがために、現象を3つの力の現れと見ることができないのだということを同時に覚えておかねばならない。主観的に観察された現象界の中では、我々は現象の中に、1つないしは2つの力の現れしか見ないのだ。あらゆる動きの中に3つの力の現れを見ることができれば、我々は世界をありのままに(事物それ自体を)見るようになる。が、ともかくここでは、単純に見える現象も実は非常に複雑なものであるかもしれない、つまり、それは3つの力の非常に複雑な組み合わせであるかもしれない、ということだけは心に留めておきなさい。しかし、我々は自分たちが世界をありのままに見ることができないのを知っており、そしてそれはなぜ我々は第三の力を見ることができないかを理解する助けになるだろう。第三の力は現実の世界の特性だ。我々の見る主観的あるいは現象的世界はただ相対的現実であるにすぎず、いかなる意味でも完全ではない。
我々の住んでいる世界の話に戻ろう。これまでの話に従えば、他のすべてのものの中でと同様、〈絶対〉の中でも3つの力、すなわち能動的、受動的、中和的力は活動しているということができる。しかし〈絶対〉の中では、すべてのものはその本性そのものによって1つの全体を構成しているために、3つの力もまた1つの全体を構成している。それ以上に、1つの独立した全体を形成する際に、3つの力は完全で独立した意志、完全な意識、そして自分自身と自分のするすべてのことに対する完全な理解をもっているのである。
〈絶対〉の中での3つの力の調和という考えは、多くの古代の教えの基礎になっている。例えば同体的、不可分的三位一体、あるいはヒンドゥー教の三神一体、すなわちブラフマン、ヴィシュヌ、シヴァ等々。
一なる全体を構成している〈絶対〉の3つの力は、自らの意志と決断によって分離、あるいは統合し、そしてその接点において現象あるいは〈世界〉をつくりだすのだ。〈絶対〉の意志によってつくりだされたこれらの世界は、自らの存在に関するあらゆることにおいて、完全にこの意志に依存している。そしてそれぞれの世界においてもこの3つの力は活動する。しかし、個々の世界は今や全体ではなく一部にすぎないために、この3つの力はそれらの中では単一の全体を形成しない。それはここでは3つの意志、3つの意識、3つの統一体になっている。3つの力はそれぞれ自らの内に3つの力すべての可能性を包含してはいるが、3つの力の合流点ではそれぞれただ1つの原理、すなわち能動的、受動的、中和的原理の中の1つだけを現すのだ。この3つの力が集まると、新しい現象を生みだす三位一体を形成する。しかしこの三位一体は〈絶対〉の中にあったそれとは違うものだ。〈絶対〉の中では3つの力は不可分の全体を形成し、単一の意志と単一の意識を所有していた。ところが、この第二序列の諸世界においては、3つの力は分割され、その接点はもう違った性質のものになっているのだ。〈絶対〉の中ではそれらの接合の瞬間と場所とはただ1つの意志によって決定されていた。ところが、ただ1つの意志ではなく3つの意志が存在する第二序列の諸世界では、これらの力の発生点は他から独立したバラバラの意志によって決定され、したがってその接点は偶発的あるいは機械的なものになってしまう。〈絶対〉の意志は第二序列の諸世界を創造し支配するが、それらの創造的活動や、そこに現れる機械的要素までは制御しないのだ。
〈絶対〉を一つの輪とし、その中にいくつかの他の輪、すなわち第二序列の世界があると考え、その輪の中から1つをとりあげてみよう。3つの力が一つの全体を構成しているために〈絶対〉を第一番と呼びそして複数の小さな輪を第三番と呼ぶことにする。これは、第二序列の諸世界の中では3つの力はすでに分割されているからだ。
第二序列の諸世界における3つの分割された力は、各世界の中で接合して第三序列の諸世界をつくりだす。これらの世界の1つをとりあげてみよう。半機械的に働く3つの力によってつくりだされた第三序列の世界は、もはや〈絶対〉の単一の意志には依存しておらず、そのかわりに3つの機械的な法則に依っている。これらの世界はたしかに3つの力によってつくりだされたのではあるが、ひとたびつくりだされると、それ自身の3つの新しい力を表現する。だから第三序列の世界で働く力の数は6つになる。図表では第三序列の活動範囲は第6番(3+3)と呼ばれる。これらの世界の中で新しい序列の世界が、つまり第四序列の世界がつくりだされる。第四序列の世界では第二序列の世界の3つの力、第三序列の6つの力とそれ自身の3つの力とで合計12の力が働く。この世界の中から1つをとりだし、第12番(3+6+3)と呼ぶことにしよう。従っている法則の数がより多いために、これらの世界は〈絶対〉の単一の意志からさらにいっそう離れており、またさらにいっそう機械的だ。そしてこれらの世界の中で生みだされる次の世界は、24の力(3+6+12+3)で司られているだろう。またこれらの世界の中でつくりだされるその次の世界は48の力で司られることになる。48は以下の数から成っている。すなわち、〈絶対〉に直接続く世界の3つの力、次の世界の6つの力、次の12、その次の24、そしてそれ自身の3(3+6+12+24+3)、全部で48だ。世界48の中でつくりだされる世界は96の力(3+6+12+24+48+3)によって司られる。次の序列の世界がもしあるとすれば、それは192の力で司られることになり、そしてこの後も同様に続いていくのだ。〈絶対〉の中でつくりだされる多くの世界の中の1つ、世界3を考えてみると、それは我々の銀河系のごとき星雲界の全数量を表す世界であろう。世界6はこの世界内でつくられた世界の1つ、つまり我々が銀河系と呼ぶ星の集積である。世界12は銀河系を構成している太陽の1つ、つまり我々の太陽だ。世界24は惑星界、つまり太陽系の全惑星だ。世界48は地球、世界96は月だ。もし月が衛星をもっていれば、それは世界192となり、以下同様に続く。
世界の連鎖、すなわち〈絶対〉-全宇宙-全太陽-太陽界-惑星界-地球-月という連環は、我々自身もその中にいる〈創造の光〉を形成している。創造の光は、我々にとっては、言葉の最も広い意味における〈宇宙〉なのだ。が、もちろん創造の光は言葉の十全な意味における〈宇宙〉は含んでいない。というのは、〈絶対〉はたくさんの、おそらくは無限の数の異なった世界を生みだし、またそれらの世界の一つ一つから新しい別の創造の光が始まっているからだ。そのうえこれらの世界の一つ一つは、光のさらに先の分割を象徴する多くの世界を含んでおり、そして再び我々はこれらの世界の中からただ1つ、我々の銀河系を選びだす。この銀河系は多数の太陽を含んでいるが、その中から我々に最も近く、我々が直接依存し、その影響の中で生き、活動し、また自己の存在をもっている1つの太陽を選ぶ。他の太陽の一つ一つは光の新たな分割を意味するが、これらの光は我々の光、つまり我々がその中に位置している光と同様の方法で研究することはできない。さらに、太陽系の中では惑星界は太陽自体よりも我々に近く、また惑星界の中では、我々の住んでいる惑星である地球が我々に最も近い。我々は地球を研究するのと同じ方法で他の惑星を研究する必要はなく、それらはひとまとめにして、つまり地球をとり扱うのよりずっと小さな規模でとり扱えば十分だ。1、3、6、12・・・というそれぞれの世界における力の数は、それぞれの世界が従っている法則の数を示している。
世界の中で法則が少ないほど〈絶対〉の意志に近く、また多ければ多いほどその機械性は強く、〈絶対〉の意志から離れているのだ。
我々は48種類の法則に従った世界に生きている。ということは、〈絶対〉の意志から非常に遠い、宇宙のひどく辺鄙な暗い片隅に生きているということだ
以上のように、創造の光は、我々が宇宙における自分たちの位置を決定し認知するのを助けてくれる。しかし、おわかりのように、我々はまだ影響についての問題にまで進んでいない。様々な世界の影響の違いを理解するためには、我々は三の法則、そしてさらにもう1つの基本的な法則、すなわち〈七の法則〉、オクターヴの法則までしっかり理解しなければならないのだ。




12
G:我々はここで三次元の宇宙をとりあげ、言葉の最も単純で基本的な意味においての物質と力の世界として、この宇宙を考えてみよう。より高次の次元や、物質、空間、時間などに関する新しい理論については、科学ではまだ知られていない宇宙に関する知識の他のカテゴリーとともに後ほど話しあうことにしよう。今やるべきことは、宇宙を〈創造の光〉の図の形で、すなわち〈絶対〉から月までの形で示すことだ。この〈創造の光〉は、一見したところ非常に初歩的な宇宙の見取り図のように思えるだろう。ところが実際には、研究が進むにつれて、この単純な見取り図を使えば宇宙についての多くの、多様でしかも対立している哲学的、宗教的、科学的見解を調和させ、1つの全体としうることがはっきりしてくる。創造の光という考えは古代の知識に由来するもので、我々の知っている多くの素朴で地球中心的な宇宙体系は実は、この創造の光という考えの拙劣な解説、もしくは通り一遍の理解による曲解にすぎないのだ。
創造の光とその〈絶対〉からの進展という考えは、真に科学的とは言えないいくつかの現代の見解と相矛盾するということに気づかなければならない。例えば、太陽、地球、月という段階をとりあげてみよう。普通の理解によれば、月はかつては地球のようであったが、今は冷たい、死んだ天体である。言葉をかえれば、それは昔は内部に熱をもち、もっと以前には太陽のような溶解した塊であったものだ。同じく一般的には、地球はかつては太陽のようであり、しだいに冷えてきて、遅かれ早かれ月のような凍った塊になるものとされている。太陽も普通には、冷えるにつれて地球と同様のものとなり、さらに後には月のようなものになるだろうと考えられている。
まず第一に、当然この見解は言葉の厳密な意味では〈科学的〉とは言えないということに注意しなければならない。というのは科学、つまり天文学、いやむしろ天体物理学では、この問題について多くの、異なった、相矛盾する仮説や理論があるにもかかわらず、そのうちのどれも十分な裏づけをもっていないからだ。しかし、それでもこの見解は、我々の住んでいる宇宙に関しては最も広く知られ、現代の平均的な人間の見解となっているものだ。
創造の光と〈絶対〉からのその進展という考えは、現代のこれらの一般的な考えとは対立する。
この考えに従えば、月はいまだに生まれていない惑星、言うなれば生まれつつある惑星だ。それはしだいに暖かくなっており、時間を経るにつれて(創造の光に従ってうまく発展すれば)地球のようになり、それ自身の衛星、つまり新しい月をもつようになる。そうなれば新しい連環が創造の光に加えられるだろう。
地球も冷たくなっているのではなく暖かくなっており、時間を経るにつれて太陽のようになるかもしれない。我々はこのような過程を、例えば木星系に見ることができる。木星はその衛星にとっては太陽なのだ。
創造の光、すなわち世界1から世界96までについてこれまで述べてきたことをまとめるにあたって、次のことをつけ加えておかねばならない。それは、それぞれの世界につけられた番号はその世界を支配している力、あるいは法則の種類の数を示しているということである。〈絶対〉の中には、ただ1つの力とただ1つの法則、すなわち〈絶対〉の単一で独立した意志がある。次の世界には3つの力あるいは3種の法則がある。次の世界には6種の法則があり、次には12、以下同じように続く。我々の世界つまり地球では、48種の法則が作用しており、我々はそれに従い、またそれによって我々の生活全体が支配されている。もし我々が月に住んでいれば、96種の法則に従わねばならない。つまり、我々の生活と活動はもっと機械的になり、また今我々がもっている機械性から逃れる可能性もなくなってしまうのだ。
すでに述べたように、〈絶対〉の意志は、それが自分の内部につくりだした隣接する世界の中にしか、つまり世界3の中にしか現れない。〈絶対〉の直接的な意志は世界6には届かず、その中では機械的法則という形態でしか現れないのだ。さらに、世界12、24、48、96の中では〈絶対〉の意志がそれ自身を現す可能性はますます少なくなる。これはつまり、〈絶対〉は世界3の内部で残りの宇宙すべてのいわば全体計画をつくり、そしてその計画がずっと機械的に進展していくということである。〈絶対〉の意志はこの計画とは別のところで継起する世界の中ではそれ自身を現すことはできず、またこの計画に従って自らを現す場合でも、機械的法則という形態をとる。これは、もし〈絶対〉が自らの意志を、そこを支配している機械的法則に反して、例えば我々の世界で現そうとすれば、〈絶対〉は自らと我々の世界との中間にある世界をすべて破壊しなければならないということなのだ。
法則をつくりだした意志そのものによる法則の侵犯という意味で奇蹟を考えることは、ただ常識に反するだけでなく、意志という概念そのものにも反する。
〈奇蹟〉とは、人々に知られていない、あるいは人々がまれにしか出合ったことがない法則の現れにほかならない。〈奇蹟〉は、この世界における他の世界の法則の顕現なのだ
この地球において我々は、〈絶対〉の意志から非常に隔たったところにいる。我々は48種の機械的法則によって、それから隔てられている。もしこれらの法則の半分から自己を解放できれば、我々は24種の法則、つまり惑星界の法則に従うことになる。そうすれば我々は、〈絶対〉とその意志とに一段階近づくことになるのだ。もしさらに、これらの法則の半分から自己を解放できれば、我々は太陽の法則(12法則)に従うことになり、その結果もう一段階〈絶対〉に近くなる。もしもう一度これらの法則の半分から自己を解放できれば、我々は星雲界の法則に従い、〈絶対〉の直接的意志からわずか一段階しか離れていない位置にくる。
そして人間には、このようにしだいに機械的法則から自己を解放する可能性があるのだ。

人間が従っている48種の法則の研究は、天文学の研究のように抽象的ではありえない。それらの法則は、自己の内を観察し、それらから自由になることによってのみ研究できるのだ。
まず、
自分は、他人や自分自身がつくりだした何千というとるにたりないうんざりするような法則に必要もないのに従っているのだということを、いかなるごまかしもなく理解しなければならない。そして、いざ法則から自由になろうとやってみると、できないことに気づくだろう。自由になろうと長い間持続的に努力してみてやっと、彼は自分が奴隷状態にあることを納得するのだ。人間が従属している法則は、それと闘うことによってのみ、それから自由になろうと努めることによってのみ学ぶことができるのだ。しかし、それに代わる別の法則をつくりださないで、ある法則から自由になるには多大の知識を必要とする。
法則の種類とその形態は、創造の光を考察する視点によって様々に異なる。
我々のシステムでは、創造の光の終結点、いうなれば支流の生長的終結点は月である。月の生長、すなわち月の発展と新しい支脈の組成のためのエネルギーは地球から送られており、地球では、そのエネルギーは太陽と太陽系の他のすべての惑星と地球自体の共同活動によって生みだされる。このエネルギーは集められ、地球の表面に位置する巨大な蓄積機に保存される。この蓄積機とは地上の有機生命体である。すなわち地上の有機生命体が月を養っているのだ。地球上に生きるすべてのもの、人間、動物、植物は月の食料なのだ。月は地球上で生き、成長するものを食べて生きている巨大な生き物である。地上の有機生命体が月がなくては存在できないのと同様に、月も地上の有機生命体がなくては存在できない。それ以上に、有機生命体にとっては月は巨大な電磁石なのだ。もし電磁石の活動が急に止まりでもすれば、有機生命体は無へと消え去ってしまうだろう。
月の生長と暖化の過程は、地球上の生と死に結びついている。死のときには、すべての生き物はそれ自身に〈生命を与えて〉いたエネルギーの一定量を解放し、そしてこのエネルギー、あるいはあらゆる生物(植物、動物、人間)の〈魂〉は、あたかも巨大な電磁石にひかれるように月に誘引され、そして月を生長させる暖かさと生命、つまり創造の光の生長を月へもたらすのだ。宇宙全体の経済という点では何も失われず、ただある次元でその働きを終えた一定量のエネルギーが別の次元へと移っていくだけなのだ

月へ行く、おそらくは一定量の意識と記憶さえもっている魂は、そこで自らが96の法則のもとにあるのを、つまり鉱物の生命の状態にあるのを、別の言い方をすれば、測り知れないほど長い遊星周期内の一般的進化以外には逃れる道のない状態にあるのを見いだすだろう。月は〈末端に〉、すなわち宇宙の終結点にあり、それはキリスト教教義でいう〈そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう〉〈外の暗やみ〉(アウター・ダークネス)なのだ。
生物全般に対する月の影響は、地球上で起こるあらゆることにも現れる。月は、地球上の有機生命体内部で起きるすべてのことの動因の中でも主要な、いやむしろ最も関係の深い直接的なものだ。人間、動物、植物のあらゆる行動、活動、意志表現は月に依存しており、月によってコントロールされているのだ。地球をおおっている有機生命体の敏感な被膜は、その活力を吸いとっている巨大な電磁石の影響に完全に依存している。他のすべての生き物と同様人間も、生命の普通の状態においては月から自らをひき離すことはできない。したがって人間のとるすべての動作と行為は月にコントロールされている。もし彼が誰かを殺すとすれば、月がそれをするのだ。もし彼が他人のために自己を犠牲にするとすれば、それも月がするのだ。すべての悪しき行為や罪、あるいは自己犠牲的行為や英雄的行為は、普通の日常生活におけるすべての行為と同じく、月にコントロールされているのだ。精神的な力と能力の発達に伴ってやってくる解放は月からの解放にほかならない。我々の生活の機械的な部分は月に依存し、また従属している。もし我々が自らの内部で意識と意志を発達させ、機械的な生活とあらゆる機械的な表現をそれらに従わせることができれば、月の力から逃れることができるだろう。
次に完全に理解しなければならないことは、創造の光という形態をとっている宇宙の物質性ということだ。この宇宙のあらゆるものは、その重さ長さ、共に測ることができる。月や人間と同様、〈絶対〉の重さや長さも測ることができる。もし〈絶対〉が神なら、神の重さと長さを測り、構成要素に分解し、〈計算し〉、明確な公式の形で表すことが可能だ。
しかし、〈物質性〉という概念は、他のすべてと同様相対的なものだ。もし〈人間〉と人間に関するすべてのもの、すなわち善、悪、真、偽等々の概念が様々なカテゴリー(〈人間第一番〉〈人間第二番〉・・・)に分類されることを思いだせば、〈宇宙〉の概念と宇宙に関するすべてのことも同様に様々なカテゴリーに分類されるということも容易に理解できるだろう。創造の光は宇宙の7つの段階、それも、それぞれが次の段階のカテゴリーを含んでいる7つの世界をつくりだす。宇宙に関するすべてのものも、それぞれが次の段階のカテゴリーを含む7つのカテゴリーに分類される。〈絶対〉の物質性は〈全宇宙〉の物質性とは違った物質性である。〈全宇宙〉の物質性は〈全太陽〉の物質性とは違った種類のものだ。〈全太陽〉の物質性は我々の太陽の物質性とは違う種類のものだ。我々の太陽の物質性は〈全惑星〉の物質性とは違った種類のものだ。〈全惑星〉の物質性は地球の物質性とは違った種類のものであり、地球の物質性は月の物質性とは違った種類のものだ。
この考えは最初は把握しにくいだろう。
人々は物質はどこでも同じものだと考えることに慣れている。物理学、天文物理学、化学、分光分析などのような方法はすべてこの仮定に基づいている。物質(matter)が同じだというのは真実だが、物質性(materiality)は違う。そして物質性の様々な段階は、ある時点で現れるエネルギーの質と特性に直接関わっているのだ
物質や物体は、力、あるいはエネルギーの存在を必要条件としている。しかしこれは、世界に関する二元論的な概念が必要だということではない。物質と力の概念は他のすべてのものと同様相対的だ。すべてが一なる〈絶対〉の中では、物質と力もまた一である。しかしこの点に関しては、物質と力は本質的に宇宙の真の原理としてではなく、むしろ我々の観察する現象世界の特性ないしは特質と考えられている。宇宙の研究を始めるにあたっては、我々自身の器官、感覚を通して直接観察することで得られる物質とエネルギーに関した基本的概念を知るだけで十分だ。
〈不変〉とは物、物質と考えられ、〈不変〉の状態、すなわち物質の状態における〈変化〉は、力、あるいはエネルギーの現れと言われている。これらの変化は、すべて中心、すなわち〈絶対〉から出てきて、互いに交差し、衝突し、浸透しあいながら、創造の光の終結点で完全に止まるまであらゆる方向に進む振動あるいは波動の結果と見ることができる。
この観点から見れば、世界は振動と物質、あるいは振動状態にある物質、振動している物質から成っていると言える。振動率は物質の密度に反比例する
〈絶対〉の中では振動は最も速く、物質の密度は最も低い。次の世界では振動は遅く、また物質の密度は高くなり、さらに進めば物質の密度はますます高くなり、振動はそれに相応して遅くなる。
〈物質〉は〈原子〉から成っていると考えられているかもしれない。これに関連して、原子は物質分割の最小単位と考えられている。しかしながら、いかなる種類の物質においても、原子はある段階でのみ分割しえない物質の一定の小粒子にすぎない。〈絶対〉の原子だけが本当に分割不可能で、次の段階、つまり世界3の原子は〈絶対〉の原子3つから成っている。別の言い方をすれば、それは3倍大きく3倍重く、その動きはそれに相応して遅いのだ。世界六の原子は〈絶対〉の原子6つから成り、それらは結合して、いわば1つの原子を形成している。その動きはそれに相応してさらに遅い。次の世界の原子は12の〈絶対〉の原子から成り、続く世界の原子はそれぞれ24、48、96の原子から成っている。世界96の原子は世界1の原子に比べれば非常に大きく、その動きは相応して遅く、またそのような原子でできている物質は相応して高密度である。(図4)創造の光の7つの世界は物質性の7つの段階を表している。月の物質性は地球の物質性とは異なり、地球の物質性は惑星界の物質性とは異なり、惑星界の物質性は太陽の物質性とは異なり、以下も同様だ。
したがって、物質についての1つの概念のかわりに我々は7種の物質をもつことになるが、我々の普通の物質性についての概念でも、世界96と48の物質性を理解できなくはない。世界24の物質は、我々の物理学や化学などの科学的観点からすれば物質であると考えられることはほとんどない。そのような物質は事実上仮説なのだ。世界12のもっときめ細かな物質は、普通の研究からすれば、いかなる物質の特性ももってはいない。宇宙の種々の段階に属しているこれらの物質はすべて、階層に分かれているのではなく、混合、あるいはむしろ相互に浸透しあっている。様々な密度の物質が同じように相互浸透するという考えは、我々の知っている様々な密度の物質が他の物質へ浸透することから理解できるだろう。木には水がしみこむし、一方水にはガスが溶けこむ。異種の物質間のこれと全く同じ関係、つまりよりきめ細かな物質が、きめの粗い物質に浸透するという関係は、宇宙全体にわたって観察されるだろう。
我々が理解しうる物質性の特徴を備えた物質は、その密度に従っていくつかの状態、つまり固体、液体、気体に分類され、そして物質のこれより上の段階は輻射エネルギー、つまり電気、光、磁気などになる。しかし、ある物質の種々の状態のこれに類似した関係と区分は、すべての次元で、すなわち物質性のあらゆる段階で見られる。しかしすでに述べたように、高次の段階の物質は、低次の諸段階にとっては決して物質ではないのだ。
我々をとりまく世界のすべての物質、食物、飲み水、呼吸する空気、家を建てる石、我々自身の身体、これらすべてに、宇宙に存在するあらゆる物質がしみわたっている。太陽界の物質を知るために太陽を調査研究する必要はない。それは我々自身の中にあり、またそれは我々の原子が分割されたものなのだ。同様に、我々は自分の内に他の全世界の物質をもっている。
人間は語の完全な意味における〈小宇宙〉であり、その中には宇宙を構成しているすべての物質があり、宇宙の生命を統治している同じ力、同じ法則が彼を動かしており、したがって人間を研究することによって我々は全宇宙を研究でき、同様に宇宙を研究することで人間の研究ができるのだ
しかし、人間と宇宙の完全な対応関係は、〈人間〉がその語の完全な意味において解釈されるときにだけ、つまりその本来の力を発達させた人間をとりあげるときにだけひきだすことができる。未発達の人間、自分の進化のコースを完成していない人間は宇宙の完全な肖像、あるいは見取り図と考えることはできない。彼は未完成の宇宙なのだ。

すでに言ったように、自分自身の研究は宇宙の基本的な法則の研究と並行して行われねばならない。法則はどこでも、すべての段階で同じだ。しかし、様々な世界で、つまり異なった条件下で自らを現わすその全く同一の法則は、様々な現象を生みだす。法則とそれが現れる段階との関係の研究は、我々を関係性の研究へと導いていく。
関係性という考えは、この教えの中で非常に重要な位置を占めている。また後で、我々はこの問題に立ちかえることになるだろう。しかし何より先に、一つ一つの事物あるいは現れの関係性を、それが宇宙的序列の中で占める位置に従って理解することが必要だ。
我々は地球上におり、地球上で作用している法則に全面的に依存している。地球は宇宙的観点から見ると非常に悪い場所だ。つまり、ちょうど北シベリアの一番辺鄙なところのようで、どこからも遠く離れ、寒くて、生活は非常に困難だ。他の場所であれば簡単に手に入るものが、ここではみな激しい労働によってしか得られない。つまりすべてを生活とワークの両面で闘い、取らなければならないのだ。実生活では、遺産を受け継いでその後は全然働かないで暮らすということがまだ時々ある。しかし、ワークではそんなことは起こらない。すべての者は平等で、また等しく乞食なのだ。三の法則に話を戻そう。人は、為すことすべて、研究することすべての中にこの法則の顕現を見ることができるようにならなければならない。この法則をあらゆる領域に適用すれば、ただちに多くの新しいこと、これまで理解できなかったことが明らかになるだろう。化学を例にとってみよう。通常の化学は三の法則を知らず、そのため物質をその宇宙的特性を考慮せずに研究している。しかし、通常の化学のほかに、宇宙的特性を考慮しつつ物質を研究している特殊な化学(お望みなら錬金術と呼んでもけっこうだが)が存在している。すでに話したように、各物体の宇宙的特性は第一に、その場所によって決定され、第二に、ある瞬間にその中で働く力によって決定される。たとえ同一の場所であっても、ある物体の性質はそれを通して現れる力によって多大の変化を受ける。各物体は3つの力のうちどれか1つの導体となることができ、それに従ってその物体は能動的受動的、あるいは中和的となることができる。また、もしある瞬間にそれを通していかなる力も現れなければ、あるいはそれが力の現れと無関係にとり扱われれば、それは能動的にも受動的にも中和的にもなることはできない。すべての物体はこのように、いわば4つの異なった様相、状態として現れる。この点について、物質について話すとき我々は、化学的元素について話しているのではないことに注意しなければならない。私の話している特殊な化学は、別々の機能をもつ個々の物体を、最も複雑なものまで合めて、1つの元素とみなすのだ。この方法によって初めて物質の宇宙的特性を研究することができる。というのは、すべての複雑な複合体はそれ自身の宇宙的特性と重要性をもっているからだ。この観点から見れば、ある物体の原子は、あらゆる化学的、物理的、宇宙的特性を含むその物体の最小単位ということになる。したがって、異なった物体の〈原子〉の大きさは同一ではない。ある場合には〈原子〉は裸眼でも見えるくらいの粒子であるかもしれない。
すべての物体の4つの様相、あるいは状態は、それぞれはっきりした名前をもっている。
物体が第一、もしくは能動的力の導体であるとき、それは〈炭素〉と呼ばれ、化学の炭素と同様Cで表される。
物体が第二、もしくは受動的力の導体であるとき、それは〈酸素〉と呼ばれ、化学の酸素と同様Oで表される。
物体が第三、もしくは中和的力の導体であるとき、それは〈窒素〉と呼ばれ、化学の窒素と同様Nで表される。
物体が、その物体を通して自らを現わす力と関係なく考えられるときそれは〈水素〉と呼ばれ、化学の水素と同様Hで表される。
能動的、受動的、中和的力は一、二、三の数字で、物体はC、O、N、Hで表される。これらの名称はしっかり飲み込んでおかなければならない。

「これらの元素は昔の錬金術の四元素である火、空気、水、地に照応しているのですか?」と一人が聞いた。
G:そう、たしかに照応しているが、ともかく我々はこちらを使う。なぜかは後でわかるだろう。
このとき聞いた事柄に私は非常に興味を覚えた。というのも、それはGのシステムをタロットのシステムと結びつけたからであり、そして一時私はタロットが隠された知恵を開くことのできる鍵だと思ったことがあったからである。そのうえそれは、私には新しいものであると同時に、タロットからは理解することができなかった三と四の関係を示していた。タロットはまちがいなく四原理の法則の上に組み立てられている。今までGは三原理の法則だけを話していた。しかし今、私はいかに三が四に変化するかを見、そして我々が直接観察して力と物質の間に区分が認められる限り、この両者を分けることは必要だということを理解したのである。〈三〉は力に関連しており、〈四〉は物質に関連している。もちろんそれ以上の意味はまだ私には曖昧だったが、Gの言ったわずかなことでさえ、やがては重要なものになるにちがいなかった。
それに加えて、その元素の名称、〈炭素〉〈酸素〉〈窒素〉〈水素〉に非常に興味をひかれた。私はここで、Gが他のものでなくこれらの名称を使った理由をはっきり説明するとたしかに約束しておきながら、とうとう一度もしなかったことを述べておかなくてはなるまい。後で再度私はこの名称に戻ってくるだろう。これらの名称の起源を確証しようとする試みは、Gのシステム全体とその歴史に関して多くのものを私に説き明かしてくれた。

13
あるミーティングで(そこには一度もGの話を聞いたことがない、かなり多数の人が招待されていた)彼は質問を受けた。「人間は不死ですか、それともそうではないのですか?」
G:何とか答えてみよう。しかし私は、これは一般の知識と言語の中の材料だけでは、十分に答えることはできないことを君たちに警告しておこう。
君は、人間は不死かそうでないのかと問いた。
私はイエスとノーの両方と答えよう。
この問題は多くの異なった側面をもっている。まず第一に不死とは何を意味しているのだろう? 君は絶対的な不死性のことを言っているのか、それとも様々な段階を認めるのか。例えば、もし肉体の死後に何か、いくばくかの間意識を保って生きているものが残るとすれば、これを不死と呼びうるだろうか? あるいはこのように言ってみよう。不死と呼ばれるためには、どれくらいの期間そのような存在が必要なのだろう? それからこの問題は様々な人々の様々な〈不死性〉の可能性を含んでいるだろうか? このほかにも、まだ多くの問題がある。
以上のことは、ただそれらがいかに曖昧であるか、またいかにたやすく〈不死〉という言葉が幻想に変わるかを示すために言ったのだ。事実においては不死であるものは何もなく、神でさえ死を免れない。しかし、人間と神との間には大きな違いがあり、また、もちろん神は人間とは違った意味で死すべき存在なのである。〈不死〉という言葉のかわりに〈死後の存在〉という言葉を使った方がずっといいだろう。それなら私は、人間は死後の存在の可能性をもっていると答えよう。しかし
可能性と、可能性を実現することは全く別のことだ
これから、この可能性は何に依存しているのか、またその実現とは何を意味しているのかを見てみよう。

それからGは簡単に、人間と宇宙に関して以前に言ったことをすべて繰り返した。彼は創造の光の図と人間の4つの体の図を描いた(図1、3)。しかし、人間の体に関しては、我々にも初耳のことを詳細に話し始めた。
彼は再び人間を馬車、馬、御者、主人と比べるあの東洋の比喩を使い、以前にはなかった図をつけ加えた。
G:人間は4つの部分から成る複雑な組織だが、その4つはバラバラであるか、あるいはうまく連結していない。馬車は車軸で馬と連結し、馬は手綱で御者と結ばれ、御者は主人の声で主人と結ばれている。しかし、御者は主人の声を聞いて理解しなくてはならない。彼は操縦法を知っていなければならず、また馬は手綱に従うよう訓練されていなくてはならない。馬と馬車はしっかり馬具で結ばれていなくてはならない。したがってこの複雑な組織の4つの部分の間には3つの連結部があるわけだ(図5b)。もし連結部の1つで何かが欠けていれば、組織は全体として活動できない。だから連結部は、実際の〈本体〉に比べて重要性が低いということはないのだ。自己修練にあたって人間は〈本体〉と〈連結部〉へ同時に働きかける。しかし、それは違った仕事だ。
自己修練は御者から始めなければならない。
御者とは知性だ。主人の声を聞くには、御者はまず第一に眠っていてはならない、つまり起きていなければならない。そうすれば、御者には理解できない言語を主人が話していることに気づくだろう。御者はこの言語を習得しなければならない。そしてそれを習得したとき、彼は主人を理解することができる。しかしこれと同時に、彼は馬の操縦法や馬車のつなぎ方、えさのやり方、手入れ法、馬車の調整法等も習得しなければならない。もし彼が何もできないとしたら、主人を理解してもそれが何になろう。主人は彼にあそこへ行けと言う。しかし彼は動けない。というのも馬には餌をやってないし、馬具はつないでないし、彼は手綱がどこにあるかも知らないからだ。馬は我々の感情だ。馬車は肉体だ。知性は感情をコントロールすることを習得しなければならない。感情は常に自分の後ろに肉体を引っぱっていこうとする。自己修練が必要なのはこの段階においてなのだ。しかしここでも〈本体〉への、つまり御者、馬、馬車への働きかけは1つのことだということに注目しなさい。〈連結部〉への働きかけ、すなわち御者を主人と結びつける〈御者の理解〉、彼と馬とを結びつける〈手綱〉、馬と馬車を結びつける〈車軸〉と〈馬具〉への働きかけは全然別のことだ。本体は全く調子がよいのに〈連結部〉が働かないということが時々ある。こんなとき、組織全体は何の役に立つだろう。こんな場合、ちょうど未発達の身体と同様、組織全体は必然的に下位から、つまり主人の意志ではなく偶然によってコントロールされるのだ。
2つの体をもった人間の中では、肉体に比べて第二の体が活動的だ。これはつまり〈アストラル体〉の中の意識が肉体を支配しているということだ。
Gは〈アストラル体〉の上にプラス記号を、肉体の上にマイナス記号をつけた。(図5c)
G:3つの体をもつ人間の中では、〈アストラル体〉と肉体とに対して、第三の体、すなわち〈メンタル体〉が活動的だ。これは〈メンタル体〉の中の意識が〈アストラル体〉と肉体を完全に支配しているということだ。
Gは〈メンタル体〉の上にプラス記号をつけ、〈アストラル体〉と肉体の両者をカッコでくくってその上にマイナス記号をつけた。
G:4つの体をもつ人間では、活動的なのは第四の体だ。これは第四の体の意識が〈メンタル体〉、〈アストラル体〉、肉体を完全に支配しているということだ。

Gは第四の体の上にプラス記号をつけ、他の3つをカッコでくくってその上にマイナス記号をつけた。
G:見ての通り、4つの全く異なった状態が存在する。第一の場合にはすべての機能は肉体にコントロールされる。肉体は能動的で、それとの関係から見ると他のすべては受動的だ(図5a)。第二の場合には第二の体が肉体を支配している。第三の場合には〈メンタル体〉が〈アストラル体〉と肉体を支配している。また最後の場合には第四の体が前の3つを支配している。我々は以前に、肉体だけの人間の内では、彼の諸機能の間に全く同じ序列が成り立ちうることを見た。すなわち、肉体機能は感情、思考、意識をコントロールすることができ、感情は肉体機能をコントロールでき、思考は肉体機能と感情をコントロールでき、そして意識は肉体機能、感情、思考をコントロールできるのだ。2つ、3つ、そして4つの体をもつ人間の中では、最も活動的な体はまた最も長く生きる。つまり、それは下位の体との関係から見れば〈不死〉なのだ。
彼は再び創造の光の図を描き、地球のそばに人間の肉体を置いた。(図6)
G:これは普通の人間だ。つまり人間第一、第二、第三、第四番だ。彼は肉体しかもっていない。肉体は死んで何も残らない。肉体は地球の材質からできていて、死ぬとそれは地球に還る。それは塵であり、だからそれは塵に還るのだ。この種の人間についてはいかなる種類の〈不死〉も語ることはできない。しかし、もし人間が第二の体をもてば〔彼は第二の体を、図の惑星と平行する位置に置いた〕、この第二の体は惑星界の材質からできているため、肉体の死後も生き残ることができる。これは言葉の完全な意味での不死ではない。というのは、ある時間が経てばこれもまた死ぬからだ。しかし、とにかくこれは肉体とともに死ぬことはない。
もし人間が第三の体をもてば〔彼は第三の体を図の太陽と平行する位置に置いた〕、それは太陽の材質からできているため〈アストラル体〉の死後も存在することができる。
第四の体は星雲界の材質、つまり太陽系に属さない材質からできており、したがって、もしそれが太陽系の領域内で結晶化すれば、この太陽系内にはこれを破壊できるものは何もなくなる。これはすなわち、第四の体をもつ人間は、太陽系の領域内では不死だということだ
人間は不死かどうかという問題に、なぜ一口に答えることができないか、これでおわかりかな? ある人間は不死だろうが、別の人はそうでなく、また第三の者は不死になろうとしており、第四の者は自分を不死と考え、そしてそれでいて、ただの肉の塊にすぎないのだ。


14
Gがモスクワに帰ったとき、我々のグループは彼なしでミーティングをもった。
Gから最近聞いたことに関連するグループ内での話し合いのいくつかが記憶に残っている。
我々は奇蹟という考えや、また〈絶対〉は自らの意志を我々の世界で現すことはできず、またできたとしてもこの意志は機械的法則という形態でしか現れず、この法則を犯してまで自らを現すことはできないという事実などについて、かなり話しあった。
誰が最初だったか覚えていないが、誰かが、よく知られてはいるもののあまり重視されていないあるスクールの話を思いだした。そしてその中に我々はただちにこの法則の実例を見いだしたのである。
それは、最終試験のときに神の万能性という考えを理解していなかった老神学生の話であった。
「さて、主がおできにならないことを一つあげよ。」と試験官の司教が言った。
「それはすぐにあげられます、司教さま。」と神学生は答えた。「主御自身でさえ、ただの2のカードで切り札のエースをうち負かすことはおできにならないということは、誰でも知っています。」
これ以上はっきりしたことはなかった。
千の神学教義の中によりも、この愚かな話の中により多くの意味があった。ゲームの法則がゲームの本質を形成している。この法則を犯せば、ゲーム全体を壊してしまうことになる。〈絶対〉は、彼が2のカードでトランプのエースをうち負かすことができないのと同様、我々の生活に干渉して、我々のつくりだす原因、あるいは偶発的な原因からの当然の結果を他の結果に置きかえることは決してできない。ツルゲーネフはどこかで、すべての普通の祈りは一つ、つまり「主よ、2×2が4にならないようにしてください。」という祈りに還元できると言っている。これはあの神学生の切り札のエースと同じことなのだ。
別の話は、月と、地球の有機生命体との関係についてのものだった。ここでもまたグループの一人がその関係を示すとてもよい例を見つけた。
月は時計の分銅である。有機生命体は分銅によって作動する時計のメカニズムである。そして分銅の重力、すなわち歯車に対する鎖の牽引力が時計の歯車と針を動かすのだ。もし分銅がとり去られれば時計のメカニズムはすぐに止まる。月は有機生命体にぶらさがることによってそれを動かす、巨大な分銅である。我々が何をしていようと、善いことであれ悪いことであれ、賢明なことであれ愚かなことであれ、我々の有機体の歯車と針のすべての動きは、その圧力を継続的に我々に及ぼしているこの分銅に依存しているのである。個人的には私は、位置、つまり宇宙の中の位置との関連における関係性の問題に非常に興味をもっていた。私はずっと以前に、大きさと速さの相互関係による関係性という考えに至っていた。しかし、宇宙的序列における位置という考えは、私にもみなにも全く新しいものだった。後になって、それは同じこと、つまり、大きさと速さが位置を決め、位置が大きさと速さを決めるのだということを納得したとき、何と奇妙な感じがしたことだろう。
私はさらに、同じ時期のもう1つの話し合いも覚えている。誰かがGに普遍言語の可能性について聞いた。何に関連してだったかは覚えていないが。
G:普遍言語は可能だ。ただ人々がつくりだそうとしないだけだ。
「なぜしないのでしょう?」と一人が聞いた。
G:第一に、それはずっと以前につくられたからだ。第二に、この言語を理解し、それで考えを表現することは、この言語の知識だけにではなく、存在にも依存しているからだ。いや、さらに次のように言おう。1つではなく、3つの普遍言語が存在している。第一のものは、人々が自身の言語の範囲内で話したり書いたりすることができる。ただ一つの違いは、人々が自分たちの普通の言語で話せば理解しあえないのに、このもう一つの言語を使うと理解しあえるという点だ。第二の言語では、例えば数字や数学の公式のように、書かれた言葉はすべての人々にとって同一である。それでもなお人々は話すときには自分自身の言葉を話し、このように互いに未知の言語で話しながらも、彼ら一人一人は互いに理解しあうのだ。第三の言語は、書き言葉、話し言葉ともに、すべての者にとって同一だ。言語の違いはこの段階において完全に消えてしまう。
「これは、使徒行伝の中で、使徒が種々の言葉を理解し始めたとき、彼らに聖霊が降臨したと書かれているのと同じことなのですか?」と誰かが聞いた。
このような質問がいつもGをいらだたせるのに、私は気づいていた。
G「わからない。その場に居合わせなかったのだから。」と彼は言った。
しかし別の折にある適切な質問に答えて、新しい予期せぬ説明がなされた。
ミーティングの最中に誰かが、現存する宗教の教えや儀式の中に何か真実なもの、何らかの目的に導くものがあるかどうかをたずねた。
G:イエスでもありノーでもある。我々がここに座って宗教について話しており、その会話を女中のマーシャが聞くと想像してみよう。彼女はもちろん彼女なりにそれを理解し、理解したことを門番のイワンに伝える。イワンもまたそれを彼なりに理解し、理解したものを隣りの御者ピョートルに伝える。ピョートルは田舎に行き、そこで、都会で紳士方が話していることを話すとしよう。彼の言うことが、我々の話したことと少しでも似ていると思うかね? これこそまさに現存の宗教とそれらの基盤となっているものとの関係だ。君たちは教えや伝統や祈りや儀式を、5人どころではなく25人もの手を経た末に受けとり、そしてもちろん、そのほとんどすべては元の形を認知できないまでに歪められ、本質的なものはすべて遠い昔に忘れ去られてしまっているのだ。
例えば、キリスト教のあらゆる宗派で、キリストの最後の晩餐や、彼の弟子たちの伝説が大きな役割を果たしている。礼拝式や一連の教義や儀式、秘蹟などはこれに基づいている。そしてこれが教会の分裂や分離、宗派の形成などの基になっているのだ。どれほど多くの人がこれに関するあれこれの解釈を受けいれないために死んだことだろう。しかし実を言えば、その実体を正確に理解している人、その夜キリストと彼の弟子たちによって何が為されたのかを理解している人は一人もいない。おおむね真理に近い、といった説明さえない。というのは、まず
第一に福音書に書かれていることは、筆写され翻訳される間に非常に歪められ、また第二に、それは知っている人々のために書かれたものだからだ。知らない人にはそれは何一つ説明してくれない。それどころか、理解しようと努めれば努めるだけより深く彼らは誤りに陥ってしまうのだ
最後の晩餐で起こったことを理解するためには、何よりもまずある法則を知らなければならない。
私が〈アストラル体〉について言ったことを覚えているだろうか? それをもう一度簡単に考えてみよう。〈アストラル体〉をもっている人々は、通常の物理的手段に頼らなくても、離れたところで互いに意思疎通ができる。しかし、そのような意思疎通を可能にするためには、彼らの間にある関係が樹立されていなければならない。このために人々は時々、未知の場所や外国へ行くとき、相手のもちもの、とりわけその人が身につけていて彼から放射されるものがしみわたっているものをもっていくのだ。同様に、死者との関係を保つために、友人はよく遺品をとっておく。これらのものは、いわば痕跡をその後に残すのだ。それは何か空間の中でひき伸ばされたまま残った、見えない針金か糸のようなものだ。これらの糸がその物体を、それをもっていた人(生きている場合も死んでいる場合もあるが)に結びつけるのだ。人間はこのことを太古の昔から知っていたし、またこの知識を様々に利用してもきた。
この痕跡は多くの民族の習慣の中に見られるだろう。例えば君たちも知っているように、いくつかの国が血の盟友関係という慣習をもっている。2人あるいは数人の人間が彼らの血を1つのカップで混ぜて飲む。その後彼らは血で結ばれた兄弟とみなされる。しかし、この慣習の起源はずっと深いところにある。
その起源においては、それは〈アストラル体〉間の関係を樹立する魔術的な儀式だったのだ。血は特殊な性質をもっている。ある民族、例えばユダヤ人は、血に魔術的な性質をもつ特殊な重要性があると考えていた。もうわかったと思うが、もし〈アストラル体〉間の関係が確立されれば、いくつかの国々で信じられていることに再び従えば、それは死によっては破壊されないのだ。
キリストは自分が死ななければならぬことを知っていた。前もってそのように決定されていたのだ。彼も彼の弟子たちもそれを知っていた。そして一人一人が自分はどの役を演じなければならないかを知っていたのだ。しかし同時に、弟子たちはキリストとの永遠の絆を確立したかった。そしてそのために、キリストは自分の血と肉を彼らに与えたのだ。それはパンやワインでは全くなく、本当の肉であり本当の血だったのだ。
最後の晩餐は、〈血の盟友関係〉と同様の〈アストラル体〉間の関係を樹立するための魔術的な儀式だったのだ。しかし、現存する宗教の中でこのことを知っている者が、あるいはそれが何を意味するかわかっている者がいるだろうか? これらすべては長い間忘れ去られ、すべてに全く違った意味が与えられてきた。言葉は残っているが、その意味は長い間失われているのだ。

この講義、特にその最後の部分は我々のグループに大きな議論を引き起こした。多くの者はGがキリストや最後の晩餐について語ったことで不快になり、また別の者は反対にそこに、自分たちの力では到達できなかった真理を感じたのである。

15
次の講義は、出席者の次のような質問で始まった。Gの教えの目的は何なのか
G:私が独自の目的をもっているのは確かだ。しかし、それについて私が沈黙を守るのを許してほしい。現時点では、私の目的は君たちには何の意味も持たない。なぜなら、君たちが自分自身の目的を明確にすることこそ、重要だからだ。教えそのものは、いかなる特定の目的をも追求することはできない。それは人々に、彼らの目的に到達する最良の道を示すことができるだけだ。目的についての問題は非常に重要だ。自分の目的を明確にするまでは、人は何かを〈し〉始めることさえできない。目的をもたずに何かを〈為す〉ことがどうして可能だろう? 〈為すこと〉は何より先に目的を必要条件とするのだ。
「しかし、存在の目的という問題は、哲学的な問題の中でも最も難しいものの1つではないでしょうか?」と出席者の一人が言った。「あなたは我々にこの問題を解くことから始めろと要求しているわけです。しかし、おそらく我々は、この問題の答えを捜すためにここにきたのです。それなのに、あなたは我々がそれを前もって知っていることを期待しています。それを知っているぐらいの人間なら、実際あらゆることを知っているはずです。」
G:君は私を誤解している。私は存在の目的の哲学的重要性について話したのではない。人間はそれを知ってはいないし、また彼が今のままである限り知ることはできない。というのは、第一に存在の目的は1つではなく、沢山あるからだ。それどころか、普通の方法でこの問題に答えようとすることなど、全く絶望的で無駄なことだ。私は全然違うことを尋ねているのだ。つまり、君たちの個人的な目的を、君たちが何を得たいのかを聞いたのであって、君たちの存在理由を聞いたのではない。すべての人が自分自身の目的をもたねばならない。例えばある人の目的は金持ちになりたいというものであろうし、別の人は健康になりたい、三番目の人は天国が欲しい、四番目の人は将軍になりたい等々という具合だ。私が聞いているのはこの種の目的だ。もし君たちが私に自分の目的を言えば、私は我々が同じ道を進んでいるかどうかを言うこともできるだろう。
ここにくる前に、君たちは自分の目的をどのような形でまとめていたか、考えてみなさい。

P「私は数年前、きわめてはっきりと自分の目的を定式化しました。」と私は言った。「それは、未来が知りたいというものです。この問題の論理的な研究を通して、私は未来は知りうるという結論に達し、何度かは正確な未来を知る実験に成功さえしました。このことから私は、我々は未来を知るべきだし、また知る権利をもっており、それを知るまでは、我々は自己の生を組織立てることはできないだろうと、結論づけました。私にとっては、多くのことがこの問題に関連していました。例えば人間は、正確にどれだけの時間が自分に残っているか、どれだけ自由にできる時間をもっているかを知ることができる。言いかえれば、自分の死の日時を知ることができ、また知る権利があると考えました。私はいつも、人間がこれを知らずに生きるのは屈辱的なことだと思い、あるとき私はこれを知るまでは、いかなる意味においても、何事もし始めまいと決心したのです。なぜなら、それを成し遂げる時間があるかないかも知らないで仕事を始めても、意味がないからです。」
G:けっこうだ。未来を知るのは第一の目的だ。他に自分の目的を明確に述べられる人はいないかね?
「私は自分が肉体の死後も存在し続けるということを、確信したいのです。また、もしそれが私次第であるとすれば、私は死後も生き残れるよう努力したいのです。」と仲間の一人が言った。
「もし私が今の私のままであれば、」と別の者が言った。「自分が未来を知っているとかいないとか、あるいは死後の生を確信しているかいないか、などということは気になりません。私が最も強く感じていることは、私が自己の主人でないということであり、私の目的を定式化して言うならば、私は自己の主人になりたいということになるでしょう。」
「私はキリストの教えを理解し、そして語の真の意味でのクリスチャンになりたいのです。」と次の者が言った。
「私は人々を助けることができるようになりたい。」と別の一人が言った。
「私はいかにしたら戦争を止められるか知りたい。」とまた別の者は言った。
G:それくらいで十分だろう。今や我々は解決すべき材料を十分もっている。もちだされたものを最もうまく公式化すれば、自己自身の主人になりたい、ということになるだろう。これなくしては他のいかなることも不可能であり、また価値ももたない。ともかく最初の質問、最初の目的から始めてみよう。
未来を知るためには、まず、現在と過去を詳細に知ることが必要だ。今日は、昨日がそのようであったからこそ、このようにあるのだ。もし今日が昨日のようであるとすれば、明日も今日と同じだろう。もし君たちが明日を違ったものにしたければ、まず今日を違ったものにしなくてはならない。もし今日が単に昨日の結果であるのなら、明日も全く同様に今日の結果となるだろう。だから、もし昨日、一昨日、一週間前、一年前、十年前に何が起こったかを完全に調べれば、彼は明日何が起こり、何が起こらないかを間違いなく言うことができる。しかし現時点では、この問題を真剣に扱えるほど十分な材料をもっていない。
我々に起こること、あるいは起こるであろうことは3つの原因によっている。すなわち、偶然、運命、我々自身の意志だ。ちょうど現在の我々のように、人間はほとんど完全に偶然に依存している。我々は意志をもつことができないのと同様、語の真の意味における運命をもつこともできない。もし我々が意志をもっているとすれば、それを通してのみ未来を知ることができるのだ。もしそうであれば、我々は自らの未来を望み通りにすることができるからだ。もし我々が運命をもっているとすれば、同様に未来を知ることができる。なぜかというと、運命はタイプに関連しているからだ。もしタイプを知っていれば、その運命、つまり過去と未来は知ることができる。しかし偶然は予見できない。人は今日はある人だが、翌日は別人だ。今日あることが彼に起こり、明日はまた別なことが起こるのだ。
「でもあなたは、我々一人一人に何が起こるか予見することはできないのですか?」と誰かが聞いた。「つまり、我々一人一人が自己修練においていかなる結果に到達するか、またその人が修練を始める価値があるかどうかを予見することはできないのですか?」
G:それは不可能だ。人間についてしか、未来を予見することはできない。狂った機械の未来を予見するのは不可能だ。それは一瞬一瞬方向を変えるからだ。この種の機械は、ある瞬間にはある方向に進んでいて、どこに着くか予測することもできる。しかし、5分後にはもう全く別の方向に進んでおり、すべての予測は誤りということになるのだ。したがって未来を知ることについて話す前に、誰の未来を扱おうとしているかを知る必要がある。もし自分の未来を知りたいのなら、何より先に自分自身を知らなければならない。そうすれば、未来を知ることに価値があるかどうかがわかるだろう。時には知らない方がいい場合もあるからね。
これは逆説的に聞こえるだろうが、我々には自分の未来を知っていると言う権利がある。それは我々の過去と全く同じものになるだろう。何一つひとりでに変わることはできないのだ。
また、未来を研究するための実践としては、本当に未来を知ったという瞬間と、知ったことに従って行動する瞬間を察知し、覚えておくことができるようにならなくてはならない。そうすれば、結果から判断して、我々は本当に未来を知っていると表明することもできるだろう。このことは、例えば商売などでは単純な形で起こる。優秀な商売人はみな未来を知っている。知らなければ商売は失敗するからだ。自己修練においても、人はよき実業家、よき商人でなくてはならない。そして、自分の主人となったときに初めて、未来を知ることは価値をもつのだ。
ここで来世についての問題、いかにしてそれをつくりだすか、またいかにして最終的な死を免れるか、いかにして死なないか、という問題がでてくる。
そのためには〈存在する〉ことが必要だ。もし1分ごとに変わったり、内部に外からの影響に抵抗できるものが何もないとしたら、それはその人の内には死に抵抗できるものが何もないということだ。しかし、もし彼が外からの影響から離れ、内部に独立して生きることのできる何かが現れるとすれば、この何かは死なないだろう。普通の状況では、我々は一瞬ごとに死んでいるのだ。外からの影響は変化し、我々もそれにつれて変化する。つまり我々の〈私〉の多くは死ぬのだ。もし自己の内部に外的状況の変化を受けない恒久的な〈私〉を発達させれば、それは肉体の死を超えて生き残ることができる。すべての秘密は、人はこの現世の生のために努力せずに来世のために努力することはできないという点にある。生のために働くということは、死、あるいはむしろ不死性のために働くということだ。だから、不死性のために働くこと(もしそう呼ぶなら)は、普通の仕事から切り離すことはできない。あるものを得る過程で、人は他のものも手に入れるからだ。人はただ、自分の生の利益のためにのみ存在しようと努めるかもしれない。それが不死に至る唯一の道なのだ。我々は来世についてはとりたてて話さない。またそれが存在するか否かも詮索しない。なぜなら、どこにおいても法則は同一だからだ。よく知っている自分の生を研究することで、また他の人々の生をその誕生から死まで研究することで、彼は生と死と不死とを司る法則すべてを研究しているのだ。もし彼が自分の生の主人になれば、彼は自分の死の主人にもなれるのだ。
もう1つの質問は、いかにしてクリスチャンになるか、だったね。
第一に、クリスチャンとは、クリスチャンと自称している者や、他人がクリスチャンと呼んでいる者のことではない、ということを理解すべきだ。クリスチャンとはキリストの教えに従って生きる者のことだ。現在の我々のようではクリスチャンにはなれない。クリスチャンであるためには、我々は〈為す〉ことができなくてはならぬ。ところが我々は為すことができない、我々にはすべてが〈起こる〉のだ。
キリストは「汝の敵を愛せよ」と言った。しかし、友人も愛せないのにどうして敵が愛せるのだろう? あるときは〈それが愛し〉、あるときは〈それが愛さない〉のだ。今の我々のようでは、クリスチャンになろうと本当に望むことすらできない。というのはまたしても、あるときは〈それが望み〉、あるときは〈それが望まない〉からだ。またある1つのことを長い間望み続けることもできない。というのは、突然人はクリスチャンなりたいという望みを忘れて、店で見かけたとても良質で高価なカーペットを思いだしたりするからだ。そして、そんな望みなどそっちのけで、どうしたらあのカーペットが買えるか?と思案しだす。むろんキリスト教のことなど全然忘れている。あるいは、いかに彼がすばらしいクリスチャンであるかを信じない者でもいれば、彼は喜んでそやつを生きたまま食うか、灼熱した石炭の上で焼くかするだろう。善いクリスチャンであろうとすれば、まず存在しなければならない。「存在する」とは自己の主人であるということだ。自己の主人でない者は何一つもっていないし、またもつこともできない。そして彼はクリスチャンにはなれない。彼は単なる機械、自動人形だ。機械はクリスチャンにはなれない。考えてもみなさい。自動車とかタイプライター、蓄音機といったものがクリスチャンになれるかね? それらは偶然に支配されている単なる機械だ。そういったものは責任を果たすことはできない。それらは機械だ。クリスチャンであるということは責任を果たすことができるということだ。責任を果たす能力は、人が部分的にでも機械であることをやめて、口だけではなく、心からクリスチャンになりたいと願い始めるときに初めて出てくるのだ。
「あなたが説いている教えと、キリスト教とはどういう関係にあるのですか?」と誰かが聞いた。
G:私は、君がキリスト教〔とGはこの語を強調しながら言った〕について何を知っているのか知らない。君がこの語で何を理解しているかをはっきりさせるには、長時間いろいろと話す必要があるだろう。しかしすでに知っている人のために、お望みならこう言おう。これは秘教的キリスト教なのだ。しかるべき順を追ってこの言葉の意味を話すつもりだ。今は質問についての話を続けよう。
出された欲求の中で最も正当なものは、自分自身の主人になるという欲求だ。なぜなら、これがなくては他のいかなることも不可能だからだ。この欲求に比べれば他の欲求はみな単なる子供じみた夢か、たとえ叶えられたにしても全く無駄な欲求にすぎない。
例えば、誰かが人々を助けたいと言うとしよう。
人々を助けるには、まず自分の面倒をみれるようにならなければならない。多くの人は、単なる怠惰から他者を助けるという考えや感情におぼれるのだ。彼らは自己修練をするには怠惰すぎる。それと同時に、自分は他人を助けることができると考えることは、彼らにはたまらない快感なのだ。これは自己に対する虚偽であり、不誠実でもある。もし自己をありのままに見れば、彼は他人を助けようなどとはそもそも考えないだろう。そんなことを考えるのは恥ずかしいとさえ思うだろう。人類への愛、利他主義、どれも非常にきれいな言葉だが、それらは自分の選択と決断で愛するか愛さないか、利他主義者であるか利己主義者であるかを決めることができるときにだけ意味をもつのだ。そのとき彼の選択は価値をもつ。しかし全然選択しないのなら、あるいは彼自身違うものになれないのであれば、または偶然に身を任せているのであれば、すなわち今日は利他主義者、明日は利己主義者、また明後日は利他主義者というふうにコロコロ変わるのなら、そのうちのどれであろうと全く価値はない。他人を助けるためにはまず利己主義者、意識的なエゴイストになれなければならない。意識的なエゴイストだけが他人を助けることができるのだ。今のままでは我々は何一つできない。人はエゴイストになろうと決心はするが、逆に自分の最後のシャツを与えてしまう。あるいは最後のシャツを与える決心をしたのに、今度は逆に相手の最後のシャツを剥ぎ取ってしまう。あるいは自分のシャツを誰かに与えようと決心はするが、実際には誰か他の人のシャツを奪って与えようとする。そして、もし他の人がシャツを譲ろうとしないものなら腹を立ててしまう。これこそ最も頻繁に起こることだ。
何にもまして、困難なことをするためには、まずやさしいことができるようにならなければならない。一番難しいことから始めるのは無理だ。
戦争についての質問もあったね。たしかどのようにして戦争を止めるのかと。
戦争を止めることはできない。戦争は人間がその中で生きている奴隷状態の結果なのだ。厳密に言えば、人間は戦争の責任をとる必要はない。戦争は宇宙的な力、惑星の影響によるものだ。しかも人間の中には、これらの影響に抵抗するものは何もないし、またそもそもありえない。というのも、人間は奴隷だからだ。もし彼らが人間であり、〈為す〉ことができるなら、彼らはこれらの影響に抵抗し、殺しあうのをやめることもできるだろう。
「しかし、これを認識した人々は必然的に何かをすることができるのではないでしょうか?」と、戦争について質問した男が言った。「もし十分な数の人が、戦争はあるべきではないという確たる結論に達すれば、彼らは他者に影響を与えることはできないでしょうか?」
G:戦争を嫌う人々は、ほとんど世界創造の当初からそうしようと努めてきた。それでも現在やっているような規模の戦争は一度もなかった。戦争は減らないどころか増えており、しかもそれは普通の手段では止めることはできない。世界平和とか平和会議などに関するすべての理論も、単に怠惰、欺瞞にすぎない。人間は自分自身について考えるのも働きかけるのも嫌で、いかにして他人に自分の望むことをやらせるかばかり考えている。もし、戦争をやめさせたいと思う人々が十分な数だけ本当に集まれば、彼らはまず、彼らに反対する人々に戦争をしかけることから始めるだろう。また彼らはまちがいなく、別の方法で戦争をやめさせたいと思っている人たちにも戦争をしかけるだろう。彼らはそういうふうに戦うだろう。人間は今あるようにあるのであって、別様であることはできない。戦争には我々の知らない多くの原因がある。ある原因は人間自身の内にあり、また他のものは外にある。人間の内にある原因から手をつけなくてはならない。環境の奴隷である限り、巨大な宇宙の力という外からの影響をいかにして免れることができよう。人間はまわりのすべてのものに操られているのだ。もしものごとから自由になれば、そのときこそ人間は惑星の影響から自由になることができるのだ
自由、解放、これが人間の目的でなくてはならない。自由になること、奴隷状態から解放されること、人間が自己の位置に少しでも気づけば、これこそが彼の獲得すべき目標になる。内面的にも外面的にも奴隷状態にとどまる限り、彼にはこれ以外に何もなく、また可能なものもない。さらに、
内面的に奴隷である間は、外面的にも奴隷状態から抜けだすことはできない。だから自由になるためには、人間は内的自由を獲得しなければならないのだ
人間の内的奴隷状態の第一の理由は、彼の無知、なかんずく、自分自身に対する無知だ。自分を知らずに、また自分の機械の働きと機能を理解せずには、人間は自由になることも自分を統御することもできず、常に奴隷あるいは彼に働きかける力の遊び道具にとどまるだろう。
これが、あらゆる古代の教えの中で、解放の道を歩み始めるにあたっての第一の要求が〈汝自身を知れ〉である理由だ。これからこの言葉について話してみよう。

次の講義はまさにその言葉、〈汝自身を知れ〉から始まった。
G:この言葉は普通ソクラテスのものとされているが、実際にはそれよりずっと古い多くの体系やスクールの基底に横たわっている。しかし、現代思想はこの原理の存在に気づいてはいるが、その意味と重要性は非常に漠然としかわかっていない。現代の普通の人間、いや哲学的あるいは科学的な関心をもっている者さえも、〈汝自身を知れ〉という原理が自分の機械、〈人間機械〉を知ることの必要性を説いていることに気づいてはいないのだ。機械はすべての人間において、多かれ少なかれ同様につくられている。だから何よりもまず、自分の有機体の構造、機能、法則を研究しなければならない。人間機械の中ではすべては緊密につながっており、相互に強く依存しあっているために、ある1つの機能だけをとりだして研究するのはもともと無理なのだ。一つを知るためには、すべてを知らなくてはならない。人間の内のすべてを知ることは可能だが、それには多くの時間と労力が必要であり、また何よりも正当な方法の適用と、それと同じく正しい指導が必要だ。
〈汝自身を知れ〉という原理は非常に豊かな内容をもっている。これは第一に、自己を知りたいと思う人はそれが何を意味しているのか、それは何と関連しており、何に必然的に依拠しているのかを理解することを要求する。
自己を知ることは非常に大きな、しかし非常に曖昧で遠い目標だ。現状における人間は、自己知から非常にかけ離れている。だから厳密に言えば、彼の目的は自己を知ることであると定義することさえできない。自己研究は彼の大きな目的でなくてはならない。自分を研究しなければならないということがわかれば、それで十分だ。正しい方法で自分自身を研究すること、自分自身を知り始めることが人間の目的でなくてはならない。
自己研究こそが自己知へと至るワーク、あるいは道なのだ。

16
Gと話していたあるとき、ほんの一瞬の間ではなく長期間にわたって、〈宇宙意識〉を獲得することを可能と考えているかどうかを尋ねてみた。私は〈宇宙意識〉という表現を、以前に拙著『ターシャム・オーガヌム』に書いたような、人間に可能なより高次の意識という意味で理解していたのである。

G:君が何を〈宇宙意識〉と呼んでいるのか知らないが、それは曖昧で不明瞭な言葉で、誰でも好きな意味で使うことができる。ほとんどの場合〈宇宙意識〉と呼ばれているものは単なる空想で、強烈になった感情センターの働きと結びついた連想的白昼夢だ。時にはそれは恍惚(こうこつ)に近いものになるが、夢のレベルにおける単なる主観的な感情的経験にすぎないことの方がもっと多い。しかしこれを別にしても、〈宇宙意識〉について話す前に、まず一般に意識とは何かを定義しなければならない。
君はどのように意識を定義するかね?
P「意識は定義しえないものだと考えられています。また実際、もしそれが内的な特質であるとしたらいかに定義づけることができましょう。普通の手段では、他人における意識の実在を証明するのは不可能です。我々は自分に内在する意識だけを知っているのです。」
G:そんなものは全部たわごとだ。よくある科学的詭弁というやつだ。もうそんなものは捨てるときだ。君の言ったことの中で一つだけ真実なものがある。それは、自分の内の意識だけを知ることができるという点だ。私が、知ることができると言ったことに注意しなさい。というのは、君はそれをもっているときだけそれを知ることができるからだ。またもっていないときには、自分はそれをもっていないことを知ることができる。といっても、その瞬間にではなく後になってからだが。私の言っているのは、意識が再び戻ってきたとき初めて、それが長い間不在だったことに気づき、それが消え去った瞬間と再び現れた瞬間を見つけるか、あるいは思いだすことができるということだ。あるいはまた、自分が意識の近くにいる瞬間と、それから離れている瞬間とを明らかにすることもできる。しかし自分の内部で意識の出現と消滅を観察すれば、君は必然的に、現時点では見もせず認識もしていない一つの事実を見ることになるだろう。その事実というのは、意識をもっている瞬間というものは非常に短く、またそれらの瞬間瞬間は、機械の完全に無意識的かつ機械的な働きの長いインターヴァルによって隔てられているということだ。そのとき君は、自分は意識しないで考え、感じ、行動し、話し、働くことができるということを納得するだろう。そしてもし自分の内に、意識的な瞬間と長い機械的な期間を見ることができるようになれば、君は間違いなく他人の内にも、彼らが自分のしていることを意識している時としていない時とを、見分けることができるようになるだろう。
君の最も大きな誤りは、自分は常に意識を持っていると考えていること、一般的に言えば、意識は常に存在しているか、決して存在しないかのどちらかだと考えていることだ。現実には、意識にはとどまることなく変化するという特性がある。あるときはそれは存在し、あるときは存在しない。また意識には様々な段階、様々なレベルがある。意識とその様々な段階との両方を、自己の内部で感覚や感じによってとらえなければならない。この場合、いかなる定義も助けにはならない。また何を定義しなければならぬかを理解しない限り、いかなる定義も不可能だ。科学と哲学は、意識を定義することはできない。それらは意識の存在しないところでそれを定義しようとしているからだ。意識意識の可能性から識別することが必要だ。我々は意識の可能性をもっているだけで、それがひらめくことはまれだ。だからこそ我々は意識とは何かを定義できないのだ。
意識について言われたことが、すぐにはっきりわかったとは言い難い。しかしその後の話し合いの1つが、これらの議論の土台になっている原理を説明してくれた。
あるミーティングの初めに、Gは質問を出し、出席者全員に順番に答えさせた。その質問は「自己観察の間に気づいた最も重要なものは何か?」というものであった。
出席者のうちの何人かは、自己観察をしようとしてとりわけ強く感じたものは、止めるのが不可能だと思われるほどの絶え間ない思考の流れであったと言った。他の者は、1つのセンターの働きを他のセンターのそれと区別することの難しさを述べた。私はといえば、明らかに質問を完全に理解できなかったか、さもなければ自分なりの考えをそのまま述べたかしたのだろう。というのも、「最も深い印象を受けたのは、〈有機体〉に見られるようなシステムにおける各部分の連結性、またはシステムの統合性、さらに、あれこれ知るという意味だけでなく、あることとそれ以外のすべてのこととの関連を知るという意味をも含む、知るという言葉の全く新たな意義です。」と答えたからである。
Gは明らかに、我々の返答に不満足な様子であった。私はすでにこんな態度をとる時の彼を理解し始めており、彼が、我々が見逃しているかあるいは理解しそこねている特定の何かを指摘するのを、我々に期待しているのを見てとった。

G:誰も私が指摘した最も重要なことに気づいていない。つまり誰一人、君たちは自分を想起していないということに気づいていないのだ〔彼はここの部分を特に強調した〕。君たちは自分を感じていない自分を意識していないのだ。君たちの中では、〈それが話し〉〈それが考え〉〈それが笑う〉のと同様、〈それが観察する〉のだ。君たちは、私が観察し、私が気づき、私が見るとは感じていない。すべてはいまだに〈気づかれ〉〈見られ〉ている。自己を本当に観察するためには、何よりもまず自己を想起しなければならない〔彼は再びこの語を強調した〕。自己を観察するとき自分を想起しようとしてみなさい。そして後で結果を私に話しなさい。それらの結果だけが、自己想起に付随する何らかの価値をもつのだ。そうしないと君たち自身は、観察の中に存在しないことになる。そんな観察がいくらあったってどれほどの価値があるだろう。
Gのこの話は私に多くのことを考えさせた。すぐに私には、それらは以前彼が意識について話したことへの鍵であると思われた。しかし、私はいかなる結論もひきだすまいと決心した。と同時に、自己を観察する間、自分自身を想起することに努めることも決心したのである。最初の試みでそれがどんなに難しいかわかった。実際の話、自己想起の試みからは、我々は決して自分自身を想起しないということ以外には、いかなる結果も得られなかった。Gは言った。
G:他に何を望んでいるのだね。これは非常に重要な認識だ。これを知っている人は〔彼はこの言葉を強調した〕、すでに多くのことを知っているのだ。問題は誰もこれを知らないということだ。
もし誰かに自分自身を想起することができるかどうか聞いてみれば、もちろん彼はできると答えるだろう。もし君が彼に、あなたは自分を想起することはできないと言えば、彼は怒るかそれとも君を全くの馬鹿だと思うだろう。人生全体、人間存在全体、人間の盲目性全体はこれに基づいているのだ。人が、自分は自分を想起することができないということを本当に知れば、彼はそれだけで彼の存在の理解に近づいているのだ。
Gの言ったこと、私自身が考えたこと、また特に自己想起の試みが私に示したことすべてから、私は自分が、これまで科学も哲学も出合ったことのない全く新しい問題に直面しているのだということを、まもなく納得したのである。
しかし推論する前に、私自身の自己想起の試みを述べてみようと思う。
自分自身を想起すること、あるいは自分を意識していること、自分に私は歩いている、私はしているといい聞かせること、そしてとぎれることなくこのを感じ続けること、こういった試みは思考を停止させるというのが私の最初の印象である。私が私を感じていたとき、私は考えることも話すこともできず、感覚さえ鈍くなった。それにまたこの方法では、ほんのわずかな間しか自分を想起することはできなかった。
私は以前、ヨーガ訓練の本に述べられている思考停止の実験をしたことがあった。また、例えばエドワード・カーペンターの『アダム峰からエレファンタへ』という本の中にそのような記述がある。もっともそれは非常に一般的なものではあるが。それで私の自己想起の最初の試みはこの以前の実験をはっきりと思いださせた。
実際それは一つの違いを除いては、ほとんど同じものであった。その違いというのは、〈思考を停止させる時の注意は、思考を寄せつけない努力に完全に向けられている〉のに対し、〈自己想起においての注意は、分割され、その一部は同じ努力に向けられ、他の部分は自己を感じることに向けられる〉ということである。
この最後の認識で私は、非常に不完全なものかもしれないが、ともかく一つの〈自己想起〉の定義をもつことができた。不完全とはいえそれは実践において非常に有益であることがわかった。
私は、自己想起の特徴的な点である注意の分割ということを話しているのである。
私は自分にそれを次のような方法で説明した。
何かを観察するとき、私の注意は観察するものに向けられる。これは片方だけに矢印が向いている線で示される。

私が同時に自己を想起しようとすると、私の注意は観察されているものと私自身の両方に向けられる。第二の矢印が線に現れる。

このことを明確にしたとき、私は、問題は〈何か他のものに向ける注意を弱めたり消したりしないままで、自分自身に注意を向けることにある〉ということに気づいた。さらにこの〈何か他のもの〉は私の外部にあると同様、私の内部にもありうるのであった。
注意のそのような分割の最初の試みが、私にその可能性を示してくれた。同時に私は2つのことにはっきり気づいた。
第一に、このような方法がもたらす自己想起は、〈自己を感じること〉や〈自己分析〉とは何の共通点もないことがわかった。それは奇妙に親しい趣のある新しくて非常に興味のある状態だった。
第二に、自己想起の瞬間は、稀にではあるが生活の中でたしかに起こることに気づいた。このような瞬間を慎重に生みだすことによってのみ、新しさの感覚を生むことができるのである。実際私は小さな子供のときからそういった瞬間には慣れ親しんでいた。それらは、例えば旅行中に新しい予期せぬ環境、新しい場所で新しい人々の中にいる時。例えば、ある人が突然自分のまわりを慎重に見まわして考え、そして何と不思議な! 私がこんな場所にいるとは! と言ったりするときにやってくるか、またはあらゆる感情的な瞬間、危機の瞬間、頭を保護しなければならない時とか、自分自身の声を聞き、外側から自分自身を見、観察するような瞬間にやってくるのである。
私は、自分の人生の一番古い記憶(私の場合には非常に幼少時のものであった)は自己想起の瞬間であったことがはっきりわかった。このことに気づくと、他の多くのことがはっきりしてきた。つまり私は、
自分を想起した過去の瞬間だけを本当に覚えているということがわかったのである。他のものについては、それらが起こったということだけしか知らない。私にはそれらを完全によみがえらせ、再びそれらを経験することはできない。しかし自己を想起した瞬間は生きており、またいかなる意味でも現在と違ってはいなかった。私はまだ結論に至ることを恐れていた。しかし、すでに自分がおそろしく大きな発見の敷居の上に立っていることに気づいていた。
私はいつも、我々人間の記憶の弱さと不十分さに驚いてきた。非常に多くのものが消えてしまう。ある理由で私には、人生の主要な不合理はここに原因があるとさえ思われた。どうせ忘れてしまうのに、どうしてそんなに多くのことを経験するのだろうか? しかもこの忘却という現象の中には劣等感を覚えさせる何かがあった。ある人が彼には非常に大切に思える何かを感じ、自分は決してそれを忘れないだろうと思う。そして1、2年が経つと、何も残ってはいないのだ。今や私には、なぜこれがそうなり、他のようにはなりえないかがはっきりしてきた。もし我々の記憶が自己想起の瞬間だけを本当に生き続けさせるのなら、我々の記憶がなぜそんなに貧弱なのかは、はっきりしている。
これらはすべて最初の頃の認識であった。後になって注意を分割することができるようになったとき、自己想起は自然な形で、つまりおのずから、非常に稀な例外的な状況でしか現れないようなすばらしい感覚を生みだすことがわかった。だから例えば、私は当時の夜、ペテルスブルグを歩きまわり、家々や道を〈感じる〉のが大好きだった。ペテルスブルグはこのような不思議な感覚に満ちていた。家々、特に古い家々はまるで生きているかのようで、私はあやうくそれらに話しかけるところだった。そこには〈空想〉は全くなかった。私は何も考えず、ただ自分自身を想起しようと努め、あちこち眺めながら歩いただけで、感覚は向こうからやってきたのだった。後ほど私は同様の方法で多くの予期せぬ事柄を発見することになった。しかしそれは後で話そう。
時には自己想起は成功しなかった。また時には、それは興味ある観察を伴っていた。
あるとき私はリチェイニー通りを、ネフスキー通りに向かって歩いていた。そしてあらゆる努力にもかかわらず、注意を自己想起に向けることができないでいた。あたりの騒音とかいろんなものの動き、そういったものすべてが私の注意をそらし、1分ごとに注意の糸を失い、また取り戻したかと思うと、また失うという有り様だった。ついに私は一種のばかばかしいほどの苛立ちを覚え、少なくともいくばくかの間、ともかく次の通りに着くまでは、自己を想起することに注意を集中しようと固く決意して道を左に折れた。そして、おそらくほんのわずかの瞬間を除いて注意の糸を失うことなく、ナジェージュジンスカヤ通りに着いた。静かな通りでは思考の筋道を失わずにいることはより容易であることを知り、だからもっと騒がしい通りで自分を試してみたいと思って、再びネフスキー通りの方へ曲がった。私は自己を想起したままでネフスキー通りに着いたが、このときすでに、この種の大きな努力の後にやってくる内的な平和と自信という不思議な感情状態を経験し始めていた。ネフスキー通りの角を曲がったところに私のタバコをつくってくれるタバコ屋があったので、自分を想起したまま、そこに行ってタバコをいくつか注文しようと思った。
2時間後に私はタグリチェスカヤ通りで目を覚ました。それは、先ほどのタバコ屋から非常に離れたところであった。私はイズグォースチク(帝政ロシア時代の馬車)で印刷業者のところへ向かっているところだったのだが、目が覚めたという感覚は異常なまでに真に迫ったものだった。意識を取り戻したと言ってもいいくらいであった。私は一瞬にしてすべてを思いだした。どのようにナジェージュジンスカヤ通りを歩いていたか、どのように自己を想起し、どのようにタバコのことを考えたか、またそれを考えた途端に、どのように一瞬にして転落し、深い眠りに陥ってしまったかを。
同時に、この深い眠りに沈んでいたときでも、私は一貫した能率よい行動をとり続けていたのである。私はタバコ屋を出て、リチェイニー通りの自分のアパートに立ち寄り、印刷屋に電話し、手紙を2通書いた。そして再び外出した。オフィツェールスカヤヘ行くつもりで、ゴスチヌイ・ドヴォールヘ向かってネフスキー通りの左側を歩いていた。それから遅くなってきたので予定を変えた。私はイズヴォースチクに乗り、カヴァレルガルツカヤの印刷屋へ向かった。その途中、タヴリチェスカヤ通りを走っていたとき、私は何かを忘れていたような奇妙な不安を感じ始めた。そして突然私は、自己を想起するのを忘れているのを思いだしたのである

私は自分の観察と推論をグループの人たちや、様々な文学仲間その他に話した。
私は彼らに、これはシステム全体や、またあらゆる自己修練の中でも最も重要な部分を占めるものであると言った。また、今では自己修練は、心理学が正確かつ実践的な科学になったおかげで、単なる空虚な言葉ではなく、非常に重要で現実的なものになったとも言った。
私は、ヨーロッパや西洋の心理学は一般的に、おそろしく重要な事実、つまり我々は自分自身を想起しないということを、また我々は比喩ではなく絶対的な真実として、深い眠りの中で生き、行動し、判断しているという事実を見過ごしていると言った。それと同時に、もし十分な努力さえすれば、我々は自己を想起でき覚醒できると言ったのである。
私は、我々のグループに属している人たちの理解と属していない人たちの理解の違いに衝撃を受けた。グループに属している人たちは、みながみな同時にではないにせよ、我々が〈奇蹟〉と接触をもちはじめたのだということ、そして、それは何か〈新しい〉もの、以前にはどこにも存在していなかった何かだということを理解していた。他の人たちにはこのことがわからなかった。彼らはそれをあまりに軽く受けとりすぎ、時としてはそのような理論は以前にも存在していたと論証し始める者さえいたのである。
A・L・ヴォリンスキー。彼とは1909年以来しばしば会い、非常によく話してきたし、彼の意見を非常に尊重してもいたのだが、彼は、〈自己想起〉という考えの中に、以前には知らなかった物を何一つ見いださなかった。
「これは統覚作用だよ。」と彼は私に言った。「ヴントの『論理学』を読んだことがあるかい? それに彼の統覚作用に関する最も新しい定義が書いてあるよ。それは君が話しているのと全く同じだ。〈単純な観察〉は知覚だ。〈自己想起を伴った観察〉と君が呼んでいるものは統覚作用だ。もちろんヴントはそれを知っていたよ。」
私はヴォリンスキーとは議論したくなかった。私はヴントを読んでいた。そしてもちろんヴントが書いていたことは、私がヴォリンスキーに言ったこととは全然違っていた。ヴントはこの考えに近づいてはいた。他の者たちもこの考えに同じくらい近づいていたのに、後になると違う方向へ行ってしまった。ヴントは知覚の異なった形式に関する、自分の思想の背後に隠れている考えの重大さに気づかなかったのだ。そしてその重大さを理解しなかったために、彼は、意識の不在という考え、またこの意識を意志的につくりだす可能性という考えが、我々の思考の中で占めるべき中心的位置であることを理解できなかったのだ。ただ、私がそれを指摘したときでさえ、ヴォリンスキーがこれに気づかなかったのには不思議な気がした。
この後私は、いわゆるとても頭のいい人々には、この考えは不透明なヴェールで隠されていることを納得し、そしてもっと後になってその理由がわかったのである。
次にGがモスクワからきたとき、彼は我々が自己想起の実験とその実験についての討論に熱中しているのを見た。しかし、最初の講義のときには彼は別のことを話した。

G:正しい知識においては、人間の研究は宇宙の研究と並行して進まねばならず、宇宙の研究は人間の研究と並行して進まねばならない。法則はあらゆるところで、宇宙においても人間においても同じだ。ある一つの法則の原理を習得したならば、その現れを宇宙と人の中に同時に捜さなければならない。さらにある法則は宇宙でより容易に観察され、また他のものは人間の中での方がたやすく観察される。だから、ある場合には宇宙から始めて人間に移る方がよく、また場合によっては人間から始めて宇宙に移る方がいいのだ。
この宇宙と人間との並行した研究は、研究する者にすべてのものの基本的な調和を示し、また異なった段階の現象の中の類似性を見つけるのを助けてくれる。宇宙、人間両方の中でのすべての進行を統治している基本的な法則の数はわずかなものだ。2、3の基本的な力の様々な組合せが、現象のあらゆる見かけの多様性をつくりだしているのだ。
宇宙の構造を理解するためには、複雑な現象をこれらの基本的な力に分解する必要がある。
宇宙の第一の基本的な法則は3つの力、あるいは三原理の法則、あるいはよく呼ばれるように、三の法則というものである。この法則によれば、あらゆる宇宙のすべての行動、すべての現象は例外なく3つのカ、能動的、受動的、中和的力の同時的な働きの結果である。これについてはすでに話したし、またこれから先も新しい研究の進み具合で話すつもりだ。
宇宙の次の基本的な法則は七の法則、あるいはオクターブの法則である。
この法則の意味を理解するためには、宇宙を振動から成っているものと見ることが必要だ。これらの振動は、最もきめ細かなものから最も粗いものに至るまで、宇宙を構成している物質のあらゆる種や相や密度に及んでいる。それらは種々の源泉から発し、互いに交差したり、衝突したり、強めあったり弱めあったり、妨害したりしながらいろいろな方向に進む。
この点について、西洋で受けいれられている普通の見方によれば、振動は連続的だ。これはすなわち、振動は普通、振動を生みだし、その振動の通過する媒体抵抗に負けずに元の推進力が働き続ける限り、上昇あるいは下降しながら妨げられずに進むと考えられているということだ。その推進力が使い果たされ、媒体抵抗が優勢になると、振動は自然に消えて止まってしまう。しかしこの点に達するまでは、つまり自然に弱まりはじめるまでは、振動は均等に漸進的に進展し、抵抗がないときには無限にさえなる。だから我々の物理学の基本的な定理の1つは振動の連続性だと言える。とはいえ、これは反対されたことがないために一度も正確に定式化されたことがない。最新の理論のあるものの中では、この定理はゆさぶられはじめている。いずれにせよ物理学は、現実の世界における振動、あるいは我々の振動の概念に相当するものの性質に関する正しい見解からはいまだに非常にかけ離れている。
このことに関しては、古代の知識の見解は現代科学のそれとは反対である。というのは、古代の知識は振動の理解の基礎に振動の非連続性の原理をすえているからだ。
振動の非連続性の原理とは、上方に向かうものであろうと下方に向かうものであろうと、均等にではなく周期的な加速と減速を伴って進展するという自然界のあらゆる振動の明確かつ必然的な特質を意味している。この原理は以下のように言えばより正確に定式化できる。つまり、振動の元の推進力は、均等にではなく、いわば交互に強くなったり弱くなったりする。推進力はその性質を変えることなく働き、振動は推進力、及び媒体や条件その他の性質によって定められた一定の期間だけ規則的に進展する。しかしある瞬間、一種の変化がその中で起こり、振動は、言うなれば、その規則に従うことをやめてしばらくの間ゆっくりと進み、ある程度その性質と方向を変える。例えば、上方へ向かう振動はゆっくりと上方に向かいはじめ、下方に向かう振動はゆっくりと下方に向かいはじめる。この一時的な減速の後、上昇においても下降においても、振動は再び以前の回路に入り、その進展が再び突然止まるときまでの一定の期間、均等に上昇あるいは下降する。これに関しては、運動量は一定でも運動の期間は均等ではなく、また振動の減速の瞬間も一様ではない、ということは注目に価する。ある期間は短く、ある期間は長いのだ。
減速の瞬間、というよりむしろ、振動の上昇と下降の急止の瞬間を測定するために、振動の進展の進路を、一定の時間内に、振動数の倍加あるいは半減に応じた期間に分割してみよう。

増加している振動の進路を想定し、それらが一秒間千回の割で振動している瞬間をとりあげてみる。一定時間の後、振動数は倍加、つまり二千に達する。(図7)
振動のこのインターヴァルの間、つまりある振動数とその二倍の振動数との間には、増加中の振動の中で減速が起こる場所が2箇所あるということが発見され、確認されている。その1つは起点の近くだが起点そのものではない。もう1つはほとんど終わり近くだ。
おおまかに描けば次のようになる。(図8)
減速や振動の最初の方向からの偏向を司る法則は、古代の科学には知られていたのだ。この法則は今日まで保存されている特定の定式や図式の中に正しく織りこまれてきた。この定式の中では、振動が倍加される期間は振動中の増加率に比例した8つの不均等な段階に分割されている。八番目の段階は、振動数が二倍になって第一の段階を繰り返す。この振動の倍加の期間、あるいは一定の振動数とその二倍の振動数との間の振動の増加の進路は、オクターヴつまり8から成るものと呼ばれている。
その中で振動が倍加される期間を8つの不均等な部分に分割する原理は、オクターブ全体の中での振動の不均等な増加を観察することに基礎を置いている。そしてオクターブの別々の〈段階〉は、振動の増加の様々な瞬間における加速と減速を示している。
オクターヴの考えは、この定式を装って師から弟子へ、またあるスクールから別のスクールへと手渡されてきた。ずっと以前に、そういったスクールの一つがこの定式を音楽に適用できるのを発見した。このようにして、遠い古代に知られており、そして一度忘れられ、それから再び発見あるいは〈見いだされた〉七音程の音階が手に入ったのだ。
〈七音階〉は、古代のスクールで見つけられ、音楽に適用された宇宙法則の定式なのだ。しかし同時に、別種の振動の中でオクターブの法則がどのように現れているかを研究してみれば、この法則はあらゆるところで同一であり、また光、熱、化学的、磁気的、その他の振動は音の振動のようにその同一の法則に従っていることがわかるだろう。例えば、光の等級は物理学で知られているし、化学では、元素の周期律は疑いもなくオクターブの原理と緊密に関連している。もっとも、その関連はまだ科学では完全に明暸にはなっていないが。

17
G:有機生命体はいわば地球の知覚器官である。それは地球全体をおおい、惑星圏からくる影響をとりいれる敏感な感光紙のようなものを形成している。そしてこの感光紙がなければ、この影響はおそらく地球に達することはできない。この点では、植物も動物も人間も地球にとっては等しく重要である。草でおおわれている野原はある種の惑星の影響をとりいれ、それを地球へ伝達する。人が群がっている地面は他の影響をとりいれて伝達する。ヨーロッパの住民はある種の惑星の影響を受けとって地球に伝達し、アフリカの住民は別種の影響を受けとり、そして他の地域も同様である。
集団としての人類が存続する間のすべての偉大な
(大きな?)出来事は、惑星の影響が原因なのだ。それらはすべて惑星の影響を取り入れたことの結果である。人間社会は惑星の影響の受信に関しては高度に敏感な集団だ。惑星圏のほんの小さな偶然の緊張が、人間の活動の様々な領域で活気が増すという形で何年にもわたって反映されるということもありうる。偶発的でごく瞬間的な何かが惑星空間で起こるとする。するとこれはすぐに人間集団に受信され、人々は、同胞愛とか、平等、愛、正義などの理論で自己の行為を正当化しつつ、互いに憎みはじめ、殺し合いを始めるのだ。
有機生命体は地球の知覚器官であり、また同時に放射器官でもある。有機生命体の助けを借りて、一定の地域を占める地表の各部分は一瞬ごとに、太陽、惑星、月の方向に向けてある種の光線を放っている。
これに関連して、太陽はある種の放射線を必要としており、惑星も月もそれぞれ特殊な放射線を必要としている。
地上に起こるあらゆることが、この種の放射線を生みだしている。そして、多くのことがほとんどの場合ただ起こるのは、まさにある特定の放射線が地表のある特定の個所に要求されるためなのだ。
こう話しながら、Gはとりわけ時間の不一致に、つまり惑星界の出来事の期間と人間の生活におけるそれとの不一致に注意を促した。この点に関する彼の主張の重要性は、後になって初めて私には明瞭になった。
同時に彼は、有機生命体の薄い感光紙に何が起ころうとそれは常に地球、太陽、惑星、月の利益に奉仕するのだという事実、しかもその感光紙はある確かな目的のために生みだされ、また単に従属的なものであるがゆえに、そこでは不必要なもの、独立したものは何一つ起こりえないという事実を絶えず強調したのである。


18

その後のミーティングでGは意識の問題に話を戻した。
G:人間の精神的機能、及び肉体的機能は相異なる意識状態のもとで働くことができるという事実を把握しないと、そのどちらの機能も理解することはできない。
人間には全部で4つの意識状態がある〔彼は〈人間〉という言葉を強調した〕。しかし、
普通の人間、つまり人間第一番、第二番、第三番は最も低い2つの意識状態の中でだけ生きている。2つの高次の意識状態は彼には近づきがたく、たとえその状態を垣間見たとしても理解できず、普段の状態からそれを判断してしまう。
2つの普通の意識、すなわち最も低い意識状態のうちの1つは眠りであり、言いかえれば、人間がその中で人生の三分の一、いや多くの場合その半分を費やす受動的な状態だ。そして第二は人間がその中で、眠り以外の時間を過ごす状態、すなわち道を歩いたり、本を書いたり、深遠な問題を論じたり、政治に参加したり、殺しあったりする、つまり彼らが行動的だと考え、〈明晰な意識〉とか〈覚醒した意識状態〉とか呼んでいる状態だ。しかし、〈明晰な意識〉とか〈覚醒した意識状態〉という言葉は冗談にすぎないのではなかろうか。実際、明晰な意識とは何であるべきか、また人間が現にその中で生き、行動している状態がいかなるものであるかを認識すれば特にそんな気がするだろう。
意識の第三の状態は自己想起、あるいは自己意識、もしくは自己の存在の意識である。普通我々はこの意識状態をすでにもっているか、それとも望めば得られると考えている。科学並びに哲学は、我々はこの意識状態を所有してはおらず、また欲求や決意だけでそれを自己の内部に生みだすことはできないということを見落としている。
意識の第四の状態は、客観的な意識状態と呼ばれている。この状態では、人間は事物をあるがままに見ることができる。意識のこの状態も人間の中でひらめくことがある。あらゆる国の宗教にこの種の意識状態の可能性が述べられており、〈悟り〉とかその他いろいろな名称で呼ばれているが、いずれにせよ言葉で表すことはできない。客観意識への唯一の正しい道は、自己意識の開発を経るものである。もし普通の人間が人為的に客観意識の状態に置かれ、後で普通の状態に連れ戻されたとしても、何も覚えてはおらず、自分はしばらくの間意識を失っていたのだと思うだろう。しかし、自己意識の状態では、人間は客観意識の状態のひらめきを得、しかもそれを思いだすことができるのだ。
人間の意識の第四の状態とは、他のものとは完全に違った存在の状態である。それは内的生長と長期間の困難な自己修練の結果なのだ。
しかし意識の第三の状態は、人間がそのあるがままの状態でもつ自然な権利であり、もしそれをもっていないとしたら、それはただ彼の生活の間違った状況のためなのだ。現時点では、意識の第三の状態は、非常に稀なひらめきという形でしか起こらず、そのため、それを彼の中で多少とも恒久的なものにするには特殊な訓練という手段によるほかはないと誇張なしに言うことができる。
ほとんどの人、いや、教養人や思索家にとってさえ、自己意識の獲得を妨げる主な障害は、自分はそれを所有していると思いこんでいること、自分は自己意識とそれに関連するあらゆるもの、恒久的で不変の〈私〉という意味での個体性、意志、為す能力、その他を所有していると思いこんでいることだ。もし君たちが誰かに、その人はすでにもっていると信じているものを、長く厳しい努力によって初めて得ることができると言ったところで、彼が興味を示さないだろうことは明らかだ。それどころか、彼は君が気違いか、それとも個人的な利害から彼をだまそうとしているのだとさえ思うだろう。
意識の2つの高次の状態、すなわち〈自己意識〉と〈客観意識〉は、人間の高次のセンターの機能と結びついている。
これまでに話したセンターに加えて、人間には他に2つのセンター、すなわち〈高次感情センター〉と〈高次思考センター〉がある。これらは我々の内部に存在し、十分に発達し常に働いているのだが、その仕事は我々の通常の意識に届くことができない。その理由は、我々のいわゆる〈明晰な意識〉の特殊な性質にある。
こういった様々の意識状態の違いがどんなものであるかを理解するために、眠りと呼ばれる意識の第一状態に戻ってみよう。これは完全に主観的な意識状態だ。人間は夢にひたりきっており、それを覚えているかどうかは問題ではない。もし何らかの現実の印象、音とか声、暖かさ、冷たさ、自分の身体の感覚などが入ってきたとしても、それらは単に幻想的、主観的イメージをもたらすだけだ。それから彼は目を覚ます。一見すると、これは全く違った意識状態に見える。彼は動いたり、他の人と話したり、先のことを予想したり、危険を見てそれを避けたりすることができる。彼が眠っているときよりよい位置にあるのは理の当然だ。しかし、もし我々がもう少し深くものごとの中に入っていけば、もし彼の内的世界を、思考や行動の動機を覗きこんで見れば、彼は眠っている時とほとんど同じ状態にいることがわかるだろう。それどころか、もっと始末が悪いのだ。というのは、眠っているときは受動的で、つまり何もできないのだが、起きている状態ではいつでも何かをすることができ、そしてすべての行為の結果が彼自身に、また、まわりの人々に悪影響を及ぼすからだ。しかも、それでも彼は自分自身を覚えていないのだ。彼は機械であり、彼に関するすべてのことは起こるのだ。彼は思考を止めることができず、想像力、感情、注意力をコントロールすることもできない。〈私は愛する〉〈私は愛さない〉〈私は好む〉〈私は好まない〉〈私は欲する〉〈私は欲しない〉という主観的な世界、つまり自分で自分は好むと思っている、自分は好まないと思っている、自分は欲すると思っている、自分は欲しないと思っている、そういう世界に住んでいるのだ。彼は真実の世界を見ていない。真実の世界は空想の壁によって隠されている。彼は眠りの中で生きているのだ。彼は眠っている。〈明晰な意識〉と呼ばれているものは眠りであり、しかも夜のベッドの中の眠りよりもずっと危険な眠りなのだ。
人類の歴史上のいくつかの出来事をとりあげてみよう。例えば戦争だ。現在戦争が進行している。それは何を意味しているのだろう? それは、何百万の眠っている人々が、他の何百万の眠っている人々を殺そうとしているということだ。もし彼らが目覚めていれば、もちろんこんなことはしないだろう。すべての出来事はこの眠りのせいなのだ
意識の2つの状態、すなわち眠りと覚醒状態は共に等しく主観的だ。自己想起を始めることによって初めて、人は真に目覚めるのだ。そのとき、森羅万象は異なった様相と意味とをもちはじめる。彼はそれが眠っている人々の生活であり、眠りの中の生活であることを知る。人々は言うこと為すことすべてを眠りの中で行うのだ。こんなことにはこれっぽっちの価値もない。現実の中では、覚醒と、覚醒に導くものだけが価値をもつのだ。
何度私はここで、戦争を止めることができるかどうかと聞かれたことだろう。もちろんできる。そのためには人々が目覚めることだけが必要なのだ。これはささいなことのように思えるだろう。が、実は為しうることの中で最も難しいものだ。というのも、この眠りは環境全体、まわりのあらゆる条件によって引き起こされ、維持されているからだ

いかにして目覚めることができるのか? いかにして人はこの眠りから逃れることができるのか? これらは、これまでに人間が直面した最も重要な、死活に関わる問題だ。しかしその前に眠りという事実そのものを認識する必要がある。しかしこれは、目覚めようと努力することによってしか認識することができない。自分は自己を想起していないこと、また自己を想起することはある程度目覚めることを意味するのだということを理解し、また同時に、自己を想起することがいかに困難かを経験によって了解するとき、人は単に欲求をもつだけでは目覚めることはできないのだということを悟るのだ。より正確には、人は一人では目覚めることはできないと言うことができる。しかしもし、例えば20人の人が、最初に目覚めた者が他の者を起こすというとり決めをしておけば、彼らはすでにいくらかの可能性を手にしているわけだ。しかしこれさえも、20人全員が同時に眠り、それでいて〈自分たちは目覚めているんだ〉という夢をみんなで見ることがありうるために、十分とはいえない。だからそれ以上のものが必要となる。すなわち、眠っていない者、彼らほどたやすく眠りに落ちこまない者、あるいは意識的に(そうすることができ、しかもそれが彼自身にもまわりの者にも害を及ぼさないときに)眠ることのできる者に世話をしてもらう必要があるのだ。彼らはそんな人間を見つけ、そして自らを目覚めさせ、再び眠りに落ちこまないために彼を雇わなければならない。これ以外の方法では目覚めることはできない。これこそ理解しなければならない点だ。
一千年の間考え続けることも、図書館を満たすほどの本を書くことも、百万の理論をあみだすことも可能だ。しかもこれらはすべて眠りの中で、目覚める可能性が全くないままで可能なのだ。それどころか、眠りの中で書かれたりあみだされたりしたこれらの本や理論は、ただ他人をも眠りに誘うだけだ。
眠りという考えそのものには、目新しいものは何もない。人々はほぼ天地開闢(かいびゃく)以来この方、お前たちは眠っており、目を覚まさなくてはならないと言われ続けている。何度このことが、例えば福音書の中で言われていることだろう。〈目覚めよ〉〈見よ〉〈眠るな〉等々。キリストの弟子たちでさえ、最後にキリストがゲッセマネの庭で祈っているときに眠ってしまったのだ。すべてはその中に示されている。しかし、人間はこれを理解しているだろうか? 人々は、これを単に言葉の一形式、1つの表現、1つの隠喩と考えてしまう。それを文字通りに受けとらなければならない必要性を全く理解していないのだ。そしてその理由もすぐわかる。つまり、これを文字通りに理解するためには、少しでも目覚めているか、少なくとも目覚めようと努力していることが必要なのだ。これは真面目な話だが、私は何度か、なぜ福音書は眠りについて何も語っていないのか?と聞かれたことがある。ほとんどのページごとに言及されているにもかかわらずだ。このことは人々が福音書を眠りながら読んでいることをはっきり示している。深く眠り、夢にひたりきっている限り、自分が眠っているという事実に思い及ぶことさえできない。もし自分が眠っているということを自覚できたなら、人間は目覚めるだろう。これが現状なのだ。
人間は、この眠りのために自分がいかほどのものを失っているのか全然わかっていない。すでに言ったように、人間は現在の身体のままで、つまり自然につくられたままの状態で自己意識的な存在でありうる。人間はそのようにつくられ、そのように生まれるのだ。ところが、人間は眠れる人々の間に生まれ落ちており、そこで当然、自分自身を意識しはじめるべきまさにそのときに、彼らの間で眠りこんでしまうのだ。例えば、子供の年上の人たちに対する無意識的模倣、意識的・無意識的暗示、〈教育〉と呼ばれているものなど、すべてがこれに手をかしている。目覚めようとする子供のあらゆる試みはたちまち中断される。それは当然なのだ。そして眠りを誘う無数の習癖や習慣が蓄積されてしまった後では、目覚めるためには莫大な努力と多大の援助が必要となる。そして、それはめったに実現しない。ほとんどの場合、人間は子供のときすでに目覚める可能性を失い、そして眠ったまま生を送り、眠ったまま死ぬのだ。しかも、多くの人が肉体的死のはるか以前に死んでしまう。しかし、それはまた後で話そう。
さて、以前君たちに指摘したことに注意してほしい。私が〈語の十全な意味における人間〉と呼ぶ完全に発達した人間は、意識の4つの状態を所有しているはずだ。普通の人間、つまり人間第一番、第二番、第三番は意識の2つの状態の中で生きているにすぎない。彼は意識の第四の状態が存在するということを知っているか、少なくとも知ることはできる。よく言われる〈神秘的状態〉等々はすべて誤った言い方だが、もしごまかしや模倣でないとすれば、それらは我々が意識の客観状態と呼ぶもののひらめきなのだ。
しかし人間は意識の第三の状態を知らず、想像だにしない。もしくは想像することもできない。というのも、もし彼に意識の第三の状態とは何か、それがいかなるものであるかを説明できたとしても、彼はそれは自分の普通の状態だと言うだろうからだ。彼は自分を、自己の人生を統御している意識的人間だと考えているのだ。これに反する事実はみな偶発的で一時的なものとみなし、ひとりでに変わっていくと考えている。自分は自己意識を所有していると考えるのであれば、当然のことながらそれに近づこうとか手に入れようとかはしないだろう。しかもこの自己意識、すなわち第三の状態なしでは、まれなひらめきを除いて、第四の状態を得るのは不可能だ。しかしながら、知識、つまり人間がそれに向かって奮闘していると自ら主張する真の客観的な知識は、意識の第四の状態においてしか得られない。つまり、それは意識の第四の状態の完全な所有を条件としているのだ。通常の意識状態で獲得された知識は夢とまぜこぜになっている。ここに君たちは人間第一番、第二番、第三番のありようの完全な描写を見ることができる。

19
次回、Gは次のように話を始めた。

G:人間の可能性は非常に大きなものだ。君たちは人間が何を得ることができるか、その影さえも掴むことはできない。いずれにせよ、眠っていては何も手に入れることはできない。眠っている人間の意識の中では、彼の幻影や〈夢〉は現実と混ざりあっている。彼は主観的世界に住んでおり、そこから逃れることは絶対にできない。そのために自分の所有している力を全部出しきることができず、またそれゆえに自分の全体のごく一部でしか生きられないのだ。
以前に、自己研究と自己観察を正しく行えば、普通の状態における自分の機械とその機能はどこかおかしいと認識せずにはおれないと言った。人は、自分の全体のごく一部でしか生きられず、また働けないのはまさにこの眠りのためだということを自覚する。彼の可能性の大部分が開発されず、彼の力の大部分が使われないままであるのはこのためなのだ。人は、人生が与えてくれるもの全部を受けとってはいない、つまり彼の機械の、受信装置の明らかな機能的欠陥のためにそうできないでいると感じる。自己研究という考えは彼の心の中で新しい意味を獲得する。今のままの自分を研究しても無意味かもしれないとも感じる。彼はすべての機能を今あるがままに、またありうる姿として、あるいはあるべき姿として見る。自己観察は、人間を自己変革の必要性の自覚に導く。そして、自己を観察する間に、自己観察そのものが彼の内的プロセスに一定の変化をもたらすことに気づく。自己観察は自己変革の道具であり、覚醒への手段であることを理解し始めるのだ。自己を観察することによって、それまで完全な暗闇の中で進んでいた内的プロセスにいわば光を投げかける。そして、この光の影響のもとでプロセスそのものが変わり始める。光のないところでしか生じない多くの化学的プロセスがある。全く同様に、暗黒の中でしか生じない多くの心理的プロセスもある。意識のわずかな光でさえプロセスの性質を完全に変えるのに十分であり、さらに多くのプロセスを完全に駄目にしてしまう。我々の内的心理プロセス(我々の内的錬金術)は、光がプロセスの性質を変えるこれらの化学的プロセスと多くの共通点をもっており、また類似した法則に従っているのだ。

人が自己研究や自己観察の必要性だけでなく、自己を変革するという目的をもって自己に働きかける必要性を自覚するようになると、自己観察の性質は変わらずにはいない。彼はそれまでに、あれこれの現象を心に留めて、公平な目撃者であろうとしながらセンターの働きの詳細を研究しただけだ。彼は機械の働きを研究してきたのだ。今や彼は自分自身を見始めなければならなくなる。つまり、個々の細部ではなく、また、小さな歯車やてこの働きではなく、他人が見るように自分の全体を総体的に見なければならないのだ。
そのためには、一生涯の様々な時点や異なった感情状態における自分自身の、いわゆる〈心理的写真〉を、しかも細部の写真ではなく、今言ったような全体の写真を撮れるようにならなければいけない。
つまり、この写真はある瞬間に人が自分自身の中に見ることのできるすべてを同時に写しとっていなければならないのだ。すなわち感情、気分、思考、感覚、姿勢、動作、声の調子、顔の表情等々を。写真を撮る絶好の瞬間をつかめるようになりさえすれば、すぐにも、自己の輪郭全体を映しだすアルバムができ、これを総合的に見れば自分が何者であるかがはっきりとわかるだろう。しかし、最も興味深くて独自の瞬間をいかにして写すか、独特な姿勢や顔の表情、あるいは独特な感情や思考をいかにしてとらえるかは、簡単には習得できない。写真がうまく撮れ、十分な数になれば、人は自分が普通どんなふうに自分自身を見ているか、つまり何年何十年となじんできたその見方がいかに現実とかけ離れているかを納得するだろう。
彼は、自分はこうだと思っていた人間のかわりに、全く別の人間を見いだす。この〈別の〉人間は彼であって、同時に彼ではない。それは他人にとっての彼、自己イメージとしての彼であり、行動や言葉に現れる彼ではあるが、現実の彼ではない。なぜかと言えば、他人や彼自身が自分だと思っているこの人間の中には、多くの非現実的な、人工的なものがあることを彼自身自覚しているからだ。本体をつくりだされたものから識別するようにならなければならない。そして自己観察と自己研究を始めるには、自己を分割することが必要だ。
自分が本当に二人の人間から成っていることを自覚しなければならないのだ
一人は、自分では〈私〉と呼び、他人は〈ウスペンスキー〉〈ザハロフ〉〈ペトロフ〉と呼んでいる人間だ。もう一人は真の、真の〈〉だが、それはほんの一瞬しか現れない。だからそれを堅固で永続的なものにしようと思えば、長い長い努力がいるのだ。
自分を一人と考えている限りは、一歩たりとも進むことはできない。自己修練は、自分の中に二人の人間を感じたときから始まるのだ。その内の一人は受動的で、せいぜい自分に起こることを記録し観察することくらいしかできない。自分を〈私〉と呼んでいるもう一人は能動的で、第一人称で自分を語るが、実際は〈ウスペンスキー〉〈ペトロフ〉〈ザハロフ〉にすぎない。
これは人間がもちうる第一の認識だ。こうして正しく思考できるようになればすぐに、自分は完全に自分の〈ウスペンスキー〉〈ベトロフ〉〈ザハロフ〉の支配下にいることがわかる。何を計画しようと、また何をやったり言ったりしようとも、それを実行するのは〈彼〉や〈私〉ではなく、彼の〈ウスペンスキー〉〈ペトロフ〉〈ザハロフ〉なのだ。そしてもちろん彼らはそれを〈私〉のやり方でではなく、彼らのやり方で、彼ら流の意味の色づけをしてやるのであり、しかも多くの場合、その色づけは〈私〉がやりたかったことを完全に変えてしまうのだ。
この観点から見れば、明らかな危険が自己観察の最初の瞬間からもちあがってくるのがわかる。つまり自己観察を始めるのは〈私〉なのに、実際にはその直後に〈ウスペンスキー〉〈ザハロフ〉〈ペトロフ〉がとってかわってそれを続けるということだ。この〈ウスペンスキー〉〈ザハロフ〉〈ペトロフ〉は、最初の段階から、この自己観察にほんのわずかな変化を、一見とるにたりないように見えるが実際には全体を根本的に変えてしまうような変化をもたらす。
例えばイワノフという男が、この自己観察の方法の説明を聞いたとしよう。彼は、人間は自分自身を2つに、つまり彼あるいは〈私〉を一方に、〈ウスペンスキー〉〈ペトロフ〉〈ザハロフ〉を他方に分割しなければならないと説明される。そこで彼は、自分自身を文字通り聞いた通りに分割し、「こっちが〈私〉でこっちが〈ウスペンスキー〉〈ペトロフ〉〈ザハロフ〉だ。」とつぶやく。絶対に〈イワノフ〉とは言おうとしない。そう言うのは嫌なので、必然的に他人の名前を使うのだ。さらに彼は自分の中で気に入っている、あるいはともかく強いと思っている側面を〈私〉と呼び、気に入らない側面、弱いと思っている側面を〈ウスペンスキー〉〈ペトロフ〉〈ザハロフ〉と呼ぶ。そしてその上で、自分のことをあれこれ考え始める、もちろん最初から全く誤ったやり方で。すなわち、彼はすでに最も重要な点で自分を欺き、真の自己を、つまりイワノフを使わずに想像上の〈ウスペンスキー〉〈ペトロフ〉〈ザハロフ〉を使っているのだ。
人間が自分のことを第三人称で語るとき、自分の名前を使うのをどれほど嫌がるかは想像を絶するものがある。彼はあらゆる手を使ってそれを避けようとする。上述したような場合には自分を別の名で呼ぶ。
すなわち誰も口にしないような名前をでっちあげたり、単に自分を〈彼〉と呼んだりするのだ。ことこれに関しては、心理的な会話の中で自分を、名前やニックネームなどで呼ぶことに慣れている人々も例外ではない。自己観察の段になると、まるで彼らの中に〈ウスペンスキー〉が存在しうるかのように自分を〈ウスペンスキー〉と呼んだり、〈私の中のウスペンスキー〉などと言ったりする方を好むのだ。〈ウスペンスキー〉は、ウスペンスキーその人にとってだけで十分だ。
しかし、いったん〈ウスペンスキー〉に対する自分の無力さを自覚すると、自分自身と自分の中の〈ウスペンスキー〉に対する態度は、無頓着でも無関心でもありえなくなる。
自己観察は〈ウスペンスキー〉の観察になる。すなわち、自分は〈ウスペンスキー〉ではないということ、また〈ウスペンスキー〉は自分の被っている仮面であり、無意識のうちに演技している役、しかも不幸なことに演技をやめられない役であり、自分を支配し、自分では絶対にやらないような無数のばかげたことをやらせる役以外の何ものでもないということを理解するのだ。
もし自分自身に対して試実であれば、自分は〈ウスペンスキー〉の支配下にあり、同時に〈ウスペンスキー〉ではないことを感じるだろう。
彼は〈ウスペンスキー〉を恐れ始め、自分の〈敵〉であると感じ始める。彼が何かをしたいと思っても、すべて〈ウスペンスキー〉に横どりされ、変えられてしまうからだ。〈ウスペンスキー〉は彼の敵だ。〈ウスペンスキー〉の欲望、好み、共感、反感、思想、意見は、彼自身の見解、感情、気分に反するか、でなければ何の共通点ももっていない。同時に〈ウスペンスキー〉は彼の支配者でもある。彼は奴隷なのだ。彼は自分の意志を全然もっていない。つまり自分の欲望を表す何の手段ももっていない。というのも、何かをしたい、言いたいと思っても全部〈ウスペンスキー〉が代わってやってしまうからだ。
自己観察のこの段階では、全目的は自分を〈ウスペンスキー〉から解放することにあるということを理解しなければならない。しかし実際には、〈ウスペンスキー〉が彼自身となっているために、自分を解放することなどできない以上、逆に〈ウスペンスキー〉を支配し、〈ウスペンスキー〉がやりたいことではなく自分自身がやりたいことを自分にやらせなくてはならない。〈ウスペンスキー〉を支配者から召し使いにしなくてはならないのだ。
自己修練の第一段階は、自分自身を精神的に〈ウスペンスキー〉から分離させること、現実に彼から分離し、しかも離れ続けていることだ。しかし、全注意は〈ウスペンスキー〉に集中されねばならないということだけは銘記しておかなければならない。なぜなら彼は、自分自身が現実に何者なのかを説明することができないからだ。しかし〈ウスペンスキー〉が何者であるかの説明ならできるので、まずそこから、自分は〈ウスペンスキー〉ではないということを心に留めつつ始めなければならない。
この場合、最も危険なことは、自分自身の判断に頼ることだ。もし運がよければ、この時期に、自分はどこにいて〈ウスペンスキー〉はどこにいるかを教えることのできる人物を知己にもつこともできよう。彼は何よりまず、この人物を信じなければならない。というのは、彼はまちがいなく、「俺は自分自身を完全に理解しているし、自分はどこにいて〈ウスペンスキー〉はどこにいるかを知っている。」と思っているからだ。自分のことばかりか、他人の〈ウスペンスキー〉も見知っているとまで考えるだろう。もちろん全部自己欺瞞だ。この段階では、自分に関しても他人に関しても何一つ見ることはできない。自分はできると確信すればするほど、間違いは大きくなる。しかし、もしほんのわずかでも自分自身に対して誠実であることができ、また本当に真実を知りたいと思うなら、そのとき初めて、まず自分自身についての、そして次に他人についての正しい判断の基準、正確で絶対確実な基準を見つけることができる。しかし問題は、自分に対して誠実であるかということだ。これは決してやさしいことではない。
人々は、誠実さとは習得すべきものであることを理解していない。誠実であるかないかは欲求や決意次第だと考えている。しかし実際問題として、自己の中に見るべきものを誠実に見ないとすれば、どうして自分自身に対して誠実であることができるだろう。誰かがこれを彼に教えなければならない。そして教えてくれる人に対する態度は正しいものでなければならない。つまり、教えられたことを理解するのを助け、またよくあるように、自分の方がよく知っていると思ってもそんな考えに邪魔されないような態度でなくてはならない。
これはワークにおける非常に重大な瞬間だ。この時点で自分の方向を見失う者は、後になっても決して見つけることはできない。そんな人間は、自分の中の〈私〉と〈ウスペンスキー〉を区別する手段をもっていないことを覚えておきなさい。たとえそうしようとしても、彼は自分に嘘をつき、物事をでっちあげてしまい、決して現実の自分自身を見ることはない。外からの助けがなければ絶対に自分自身を見ることはできないということを、しっかり理解しておきなさい。
なぜそうであるかを知るには、以前に言った多くのことを思い起さなくてはならない。前に言ったように、自己観察は、自己を想起していないという事実の自覚をもたらす。自己想起できないというのは、人間存在の主要かつ最も特徴的な性質の1つであり、人間の内部の他のすべてのことの原因である。自己想起に対する無力さはいろいろな形で現れる。まず自分の決意を覚えておけない。自分に対してした約束を、あるいは、1ヵ月前、1週間前、1日、いや1時間前に言ったり感じたりしたことさえ覚えていないのだ。仕事を始めても、ちょっと時間が経つと、なぜそんな仕事を始めたのか覚えていない。とりわけ自己修練においては、このことが頻繁に起こる。約束をしても、人工的な連想、つまり教えこまれてきた連想によってしか思いだすことができず、しかもそういった連想は、同じく人工的につくりだされた〈名誉〉〈正直〉〈義務〉等の観念と結びついている。しかし一般的には、たとえ1つのことは覚えていても肝心な他の10のことを忘れてしまっている、とはっきり言うことができる。また人は、自分自身に関すること、おそらく以前に写したあの彼自身の〈心理的写真〉を、特別簡単に忘れてしまうのだ。
そしてこれは、人の見解や意見からすべての首尾一貫性や正確さをとり去ってしまう。人は自分の考えたことや言ったことを覚えていない。そればかりか、どのように考え、どのように話したかも覚えていないのだ。
これはさらに、人間の自分自身や環境全体に対する態度の基本的な特徴に関連してくる。つまりこれは、ある瞬間に彼の注意、思考、欲求、想像力をひきつけたものへの間断ない〈自己同一化〉なのだ。
〈自己同一化〉はありふれた現象なので、観察に際してはそれを他のすべてから切り離すのは難しい。人間は常に自己同一化しており、その対象が変わるだけだ。
人間は面前の小さな問題に自己同一化し、ワークを始めた大きな目標を完全に忘れてしまう。ある1つの考えに自己同一化して他の考えを忘れ、また1つの感情、1つの気分に自己同一化して、より幅広い思考、感情、気分を忘れてしまう。自己修練においては、個別的な目標に自己同一化するあまり、木を見て森を見ないといった状態が起こる。近くの2、3本の木が森全体に見えるのだ。
〈自己同一化〉は我々の最も恐るべき敵の一つだ。なぜなら、それはあらゆるところに浸透し、自分はそれと闘っていると思う瞬間に人を欺くからだ。自己同一化から自由になることはとりわけ困難だ。というのも人は自然に、最も興味をひくもの、時間や労力や注意を注ぐものに対してより簡単に自己同一化するからだ。自己同一化から自分を解放するには、見張りを怠らず、自分自身を容赦してはならない。言いかえれば、自己同一化のとる、あらゆる捕らえにくい隠された形態を見ることを恐れてはならないということだ。
各自の内部で、自己同一化の根源まで研究する必要がある。
自己同一化を観察したとき、人は普通それをとても良い特徴と考え、〈熱狂〉〈熱中〉〈情熱〉〈自発性〉〈霊感〉などの類の名で呼び、そのうえいかなる領域であろうと、自己同一化の状態でしか真に良い仕事はできないと考えている。そのため、自己同一化との闘いはいっそう困難になる。現実には、これはもちろん幻想にすぎない。自己同一化の状態にあれば、思慮あることは何一つできない。もし自己同一化の状態とはいかなるものかを知ることができれば、彼らは意見を変えるだろう。人は物になり、肉の塊になる。わずかな人間の外観さえ失うのだ。ハシシュその他の薬種を吸う東洋では、そのパイプに自己同一化するあまり、自分自身がパイプであると思いこむこともよくある。これは冗談ではなく事実だ。彼は実際にパイプになる。これが自己同一化だ。しかもこれには、ハシシュやアヘンは全く必要ない。店や劇場やレストランにいる人々を見てみなさい。あるいは彼らが議論しているときとか、とりわけ彼ら自身よくわかっていないことを証明しようとしているとき、いかに言葉に自己同一化しているかを見てみなさい。彼らは、貪欲、欲求、言葉と化し、彼ら自身のものはひとかけらも残らないのだ。
自己同一化は自己想起の主要な障害物だ。何かに自己同一化している人間は自己を想起することはできない。自己を想起するためにはまず、自己同一化しないことが必要だ。しかしそのためには、何よりもまず、自分自身と自己同一化しないように、また常に、あらゆる場合に自分を〈私〉と呼ばないようにしなければならない。彼は、自分の内には2人いることを、彼自身、つまり彼の内の〈私〉と、もう一人、何かを得たいなら闘って征服しなければならないもう一人がいることを覚えていなければならない。自己同一化し続ける限り、もしくはその対象となりうる限り、人は自分に起こりうるすべてのことの奴隷だ。
自由とは、何よりもまず自己同一化からの自由なのだ
自己同一化の一般的形態を概観したので、今度はその特殊な形態、つまり、他人を〈考慮する〉という形の、いわば人々に対する自己同一化に注目してみよう。
この〈考慮〉にはいくつかの種類がある。
最も一般的な場合、人は、他人が自分をどのように考えるか、いかに扱うか、またどんな態度を彼に示すかに自己同一化する。彼はいつも、人々は自分を十分に評価していない、自分に対して十分に礼儀正しく丁重でないと思っている。こういったことはみな彼を悩ませ、考えこませ、疑わせ、あて推量や推測で多量のエネルギーを失わせ、人々に対する不信や敵対心を増大させる。他人が自分をどのような目つきで見るか、どう考えているか、何を言っているか、こういったことがみな彼には非常に重要になってくるのだ。
また彼は個々の人物だけではなく、社会や歴史の中でつくられた状況をも〈考慮〉する。彼を不快にするものすべてが不公平で、不当で、誤りで、非論理的に思える。彼の判断の出発点は、常に、これらのことは変えられるし、また変えられるべきだということだ。〈不正〉という言葉は、考慮がよく隠れみのに使う言葉の一つだ。自分はある不正に憤慨しているのだと思いこんでしまえば、考慮をやめることは彼にとって〈自分を不正と和解させる〉ことになるだろう。
不正とか、他人が自分を十分に評価しないといったことだけでなく、例えば天候のことを考慮できる人々もいる。ばかばかしいと思うかもしれないが、嘘ではない。人は気候や暑さ、寒さ、雪、雨のことを考慮できる。天候のために苛立ったり、憤慨したり怒ったりすることもできるのだ。人は、あたかも世界のあらゆるものは自分に快楽を与えるために、あるいは反対に不便や不快をもよおさせるために特別に配慮してあるかのように、すべてを極めて個人的に受けとれるのだ。
これらすべてや、また他の多くのことも、単に自己同一化の一形態にすぎない。このような考慮は完全に〈要求〉に基づいている。
人は誰でも心の内では、自分がいかに注目に価する人物であるかを知るべきだと〈要求〉し、また自分の知性、美、賢明さ、機知、精神の存在、独創性、その他すべての性質に対して人々が絶えず尊敬、敬意、讃嘆の念を表明すべきことを〈要求〉している。この要求は、とても上品な身なりをした人々によく見られるように、自分自身に対する全く空想的な考えに基づいている。例をあげるなら、様々な作家、俳優、音楽家、芸術家、政治家たち、彼らはほとんど例外なく病人だ。彼らは何に苦しんでいるのだろう? まず第一に自分自身に対する途方もない判断、次に要求、その次に考慮、つまり、前もって自分に対する理解と尊重の欠如に対して怒る準備ができていることに苦しんでいるのだ。
この他にも、人間から多大のエネルギーを奪いとる別の形態の考慮がある。この形態は、人が、自分は他の人を十分に考慮していないし、また相手はそのことに腹を立てていると考えだすことから始まる。そして彼は一人で、自分はおそらくその人のことを十分に考えたり、注意を払ったり、譲歩したりしていないと考え始めるのだ。こういったものはみな単なる弱さだ。人々は互いに恐れている。しかもこの恐怖は深刻な程度にまで進みうる。私はこんなケースをたくさん見てきた。このようにして、人間は最終的にバランスを失い(もちろんバランスをもっていたらの話だが)全然意味のない行動をしはじめるということもありうる。彼は自分に腹を立て、こんなことはばかばかしいと感じるが、それでいてやめることができない。ところがこのような場合、要はまさに〈考慮しない〉ことにあるのだ。
次も同様の、いやおそらくもっとひどいケースだ。すなわち、本当はすべきでないときに何かをす〈べき〉だと考えることだ。〈べき〉と〈べきでない〉はこれまた難しい問題だ。つまり、いつ本当にす〈べき〉であり、いつす〈べきでない〉のかを理解するのが難しいのだ。これは〈目標〉という観点からのみ考えることができる。目標をもったなら、人は目標に導くものだけをやる〈べき〉で、目標に向かうことを妨害するすべてのことはやる〈べきでない〉のだ。
すでに述べたように、人々はほとんどの場合、もし自己の内部で考慮との闘いを始めれば、それは自分を〈不誠実〉にするだろうし、またそのことで自分は何かを失う、自分の一部を失うと考えるためにこの闘いを恐れるのだ。この場合、不快感の表現と闘う努力において起こるのと同じことが生じる。ただ一つの違いは、前者では感情の外への表現と闘うのに対し、後者の場合、おそらくは同じ感情の、内への表現に対して闘うことにある。
この誠実さを失うことに対する恐れは、むろん自己欺瞞であり、また人間の弱さの基となっている嘘をつくことに対する決まりきった言い訳の一つでもある。人は自己同一化や内的な考慮をやめることができず、また不快感を表さずにはおれない。それは単に彼が弱いからにほかならない。自己同一化、考慮、不快感の表現は、彼の弱さ、無力さ、自己統御に対する無能力の表れだ。しかし、この自分の弱さを認めたくないばかりに、それを〈誠実さ〉とか〈正直〉とか呼び、そのうえ、誠実さと闘いたくないなどとひそかに思ったりするのだ。が、実のところ、彼は自分の弱さと闘うことができないだけなのだ。誠実さと正直とは現実には全く違ったものだ。この場合、人が〈誠実さ〉と呼んでいるものは、現実にはただ自分を抑制したくないということにすぎない。しかも、内部の深いところでは彼はこれに気づいている。だから、誠実さを失いたくないと言うのは自分に嘘をついていることになるのだ。

これまで内的考慮について話してきた。もっと多くの例をあげることもできるだろう。しかし、それは君たち自身でしなければならない。つまり、自分と他人を観察する中でこの例を捜さなければならない。
内的考慮の反対で、幾分かはこれと闘う手段となるものは外的考慮だ。外的考慮は人々に対する、内的考慮とは全然違った関係に基づいている。それは彼らの理解、彼らの要求に順応することだ。外的に考慮することによって、他人にも自分にも、生を気楽なものにすることができる。外的考慮は人間についての知識、その好み、癖、偏見に対する理解を要求する。同時に外的考慮は、自分自身に対する大きな力、強い統制力を要求する。人間はしょっちゅう、ある人について自分は本当はどう考え、感じているかを、その人に誠実に言いたい、何とかして示したいと強く思っている。もし彼が弱い人間なら、もちろんこの欲求に屈服し、後では自分を正当化して、自分は嘘をつきたくなかったのだとか、偽りたくなかったとか、誠実でありたかったなどと言い訳をする。それから、あれは相手の過ちだったのだと自分を納得させる。彼はその人のことを考慮しようとし、譲ろうとさえしたし、喧嘩すまいと心から望んでいた。ところが、その人の方は彼のことを考慮しようなどとは露ほども思っていなかったので、どうしようもなかったのだ。祝福で始まり呪いで終わるというのはよくある。彼は最初は考慮するまいと決心するが、後になると自分を考慮してくれないという理由で他人を責めるようになる。これはいかに外的考慮が内的考慮に移っていくかの例だ。しかし、もし彼が本当に自己を想起していれば、他人も彼自身と同様に機械であることがわかる。それから彼は自分の位置につき、あるいは持ち場につく。そうなれば、他人が何を考え、感じているかを真に理解できるようになるだろう。これができればワークはやさしくなる。しかし、もし自分の要求をもって人に近づくなら、新たな内的考慮以外何一つ得ることはできない。
正しい外的考慮はワークの中では非常に重要だ。生活の中での外的考慮の必要性はとてもよく理解している人々が、ワークにおけるその必要性は理解していないということもよくある。彼らは、自分はワークに加わっているのだから、考慮しない権利があると決めてかかっている。ところが現実には、つまりワークにおいては、それを成功させるためには生活の中の10倍もの外的考慮が必要なのだ。なぜなら、外的考慮のみがワークに対する彼の評価と理解を明らかにし、またワークにおける成功は常に、ワークに対する評価と理解に比例しているからだ。オビヴァチェリより低いレベルで、つまり日常生活より低いレベルでワークを始めたり進めたりすることはできないということを覚えておきなさい。これは非常に重要な原理なのに、どういうわけかすぐに忘れてしまうのだ。しかしこれについては別に後で話そう。

20
次の講話でGは、我々が自分の位置の困難さを忘れているということから話を始めた。

G:君たちはよく、非常に単純な考え方をする。自分はもう為すことができると思っているのだ。この確信をとり除くのは、人間にとっては何にもまして困難なことだ。君たちは自分の機構の複雑さをすべて理解しているわけではないし、またあらゆる努力は、望ましい結果だけでなく(もしそれが得られたとしても)多くの予期しない、しかも多くの場合望ましくない結果をもたらす。君たちが忘れている最大の事は、君たちは真新しい機械を使って最初から始めているのではないということだ。君たちの背後には多年にわたる誤った愚かしい生活が横たわっているのだ。あらゆる弱さを大目に見、自分の過ちに目をつむり、あらゆる不快な真実を必死で避けようとし、自分自身に対し絶えず嘘をつき、自己正当化し、他人を非難する等々。これらはみな機械に悪影響を与えずにはおかない。機械は汚れ、あちこち錆びつき、ところによっては人工的な装置さえ形成されている。その装置は機械の誤った働き方が必然的に生みだしたものなのだ。これらの人工的な装置は、今や君たちのあらゆる善き意図の大きな妨げになっている。
それらは〈緩衝器〉と呼ばれている
この言葉には特別な説明がいるだろう。列車の緩衝器がどんなものか知っているね。客車や貨車がぶつかりあうときのショックを小さくする装置だ。もし緩衝器がなかったら、1つの車両が別の車両へ与えるショックは非常に不快で危険なものになるだろう。緩衝器はこのショックを和らげ、気にならない、知覚できないくらいのものにする。
全く同様の装置が人間の内部にある。それは自然によってではなく、無意識的にとはいえ人間自身によってつくりだされたものだ。それができた原因は、人間内部の多くの矛盾、意見、感情、共感、言葉、動作などの矛盾にある。もし彼が生涯にわたって自己の内部のあらゆる矛盾を感じるとしたら、今そうしているように平静に生き、行動することはできないだろう。彼は絶え間ない摩擦と不安をもつことだろう。我々は、自分の人格の中の異なった〈私〉がいかに矛盾し敵対しあっているかを見逃している。もしこれらの矛盾をすべて感じたら、彼は自分が本当は何者であるかを感じることだろう。彼は自分が気が狂っていると感じるにちがいない。誰しも自分が気違いだと感じるのは気持ちのよいことではない。それ以上に、このような考えは人から自信を奪い、彼のエネルギーを弱め、〈自尊心〉を奪いとる。彼は何とかしてこの考えを消してしまわなければならない。
矛盾をうち壊すか、矛盾を無視し、感じないようにしなければならないのだ。人間は矛盾を破壊することはできない。しかし、もし〈緩衝器〉が彼の内部につくられたら、矛盾を感じるのをやめることができ、相反した見解、矛盾した感情、言葉の衝突からくる衝撃などを感じないでもすむようになる
〈緩衝器〉はゆっくりと、徐々につくりあげられる。〈緩衝器〉の多くは〈教育〉を通じて人工的につくられる。別の〈緩衝器〉は、まわりの環境からの催眠的な影響のもとでつくられる。人は〈緩衝器〉を使って生き、話し、考え、感じる人々にとり囲まれているのだ。彼らの意見、動作、言葉をまねることによって、人は無意識のうちによく似た〈緩衝器〉を自分の内につくりあげる。〈緩衝器〉は人の生活を安楽にする。〈緩衝器〉なしで生きるのはとても辛いのだ。しかし〈緩衝器〉は人の内的発展を妨げる。なぜなら、それはショックを和らげるようにつくられているが、人を今生きている状態から連れだす、つまり覚醒させうるのはショックだけだからだ。〈緩衝器〉は人をなだめて寝つかせ、何の問題も矛盾も存在しないから安心して眠ってもよい、という快いやすらぎを与える。
〈緩衝器〉とは、それを使えば常に自分は正しいと感じることのできるような装置なのだ。〈緩衝器〉は良心を感じないですむ手助けをするのだ。
〈良心〉も、これまた説明を要する言葉だ。
通常の生活では〈良心〉という概念は簡単に考えられすぎている。まるで我々が良心をもっているかのように。実際は、
感情の領域における〈良心〉の概念は、知性の領域における〈意識〉の概念と等価なのだ。そして我々は意識をもっていないのと同様、良心ももっていないのだ。
意識とは、自分が普段知っているすべてのことの全体を同時に知る状態、また自分の知っていることがいかに少ないか、いかに多くの矛盾がその中にあるかを見ることのできる状態である。
良心とは、自分が普段感じること、あるいは感じうるすべてのことの全体を同時に感じる状態である。

ところが、誰もが自分の内に多様な、何千という矛盾した感情、自分は無であるという深く隠された認識やあらゆる種類の恐怖から、最もばかげた種類の自己欺瞞、自信、自己満足、自己讃美に至る感情をもっているために、これらすべてを一緒に感じることは苦痛なだけでなく、文字通り耐え難いのだ。
もし、その内的世界全体が矛盾から成り立っている人が、突然これらの全矛盾を自己の内部で同時に感じるとしたら、またもし、自分の憎んでいるものすべてを愛しており、愛しているものすべてを憎んでいると急に感じるとしたら、あるいは真実を話しているときに嘘をついているとか、嘘をついているときに真実を話しているとか感じるとしたら、またもし、このことすべてから生じる恥ずかしさと恐ろしさを感じることができたら、これこそが〈良心〉と呼ばれる状態なのだ。人はこんな状態で生きることはできない。彼は矛盾を破壊するか、もしくは良心を破壊するかしなければならない。良心を破壊することはできないが、眠りこませることはできる。つまり、自己に対する1つの感情を突き破れない障壁によって他の感情から切り離し、決してそれらを一緒には見ないように、あるいはそれらが両立し難いことを、すなわち1つの感情が、もう1つの感情と一緒に存在することの不条理さを感じないようにすることはできるのだ。
しかし人間にとって、つまり彼の平和と眠りにとっては、幸いにも、先ほど言ったような良心の状態は非常にまれだ。小さな子供の時分から〈緩衝器〉は彼の内部で育ち始め、強力になり、彼から自己内部の矛盾を見る能力を奪い去ってきているので、彼には突然の覚醒などという危険は全くない。覚醒は、それを捜し求めている者、それを得るために長期間うまずたゆまず自己と闘い、自己修練をする準備のできている者にのみ可能なのだ。そのためには〈緩衝器〉を破壊すること、つまり矛盾の感覚と結びついているあらゆる内的苦痛と直面すべく、進んで歩みでる必要がある。さらに、〈緩衝器〉の破壊自体が非常に長期間の努力を必要とする。そして自分の努力の結果として、良心の覚醒から生じるありとあらゆる不快と苦痛をなめることを了解した上で、この努力にとり組まなければならない。
しかし良心は火、つまり前に話したガラスの蒸溜器の中の粉末をすべて融合させることのできる唯一の火であり、また、自己探求を始める時点では欠けている統一を生みだす火なのだ。
〈良心〉という概念は〈道徳〉という概念とは何の共通点もない。
良心は普遍的で恒久的な現象だ。良心はあらゆる人間にとって同一であり、それは〈緩衝器〉がないときにのみ存在することができる。人間の様々なカテゴリーを理解するという観点から見れば、内部に全く矛盾をもたない人間には良心があると言えるかもしれない。この良心は苦しみではなく、それどころか我々にはわからない全く新しい性質の喜びなのだ。しかし、何千という異なった〈私〉をもつ人間にとっては、ほんの一瞬の良心の覚醒でさえ苦痛を伴わずにはいない。もし良心のこのような瞬間が長くなれば、またもし恐れるどころか協調しながらそれを保持し、継続させようとするなら、非常に微妙な喜びの要素が徐々にこれらの瞬間の中に入ってきて、未来の〈明晰な意識〉を前もって味わうことができるのだ。
〈道徳〉の概念には普遍的なものは何もない。道徳は緩衝器でできている。普遍的な道徳などというものはない。中国で道徳であるものはヨーロッパでは不道徳で、ヨーロッパで道徳であるものは中国では不道徳だ。ペテルスブルグで道徳であるものはコーカサスでは不道徳で、またコーカサスで道徳であるものはペテルスブルグでは不道徳だ。社会のある階層で道徳であるものは他の階層では不道徳であり、その反対もしかりだ。道徳は常に、どこにおいても人為的な現象だ。それは種々の〈タブー〉、つまり制限や様々な要求から成っており、それらの根拠は時には筋が通っていることもあるが、時には全く無意味になっていたり、もともと何の意味もなかったりする。さらには誤った基盤の上に、つまり迷信や偽りの恐怖の上につくられていることもある。
道徳は〈緩衝器〉で出来ている。そして〈緩衝器〉に多くの種類があるために、また異なった国や時代、さらに、社会の様々な階級における生活状態が多様であるために、それらによってつくりだされる道徳も非常に異なり、矛盾している。すべてに共通な道徳など存在しない。道徳に対する何らかの普遍的な観念が、例えばヨーロッパに存在するということは不可能でさえある。ヨーロッパの一般的な道徳は〈キリスト教道徳〉だと言われることもある。しかし、まず第一に〈キリスト教道徳〉という観念そのものが非常に多くの異なった解釈を許し、また多種多様な犯罪が〈キリスト教道徳〉によって正当化されてきている。そして第二に、現代ヨーロッパには、我々が〈キリスト教道徳〉をどう理解しようと、それと共通するものはほとんどない。
いずれにせよ、もし〈キリスト教道徳〉が現に進行している戦争をヨーロッパにもたらしたのだとすれば、そのような道徳からはなるべく遠く離れる方がよいだろう。
「多くの人があなたの教説の道徳面が理解できないと言っています。」とある者が言った。「別の人たちは、あなたの教説は何の道徳ももっていないと言っています。」
G:もちろんもっていない。人々は道徳について話すのが大好きだ。しかし道徳は自己暗示にすぎない。必要なのは良心だ。我々は道徳などは教えない。いかにして良心を見つけるかを教えるのだ。こう言うと人々はあまりいい顔をしない。彼らは我々には愛がないと言う。それは、ただ我々が弱さと偽善を勧めないばかりか、反対にすべての仮面をとり去るからだ。真実を求める者は愛やキリスト教については話さない。自分がそれらからいかに離れているかを知っているからだ。キリスト教の教えはキリスト教徒のためのものだ。そしてキリスト教徒とは、キリストの教えに従って生きる、つまり教えに従ってすべてを行う者のことだ。愛や道徳を語る人々はキリストの教えに従って生きることができるだろうか? もちろんできない。しかしこの類の会話は常にあるだろうし、また、言葉が何よりも大事である人たちが常にいるだろう。しかしこれほまちがえようのない徴候だ! そんなふうに話す者は空っぽの人間であり、時間を費やすだけの価値はないということの。
道徳と良心とは、全く異なったものだ。ある良心は決して他の良心と矛盾することはない。ある道徳はいつでも他の道徳と容易に矛盾しうるし、それを完全に否定することができる。〈緩衝器〉をもつ人間は非常に道徳的であるかもしれない。またそれらの〈緩衝器〉は互いに非常に異なったものでもありうる。これはつまり、2人の非常に道徳的な人間が、互いを非常に不道徳だと考えることもありうるということだ。一般的には、ほとんど必然的にそうなる。つまり、〈道徳的〉であればあるほど、人は他の道徳的な人を〈不道徳〉と考えるのだ。
道徳という観念は良い行い、悪い行いという観念に結びついている。しかし、善悪の観念は人によって常に異なり、人間第一番、第二番、第三番においては常に主観的で、しかもある時点あるいは状況にのみ関連している。主観的な人間は、普遍的な善悪の観念をもつことはできない。主観的な人間にとっては、悪とは、彼の欲望や興味や善の概念に反するすべてのものだからだ。
主観的な人間には悪は存在しない、ただ異なった善の概念が存在するだけだと言えるだろう。悪のために故意に何かをやる者は1人もいない。誰もが自分の理解する善のために行動するのだ。しかし誰もがそれを違ったふうに解釈しており、その結果人々は、善のために互いに足をひっぱったり殺しあったりしているのだ。原因はここでも全く同じ、つまり人がその中で生きている無知と深い眠りにある。
このことは、今までに人々が一度もこのことを考えたことがないのが奇妙に思えるほど明白だ。しかしそれでも、人々はこれを理解せず、誰もが自分の善こそ唯一の善であり、他のすべては悪であると考えたのだという事実は残る。人々がいつかこのことを理解し、善についての普遍的で同一の概念を発展させるだろうと望むのは素朴すぎるし、無意味でもある。
「しかし善と悪は、人間から離れてそれ自体で存在しているのではないのでしょうか?」とそこにいた誰かが聞いた。
G:そうだ。ただその問題は、我々からは非常に離れており、今すぐ理解しようとしてもあまり意味がない。ただ一つのことを覚えておきなさい。それは、人間にとって、善悪についてありうべき唯一の恒久的な観念は、進化の観念と結びついているということだ。が、もちろん機械的な進化の観念とではなく、
意識的努力、自己の存在の変化、内的統一の創出、そして恒久的な〈私〉の形成を通じての人間の進化という観念と結びついているのだ。
善悪についての恒久的な観念は、恒久的な目標と恒久的な理解との関連においてのみ形成することができる。もし自分が眠っていることを悟り、目覚めたいと望むなら、そのとき彼の覚醒を助けるものはすべてであり、彼を妨害するもの、彼の眠りを長びかせるものはすべてであることになる。全く同様に、彼は他の人々にとっても何が善であり何が悪であるかを理解するようになる。彼らの覚醒を助けるものは善、それを妨害するものは悪なのだ。しかし、これは目覚めたいと思っている者、つまり自分が眠っているということを理解している者にとってのみあてはまる。自分が眠っていることを理解していない者、覚醒への欲求をもつことのできない者は善悪を理解することはできない。そして圧倒的多数の人々は自分は眠っているということを自覚していないし、これからも決してしないであろう。それゆえ、彼らには善悪は実際に存在しえないのだ。
これは、一般に受けいれられている考えとは相容れない。人々は、善悪はすべての人にとって同一であるにちがいなく、それ以上に、善悪はあらゆる人に存在すると考えることに慣れているからだ。しかし
現実には、善悪はほんの少数の人々、目標をもち、その目標を追求する者にとってのみ存在するのだ。この目標の追求を妨げるものが悪であり、助けるものが善なのだ
しかしもちろん眠っている人々は、自分は目標をもっており、どこかに向かって進んでいると言うだろう。自分は何の目標ももっておらず、どこへも向かっていないという事実の認識こそが、覚醒に近づいていることの、また覚醒が本当に可能になりつつあることの最初の徴候なのだ。覚醒は、自分はどこにも向かっておらず、またどこに向かえばよいのかわからないということを認識するときにこそ初めて始まるのだ。

21
次のとき、Gは再び意志の問題から話し始めた。

G:意志の問題、すなわちある人のもつ意志と他者の意志との問題は、最初に一見して思うよりはるかに複雑だ。人は為すための、つまり自己と自己の行動をコントロールするに十分なだけの強い意志をもってはいない。しかしその弱い意志でも、他者に従うくらいの強さはもっている。そして、この他者に従うという方法でしか、彼は偶然の法則から逃れることはできないのだ。他に道はない。
私は以前、人間の生における運命偶然について話したことがある。今からこれらの言葉の意味を、もっと詳しく考えてみよう。運命はたしかに存在するが、しかし誰にとっても存在するというわけではない。ほとんどの人は自己の運命から離れ、偶然の法則のもとで生きている。運命は人間のタイプに相応した惑星の影響の結果なのだ。タイプについては後で話そう。それまでに一つのことを把握しておかなければいけない。それは、人間は自己のタイプに相応した運命をもつことは可能だが、実際には決してもつことはないということだ。運命は人間の一部分のみに、つまり彼の本質にのみ関係しているためにこういうことが起こるのだ。
人間は2つの部分から、すなわち本質人格とから成り立っていることを理解しなければならない。本質は彼自身のものであり、人格は〈彼自身のものではない〉あるものだ。〈彼自身のものではない〉というのは外からきたものということであり、彼の学んだもの、考えたこと、記憶や感覚の中に残っている外的な印象のあらゆる痕跡、学んだ言葉や動作、模倣によってつくられた感情、これらすべては〈彼自身のものではない〉もの、すなわち人格である。
一般的な心理学の観点からすれば、人間を人格と本質とに分割するのは理解し難いことだろう。もっと正確に言えば、そのような区分は心理学には全く存在しない。
小さな子供はまだ人格をもっていない。彼は真にありのままだ。つまり彼は本質なのだ。彼の欲求、好み、嗜好、嫌悪はありのままの彼の存在を表現している。
しかし、いわゆる〈教育〉が始まるやいなや人格が形成され始める。人格は、部分的には他人による意識的な影響、すなわち〈教育〉から生じ、また部分的には子供が他人を無意識的に模倣することから生じる。まわりの人々に対する〈反抗〉や、〈彼自身の〉、すなわち〈真実の〉ものを人々から隠そうとすることも、人格の形成においては大きな役割を演じている。
本質とは人間の内なる真実であり、人格は虚偽だ。しかし人格が生長するにつれて、本質はしだいに自己を表現することがまれになり、また弱くなり、そして本質は非常に初期の段階でその生長をやめ、それ以上生長しないということもしばしば起こる。成人の本質、非常に知的で、一般に認められている意味で高度の〈教育を受けた〉人間の本質でさえ、5、6歳の子供の段階で止まっていることもよくある。これは、この人間の内に我々が見るすべてのものは、現実には〈彼自身のものではない〉ということだ。人間の内の彼自身のもの、つまり彼の本質は、普通彼の本能、または最も単純な感情の中でのみ顕現する。とはいえ、本質が人格と平行して生長するケースもあるにはある。そのようなケースは、とりわけ文化生活という環境のもとでは非常にまれな例だ。絶え間ない闘争と危険に満ちた困難な条件のもとで自然に近い生き方をする者の方が、その本質が発達する可能性は大きいのだ。
しかし一般に、このような人々の人格はごくわずかしか発達しない。彼らは自分自身のものはたくさんもっているが、〈自分自身のものでない〉ものはわずかしかもっていない。つまり、彼らは教育や指導、そして文化を欠いているのだ。文化は人格をつくりだし、また同時に文化は、人格の産物であり結果でもある。生活全体や、文明、科学、哲学、芸術、政治と呼んでいるものすべては、人々の人格から、つまり彼らの内の〈彼らのものではない〉ものから生みだされたものであることを我々は認識していない。
〈彼自身のものではない〉要素は、失われ、変えられ、人工的な手段によってとり去ることができるという点で、彼〈自身の〉ものから区別される。
人格と本質の関係を実験的に確かめることもできる。東洋のスクールでは、人格と本質を分離させうる方法や手段が知られている。そのために彼らは時には催眠術や特殊な麻酔薬を使ったり、ある種の肉体運動を行ったりする。もし人格と本質がこれらの何らかの手段で分離されれば、いわば2つの存在が彼の内部に形成され、違った声で話し、全く異なった好み、目標、興味をもつようになる。また、この2つの存在の内の一方は、しばしば小さな子供の段階にある。実験をさらに先へ進めれば、一方の存在を眠らせることも可能となる。あるいは、実験は人格か本質のどちらか一方を眠らせることによって始まるとも言えるだろう。ある種の麻酔薬は、本質に影響を及ぼさないまま人格を眠らせるという特性をもっている。そしてこの麻酔薬を取ると、しばらくの間、言うなれば人格が消え、本質だけが残る。そうなると、きわめて多様で高尚な考えに満ちた、あるいは共感と反感、愛、憎しみ、愛着心、愛国心、習癖、好み、欲望、確信などに満ちた人間が、全くからっぽで思想も感情も確信も見解ももたない人間であることが突然明らかになる、ということが起こる。以前には彼の心を動かしていたあらゆるものが、今では彼を完全な無関心の中に放っておくのだ。時には自分の普段の気分や大言壮語に人為性や空想性を見いだすし、あるときは、そんなものは存在したこともなかったかのように簡単に忘れてしまう。そのためには人生ですら犠牲にするつもりでいたものが、今ではばからしく無意味で注意を払うに価しないものに思われてくる。彼が自分の内に見いだすことのできるものといえば、わずかな本能的嗜好であり、好みだけだ。甘いものや暖かさを好み、寒さや働くことを考えるのが嫌いで、あるいは反対に身体を動かすことを考えるのが好きで、そしてそれだけなのだ。
時には、非常にまれにだが、しかも全く予期しないときに、本質が人間の内部で(人格が未発達の場合でも)完全に生長し発達していることもあり、このような場合、本質は人間の内の重要かつ真実であるすべてのものを統合している。
しかしこういうことはほとんど起こらない。
一般に、人間の本質は原始的で野蛮で幼稚であるか、あるいは単に愚かであるかのどちらかだ。本質の発達は自己修練にかかっているのだ。
自己修練における非常に重要な瞬間は、自分の人格と本質とを識別し始める時点である。自分の中の真の〈私〉、すなわち個体性はその本質からのみ生長することができる。個体性は、生長し、成熟した本質だとも言える。しかし本質の生長を可能にするためには、まず第一に、絶え間ない人格からの抑圧を弱めなければならない。というのは、本質の生長を妨害するものは人格の中に含まれているからだ。
平均的な教養ある人間をとりあげてみると、非常に多くの場合、彼の本質が受動的要素であるのに対し、人格は能動的要素であることがわかるだろう。この状態が変化しないで残っている限り、彼の内的生長は始まることができない。つまり人格が受動的になり、本質が能動的にならなくてはならないのだ。そして、これは〈緩衝器〉がとり除かれるか弱められるかしたときにだけ起こりうる。なぜなら、〈緩衝器〉は人格が本質を服従させるための主要な武器だからだ。
前に言ったように、教養の低い人々の場合には、本質は教養のある人よりも高度に発達している。それなら彼らは進化の可能性にもっと近づいているべきだと思うかもしれないが、現実にはそうではない。なぜなら、彼らの場合、明らかに人格が十分発達していないからだ。つまり内的生長、自己修練のためには、本質のある程度の強さとともに、人格のある程度の発達も必要なのだ。
人格は、〈記録装置〉と、複数のセンターのある働きの結果である〈緩衝器〉とから成っている。人格が十分に発達していないということは、〈記録装置〉、すなわち自己修練の土台となるべき知識、情報、材料を欠いているということだ。知識のある程度の蓄積、一定量の〈自分のものではない〉材料がなくては、自己修練はもちろん、自己研究、機械的な習慣との闘いさえ始めることはできない。なぜなら、このようなワークをする理由や動機は何もなくなってしまうからだ。
これは、彼にはあらゆる道が閉ざされているということではない。何ら知的発達を必要としないファキールの道と修道僧の道が残されている。しかし、知性の発達した人間に可能な方法や手段は彼には使えない。したがって、進化は教育ある人間にも、ない人間にも等しく困難だということになる。教育のある人間は自然から、つまり存在の自然な状態から離れ、本質を犠牲にして人格を発達させながら生の人工的な状態の中で生きている。一方、教育程度の低い人間は、より正常でより自然な状態で生活しており、人格を犠牲にして本質を発達させているのだ。
自己修練をうまく始めるためには、人格と本質との平等な発達という幸運が必要となる。それは成功を強く保証する。もし本質がほんのわずかしか発達していなければ、長期の準備的ワークが必要であり、もしくは本質が内部で腐っているか、あるいは何かとりかえしのつかない欠陥を生じさせているなら、このワークは全く実りのないものになるだろう。こういう状態はよく起こる。人格の異常な発達はしばしば初期の段階で本質の発達を妨害するので、本質はちっぼけなできそこないになってしまう。ちっぽけなできそこないから何かを得ることなどできない。さらに、人格と肉体はまだ生きているのに、本質が死んでいるというのもかなりよくあるケースだ。大都市の通りで我々が見るかなりの割合の人々は内部はからっぽ、つまり実際にはすでに死んだ人間なのだ
我々がそれを見ず、知りもしないということは幸運だ。もしいかに多くの人々が実際には死んでおり、またいかに多くの死せる人々が我々の生活を統治しているかを知れば、我々は恐怖で気が狂ってしまうだろう。いや、実際人々は狂気に陥るのだ。というのも、彼らは適当な準備もなくこの種の何かを、つまり見るべきではないものを見てしまうからだ。危険なしに見るためには、彼は道の途上にいなくてはならない。何も為すことのできない人間が真理を見れば、まちがいなく気が狂ってしまう。しかしこんなことは稀にしか起こらない。普通は、時期が早すぎると何も見えないようになっているのだ。人格は、自分の好みのものと、その生活を妨害しないものだけを見る。嫌いなものを決して見はしない。これは良いことでもあり、悪いことでもある。彼が眠りたいのならそれもいいだろうが、目覚めたいと思っているのなら良いこととは言えないだろう。
「もし本質が運命の影響に従うとすれば、それは偶然と比較して運命は常に人間にとって好ましいという意味なのですか?」と誰かが聞いた。「それから、運命は人をワークに導くことができるのでしょうか?」
G:いや、そういうことでは全くない。運命は、それを考慮に入れることができる、つまりそれを前もって知ることができ、将来の準備をすることが可能だという意味でのみ、偶然より優れているのだ。偶然に関しては何も予知することができない。しかし、運命もまた不快で困難なものになる可能性はある。しかしこの場合、自分の運命から自分をひき離す手段がある。これに向かう第一歩は、一般的法則から逃れることにある。個人的な偶然があるように、一般的あるいは集合的偶然というものがある。また個人的な運命があるのと同様に、一般的、集合的な運命もある。集合的偶然と集合的運命は、一般的法則によって司られている。もし自分自身の個体性をつくりだしたいのなら、まず一般的法則から自由にならなければならない。一般的法則は、人間がどうしても守らなければならないものだというわけでは決してない。もし自己を〈緩衝器〉と空想とから解放すれば、その法則の多くから自由になることができる。これらすべては人格からの解放と関連している。人格は空想と虚偽とに養われているからだ。もし虚偽が(人間はその中で生きているのだが)減り、空想が減れば、人格はすぐに弱まり、彼は運命、もしくは別の人間の意志で制御されている一連のワークによってコントロールされ始める。そしてこのワークは、彼自身の意志が形成され、彼が偶然や、また必要なときには運命にも抵抗することができるようになるまで彼を導くのだ。
この話は数ヵ月間続いた。Gは一晩の内に20にも及ぶ様々な問題にふれることも珍しくなかったので、その話を正確な順序で再構成するのは無理である。話の多くは繰り返され、その多くは出席者の出す質問に左右されたし、また多くの考えは非常に密接に関連しあっていたので、それらを別々に述べるとすれば故意に切り離さざるをえなかったのである。
この時点ではやくも、ある特定のタイプの人たちは我々のワークに対して否定的な態度を示しはじめていた。
〈愛〉の不在に対する不満の他にも、多くの人たちが支払い、つまり金を要求されることに非常に憤慨していた。これに関して特徴的だったのは、憤慨していた人たちは金を払うのが困難などころかむしろ資産家で、要求されている額は彼らにすればほんのわずかなものでしかないような人たちであったということである。
全然、あるいはほんのわずかしか払うことのできない人たちは、自分たちは無料で何かをもらえるなどとあてにすることはできないこと、またGのワーク、彼のペテルスブルグヘの来訪、彼や他の人たちがワークに割く時間には金がかかることを常に理解していた。金をもっている人たちだけがこれを理解せず、したいとも思わないのであった。
「我々が天の王国に入るためには金を払わなければならないというわけですか?」と彼らは言った。「人はそんなものには金は払わないし、また要求されてもいません。キリストは弟子たちに言っています、『財布も証書も取るな』と。それなのにあなたは千ルーブルもとろうというのですか? こいつはいい商売でしょうね。メンバーが百人いればそれだけでもう10万ルーブルになるし、200人、いや、300人いればどうでしょう? 年30万ルーブルは悪くない収入ですなあ。」
こんな話を私がいくらしても、Gはいつも微笑むだけだった。

G:財布も証書も取るなか! それでは汽車の切符も買う必要がないのかね? ホテル代はどうなるのかね? ここにどれほどの虚偽と偽善があるかわかるだろう。いやいや、もし我々がたとえ一文の金も必要としないとしても、この支払いは必要だ。
金を要求することで、我々は数多くの不要な人々から逃れることができるのだから。金に対する態度ほどその人を表すものはない。彼らは自分の個人的な気まぐれには好きなだけ喜んで使うくせに、他人の労働にはいかなる価値も置かないのだ。私は彼らのために働き、彼らがありがたくも私からとってくださるものをすべて無料でさしあげなければならないというわけだ。
知識を売るなんてことがどうして可能なんだ? これは無料であるべきだ。」
まさにこのゆえにこそ支払いを要求する必要があるのだ。ある人たちは決してこの障害を通り抜けることができない。そしてこれを通過しなければ、次の障壁も通りこせないのだ。これとは別に考慮しなければならないことがあるが、それは後でわかるだろう。
この別の考慮というのはとても単純なものだった。多くの人々は本当に払うことができなかった。そしてGは、この要求を非常に厳格に提示したにもかかわらず、実際には、金をもっていないという理由では誰一人として拒まなかった。しかも後でわかったことだが、彼は多くの弟子を援助さえしていたのだ。千ルーブル払った人たちは自分たちの分だけでなく他の人たちの分も払っていたのである。

22

彼は次の講義を始めた。

G:我々は〈為し〉たいと思っている。しかし、我々の為すことすべてが、我々の身体から生みだされるエネルギーの量によって縛られ、制限されている。あらゆる機能、状態、動作、思考、感情は特定のエネルギー、特定の物質を必要とするのだ。
我々は〈自己を想起〉しなくてはならないという結論に到達する。ところが〈自己想起〉は、自分の内に〈自己想起〉のエネルギーをもって初めて可能なのだ。それは、理解し、感じ、研究するエネルギーをもって初めて、何かを研究したり理解したり感じたりすることができるのと同様だ。
それなら、自分が定めた目標を達成するのに十分なエネルギーをもっていないと自覚し始めたとき、人は何をすべきだろう? これに対する答えは、普通の人間はみな自己修練を始めるだけの十分なエネルギーをもっている、ということだ。ただ必要なことは、エネルギーを非生産的に浪費するかわりに、いかにしてより多くのエネルギーを有益な仕事のために蓄えるかを学ぶことだ。
エネルギーは主として、不必要な不快感、杞憂、不機嫌、焦り、短気、せっかち、空想、白昼夢等々に費やされている。エネルギーはまた、センターの誤った働きにも浪費されている。すなわち、仕事に必要な量以上の無駄な筋肉の緊張、膨大なエネルギーを吸いとるのべつ幕なしのお喋り、我々のまわりや他人に起こる出来事に(本当は何の関心もないのに)絶えず注がれる〈関心〉、そして〈注意〉力の不断の浪費等々にだ。人生のこうした習慣的な側面と闘い始めるときには、人は膨大なエネルギーを蓄えており、このエネルギーのおかげでたやすく自己研究と自己完成への努力を始めることができる。
ところが、先に進むにつれて問題は困難になる。ある程度自分の機械の平衡をとり、それが思いのほか多量のエネルギーを生みだすことを確かめたとき、人はそれでも、このエネルギーでは十分でなく、もしワークを続けようとすればエネルギーの量を増やさなければならないという結論に至る。
人間の身体の研究は、エネルギー量はまさに増やしうるということを示している。
人間の身体は、巨大な産出量も可能なように設計された化学工場に相当する。しかし生の普通の状態では、この工場の産出量は決してその最大産出量に達しない。なぜかというと、そこでは機械のわずかな部分だけが使われていて、その工場自体の存続に必要な量の材料を生産しているにすぎないからだ。工場のこういった働きは、ひどく高じると明らかに非経済的になってくる。工場は実質的には何も産出していない。その機械や精巧な設備すべては、ようやくのことで自分自身を保っているだけで、実際それにはいかなる目的もないのだ。
工場の働きはある種の物質を他のものに変えること、つまり宇宙的な意味での粗悪な物質を純度の高いものに変えることにある。工場は外部の世界から原材料として多くの粗悪な〈水素〉をとりいれ、一連の複雑な錬金術的過程を通して純度の高い水素に変える。しかし普通の生の状態では、人間工場で精製された〈水素〉の生産量は(意識の高次の段階と高次のセンターの働きの可能性という観点から見るとき、我々はこれにとりわけ関心をもつわけだが)十分でなく、それらは全部工場自身の存続に費やされている。もし生産量を最大限にまでひきあげることに成功すれば、我々はそのとき純度の高い〈水素〉を蓄え始める。それから身体全体、全組織、全細胞にこの上質の〈水素〉がしみこみ、特殊な方法で結晶化しながら、しだいにそこに定着していく。この上質の〈水素〉の結晶化はしだいに全有機体を高次のレベルに、存在の高次の段階へと運びあげる。とはいえ、これは生の普通の状態では起こりえない。〈工場〉が自分の産出するものをすべて使ってしまうからだ。
上質のものを粗悪なものから分けることを学べ」〈ヘルメス・トリスメギストスのエメラルド・タブレット〉【錬金術の原理を彫りつけたエメラルドの板。錬金術の祖ヘルメス・トリスメギストス(新プラトン派の学者たちがエジプトの神トートに与えた名で、ギリシア神話のヘルメスと同一視されることもある)の作とされるが、今日に残っているものはラテン語で書かれており、その信憑性を疑う者もいる。】
この原理は人間工場の働きを指した言葉であり、もし人間が〈上質のものを粗悪なものから分ける〉ようになれば、つまり彼が上質の〈水素〉の生産量を最大限にまでひきあげるならば、まさにそのことによって、他のいかなる手段によっても成し遂げることのできない内的生長の可能性を自分自身で生みだしうるのだ。内的生長、あるいはアストラル体、メンタル体等々の人間の内的体の生長は、肉体の成長と完全に相似した物質的な過程である。子供が成長するには良い食物を摂らねばならず、また子供の身体は、組織の成長に必要な材料を食物から調合できる健康な状態になければならない。同じことが〈アストラル体〉の生長にも言える。入ってくる種々の食物から、有機体は〈アストラル体〉に必要な物質を生みださねばならない。そのうえ、〈アストラル体〉は肉体の維持に必要な諸物質と同じものを、それもずっと多量に必要とする。もし肉体がこの上質の物質を十分に産出し、その中で〈アストラル体〉が形成され始めれば、このアストラル有機体の維持に必要な物質量は、その生長に必要な量よりも少なくなるだろう。そうなれば、この物質の余剰分は、〈アストラル体〉を養育するのと同一の物質で生長する〈メンタル体〉の形成と生長に使うことができる。しかしもちろん、〈メンタル体〉の生長は〈アストラル体〉の生長と養育より多量にこの物質を必要とする。〈メンタル体〉の養育からもちこされた物質の余剰分は第四の体の生長に使われる。しかしどの場合にも、余剰分はきわめて多量でなくてはならない。高次の体の生長と養育に必要なあらゆる上質の物質は肉体の中で生みださねばならず、もし人間工場が適正かつ経済的に働いていれば、肉体はこれらを生みだすことができるのだ。
有機体の生命の維持、心霊的な働き、そして意識の高次の機能と高次の体の生長に必要な物質はすべて、外部から入ってくる食物からこの有機体によって生みだされる。
人間の身体は三種の食物を摂る。
1ー我々の食べる普通の食物
2ー我々の呼吸する空気
3ー我々の
印象
空気が有機体にとって一種の食物であることを認めるのはさして困難ではないだろう。しかし印象がどうして食料たりうるかは、最初は理解しにくいかもしれない。けれども、音の形をとるか視覚の形をとるか、あるいは匂いという形をとるかはともかく、我々はあらゆる外的印象を受けとるたびに外部から一定量のエネルギー、一定数の振動を受けとっていることを忘れてはならない。外部から有機体に入ってくるこのエネルギーが食物なのだ。さらに、前にも言ったように、エネルギーは物質がなくては伝播することはできない。もし外的印象が外部のエネルギーを有機体にもちこむとすれば、外部の物質もまた同時に入ってきて、それが本当の意味において有機体を養うのだ。
普通の生存のためには、有機体は三種類の食物全部、すなわち物質的食物、空気、印象を摂らねばならない。有機体は一種類ないし二種類の食物では生存することはできない。3つ全部が必要なのだ。しかしこれらの食物の相互関係と、有機体に対する重要性は同じではない。有機体は新鮮な物質的食物がなくても比較的長い間生存できる。60日間以上何も食べなかったというケースが報告されているが、そんなときでも有機体はその活力を少しも失わず、食物を摂り始めるとすぐに回復したという。もちろんこの種の飢餓は完全なものと考えることはできない。というのは、このような人為的飢餓の場合はすべて、水は飲んでいるからだ。それでも、水も食物もなくても人は数日間は生きられる。空気なしではせいぜい数分間だけで、まず2、3分以上生きるのは無理だ。一般に人間は空気なしでは4分間で死ぬ。印象なしでは人間は一瞬たりとも生きていることはできない。もし印象の流れが何らかの形で止められれば、あるいはもし有機体が印象を受けとる能力を奪われたら、すぐにも死んでしまうだろう。外部から入ってくる印象の流れは、我々に運動を伝える伝動ベルトのようなものだ。
我々の主要なモーターは、世界をとりまく自然だ。自然は我々に、印象を通して、我々が生き、動き、自己の存在を保つためのエネルギーを伝達する。もしこのエネルギーの流入が阻まれれば、我々の機械はただちにその働きを停止するだろう。このように、三種類の食物の中で最も重要なのは印象だ。とはいえ、人間が印象だけで長く生存できないのは当然のことだ。印象と空気があれば、少しは長く生存できる。印象、空気、そして物質的食物があれば、有機体がその生命の通常の期限いっぱいまで生き、また、生命の維持にとって必要なだけでなく、高次の体の創造と生長に必要な物質を生みだすことも可能になる。

23
有機体は普通、一日で次の日に必要な全物質を生みだすということに留意しなさい。ところがほとんどの場合、これらの物質は全部、不必要な、また概して不快な感情に費やされてしまうのだ。悪い気分、心配、杞憂、疑い、恐れ、傷つけられたという感情、いらだち。こういった感情はみな、ある強度に達すると30分、いや30秒で翌日用の全物質を食いつくしてしまうだろう。一方、一瞬の怒りや何らかの激情は、実験室でつくられた全物質を一瞬の内に爆発させ、人を内的空白状態のまま長い間、いや永久にでも放っておくことができるのだ。
すべての心理的プロセスは物質的である。そのプロセスに相応した何らかの物質を消費しないプロセスは一つとしてない。もしこの物質があればそのプロセスは進行する。そして物質が使い尽くされたとき、それは停止するのだ。

24
あるミーティングに、初めての参加者が大勢きた。彼らの一人が聞いた。「この道は何から始まるのですか?」。この質問をした人はGの四つの道についての説明を聞いていなかったために、この〈道〉という語を普通の宗教的、神秘的意味で使ったのである。

G:この道という考えを理解する上での大きな困難は、は〔彼はこの言葉を強調した〕生が進行しているのと同一のレベルから出発すると一般に考えられていることにある。これは完全に間違っている。この道は別の、もっと高いレベルから始まるのだ。この点を人々は理解していない。道を進み始めることは、実際よりもやさしく簡単であると考えられている。これを説明してみよう。
人は偶然の法則のもとで、また偶然に支配されている2種類の影響のもとで生きている。
その第一のものは、生活それ自体の中で、あるいは生活そのものによって生みだされる影響である。つまり民族、国家、地方、気候、家族、教育、社会、職業、風習や習慣、富、貧困、時代の考え方などの影響だ。第二のものは、この生活の外で生みだされる影響、内的なサークルの影響、秘教的な影響、つまり地球上のものではあるが別の法則によって生みだされる影響である。この影響は第一のものとは違う。何よりもまずその起源が意識的だという点で違っている。ということは、これは確固たる目的をもつ意識的な人々によって意識的につくりだされたということだ。この種の影響は普通、宗教的体系や教え、哲学的教義、芸術作品などに具現されている。
これらの影響はある確固たる目的のために生みだされ、そして第一の影響と混ざりあう。が、この第二の影響はその起源においてのみ意識的であるという点を銘記しておかなくてはならない。いったん生活の全般的な渦の中に入ってくると、それらは普遍的な偶然の法則のもとに入り、機械的に活動し始める。つまりその影響は、特定の人に働きかけるかもしれないし働きかけないかもしれない、あるいは彼に届くかもしれないし届かないかもしれないのだ。伝達され、解釈されることにより生活の中で変形、歪曲されながら、この第二の影響は第一の影響に変えられていく、言ってみれば第一の影響に併合されるのだ。
これをよく考えてみると、生活の中で生みだされた影響と、その源が生活の外にある影響とを区別するのはさして難しくないことがわかるだろう。しかしそれらを数えあげ、一つ一つのカタログをつくるのは無理だ。理解することこそが必要なのだ。すべてはこの理解にかかっている。我々はこの道の始まりについて話してきたわけだが、それは、まさにこの理解に、もしくはこの二種類の影響を識別する能力にかかっている。もちろんそれらは均等に行きわたっているわけではない。ある人は生活の外に源をもつ影響を強く受けるが、別の人はそれほどでもなく、ほとんど縁がない人もいる。しかしこれは仕方がないことだ。
これはすでに運命なのだ。普通の人間の、普通の条件下での普通の生活をとりあげて一般的に言うならぼ、条件は誰にとってもほとんど同じ、より正確には、困難は誰にとっても同様なのだ。困難は二種類の影響を識別することにある。もし影響を受けるときに識別しなければ、つまりその違いを見たり感じたりしないなら、彼に及ぶその作用も識別されない、すなわち二種類の影響は同じレベルで同じように作用し、そして同じ結果を生みだす。ところが、もし彼がそのときにその二種類を識別し、生活から生みだされたのではないものを一方の側に置くようになれば、識別はしだいに容易になり、ある時点を過ぎると、もはやそれを生活における通常の影響ととり違えることはできなくなる。
源を生活の外にもつ影響の結果が彼の内部に集積すると、彼はそれらを全部一緒に想起し、また感じる。それらは彼の内である全体を形成し始める。彼はこれが何か、あるいはどんなものか、なぜか、といったことを解釈できないし、もししたとしても間違うだけだ。ここでの要点は、これらの影響の結果は彼の内部に集積し、ある時間を経過すると一種の磁力センターを形成する、そしてそれは同種の影響をひきつけ始め、こんなふうにして生長していくということだ。もしこの磁力センターが十分な栄養分を摂れば、また、もし生活の中で生みだされた影響の産物である人格の別の側面の強い抵抗がなければ、磁力センターは彼の態度決定に影響を与え始め、態度を変えさせたり、ある方向に進ませたりするようになる。磁力センターが十分な力を得て生長すれば、彼はすでに道という考えを理解し、道を捜し始めているのだ。道の探求は長年月を要するかもしれず、しかも何も得られないかもしれない。これは、条件と状況、磁力センターの強さ、またこの探求に無関心だったり、道を見つける可能性が開かれるその瞬間に彼を脇道へそらせたりする内的諸性向の強さと方向性にかかっている。
もし磁力センターが正しく働き、また人が本当に捜し求めるなら、もしくは積極的に捜さなくとも正しく感じてさえいれば、道を知っている、あるいは偶然の法則外にあるセンター(磁力センターという考えはここで生まれたのだが)に直接、もしくは人を通じて結びついている別の人に出会うかもしれない。
ここにも多くの可能性がある。しかしこれについては後で話そう。今は、彼が本当に道を知り、しかも喜んで彼を助けようという人に出会ったと想像してみよう。この人の及ぼす影響は彼の磁力センターを通る。この時点でこの人は彼を偶然の法則から解放する。この点をしっかり理解しなさい。道を知っている人の影響は特殊な影響で、直接的影響と意識的影響という2点で前の2つの影響と異なっている。磁力センターを生みだす第二の影響は、その起源においては意識的なのだが、その後生活の全般的な渦の中に投げこまれ、生活自体の中で生みだされた影響と混ぜあわされて、結局同じように偶然の法則に従属してしまう。第三の影響は決して偶然の法則には従属しない。それ自体が偶然の法則の外にあり、その活動も偶然の法則外にあるのだ。第二の影響は書物や哲学体系、また儀式を通じて伝えることができる。しかし第三の影響は人から人へ、口伝という直接手段を介してしか伝えることはできない。
道を捜し求めている者が道を知っている者に出会う瞬間は、第一の敷居、あるいは第一のステップと呼ばれている。この第一の敷居から階段が始まる。〈生活〉と〈道〉の間に〈階段〉があるのだ。この〈階段〉を登ることによってしか人は〈道〉に入っていくことはできない。しかも彼は導き手の助けを借りてこの階段を登るのだ。彼は一人で登ることはできない。階段が終わるところから始まる。つまりこの階段の最後の敷居の向こう、生の普通のレベルよりもずっと高いレベルで始まるのだ。以上の理由から、道は何から始まるのか?という先ほどの質問に答えることは不可能なのだ。道は、この生活から欠落している何かから始まるのであり、だからこそ何からと答えることができないのだ。時によっては次のように言われる。階段を登っている間、人は何についても確信がもてない。彼はすべてを、つまり自分自身の力を、自分の行為の是非を、導き手を、自分の知識と能力を疑う。また彼は非常に不安定で、たとえかなり高いところまで階段を登っていたとしても、いつ転落し、また最初から始めなければならなくなるか知れたものではない。しかし彼が最後の敷居をこえて道に入れば、すべては変わる。第一に、彼が導き手に抱くかもしれない疑いはすべて消え、同時に導き手を以前ほど必要としなくなる。多くの点で彼は独立し、自分がどこに進んでいるかを知るようにさえなるかもしれない。第二に、彼はもはやそれほどたやすく努力の成果を失うことはなくなる。もう彼は普通の生活の中にはいないのだ。たとえ道を離れても、彼はもう出発点に戻ることはできない。
〈階段〉と〈道〉について一般的に言えるのは大体こんなところだ。様々な道があるのだから。これについては前に話した。例えば第四の道には、他の道にはありえない特殊な条件がある。第四の道の階段を登るための条件は、彼のいる段に別の人を連れてこない限りそれ以上登ることはできないというものだ。その人もまた、より高いところに登るためには別の人を自分の場所に連れてこなくてはならない。このように、高く登れば登るほど、自分の後を登ってくる人々に依存することになる。彼らが止まれば彼も止まる。このような状況は道に入っても起こるかもしれない。彼は何か、例えばある特殊な力を得ても、後で他の人々を彼のレベルにひきあげるためにその力を犠牲にすることがあるかもしれない。だが、彼とともに努力している人々が彼のレベルにまで登れば、犠牲にしたものをすべて取り戻すことができる。しかし彼らが登らなければ、彼はそれを完全に失ってしまうのだ。
秘教センターとの結びつきに関して師がとる立場は様々だ。つまり、彼は秘教センターについて多くを知っているかもしれず、あるいはあまり知らないかもしれない。このセンターがどこにあるかを正確に知っており、そこからの知識や助力がどのように受けとられてきているかを知っていることもあれば、それについては何も知らず、ただ知識を授けてくれた人を知っているだけのこともあるだろう。ほとんどの場合、人々は自分より一段だけ高いところから出発する。そして、自分の発達に比例してさらに先を見、自分の知っているものがどこからやってきたかに気づき始める。師の役割を担う者の仕事の結果は、自分の教えていることの起源を正確に知っているかどうかではなく、彼の知っていることが実際の事実として秘教センターからきたのかどうか、また彼自身が秘教的観念を理解し、識別できるか、つまり客観的知識の観念を主観的、科学的観念から識別できるかどうかにかかっている。

25
これまで私は、正常な磁力センター、正しい導き手、正しい道について話してきた。しかし磁力センターが誤った形で形成されるという状況も考えられる。それは本来分裂するものかもしれない。つまり矛盾を内包しているかもしれない。そればかりではなく、その中には、第二の影響を偽装した第一の影響、すなわち生活の中で生みだされた影響や、ほとんど正反対のものにまで歪められた第二の影響の痕跡などが入りこんでいるかもしれない。そのように誤って形成された磁力センターは、的確な方向づけができない。それでも、この種の誤った磁カセンターをもつ者が道を捜し求めることもあるだろうし、そのうえ、自ら師と称し、自分は道を知っており、偶然の法則外にあるセンターと結びついているなどとのたまうような男に会うかもしれない。しかし実際は、その男は道を知ってもいなければ、そのようなセンターに結びついてもいないかもしれない。さらに、ここでも次のような可能性が考えられる。
1:その男は完全に間違っていて、実際は何も知らないのに何かを知っていると思っている。
2:その男は別の者を信じており、そしてその別の者が誤っている。
3:その男は意識的に騙している。
だから、もし道を捜し求めている者がその男を信じたら、その男は彼を約束したところへではなく、全然違った方向へ連れていくだろう。つまり正しい道からひどく離れたところへ連れていって、正しい道から得られるものとは正反対のものを彼にもたらすだろう。しかし、幸いなことにこんなことは滅多に起こらない。すなわち、間違った道は数多くあるが、ほとんどの場合それらはどこにも行きつかないのだ。そして人は、回じところをぐるぐる回っているだけなのにどこかへ進んでいると思いこんでいるのだ。
「間違った道はどうしたら知ることができるのですか?」と誰かが聞いた。
G:どうしたら知ることができるかだって? 正しい道を知らないで間違った道を認知するのは不可能だ。つまり、どうやって間違った道に気づくかで思い悩むのは無意味だよ。いかにして正しい道を見いだすかをこそ考えなければならない。これこそ我々が四六時中話していることではないか。それをわずかな言葉で言うのは無理というものだ。しかし、もし私の言ったことすべてと、そこから出てくることをみな覚えていれば、君たちはそこから多くの有益な結論をひきだすことができる。例えば、師は常に弟子のレベルに相応していることがわかるだろう。弟子のレベルが高ければ高いだけ師のレベルも高くなることができる。しかし特に高レベルではない弟子は、非常に高レベルの師を持とうと期待することはできない。実際、弟子は決して師のレベルを知ることはできないのだ。これが法則だ。何人といえども自分以上のレベルを知ることはできない。しかし人々は普通、このことを知らず、それどころか、自分が低ければ低いほど高レベルの師を要求する。この点を正しく理解することは非常に重要だ。ところが、これは滅多に理解されない。普通、その人自身にはびた一文の価値もないのに、イエス・キリスト以外の師は持たないなどとのたまう。それ以下の師は認めないというわけだ。たとえもし彼がイエス・キリストのような師に出会い、福音書に記されている通りにイエスを受けとったとしても、彼は決してイエスに従うことはできないだろう。それというのも、イエスの弟子であるためには使徒のレベルに達していなければならないからだ。こういった考えは一瞬たりとも彼の頭に湧いてこない。ここには明確な法則がある。師のレベルが高くなればなるだけ、弟子の困難は増すのだ。そしてもし師と弟子のレベルの違いがある限度を超えると、道における困難さは弟子に超え難いものとなる。第四の道の基本的な規則の一つはまさしくこの法則にあるのだ。第四の道では師は一人ではない。年上の者は誰でも師だ。そして弟子にとって師が必要不可欠であると同様に、師にとっても弟子が不可欠なのだ。弟子は師なしでは進むことができず、師も弟子なしでは進むことはできない。これは一般的な考察ではなく、人間の上昇の法則が基づく不可欠かつ全く具体的な規則なのだ。前に話したように、何人といえども自分のいる場所に別の人を連れてくるまではより高い段階に登ることはできない。受けとったものはすぐに返さなければならないのだ。そのとき初めて、彼はそれ以上のものを受けとることができる。さもなければ、すでに与えられたものまで取られてしまうだろう。

26
あるミーティングで、知識と存在に関してかなり長く話した後、Gは言った。
G:厳密に言えば、君たちはまだ知識について話すことはできない。知識が何から始まるかを知らないからだ。
知識は宇宙に関する教えから始まる
〈大宇宙・マクロコスモス〉〈小宇宙・ミクロコスモス〉という言葉を知っているね。これは〈大きな宇宙〉〈小さな宇宙〉、〈大きな世界〉〈小さな世界〉という意味だ。宇宙は〈大宇宙〉、人間はそれに相似した〈小宇宙〉と考えられている。これはいわゆる単一性という考えや、世界と人間との相似性という考えをうちだす。
二つの宇宙に関する教えは、カバラや、他のもっと古い学説などから知られている。しかしこの教えは不完全で、そこからは何もひきだせず、その上に何かを築くこともできない。なぜなら、この教えは、一つが他を包みこんでいる、またそれ自身に他のすべての宇宙を内包している最も偉大な宇宙の似姿としてつくられた、宇宙ないし世界についてのはるかに完全な古代の秘教的教えから切りとられた単なる断片にすぎないからだ。
〈上がそうであるように、下もまたそうである〉というのは、宇宙のことを言ったものなのだ。
ところで、
宇宙に関する完全な教えは、2つの宇宙ではなく、1つの宇宙に他の宇宙が含まれている7つの宇宙について語っていることを知っておく必要がある
相互関係という点から全体を眺めてみると、7つの宇宙だけが宇宙の完全な見取り図であることがわかる。深遠で完全な教えの中から偶然後世に伝えられた2つの相似した宇宙という思想は非常に不完全なので、そこからは人間と世界の相似性という考えをひきだすことはできない。
宇宙に関する教えは7つの宇宙を考察している。

第一宇宙・プロトコスモス 〈第一宇宙〉
第二宇宙・アヨコスモス 聖なる宇宙、あるいはメガロコスモス〈巨大宇宙〉
第三宇宙・マクロコスモス 〈大宇宙〉
第四宇宙・デュートロコスモス 〈第二宇宙〉
第五宇宙・メゾコスモス 〈中宇宙〉
第六宇宙・トリトコスモス 〈第三宇宙〉
第七宇宙・ミクロコスモス 〈小宇宙〉

プロトコスモスは創造の光における〈絶対〉、あるいは世界1だ。
アヨコスモスは世界3(創造の光では〈全世界〉)である。
マクロコスモス
は我々の星雲界、あるいは銀河系(創造の光では世界6)。
デュートロコスモスは太陽、太陽系(世界12)。
メゾコスモスは〈全惑星〉(世界24)、あるいは惑星界の代表としての地球である。
トリトコスモス
は人間であり、ミクロコスモスは〈原子〉である。
すでに説明したように、〈原子〉と呼ばれるものは、その内にあらわれる特性、つまり物理的、化学的、心霊的、宇宙的全特性を含むあらゆる物質の最小量だ。この観点からすれば、例えば〈水の原子〉というものも存在しうる。
7つの宇宙の全体的序列の中では、〈小宇宙〉と〈大宇宙〉は互いに遠く離れているので、両者の間に直接の相似を認め、立証するのは不可能なことがわかる。
それぞれの宇宙は、生き、呼吸し、考え、感じ、生まれ、そして死ぬ、生きた存在なのだ
すべての宇宙は同一の力、同一の法則の働きから生じる。法則はあらゆるところで同一である。しかしそれは、宇宙の様々な段階、すなわち様々なレベルではそれぞれに違った現れ方をする。少なくとも全く同じではない。だから必然的に、諸宇宙が全く相似的であるということはありえない。もしオクターヴの法則が存在しなければ、それらの間の相似性は完全かもしれない。しかしオクターヴの法則によれば、オクターヴの二音間に完全な相似性がないのと同様に、それらの間にも完全な相似性はないのだ。ただ、隣接する3つの宇宙を1つと考えると、それが他の、同様に3つの宇宙を1つとみなしたものと相似しているのである。
それぞれの段階、つまりそれぞれの宇宙における法則の活動状態は、上と下の2つの隣接する宇宙によって決定される。互いに隣接する3つの宇宙は、宇宙法則の完全な像を与える。1つの宇宙では完全な像を示すことはできない。1つの宇宙を知るためにはその上と下、つまり大小2つの隣接する宇宙を知る必要がある。全体的に見れば、これら2つの宇宙がその間にある宇宙を決定するのだ。したがって、メゾコスモス、ミクロコスモスの両方でトリトコスモスを決定し、デュートロコスモスとトリトコスモスがメゾコスモスを決定する、等々となるわけだ。
1つの宇宙と他の宇宙の関係は、天文学的な創造の光の中での1つの世界と他の世界の関係とは異なる。創造の光の中で世界は、月、地球、太陽、銀河系などという具合に、それらが実際宇宙の中で我々といかなる関係をもつかという視点から、言いかえれば、我々の視点から考えられている。したがって、創造の光の中での諸世界間の量的相互関係は永久不変のものではない。ある場合、またはあるレベルでは、例えば我々の太陽と〈全太陽〉の関係ではそれは大きいが、別の場合、別のレベルでは、例えば地球と月の関係のようにもっと小さい。しかし、諸宇宙間の相互関係は永久不変で常に同一である。言いかえれば、1つの宇宙は、ゼロが無限とつながっているように他の宇宙と関係しているのだ。つまりミクロコスモスとトリトコスモスの関係はゼロと無限の関係と同じであり、メゾコスモスとデュートロコスモスの関係も、また他の場合も同様である。
諸宇宙を分割することの意味と諸宇宙間の相互関係を理解するためには、ゼロと無限の関係が何を意味するかを理解する必要がある。これが理解できれば、大宇宙が諸宇宙に分割される原理、その分割の必要性、またこの分割なしでは多少とも明瞭な世界像を描きえないことなどがはっきりしてくるだろう。
複数の宇宙という考えは、我々が世界における自分の位置を理解するのを助けてくれる。またそれは、空間や時間などに関連した多くの問題を解き、また何よりも相対性原理そのものの確立を助ける。後者はとりわけ重要だ。というのも、相対性原理を確立しないまま世界に対する正確な概念を得るのは不可能だからだ。
複数の宇宙という考えに従えば、相対性の研究を確固たる基盤の上に据えることができる。最初一見すると、宇宙のシステムの中には逆説的に思えることがたくさんある。しかし実は、この明白な逆説は単なる相対性なのだ。
人間の意識を拡大し、知力を増大させる可能性は、宇宙に関する教えに直接関係している。普通の状態では、人間は1つの宇宙の中でだけ自分自身を意識し、他の全宇宙を1つの宇宙の視点から見ている。意識の拡大と心理機能の強化は、人間を他の2つの宇宙(上と下、つまり、より大きなものとより小さなもの)の活動と生命の領域へと同時に導く。意識の拡大は一方向、つまり高次の宇宙の方向にだけ進むのではなく、上方に進みながら同時に下方へも進むのだ。
この最後の考えはたぶん、君たちがオカルト文学の中でお目にかかったかもしれない表現、例えば「上方への道は同時に下方への道である」といった言葉を説明してくれるだろう。一般にこの表現はひどく誤解されている。
これは実際には、例えば、もし人が惑星の生命を感じ始めるなら、あるいは彼の意識が惑星界のレベルに達するなら、同時に彼は原子の生命を感じ始め、彼の意識は原子のレベルに達するということにほかならない。このように意識の拡大は同時に2つの方向に、より大きなものとより小さなものの方向に進む。大きなもの小さなものを共に認知するには、人間内部での同様の変化が必要となる。諸宇宙間の類似性と相似性を見いだすために、それぞれの宇宙を次の3つの関係の中で考察することにしよう。

1:それ自身に対する関係
2:より高次もしくは、より大きな宇宙に対する関係
3:より低次もしくは、より小さい宇宙に対する関係

ある宇宙の法則が他の宇宙の中で顕現するとき、我々が奇蹟と呼ぶものを生みだす。これ以外にはいかなる奇蹟もありえない。奇蹟は法則の破壊でも法則外の現象でもない。それは他の宇宙の法則に従って起こる現象なのだ。これらの法則は我々には理解し難く、また未知であるために奇蹟的なのだ
相対性の法則を理解するためには、1つの宇宙の生命と現象をあたかも他の宇宙から眺めるように調べる、つまり他の宇宙の法則の観点から考察してみることが非常に有益である。ある宇宙のあらゆる生命現象は、他の宇宙から考察すれば全く違った様相を呈し、全然違った意味をもってくる。多くの新たな現象が現れ、多くの現象が消滅する。これは全般的に、世界と事物の像を完全に変えてしまう。
前に言ったように、複数の宇宙という考えだけが相対性の法則の確立に堅固な基盤を提供することができるのだ。真の科学と真の哲学は相対性の法則の理解の上に打ち立てられるべきである。それゆえ、
真の科学と哲学は、この複数宇宙の考えから始まると言えよう
こう言い終わると、Gはかなり長い間沈黙した。それから私の方を向いて付け加えた。
G:私が今言ったことを全部、君の言う次元の観点から検討してみなさい。
P「あなたが言ったことはすべて、」と私は言った。「疑いなく次元の問題に関わっています。しかしそれに入る前に、私がよく理解できなかった点を明らかにしてみたいと思います。それはあなたがミクロコスモスについて話したことです。我々はミクロコスモスという概念を人間と結びつけることに慣れています。これは人間が自分自身の内に宇宙を体現しているということです。大きな宇宙、すなわちマクロコスモスと相似した宇宙です。しかしあなたは人間にトリトコスモス、つまり第三の宇宙という名をつけました。なぜ第三なのでしょう。第一はプロトコスモスで第二は太陽、またはデュートロコスモスとなっています。なぜ人間は第三の宇宙なのでしょう?」
G:今説明するのは難しい。後になればわかるだろう。
P「しかしあなたは本当に、ミクロコスモスという概念は人間との関連で使うことはできないということを言っているのですか?」と聴衆の一人が聞いた。「それは言葉使いの上で奇妙なくい違いを生みだしますが」
G:そう、その通りだ。人間はトリトコスモスだ。ミクロコスモスは原子、あるいはむしろ、〔彼は言葉を捜すかのように口をつぐんだ〕微生物だ。しかし、この問題にとどまるのはやめなさい。これらはみな後で説明されるだろう〔それから彼はまた私の方を向いた〕。すべてを私の言った通りにとって、君の観点から言えることを言ってみなさい。
(これは後でGが変更したことをここで言っておく)
P「まず最初に、ゼロから無限までの比率が何を意味するかを考えてみなくてはなりません。」と私は言った。「これを理解すれば諸宇宙間の関係も理解できるでしょう。世の中にも我々の研究の手近な例として、ゼロと無限との関係の明白な例が見られます。幾何学で言えば、これは一定の次元をもつ一単位と、より多くの次元をもつ別の単位との関係です。つまり点と線、線と面、面と立体、三次元の立体と四次元の立体などの関係です。
この観点から見れば、1つの宇宙と他の宇宙の関係は、異なる次元の2つの物体の関係と同じであることを認めねばならないでしょう。もしある宇宙が三次元であるとすれば、次の宇宙、つまり1つ上の宇宙は四次元のはずで、その次は五次元〜と続くはずです。もしあなたが言うように〈原子〉あるいは〈微生物〉、すなわちミクロコスモスを点と考えれば、この点との関係から人間は線、つまり一次元の形態になります。次の宇宙すなわち地球は、人間との関係から平面、つまり、2つの次元をもつわけです。これは実際、直接的に知覚してもそうなります。太陽、太陽系は地球との関係から三次元となります。星雲界は太陽に対して四次元となり、〈全宇宙〉は五次元、〈絶対〉あるいはプロトコスモスは六次元となります。
この宇宙体系の中で個人的に最も私の興味をひいたのは、『宇宙の新しいモデル』の中で論じた完全な〈次元の周期〉がここにもあることです。これは単に細部における偶然の一致ではなく、完全に同一のものです。私はそれがどのように生まれたのか知りません。ゼロから無限への比率の中で互いに関係している7つの宇宙というのは聞いたことがないのです。それでも、私の〈次元の周期〉はこれと完全かつ正確に一致しています。
〈次元の周期〉は7つの次元を含んでいます。ゼロ次元、第一次元、第二次元〜第六次元まで続きます。ゼロ次元、あるいは点は限界です。これは、我々は何かを点としてとらえるが、この点の背後に隠されているものは知らないということです。それは実際に点、つまり次元をもたない物体であるかもしれず、あるいはまた全世界であるかもしれませんが、遠く離れているため、もしくはあまりに微小なために我々には点に見える、そうした世界です。この点の空間内での運動は、我々には線と見えます。
同様に、点自体は空間を、その中で点が線として動くものと考えます。線の、それ自身に対する垂直方向への運動は平面となり、また線自体は空間を、その中で線が平面の形で運動する場所と考えます。
これまで私は点の視点から線を、線の視点から平面を考察してきましたが、点、線、平面はまた三次元体の視点からも考えることができます。この場合、平面はこの物体の境界、あるいはその側面、またはその部分となり、線は平面を区切る境界あるいは平面の部分となり、点は線の境界または部分となるでしょう。
三次元体は、それが我々の知覚にとって現実に物質的存在であるという事実によって、点、線、平面と異なっています。
平面は事実、立体の投影であり、線は平面の、点は線の、それぞれ単なる投影です。
〈立体〉は独立した物質的存在をもっています。つまり多くの異なった物質的特性を具えています。
しかし我々が、物が〈存在している〉と言うときは、時間内の存在のことを言っています。しかし三次元の空間には時間はありません。時間は三次元の空間外に存在するのです。我々が感じるように、時間は第四の次元なのです。我々にとって存在とは時間内の存在です。時間内存在とは第四次元に沿った運動、ないしは伸張です。もし存在を第四次元に沿った伸張と考えるなら、またもし生命を四次元体と考えれば、三次元体はその切断面、その投影ないしは境界となるのでしょう。
しかし、時間内存在は存在の全様相を含んでいるわけではありません。時間内に存在することとは別に、存在するものすべては永遠の中においても存在しているのです。
永遠とは、時間の各瞬間における無限の存在です。もし時間を線と考えれば、この線はあらゆる点において永遠の線と交わっているでしょう。時間の線におけるあらゆる点は永遠の線なのです。時間の線は永遠の平面です。
永遠は時間よりも1つ多くの次元をもっています。だからもし時間が第四次元ならば、永遠は第五次元です。もし時間の空間が四次元なら、永遠の空間は五次元です。
さらに、第五、第六次元という観念を理解するためには、時間の一定した見方が確立されなければなりません。
各瞬間は一定の可能性を内包しています。あるときは少なく、あるときは多く。しかし決して無限にではありません。そして可能性とともに不可能性もあることを認識する必要があります。私はこのテーブルから一枚の紙、鉛筆、灰皿をとって床に投げることができますが、テーブルの上にないオレンジをとって投げることはできません。これは可能性と不可能の違いをはっきりさせています。このテーブルから床に投げることのできるものに関しては、可能性のいくつかの組合せがあります。私は紙、鉛筆、または灰皿を投げることができるし、また鉛筆と紙、鉛筆と灰皿、紙と灰皿、あるいは3つ全部投げることもできるし、何一つ投げないことも可能です。ここにはこれだけの可能性しかありません。もし時間の1つの瞬間をこれらの可能性が内在する瞬間と考えると、次の瞬間はその内の1つが実現する瞬間となるでしょう。鉛筆が床に投げられる、これがその可能性の1つの実現です。そして新しい瞬間がきます。この瞬間も明確な意味において一定の可能性をもっています。そして次にくる瞬間も、同様にその内の1つの実現の瞬間となるでしょう。こういった可能性実現の瞬間の連続が時間の線を構成します。ところが、時間の各瞬間は、永遠の中では無限の存在をもっています。実現された可能性は永遠の中でも無限に実現され続け、一方実現されなかった可能性は実現されないまま、しかも実現される可能性もないままの状態にとどまるのです。
しかし世界の中でつくりだされた、あるいは生じたすべての可能性は実現されるはずです。
その可能性の実現が世界の存在を形成しているのです。けれども永遠の中にはこれらの可能性を実現する場所はありません。永遠の中では実現されたものはみな実現され続け、されなかったものはずっとされないままです。
しかしながら永遠は、時間の線がそこを横切る単なる平面にすぎません。この線のあらゆる点に一定数の実現されなかった可能性が残っています。これらの可能性の実現の線を想像してみると、これらは、1つの点から異なった角度で時間の線と永遠の線へ放たれる放射線に沿って進むでしょう。そしてこれらの線は永遠の外、つまり五次元空間の外で、言いかえれば〈高次の永遠〉もしくは六次元空間、第六次元の中で進行することでしょう。
第六次元はあらゆる可能性の実現の線です。
第五次元は永遠存在の線、または実現された可能性の永遠の繰り返しの線です。
第四次元は1つの可能性の実現の瞬間の連続です。
すでに言った通り、ゼロ次元から第六次元までの7つの次元は、次元の完全な周期を形成しています。この周期を超えたところには何もないか、あるいは同一の周期が別の規模で繰り返されているかのどちらかです。
前にも言いましたが、先ほど聞いた宇宙体系の解説が、私の『宇宙の新しいモデル』の基盤である〈次元の周期〉とあまりにも完全に符合しているのには本当に驚きました。私の宇宙モデルの地点からさらに進んで、その中ではっきりしなかったことを説明できるのはこの宇宙体系だけでしょう。
このように、ミクロコスモス、すなわち〈原子〉ないしは〈微生物〉をGが定義したように考えるとすれば、これに対してトリトコスモスは四次元空間になり、メゾコスモスは五次元空間、デュートロコスモスは六次元空間となります。
これは、〈原子〉や〈微生物〉のあらゆる可能性は太陽系の範囲内で実現されるということです。
もし人間をトリトコスモスと考えれば、彼にとってメゾコスモスは四次元空間であり、デュートロコスモスは五次元空間、マクロコスモスは六次元の空間となります。これはトリトコスモスのあらゆる可能性はマクロコスモスの中で実現されるということです。
したがって、これと並行してメゾコスモスの全可能性はアヨコスモスの中で、デュートロコスモスあるいは太陽の全可能性はプロトコスモス、すなわち〈絶対〉の中で実現されるのです。
すべての宇宙は現実の物質的存在をもっているために、それ自体、本質的に三次元です。下位の宇宙との関係から見ればそれは四次元で、上位の宇宙との関係から見れば点となります。換言すればそれは、それ自体三次元ですが、それに対して上位と下位の宇宙の中に第四次元が存在する、ということになります。この最後の指摘はおそらく最も逆説的に聞こえるでしょうが、それでもそれはまさにそうあるべきなのです。例えば宇宙のような三次元体にとって、第四次元は非常に小さな大きさの圏内にも非常に膨大な大きさの圏内にも、つまり実際に無限であるものの圏内にもゼロであるものの圏内にも同様に存在するのです。
我々はさらに、全く同一の物体の三次元性でさえ異なることもありうることを理解しなければなりません。六次元体だけが完全に現実なのです。五次元体は六次元体の不完全な外観にすぎず、四次元体は五次元体の、三次元体は四次元体の不完全な外観です。そしてもちろん平面は三次元体の不完全な外観、つまりそれを一方からだけ見たものです。同様に、線は平面の、点は線のそれぞれ不完全な外観です。
さらに進めば、どのようにかはわかりませんが、六次元体はそれ自身を三次元と見ることができます。外側から見る者もそれを三次元体と見ることができるかもしれませんが、それは全く違った種類の三次元性です。例えば我々は地球を三次元と考えています。この三次元性は想像上のものにすぎません。三次元体として、それ自身にとっての地球は我々にとっての地球とは全く違ったものなのです。我々の見方は不完全です。つまり地球を、その完全な存在の部分の部分の部分としてしか見ていないのです。〈球体としての地球〉は想像上の物体です。それは六次元の地球の部分の部分です。しかしこの六次元の地球はそれ自身に対しては三次元でありうるわけで、我々だけが、地球が自身を見ている見方を知らず、またそれについてのいかなる概念ももつことができないのです。
地球の可能性はアヨコスモスの中で実現されます。これは、アヨコスモスの中では地球は六次元体だということです。実際、我々はある程度まで、地球の形態がどのように変化するかを知ることができます。デュートロコスモスの中では、つまり太陽との関係においては地球はもはや点ではなく(点を三次元体の縮小物と考える)、太陽をめぐる地球の軌道として我々がたどる線です。太陽をマクロコスモスの中で考えれば、つまり太陽の描く軌道を視覚化してみると、地球の軌道は太陽の軌道をまわる螺旋になるでしょう。この螺旋の側面運動を考えてみると、これは我々がその性質を知らないために想像できないような形を描くでしょう。しかしながらこれは、地球の六次元の形態であり、しかも地球自体はそれを三次元の形態として見ることができるのです。このことをはっきり理解することが必要です。なぜなら、そうしないと宇宙の三次元性という考えは我々の三次元体の考えとつながってしまうからです。全く同一の物体の三次元性でさえ異なることもありうるのです
そしてこの最後の点は、Gが〈相対性原理〉と呼ぶものと関連しているように私には思われます。Gの相対性原理は、力学の相対性原理やアインシュタインの相対性原理とは何一つ共通するところはありません。繰り返しますが、これは『宇宙の新しいモデル』の中のものと同じもの、すなわち存在の相対性原理なのです。」
以上で私は、多次元理論の観点から見た宇宙体系に対する私の概説を終えた。

G:今君が言ったことの中には膨大な材料が含まれている。しかしこの材料はもっと練られなくてはならない。今もっている材料をどのように練るかさえわかれば、これまで考えつかなかった多くのことがわかるようになるだろう。例えば、時間は異なる宇宙の中では異なっているということに注意してみなさい。しかもそれは正確に計算できる。つまり、ある1つの宇宙の時間が他の宇宙の時間とどのように関連しているか、正確に立証することができるのだ。
もう1つだけつけ加えておこう。
時間は呼吸だ。これを理解してみなさい。
彼はそれ以上何も言わなかった。
その後Gのモスクワの生徒たちと、宇宙や、様々な宇宙における時間について話していたとき、一人が、Gが、動物や植物の睡眠と覚醒、つまり24時間または一昼夜が〈有機生命体の呼吸〉を構成していると言った、とつけ加えた。
Gの宇宙に関する講義とそれに続く討論はひどく私の興味をひいた。これは我々が始めた問題、すなわち〈三次元宇宙〉から、私が『宇宙の新しいモデル』の中で考えぬいた問題、数年間をその研究に費やしてきた空間と時間と高次の次元に関する問題への直接の移行であった。
その後一年以上、Gは宇宙に関しては何もつけ加えなかった。
数人の仲間は様々な側面からこの問題にアプローチしてみたし、またみながこの宇宙の思想の中に多大のエネルギーを感じていたにもかかわらず、長い間何の成果も得ることができなかった。我々は特に〈ミクロコスモス〉のところで当惑していたのである。
「もし人間をミクロコスモスと考え、人類、いやむしろ有機生命体をトリトコスモスと考えることができれば、人間と他の諸宇宙との関係をはっきりさせるのはずっと容易になるのだが。」と仲間のZが言った。彼は私と一緒にこの宇宙についての考えを理解し、さらに発展させようと努めていたのである。
しかし、我々がこれについてGと一、二度話したとき、Gは自分の定義を主張し続けた。Gがペテルスブルグを離れるとき(1917年の最後の訪問のときだったかもしれない)誰かが駅で宇宙に関して質問したのを覚えている。

G:ミクロコスモスが何を意味するかを理解してみなさい。それが理解できれば、君が今たずねたことやそれに関することは、すべて明らかになるだろう。
後でこれについて話しあったとき、〈ミクロコスモス〉を人間と考えれば問題は解きやすくなるのがわかった。
これはもちろん仮定的なものではあったが、それでも宇宙と人間に関する全体系に完全に調和していた。個々のあらゆる生物(犬、猫、木等)はミクロコスモスと考えることができ、そしてすべての生物の組合せがトリトコスモス、あるいは地球上の有機生命体を構成している。私にはこの定義が論理的に可能な唯一のものに思えた。だから、なぜGがこれに反対したのか理解できなかったのである。
しかしともかく、後で再びこの宇宙の問題に戻ってきたとき、私は人間をミクロコスモスと考え、トリトコスモスを地球上の有機生命体と考えることに決めた。
このような考察に伴って、非常に多くのことが前以上に結びつき始めた。そしてあるとき、Gが私にくれた『真理のきらめき』の原稿(私が最初にモスクワのグループを訪れた際に冒頭部分が読まれたもの)に目を通していたとき、その中に〈マクロコスモス〉〈ミクロコスモス〉という表現を見つけ、そればかりか〈ミクロコスモス〉が人間を指している箇所まで見つけたのである。

今やあなたは、マクロコスモスの生命を司る法則に関するいくばくかの観念をたずさえて地球に帰ってきたのです。思いだしなさい、「上がそうであるように下もまたそうである」ということを。これ以上説明しなくてもあなたは、個々の人間(ミクロコスモス)の生命も同じ法則に支配されているという説に反対はしないであろうと思います。(『真理のきらめき』)

この一文は、〈ミクロコスモス〉を人間と考えようとしていた我々をさらに励ましてくれた。後になって初めて、なぜGが〈ミクロコスモス〉という概念を人間に比べて小さなものに適用させようとしたのか、またそうすることによって我々の思考を何に向けさせようとしていたのかがはっきりしたのである。
この問題に関してあるやりとりがあった。
「もし諸宇宙間の関係を図表で表すとすれば」と私は言った。「我々はミクロコスモス、つまり人間を点と考えなければなりません。換言すれば、人間を非常に小さな規模で、いわば我々自身から遠く離して考えなければなりません。そうすればトリトコスモスの中での、つまり他の人間や自然の中での人間の生は、彼が地球という球体の表面をあちこち動くときにできる線となるでしょう。メゾコスモスの中では、つまり地球が地軸を中心に自転する24時間の運動との関係から見れば、この線は平面となります。他方太陽との関係から見れば、つまり太陽をまわる地球の運動を考慮すれば、これは三次元体になります。言いかえれば、真に存在するもの、実現されたものになるのです。しかし元の点、つまり人間もしくはミクロコスモスが三次元体であるために、その結果我々は2つの三次元性をもつことになります。この場合、人間のあらゆる可能性は太陽の中で実現されます。これは前に言ったこと、すなわち人間第七番は太陽系の範囲内では不死になるということと一致しています。
太陽を超えれば、つまり太陽系を超えれば人間は存在せず、また存在することもできない。換言すれば、次なる宇宙の視点から見れば人間は全く存在しないのです。人間はマクロコスモスの中では全く存在しません。マクロコスモスはトリトコスモスの可能性が実現される宇宙であり、人間はトリトコスモスの原子としてのみマクロコスモスの中に存在できるのです。地球の可能性はメガロコスモスの中で実現され、太陽の可能性はプロトコスモスの中で実現されます。
もしミクロコスモス、あるいは人間が三次元体であるとすれば、トリトコスモス、すなわち地球上の有機生命体は四次元体です。また地球は5つの次元をもち、太陽は6つの次元をもつことになります。
普通の科学的見解は人間を三次元体とみなし、地球上の有機生命体を全体としてとらえて三次元体、というよりもむしろ現象と考え、地球は三次元体、太陽も三次元体、太陽系も銀河系も三次元体と考えます。
この見解が不正確であることは、ある1つの宇宙の存在を他の宇宙の中で考えてみれば、つまり下位の宇宙を上位の宇宙の中で、または小さな宇宙を大きな宇宙の中で考えてみれば(例えば有機生命体の中の、あるいはそれとの関連における人間の存在のように)はっきりします。この場合、有機生命体は絶対に時間の中で考えられなければなりません。時間内存在とは第四次元に沿った伸張なのです。
地球も三次元体と考えることはできません。もし静止しているなら、たしかに三次元でしょうが、その自転運動は人間を五次元の存在にし、一方太陽をまわるその公転運動は地球自体を四次元にしています。地球は球体ではなく太陽をめぐる螺旋であり、太陽も球体ではなくてこの螺旋の内側の動軸です。この螺旋と動軸は、これを考えあわせると、次の宇宙の中で横の運動をもっているはずですが、この運動からどんな結果が生じるかは知ることができません。というのも、我々はこの運動の性質も方向も知らないからです。
さらに、7つの宇宙は〈次元の周期〉を表していますが、これは宇宙の連鎖がミクロコスモスで終わりになるということではありません。もし人間がミクロコスモス、つまり彼自身の内の宇宙であるとすれば、彼の肉体を形成している微細な細胞は彼に対して、彼自身と地球上の有機生命体との関係と同様の関係をもつでしょう。顕微鏡的な視野の境界線上にある微細な細胞は次の段階、次なる宇宙を包含する何十億という分子からできています。さらに先に進むと、次の宇宙は電子であると言えるでしょう。というわけで、我々は(第二のミクロコスモスの細胞)と、(第三のミクロコスモスの分子)、(第四のミクロコスモスの電子)を手に入れました。〈細胞〉〈分子〉〈電子〉といった区分や定義は非常に不完全である可能性もあります。時が経てば科学は他の定義を立てるかもしれません。しかし、原理は常にどこまでも同一であり、下位の宇宙はミクロコスモスに対して常に、また正確にこのような関係をもち続けるでしょう。」
あのとき我々が宇宙に関して交わした会話をすべて再構成するのは難しい。
私はしばしば、特にGの異なる宇宙における異なる時間という言葉に思いをめぐらした。そこにこそ私の解ける、また解かねばならない謎があると感じたのである。
この間題に関して考えてきたことをまとめようと決心したとき、最終的に私は人間をミクロコスモスと考えることにした。そして、人間に関連した次の宇宙を〈地球上の有機生命体〉と考え、その名称は理解していなかったが(なぜかというと、私はずっと、なぜ地球上の有機生命体が〈第三の〉宇宙であるのか?という問いに答えられないでいたからである)、ともかくそれを〈トリトコスモス〉と呼ぶことにした。しかし名称は重要ではない。これ以後すべてはGの体系にうまく調和した。人間の下、つまりそれに次ぐ小さな宇宙は〈細胞〉である。これにはいかなる細胞でも、いかなる条件下の細胞でもあてはまるというわけではなく、たとえて言えば、人間の胎児の細胞のようなかなり大きな細胞がこれに当たる。これに続く宇宙としては、小さな、超微細な細胞をあげることができる。微細な世界の中に2つの宇宙が存在するという考え、つまり〈人間〉と〈大きな細胞〉とが異なっているのと同じほど互いに異なる2つの微細な個体が存在するという考えは、細菌学ではすでに明白になっている。
それに次ぐ宇宙は分子であり、その次の宇宙は電子である。〈分子〉〈電子〉のどちらとも私には確実で信頼できる定義とは思えなかったが、ただ他のものがないからこれらを使ったのである。
このような連続によって、諸宇宙は絶対に同一の標準では測れないことが疑いの余地なく導きだされ、かつ支持された。つまりそれはゼロから無限までの比率を保持していたのである。そして後になると、この体系は多くの非常に興味深い解釈を可能にした。
この宇宙に関する考えは、我々が最初にそれを聞いたときから一年経ってようやくそれ以上の発展を見た。つまりその年、1917年の春、私は初めて〈様々な宇宙の時間表〉をつくるのに成功したのである。しかしこの表についてはもっと先で述べることにしよう。私はただ、約束したのにGはとうとうこれらの宇宙の名称やその起源を説明してはくれなかったということだけをつけ加えておこう。


28

G:私はよく福音書の聖句や寓話に関連した質問を受ける〔と、あるときGが言った〕。思うに我々が福音書について話すのはまだ早すぎる。それにはもっと多くの知識がいる。しかし時には、福音書の聖句を討論の起点に使うつもりでいる。そこから君たちは、それらの聖句の正しい扱い方と、何より、よく知られている聖句の最も本質的な点が普通見逃されているということを学ぶだろう。
まずは、生まれるためには死ななければならない種についてのあの有名な聖句をとりあげてみよう。
「一粒の麦もし地におちて死なずば、ただ一つにてあらん。死なば多くの実を結ぶべし。」
この聖句には多くの難しい意味が含まれている。我々は何度もこれに立ち戻ることになるだろう。しかし何よりまず、人間に適用される場合のこの聖句に含まれた原理を十分に知る必要がある。
これまで一度も出版されず、これからもたぶん出版されることのない一冊の金言集がある。この本については前にも、知識の意味についての質問に関連してふれたし、そこから引用したこともある。
我々が今話していることに関して、この本はこう言っている。
人は生まれるであろうが、生まれるためにはまず死ななければならない、そして死ぬためにはまず目を覚まさなければならない
別のところではこうも言う。
人は目覚めたとき死ぬことができる。死んだとき彼は生まれることができる
これが意味するものを我々はつきとめなければならない。
〈目覚める〉〈死ぬ〉〈生まれる〉、これは3つの連続的な段階だ。福音書を注意深く研究すれば、たびたび生まれることの可能性に言及し、〈死ぬこと〉の必要性も何度か説き、〈目覚めること〉の必要性に至っては繰り返しふれていることがわかるだろう、「見よ、なんじ日も時も知らざればなり・・・」等々。
しかし、この3つの人間の可能性、つまり目覚めること、もしくは眠らないこと、死ぬこと、生まれることは、互いに結びつけて考えるべきではない。とはいえ、やはりここに問題の核心がある。目覚めないまま死ねば、生まれることはできない。もし死なないまま生まれれば、人間は〈不死の物〉となるかもしれない。こんなふうに、〈死んで〉いないということは、人間が〈生まれる〉のを妨げる。目覚めていないということは〈死ぬ〉のを妨げ、死なないまま生まれることは〈存在すること〉を妨げる。
我々はすでに〈生まれる〉ことの意味について、十分話してきた。これは、本質の新たな生長、個体性の形成の開始、一つの分割不能な〈私〉の出現に関係している。
しかしこれを手に入れるためには、いや手に入れようとし始めるだけでも、人間は死なねばならない、つまり今の状態にひきとめている何千という取るに足りない執着から自由にならなければならない。
人間は生のあらゆるものに執着している。自分の想像、愚かしさ、苦しみにまで執着しているのだ。いや、苦しみに一番執着しているとさえ言えるかもしれない。このような執着から人は自分を解放しなければならない。ものごとへの執着、ものごとへの自己一体化は、人間の中に無数の無用な〈私〉を生かしておく。大きな〈私〉が生まれるためには、これらの〈私〉は死なねばならない。しかし死なせるにはどうしたらよいだろう。それらはむろん死にたいとは思っていない。覚醒の可能性が救いの手を差しのべるのはまさにこの時だ。覚醒するとは、自分が無であることを自覚すること、つまり自分が完全に、絶対的に機械的であり、全く救われようがないということを自覚することにほかならない。しかし、これを哲学的に言葉で理解しても十分とは言えない。明瞭で単純で具体的な事実として、自分自身の事として自覚する必要があるのだ。
人間が自分自身を少しでも知り始めると、ぞっとせずにはおれない多くのことを自らの内に見いだすだろう。自分に対して恐怖を感じない限り、自分について何かを知ることはできない。
人間は自らの中に、恐怖を抱かせるものを見てきた。彼はそれを投げ捨てよう、抑えよう、終わりにしようと決心する。しかしどんなに努力してもできないのを感じ、すべては元のもくあみになってしまう。ここで彼は、自分が無力で救いようがなく、要するに無であることに気づくのだ。あるいはここでもまた、つまり自己を知りはじめると、自分が何一つ所有していない、つまり自分のものだと思っていたものはみな、例えば見解、思想、確信、嗜好、習慣、いや欠点や悪癖でさえも自分自身のものではなく、模倣によってつくりあげられたか、既成のものを借りているかのどちらかであることを知るようになる。このように感じるとき、人は自分が無であると感じるだろう。そして、自分が無であると感じるとき、人は自分をあるがままに、一分一秒ではなく絶えず、決してそのことを忘れることなく見ているのだ。
この、自分が無であり救いようがないという継続的意識は、ついには人間に〈死ぬ〉勇気を与える。すなわち、ただ心理的に意識の中で死ぬのではなく、本当に死に、そして内的生長という観点から見れば不必要かつ妨害になるような側面を現実にかつ永久に放棄してしまうのだ。これらの側面の第一は〈偽りの私〉であり、また〈個体性〉、〈意志〉、〈意識〉、〈行為能力〉、力、独創力、決断力等々に対するあらゆる空想だ。
しかし、ものごとを常に見るためには、何よりもまず、一秒の間でもいいから見ることが必要だ。自覚の新しい力と能力は、常に同じ形でやってくる。最初それは、一瞬のひらめきとしてまれに現れる。やがてもっとたびたび現れ、長く続くようになり、ついには非常に長い努力を経て永久のものとなる。覚醒にも同じことが起こるのだ。瞬時にして完全に覚醒することは不可能だ。最初は短時間の覚醒から始めなければならない。しかしある程度の努力を積み、ある種の障害を克服し、もうひき返さないと決意したとき、人は瞬時に、かつ永久に死んでしまわねばならない。死に先立つ漸進的な覚醒がなかったなら、これは人間には困難、いや不可能でさえあるかもしれない。
ところが、人間の覚醒を妨げ、夢の力の中にとどめておこうとするものが無数にある。覚醒への意志をもって意識的に行動するには、人間を眠りの状態にひきとめておこうとする力の性質を知る必要がある。
まず第一に、人間が陥っている眠りは正常なものではなく催眠状態であることに気づかなくてはならない。人間は催眠術にかけられていて、この催眠状態はとぎれずに続くばかりか強められさえする。人によっては、人間を催眠状態にとどめ、真理を知って自分の位置を理解するのを妨げておいた方が都合のいい諸力が存在すると考えるだろう。
ここに1つの東洋の物語がある。

たいそう金持ちの魔術師が羊をたくさん飼っている。ところが、この魔術師はひどいケチで、羊の番人も雇わなければ、放牧している牧草地のまわりに柵をつくりもしなかった。そんなわけで、羊はよく森へ迷いこんだり谷に落ちたりしたが、何より悪いことは、逃げだす羊が後を断たなかったことだ。というのも、羊たちは魔術師が自分たちの肉と皮を欲しがっているのを知っており、それが嫌だったからだ。
ついに魔術師は解決策を思いついた。羊に催眠術をかけて、まず、おまえたちは不死身だから皮をはがれても何ともない、いやそれどころか健康にもよく気持ちがいいと暗示をかけた。次に、魔術師はよい主人で羊をとても愛しており、おまえたちのためなら何でもすると暗示した。それから、もし何かがおまえたちに起こるとしてもそれはすぐにではない、ともかく今日ではない、だから何も心配する必要はないと暗示したのである。さらに魔術師は羊に、おまえたちは羊ではないと言い、ある羊たちにはおまえたちはライオンだ、他の羊にはだとか人間だとか、あるいは魔術師だと暗示をかけた。
それからというもの、魔術師は羊の心配をする必要はなくなった。羊はもう逃げだすこともなく、魔術師が肉と皮をとりにくる日をおとなしく待つようになったのだ。


この話は人間の有様をとてもうまく説明している。
いわゆる〈オカルト〉文献といわれるものの中で、〈クンダリニー〉とか〈クンダリニーの火〉とか〈クンダリニーの蛇〉などという言葉を見かけたことがあるだろう。こういった言葉はよく、人間に内在し、しかも呼びさますことのできるある不思議な力をさすのに使われる。しかしこれまでのいかなる理論もクンダリニーの力を適切に説明してはいない。時としてそれは性、性エネルギー、つまり性エネルギーを別の目的に使いうるという考えと結びついているが、これは完全に間違っている。というのは、クンダリニーは何の中にでも存在しうるからだ。それに何よりも、クンダリニーは人間の発展にとって何ら望ましい有益なものではない。オカルティストたちがこの言葉をどこからどのように入手したかにはとても興味があるが、しかし彼らはその意味を完全に変え、本来非常に危険で恐るべきものを、何か天恵のような、望ましいもの、待望すべきものにしてしまったのだ。
本当はクンダリニーとは真の機能にとってかわる想像の力、空想の力なのだ。人間が行動するかわりに夢を見、その夢が真実にとってかわり、自分を鷲やライオンや魔術師だと想像するのは、クンダリニーの力が働いているからだ。クンダリニーはどのセンターの中でも働くことができ、そのため全センターは真実よりも空想に満足を覚える。自分をライオンとか魔術師とか考える羊は、まさにクンダリニーの力のもとで生きているといえる。
クンダリニーは、人間を現在の状態にとどめておくために体内に注入された力だ。もし人間が自分の本当の状態を知り、その恐ろしさを十分理解できれば、ほんの一瞬といえども今自分がいるところにとどまることはできないだろう。彼らは出口を捜し始め、すぐに見つけるにちがいない。なぜなら出口はあるからだ。しかし人間は、ただ催眠状態にあるがために、出口を見つけられないでいるのだ。クンダリニーは人間を催眠状態にひきとめようとする力だ。〈覚醒する〉とは〈催眠状態から解かれる〉ということだ。ここに大きな困難があり、同時にその可能性の保証もあるのだ。というのも、眠りには本質的な理由は何もなく、人間は目覚めることができるからである。
これは理論的には可能だが、実際にはほとんど不可能に近い。その理由は、人間が目覚めて目を開くやいなや、彼を眠りこませるあらゆる力が10倍のエネルギーで働き始め、彼はすぐにまた眠りこみ、しかもほとんどの場合、目覚めている、あるいは目覚めようとしている夢を見ているからだ。
人間が目覚めたいと思いながらできないでいる眠りには、ある決まった状態がある。自分は目覚めていると言い聞かせながら、現実には眠り続ける。そしてこれは、最終的に目覚めるまでに一度ならず起こるだろう。普通の眠りでは、目覚めた後は違った状態になるのだが、催眠状態では事情は異なる。そこには客観的な特徴は何もない、少なくとも目覚めの初期においては。この場合、眠っていないのを確かめようと自分をつねることはできない。そのうえ、もし(こんなことはないように願いたいが)何か少しでも客観的特徴のことを耳にしたことがあれば、クンダリニーはたちどころにそれを空想と夢に化してしまうのだ。目覚めることの難しさを十分に悟っている者だけが、目覚めのための長く苦しい努力の必要性を理解することができる。
一般的に言って、眠っている人を起こすには何が必要だろうか? それは適度なショックだ。しかし、熟睡時には一つのショックでは不十分だ。長期にわたる継続的なショックが必要となる。それに、誰かこのショックを監督する者がいる。私は前に、もし目覚めたいのなら自分を長時間ゆさぶり続けてくれる人を雇わなければならないと言った。しかし誰も彼もが眠っているとしたら、いったい誰を雇えるだろう。自分を起こしてくれる人を雇おうにも、その当人も同様に眠りこんでいるのだから。こんな人間が何の役に立つだろう。それに本当に目覚めている人は、たぶん他人を起こすことなどに時間を使いたがらないだろう。そんなことよりもっと大切な自分の仕事をもっているだろう。
機械的な手段で起こしてもらうこともできる。目覚まし時計を使うこともできるだろう。しかし問題は人間はたちどころに目覚まし時計に慣れてしまうので、すぐにそれが耳に入らなくなることだ。となるとたくさんの目覚まし時計が、しかも常に新しいやつが必要となる。そしてまわりにたくさんの目覚まし時計を置いて眠りこまないようにしなくてはならない。しかしここにも問題がある。目覚まし時計はネジを巻かなくてはならないからだ。巻くためには覚えておかねばならず、覚えておくためにはたびたび起きなくてはならない。しかもなお悪いことには、全部の目覚まし時計に慣れてしまい、しばらくするとそれらがあった方がよく眠れるようになってしまうことだ。だから、ひっきりなしに時計を変えねばならず、新しいものが次々に必要となる。時間が経てば、これは目覚めを助けるようになるかもしれない。しかし時計をつくったり、巻いたり、とりかえたりするのを他人の助力なしに一人で全部やるなどほとんど考えられない。むしろ、彼が努力し始めながらもしだいに眠りに落ちこみ、夢の中で目覚まし時計をつくったり、巻いたり、とりかえたりしながらますます深く眠りこむということの方がずっとありそうなことだ。
だから目覚めるためには種々の努力を結集することが必要だ。起こす人が必要であり、その人の世話をする者が必要であり、目覚まし時計をもつ必要があり、また常に新しいのをつくりだすことが必要なのだ。
しかしこれを全部実行して何らかの成果を得るには、何人かの人々が共同で働かなければならない。
人間は一人では何一つすることができないのだ。
人間は何よりもまず助けを必要としている。しかし、助けは一人の人間にだけやってくることはありえない。助けを与えることのできる人たちは自分の時間を非常に大切にする。だから当然、目覚めたい人を助けるのなら、一人よりは20、30人の方が都合がいいわけだ。またそれ以上に、前にも言ったが、人間は一人だと容易に自分を騙し、新しい夢にすぎないものを目覚めと思いこんでしまう。もし何人かの人が眠りに対して共に闘う決意をすれば、彼らは互いに起こしあうだろう。彼らのうち20人が眠りこんでしまっても、21人目の者が目覚めていて他の者を起こすということもよくある。つまりは目覚まし時計と全く同じことだ。ある者が1つの目覚まし時計をつくり、別の者が別のをつくれば交換も可能だ。全体的に見れば、彼らはお互いに非常に大きな助けになりうるし、またこの助けなしには、つまり一人では何も手に入れることはできない。
だから、目覚めたいと思う者は意を同じくする人を捜し、一緒に働かなくてはならない。しかしこれは、言うは易く行なうに難いことだ。このような仕事を始め、組織立てるには普通の人間がもつことのできない知識がいるからだ。この仕事には、しっかりした組織と指導者をもつことが必要だ。そうして初めて望ましい結果を生みだすことができる。このような条件が満たされなければ、どんな努力も水泡に帰すほかない。人間は自分を責めさいなむこともできるが、それは目覚めには役立たない。ある人々にはこれが最も理解しにくい点だ。そのような人は、自分一人で膨大な努力を重ね、大きな犠牲を払うこともできるだろう。しかし、彼らの第一の努力、第一の犠牲は服従であるべきなのに、どんなことがあっても彼らは他人に服従しようとはしない。そして彼らは、自分たちの努力と犠牲がすべて無駄であることを認めようとしないのだ。
ワークは組織立っていなくてはならない。そしてこれは、その問題点と目的と方法を知っている人、自らそのような組織立ったワークをしてきた人なしでは達成することはできない。
人はたいてい小さなグループで研究を始める。普通このグループはさまざまなレベルの同種のグループとつながりをもっており、それが全部一緒になって〈準備的スクール〉と呼ばれるものを構成している。
グループの最も重要な特徴は、グループはそのメンバーの要望や選択に従ってつくられているのではないということだ。グループは師がつくるのであり、彼は自己の目的という観点に立って、互いに有益となるようなタイプの人間を選ぶのだ。グループにおけるいかなるワークも師を欠いては不可能だ。間違った師をもつグループは、望ましからざる結果しか生みだせない。
グループのワークの次の重要な特徴は、グループはある目的と結びついているということだ。しかしワークを始めようとしている人たちはこの目的については何も知らず、しかも彼らがワークの本質と原理またそれに結びついた諸観念を理解するまでは説明さえしてもらえない。しかし、それと知らずに彼らが仕え、向かっているこの目的は、ワークの中で均衡を保つのに必要な原理なのだ。彼らの最初の課題はこの目的、すなわち師の目的を理解することだ。たとえ最初は十分でないにせよ、この目的を理解すれば、彼らのワークはもっと意識的になり、よりよい結果を生みだすことができる。しかし既に言ったように、ほとんどの場合、ワークを開始した当初には師は自分の目的を説明できないのだ。
したがって、グループでワークを始めようとする人の最初の目的は、自己研究でなくてはならない。自己研究は、適切に組織されたグループの中でしか進めることができない。一人では自分自身を見ることはできないのだ。しかし複数の人間がこの目的のために団結すれば、彼らは無意識のうちに互いに助けあうようになる。自分の欠点よりも他人の欠点の方がよく見えるのは、人間の本性の一般的な特徴だ。同時に、自己研究の途上で、人は他人に見るあらゆる欠点を自分も持っていることに気づく。たしかに、他人に見る欠点が自分の中には見あたらないことも沢山ある。しかし今言ったように、そんな場合でも、人はこれらの欠点が自分のものであることを知っているのだ。このようにグループのメンバーは、自分自身を見る鏡としてお互いを助けるのだ。しかしもちろんのことだが、他人の欠点の中に自分の欠点をも見るためには、自己を厳しく見張り、そのうえ自己に対してきわめて誠実でなくてはならない。
自分が一人でないということを思いださねばならない。つまり自分の一部は目覚めようとしているのに、他の部分はそんな欲求を全くもたず、それゆえ力ずくで目覚めさせねばならない、あの〈イワノフ〉〈ペトロフ〉〈ザハロフ〉なのだということを。
グループとは普通、〈イワノフ〉〈ペトロフ〉〈ザハロフ〉に対し、つまり〈誤った人格〉に対して共闘するために、人々の〈私〉の間で結ばれた契約である。ペトロフをとりあげてみよう。ペトロフは2つの部分、つまり〈私〉と〈ペトロフ〉から成っている。しかし〈私〉は〈ペトロフ〉に対しては無力だ。〈ペトロフ〉が主人なのだ。
20人の人間がいると考えてみよう。20の〈私〉は今や一人の〈ペトロフ〉に対して闘いを始める。彼らは〈ペトロフ〉より強いかもしれない。ともかく彼の眠りを妨げることはできる。彼はもはや以前のように安眠することはできない。そしてそれこそが目的のすべてなのだ。
さらに進んで、自己研究のワークで人は自己観察から生まれる資料を蓄積し始める。20人の人間は一人の20倍の資料を集めることになろう。そして彼らの一人一人はこの全資料を使うことができる。というのも、観察の交換はグループの存在目的の1つだからだ。
グループが組織されるとき、メンバーはいくつかの条件を課される、まず、メンバー全員に対する一般的条件、それに個々のメンバーに対する個々の条件だ。
ワークを始めるに当たっての一般的条件はだいたい次のようなものだ。最初に、メンバー全員に、グループ内で聞いたり学んだりしたことはすべて、単にメンバーである間だけでなく永久に秘密として守らなければならないことが説明される。
これは必要不可欠の条件で、一番最初からはっきりさせておくべきだ。言いかえれば、この中には本質的に秘密ではないものを秘密にしようとするいかなる企ても、また、まわりの者や友達と意見を交換する権利を彼らから奪うようないかなる意図もないことをはっきりさせておくべきだ。
この制限という考えは、彼らはグループ内で言われたことを正しく伝達することができないという事実に基づいている。彼らは自分の個人的経験により、グループ内で言われることを把握するにはどれだけの努力、どれだけの時間、どれだけの説明が必要かをすぐ理解し始める。そして学んだ正しい考えを友達に伝えるのは自分たちには不可能だということがはっきりしてくる。同時に彼らは次のことも理解し始める。すなわち、友達に誤った考えを教えることは、彼らがワークに近づく可能性、あるいはワークに関連したことを理解する可能性から閉めだすだけでなく、そうすることによって、自分自身の将来にも非常に多くの困難と不快さをもつくりだしていることを。にもかかわらず、あえてグループ内で聞いたことを友達に伝えようとするなら、彼はすぐにそれが全く予期も望みもしなかった結果を生むことを納得するだろう。人々は彼と議論したりその話に耳を傾けたりするどころか、逆に自分たちの理論を聞かせようとしたり、あるいは彼が言ったことにことごとく全然違った意味付けをして誤解したりするのが関の山なのだ。
このことを理解し、そんな試みが無益であることがわかれば、この制限の一側面が理解できるようになるだろう。
これに劣らず重要なことは、人間は興味のあることに関して沈黙を守るのが非常に難しいということだ。彼は自分で思想と呼ぶものをいつも交換しあっている友達と、それについて話すのが大好きだ。これはあらゆる欲望のうちでも最も機械的なもので、この場合沈黙はあらゆる禁欲のうちで最も困難なものとなる。しかしこれが理解できれば、あるいは少なくともこのルールに従えば、沈黙は彼にとって自己想起と意志の発達のためのこのうえない修練となるだろう。
必要なとき沈黙できる人間だけが自己の主人たりうるのだ。しかし多くの人々は、とりわけ自分を真面目で健全な人間、あるいは孤独と省察を好む物静かな人間と考えている人々は、自分の主要な性質の一つが過度の話し好きであるという考えにはどうしても馴染めない。そしてまたそれゆえにこそ、この要求はとりわけ重要なのだ。これを覚えていて実行することによって、人は以前には一度も気づいたことのない自分の側面を見るようになる。
グループのメンバーに課せられた次の要求は、グループの師に全真実を言わなければならないというものである。
これも明確に理解しなければならない。
人々は、人生のいかに大きな部分が嘘や真実の抑圧で占められているかに気づいていない。人間は、自分や他人に対して誠実であることができないのだ。彼らは、必要なときに誠実であることはこの世で最も難しいことの一つであることさえわかっていない。真実を話すも話さないも、誠実であるもないも、すべて自分次第だと思っている。だからこそ彼らはまず第一に、ワークのとの関係でこの要求を理解しなければならない。師に故意にうそをついたり、誠実さを欠いたり、あるいは何かを隠したりすれば、そういう人はグループにとって全く無用な存在であるし、師に対して無礼なことをしたり、彼の面前で無作法であったりするよりももっと悪いのだ。
グループのメンバーに課せられる次の要求は、
なぜ自分がこのグループに入ったかを覚えておかなければならないというものだ。彼らは学び、自己修練をするために来たのであり、しかも来る前の自分の理解に従ってではなく、教えられることに従って学び、かつ働くために来たのである。だから、いったんグループに入った後で、もし彼らが師に不信を覚え、それを表明したり、彼の行動を批判したり、自分たちの方がグループの運営の仕方をよく知っていると思い始めたら、また特に師との関係の中で外的考慮や敬意や辛抱強さを欠いたり、無愛想であったり、議論好きな傾向を見せたりすれば、あらゆるワークの可能性はすぐに消えてしまう。というのは、ワークは、みなが自分は学ぶためにきたのであって、教えるためにではないということを覚えている限りにおいてのみ可能であるからだ
もし人が師を信頼しなくなり始めたら、彼には師は不要になるし、師にとっても彼は不要になる。そうなってしまえば、そこを出て別の師を捜すか、それとも師なしで頑張ってみるかした方がいいだろう。
そんなことをしてもろくなことにならないだろうが、それでも師に嘘をついたり、隠しだてしたり、抵抗したり、疑ったりするよりはましだろう。
これらの基本的な要求に加えて、グループのメンバーは働かなくてはならないというのが当然の前提になっている。グループにいつも出入りするだけで少しも働かず、それで自分は働いていると考えたり、グループにいることがすなわち労働だと思ったり、よくあることだが、グループに席をおくことを暇つぶしと考えたり、そこでただただ楽しいだけの交友関係をもったりするのであれば、グループにいることは全く無駄になってしまう。こんなときには、追いだされるか、それとも自分で出ていくのが早ければ早いほど、彼にとっても他の人たちにとってもいいのだ。
ここに列挙した基本的な要求は、グループの全メンバーが従わなければならない規則の原案だ。第一に規則は、自分を妨げたり害したりするものすべてを排除することに専心したいと思う者を助ける。第二にそれは彼が自己想起するのを助ける
ワークを始めるに当たって、グループのメンバーがあれこれの規則を好まないということもよくある。
彼らはこんなことを尋ねさえする。
規則なしでワークすることはできませんか?」
彼らには、規則は自由に対する不必要な抑圧、面倒くさい形式のように思われ、規則のことで注意されるのは、師の悪意や不満のせいだと思えるのだ。
しかし実は、規則は彼らがワークから得る最初の重要な助けなのだ。規則が、娯楽や満足、ものごとをやりやすくすることなどを目的としていないのは当然のことだ。規則はある明確な目的を追求する。すなわち、〈もし彼らが存在していたら〉、つまり自己を想起し、グループの内外の人、及び師に対していかに振るまうべきかを自覚していればとるであろう行動をなさしめるのだ。もし自己を想起し、かつそれを自覚していれば、規則は必要ない。しかしワークの初期には、自己を想起することもこれを理解することもできないので、規則が必要不可欠なのだ。とはいえ、規則は決してやさしくも楽しくも、ましてや快適なものにもなりえない。それどころか、困難で不快で厄介なものであるべきだ。そうでなければ目的にかなわない。
規則は眠っている人間を起こす目覚まし時計だ。ところが人間は、ちょっと目を開けて目覚まし時計にあたりちらしながら自問する。「いったい目覚まし時計なしで目を覚ますことはできないのだろうか?」と。
これら一般的な規則の他にいくつかの個々の条件があり、個々人に別々に与えられ、またそれらは普通、彼の〈主要な欠点〉もしくは主要な特徴に関係がある。これについては少し説明がいるだろう。
すべての人間はその中心となる性格にある特徴をもっている。これはそのまわりに彼のあらゆる〈誤った人格〉が回転する心棒のようなものだ。すべての人の個人的なワークはこの主要な欠点に対する闘いでなくてはならない。このことは、なぜワークには一般的規則が存在しえないか、またなぜそのような規則を発展させようとするあらゆる体系がなにものにも到達せず、それどころか害を生むのかを説明してくれる。
いったい一般的な規則など存在しうるだろうか? ある人にとって有益なものは別の人には害になる。ある人は話しすぎる。彼は沈黙できるようにならなければならない。別の者は話すべきときに黙っているので話せるようにならなければならないといった具合で、これは常にあらゆることにあてはまる。グループのワークに対する一般的規則は、すべての者を対象にしている。個人的指導は個人的でしかありえない。これに関連してもう一度言うが人間は自分の主要な特徴、主要な欠点を一人で見つけることはできない。文字通りこれは法則なのだ。師はこの特徴を彼に指摘し、どうやってそれと闘うかを教えなければならない。これは師以外には誰にもできないことだ。
主要な欠点を研究し、それと闘うことが、いわば一人一人の個人的な道を形づくるのだが、全メンバーにとって目的は同一でなくてはならない。この目的とは、自己の無であることの自覚である。自己の救いようのなさ、無であることを、本当に、真摯に確信し、絶えずそれを感じるようになったとき初めて、人はワークにおける次の、しかもずっと困難な段階に進む準備ができたと言えるのだ
これまでに言ったことはみな、真の具体的なワークと結びついている真のグループ、〈第四の道〉と呼ばれているものと結びついているグループに関したものだ。しかし、偽の道、偽のグループ、偽のワークもたくさんある。それらは〈黒魔術〉でさえない。
これまでの講義で〈黒魔術〉とは何か?という質問がよく出された。それに対して私は、赤や緑や黄色の魔術はないと答えた。あるのは力学、すなわち〈起こる〉ことと、そして〈為すこと〉だ。〈為すこと〉こそが魔術であり、またこれにはただ一つの種類しかありえない。二種類の〈為すこと〉は存在しえないのだ。しかしそれでも、〈為すこと〉がただ表面的に偽造され模倣されることもある。これは客観的にはいかなる結果も生みだすことはできないが、それでも純朴な人々を騙して彼らの内に信仰、過度の熱中、熱狂、そればかりか狂信さえも生みだすのだ。
これが、真のワーク、つまり真の〈為すこと〉においては、人々を過度に熱中させることが許されない理由だ。黒魔術と呼ばれているものは、この熱狂と、人間の弱さにつけこむことを土台にしている。黒魔術はいかなる意味でも悪の魔術ではない。前にも言ったが、これまで誰一人として悪のために、悪の利益のために何かをやった者はいない。誰もが自分なりに理解している善のために何かをするのだ。だから同様に、黒魔術は必然的に利己主義的になるとか、黒魔術では人は自分の利益しか追い求めないなどと主張するのも正しくない。これは全く間違っている。黒魔術が完全に利他的であるということもありうる。
つまりそれが人間の善を追求したり、真の悪、空想上の悪から人類を救済することを願っているということもありうるのだ。しかし、黒魔術と呼びうるものは常にある明確な特質をもっている。その特質とは、ある目的、時には最高の目的のためにさえ、何も知らせも理解させもせずに人々の内に信仰や熱狂を生じさせ、恐怖をてこにして働きかけて、彼らを利用するという傾向である。
しかしこれに関連して、〈黒魔術師〉は、善玉にせよ悪玉にせよ、ともかく一度はスクールにいたことがあるということを覚えておきなさい。彼は何かを習い、聞き、そして知っている。彼はスクールから追いだされたか、それとももう十分に知ったと決めこんで自分から出ていった、いわゆる〈半分教育を受けた人間〉だ。つまり彼はそれ以上服従したくなかったし、それにもう独立して働けるし、他の者のワークを指導することさえできると思いこんだわけだ。この種の〈ワーク〉はすべて主観的な結果を生みだすだけだ。言いかえればそれは欺瞞と眠りを増大させこそすれ減らすことはできない。にもかかわらず、むろん誤った形でではあるが、〈黒魔術師〉から何かを学ぶこともできる。彼は時々偶然に真理を口にすることもある。私が〈黒魔術師〉より悪いものはいくらでもあると言ったのはこのためだ。種々の〈オカルト〉や神智学の協会やグループなどがそうだ。そういったところで教えている者はスクールに行ったことがないだけでなく、スクールに近づいた人に会ったことさえない。彼らのワークはただの猿真似だ。しかも、こういった模倣は非常に大きな自己満足をもたらすものだ。ある者は自分が〈師〉であると感じ、また別の者は自分を〈弟子〉であると感じ、それでみんな満足というわけだ。人間が無であるということのいかなる自覚もここでは得られる可能性はなく、もし自分はそれを自覚していると主張したところで、それは(もし全くのペテンでないとしたら)全部幻想か自己欺瞞にすぎない。それどころか、こういったグループのメンバーは自分が無であることを自覚するかわりに自分は重要であると思いこみ、誤った人格を生長させるのだ。
初めのうちは、このワークが正しいか誤っているか、進んでいる方向が正しいか間違っているかを証明するのは非常に困難だ。この点、ワークの理論的な部分は有益であるかもしれない。ワークのこの側面の方が判断しやすいからだ。人は自分の知っていることと知らないことをわきまえている。彼は普通の手段で学ぶことができるものとできないものを知っている。そしてもし彼が何か新しいこと、つまり本などの普通の手段では学ぶことのできない何かを学ぶとすれば、この何かはもう一つの側面、つまり実践面も正しいことをある程度保証するだろう。しかしもちろん、これは完全な保証からはほど遠いものだ。ここでも誤りは起こりうるからだ。あらゆるオカルト的、降神術的な協会やグループは、自分たちは新しい知識を所有していると主張している。おまけにそれを信じる人もいる。
適切に組織されたグループでは、信仰は全然必要とされない。要求されるのはただわずかな信頼だけ、それもほんの短期間だ。というのも、聞いたことをすべて自分で確かめるのが早ければ早いほどいいからだ
〈偽りの私〉との闘い、自己の主要な特徴あるいは主要な欠点との闘いはワークの中でも最も重要なもので、しかもそれは言葉によってではなく、行為によって進められなければならない。この目的のために師は、一人一人にはっきりした課題、つまりそれを遂行するには自分の主要な特徴を克服しなければならないような課題を与える。この課題をやりとげようとするとき、人は自分自身と闘い、自己修練をするのだ。もし課題を避け、なるべくそれをやらないようにするとすれば、まさしく彼は働きたくないか、あるいは働けないということにほかならない。
普通最初は、師なら課題とさえ呼ばないような非常に簡単な課題だけが与えられる。師はそれについては多くを語らず、ただヒントを与えるだけだ。師は、弟子が自分を理解し、また課題をやりとげたと判断したとき、もっと難しい課題を出す。
もっと難しい課題は(といってもそれは主観的に見て難しいというだけの話だが)〈障壁〉と呼ばれている。障壁の特殊性は、ひとたび重大な障壁を乗り越えてしまえば、もう決して普通の眠り、普通の生活に帰ることはできないという点にある。だからもし人が、第一の障壁を乗り越えたときに、その後にやってくるものに恐怖を感じてそれ以上進もうとしないなら、彼はいわば2つの障壁の間に立ちどまっていて、前進も後退もできない。これは人間に起こりうる最悪の事態だ。だから師は、普通課題と障壁を選ぶ際には非常に注意深くなり、言いかえれば、既に小さな障壁で十分な強さを示した者にだけ、内的な障壁の克服を必要とする明確な課題を課すという危険を冒すのだ。
ある障壁の前で立ちどまったとき(それはたいてい最も小さく、最も簡単な障壁なのだが)人はよくワークや師、グループのメンバーに対して反抗的になり、自分の中の秘密があばかれつつあるがゆえに彼らを非難する。
彼らは時には後で後悔して自分を責め、それからまた他人を非難してはまた後悔するということを繰り返す。しかし、ワークを離れた後のワークと師に対する態度ほど、彼の本性をよく表すものはない。時にはそれを試すテストが意識的に計画されることもある。例えば誰かがワークを去ることを強要され、師や他のメンバーに不満をもつのも無理はないような状況に置かれる。それから彼の振るまいが見守られる。穏当な人間ならば、たとえ自分が不公平に、あるいは不当に扱われていると感じても穏当に振るまうだろう。しかし、多くの人はこのような状況に置かれると、他の場合には決して見せないような本性の一面を見せてしまう。そして場合によっては、これは人間の本性を明らかにするのに必要な手段なのだ。君たちはある人に申し分のない態度をとる限り、彼も君たちに対して申し分なく振るまうだろう。しかし君が彼をちょっとひっかいたとしたら、彼はどんな様子を見せるだろう?
しかしこれは肝心な点ではない。肝心なのは彼の個人的な態度、彼の学びつつある、あるいは既に学んだ考えに対する評価、そしてその評価を保持するか捨てるかということだ。彼は長い間真剣に自己修練を望み、大きな努力もいとわないと考えていたかもしれない。それでいて彼はすべてを投げ捨て、ワークそのものにはっきり敵対さえし、自己を正当化したり、種々の嘘をつくりだしたり、聞いたことにわざと誤った意味をこじつけたりするのだ。
「そんなことをしたら彼はどうなるのですか?」と聴衆の一人がたずねた。
G:どうにもなりはしない。どうなるというのだ。
彼自身が彼の罰なのだ。これよりひどい罰があるだろうか?
ワークがグループの中でどのように進められるかを完全に述べるのは不可能だ。結局は自分でやってみなくてはならない。これまでに述べたことはすべて単なるヒントにすぎず、その真の意味はワークの中に入り、〈障壁〉の意味するもの、それにまつわる困難を自らの経験から学ぶ人にだけ明らかになるだろう。
一般的に言って、最も困難な障壁は嘘をつくことの克服だろう。人間は絶えず、やたらに、自分自身にも他人にも嘘をついているので、それに気づくことすらない。それでも嘘をつくことは克服しなければならない。最初に彼に要求される努力は、師に嘘をつくのを克服することだ。彼はただちに、師に真実以外は話さないと決意するか、それともすべてをあきらめてしまうか、どちらかを選ばなければならない。
君たちは、師は自分自身に、人間機械の掃除と修理という非常に難しい課題を課していることに気づいたことだろう。といっても、もちろん彼は自分の修理能力の範囲内の機械だけを受けいれるのだが。もし機械の何か基本的な部分が壊れていたり、調子が狂っていたりしたら、彼は受けつけない。しかしその性能からしてまだ掃除が可能な機械でも、もし嘘をつき始めたらその可能性は全くなくなってしまう。ほんのとるにたりないものでも、あらゆる種類の隠しだて、例えば、秘密にしておいてくれと頼まれたことや彼自身が他人に言ったことも含めて、師に対する嘘は、特にその人がそれまでに努力を重ねていたのならなおさらのこと、即座に彼のワークに終止符を打ってしまう。
これは銘記すべきことだ。努力をすればするほど彼への要求は増す。真剣な努力をしない限り彼への要求はほんのわずかだが、彼の努力が即座に彼への要求を増大させるのだ。努力をすればするほど新しい要求は大きくなる。
この段階で人はよく間違いを犯す。実際これは絶えず起こることだ。彼らは、自分がそれまでにした努力やあげた功績が自分にある種の権利や便宜を与え、そのため課せられる要求は減り、またワークをしなかったときとか、後で何かまずいことをした時の言い訳になると思っている。もちろんこれは最もひどい間違いだ。昨日やったことが今日の言い訳になるというわけにはいかない。全くその反対で、もし昨日何もしなかったら今日も何一つ要求されない。もし昨日何かやったなら、今日はそれ以上のことをしなければならないのだ。これはむろん何もしない方がましということではない。何もしない者は、受けとるものもないからだ。
既に述べたように
第一の要求は誠実さだ。しかし誠実さにもいろいろな種類がある。賢明な不誠実、愚かな不誠実があるのと同様、賢明な誠実と愚かな誠実がある。愚かな誠実、愚かな不誠実は同じように機械的だ。しかしもし賢明に誠実でありたいなら、彼はまず師と、そしてワークの先輩に対して誠実でなくてはならない。これが〈賢明な誠実〉になっていく。しかしここで気をつけるべきことは、誠実さは〈配慮の欠如〉となってはならないということだ。師、もしくは師が任命した人たちに対する配慮の欠如は、既に言った通り、あらゆるワークのあらゆる可能性を壊してしまう。もし賢明に不誠実でありたいのなら、彼はワークに対して不誠実であらねばならず、ワークに属さずワークを理解も尊重もできない人たちに対しては、沈黙を守るべきときに守れるようにならなければならない。しかし、グループ内での誠実さは絶対的な命令である。なぜならば、もし彼がグループ内で、それに加わる前と同じように自分にも他人にも嘘をつき続けるなら、彼は嘘と真理を区別できるようには絶対にならないからだ。
第二の障壁は多くの場合、恐怖の克服だ。人間は普通、多くの不必要な空想上の恐怖を抱いている。嘘と恐怖、この大気の中で普通の人間は生きている。嘘をつくことの克服が個人的なものであるのと全く同様に、恐怖の克服も個人的なものだ。すべての人間は自分だけの特殊な恐怖をもっている。これらの恐怖をまず捜しだし、それから撲滅せねばならない。私の話している恐怖は、普通の人間がその中で生きている嘘と結びついている。これらは、蜘蛛やネズミ、暗い部屋に対する恐怖、あるいはわけのわからない神経的な恐怖とは何ら共通点がないことに留意しなさい。
自分に嘘をつくこととの闘いと恐怖との闘いは、人間の始める最初の積極的なワークである
一般にワークにおける積極的な努力、いや犠牲でさえも、それに伴う失敗を正当化したり容赦したりしないことを知らなければならない。それどころか、何の努力もせず、犠牲も払わなかった者であるならば許されるようなことでも、既に多大の犠牲を払っている者には許されないのだ。
これは不公平にも思えようが、しかし法則を理解しなくてはならない。つまり、一人一人に対して、いわば別々の収支計算書があるのだ。彼の努力と犠牲はこの計算書の片側に記され、失敗や悪事は反対側に記される。肯定的な側に記されたことが、否定的な側に記されたことを帳消しにすることは絶対にない。否定的な側に記録されたことは真実によってのみ、つまり自分自身と他人、中でも誰にもまして師へ速やかにすべてを告白することによってのみ、消すことができるのだ。もし自分の失敗を知っても自己正当化を続けるなら、ほんの小さな過ちで数年にわたるワークと努力の結果がすべて水泡に帰すことにもなりかねない。だからワークにおいては、ほとんどの場合、よしんば罪はなくても自分を有罪と認める方がいいのだ。しかしこれは微妙な問題であり、誇張されてはならない。さもないと、その結果また嘘をつくことになり、しかも嘘は恐怖で促されるからだ。

Gは別の機会にもグループについて話した。
G:グループをすぐにつくることができるなどと考えてはいけない。グループとは大変なものだ。
グループは、明確な協同作業、明確な目的のために始められる。このワークの中では、私は君たちを信頼すべきだし、君たちも私を、そしてみなが互いに信頼しあわなければならない。それでこそグループといえる。共通のワークが始まるまでは、グループは準備的なものにすぎない。我々は時間を経るうちにグループとなるよう準備しなければならない。そしてグループとなる準備は、理想的なグループを模倣すること、それもむろん外面的にではなく内面的に模倣することによってのみ可能なのだ。
そのためには何が必要だろう? 何よりもまず、グループの中では全員がお互いに責任があるということを理解する必要がある。一部の手落ちは全体の手落ちとみなされる。これは法則だ。そしてこの法則は、後でわかるだろうが、一人が手に入れたものは全員によって獲得されたのだということに十分な根拠を与えている。連帯責任の法則は銘記しておかなければならない。これには別の側面もある。グループのメンバーは、他人の手落ちに対してだけでなくその失敗にも責任がある。一人の成功は全員の成功だ、一人の失敗は全員の失敗だ。例えば、一人が基本的な規則を破るというような重大な手落ちをすると、グループ全体は必然的に解散に追いやられる。
グループは一つの機械のように働かなければならない。機械の一部分は他の部分を知り、互いに助けあわなくてはならない。グループ内では、他人ないしはワークの利益に反するようないかなる個人的利益も存在することはできず、またワークを妨害するようないかなる個人的共感や反感もあってはならない。グループの全メンバーは友人であり兄弟であるが、もし彼らの内の一人が去れば、とりわけ師によって追いだされたのであれば、彼はあたかも削除された人間のようにもはや友人でも兄弟でもなく、即座に赤の他人になる。これは非常に厳しい規則ではあるが、それでもこれは必要なのだ。生涯の友人が一緒にグループに入ることもあるだろう。後になって彼らの一人が離れるとする。そうなるともう一人の者はグループのワークについて彼に話す権利はない。出ていった者は傷つき、これを理解しないので彼らは口論する。夫と妻、母と娘等の関係の中でこういったことが起こるのを避けるために、我々は両者すなわち夫と妻を1メンバーと考える。このように、もし両者のうち一人がワークとともに進むことができなくなって出ていけば、もう一人にも責任があるとみなされて、その人も出ていかなくてはならない。
君たちが私を助ける程度に応じて、私も君たちを助けることができるのだということを覚えておいてほしい。さらに、特に初めの頃には、君たちの助力は実際の成果によって(そのほとんどはまず間違いなく無に帰してしまうが)計られるのではなく、その努力の程度で計られるのだ。
この後、Gは個人的な課題と〈主要な欠点〉の定義に移った。そのとき彼は我々にいくつかのはっきりした課題を与え、それから我々のグループのワークが始まったのである。
後のことだが、1917年に我々がコーカサスにいたとき、Gは一度グループ形成の一般的な原則にいくつかの興味深い所見をつけ加えたことがあった。それをここで述べておかなければなるまい。

G:君たちはすべてを理論的にとりすぎる。君たちはこれまでの研究からもっと多くのことをつかんでいるべきだ。べつに、グループの存在それ自体が何か益になるというわけではないし、グループに入っているからといってとりわけ恩恵があるわけでもない。
グループの恩恵や有効性はそれが生みだすもので決まるのだ
あらゆる人間のワークは三つの方向に進むことができる。彼はワークにとって有益であることができる。彼はにとっても有益でありうるし、また自分自身にとっても有益でありうる。彼のワークが三つの方向のすべてにおいて成果をあげるのはもちろん望ましいことだ。が、これに失敗しても、二方向でうまくやることもできる。例えば、もしある人間が私にとって有益であれば、まさにそのことによって彼はワークにとっても有益となる。あるいは、もし彼がワークにとって有益なら、彼は私にとっても有益だ。しかし例えば、もし彼がワークと私にとって有益であっても、自分自身に有益であることができなければ、これははるかに悪いことになる。というのは、それは長続きしないからだ。もし自分は何一つ獲得せず変化もしないなら、つまり以前と同じ状態にとどまるなら、彼がたまたま短期間有益であったという事実も功績とは認められず、またさらに重要なことは、彼の有益性は長続きしないということだ。ワークは生長し変化する。もし彼自身が生長し変化しなければ、ワークについていくことはできない。ワークは彼を置き去りにし、それまで有益であったまさにそのものが今度は有害になるかもしれないのだ。
1917年の夏、私はペテルスブルグに帰った。我々のグループ、〈準備的なグループ〉がつくられると間もなく、Gは我々に課した課題と関連させて努力について話した。
G:普通の努力は勘定に入れられないことを理解しなさい。超努力だけが勘定に入れられるのだ。それは常にすべてのことにあてはまる。超努力をしたくない人はすべてをあきらめて健康にでも注意した方がいいだろう。
「超努力は危険であるということはないのですか?」と、聴衆の一人がたずねた。彼は普段とりわけ健康に気を使っていたのである。
G:もちろんその可能性はある。しかし、眠りの中で生きているよりは覚醒への努力のために死ぬ方がどれほどましだろう。これが一つ。もう一つは、努力ゆえに死ぬということはそう簡単には起こらないということだ。我々は自分で思うよりずっと強い。しかし、我々は決してその強さを使おうとはしない。君たちは人間機械の構造の1つの特徴を理解しなければならない。
人間機械の非常に重要な役割はある種の蓄積機によって果たされる。それぞれのセンターの近くに2つの小さな蓄積機があり、それぞれのセンターの働きに必要な特殊な物質で満たされている。(図41)
これに加えて、有機体内にはその小さな蓄積機を養う大きな蓄積機がある。2つの小蓄積機はつながっており、またその各々は大蓄積機に連結しているのと同様に隣りのセンターとも連結している。

Gは人間機械の全体図を描き、大小蓄積機の位置とそれらの間のつながりを図示した。(図42)
G:蓄積機は次のように働く。人間が働いているか、または難しい本を読んで理解しようとしていると考えてみよう。その場合、彼の頭の思考器官ではいくつかの〈記録装置〉がまわっている。あるいは彼は丘を登っていて疲れ始めているとすれば、この場合〈記録装置〉は動作センターでまわっている。
最初の例では知性センターが、次の例では動作センターがそれぞれの働きに必要なエネルギーを小蓄積機からひきだす。蓄積機がほとんど空になると人間は疲れを覚える。歩いていれば、立ちどまって座りたいと思い、また難しい問題を解いているのなら、何か他のことを考えたいと思う。しかし、全く予期しないのに彼はある力の流入を感じ、もう一度歩いたり働いたりできるようになる。これはセンターが第二蓄積機と連結して、エネルギーを供給されたことを示している。その間に第一蓄積機は大蓄積機からエネルギーを補充する。こうしてセンターは働き続ける。つまり人間は、歩いたり働いたりし続けるのだ。時にはこの連結を確実にするために小休止が必要となる。また時にはショックか努力が必要だ。ともかく仕事は続く。しばらくすると第二蓄積機のエネルギーの蓄えも空になってくる。そうすると人間は再び疲れを覚える。
外的なショック、小休止、喫煙、努力などで再び彼は第一蓄積機と連結する。ところが、センターがあまりに早く第二蓄積機のエネルギーを使ってしまったために、第一蓄積機は大蓄積機からエネルギーを補充する時間がなくて、許容量の半分しか入れていない、つまり半分しか満たされていないということがよく起こる。
第一蓄積機と再び連結すると、センターは再びそこからエネルギーを供給され、その間に第二蓄積機は大蓄積機と連結してエネルギーを補充する。しかし今回は第一蓄積機には半分しか入っていないので、センターはすぐにそのエネルギーを使い果たし、その間に第二蓄積機は許容量の四分の一しか補充することができない。センターがそれと連結すると、またあっというまにそのエネルギーを全部使い果たして再度第一蓄積機と連結する、という具合になる。そうしてしばらくすると、有機体は、どちらの蓄積機にも一滴のエネルギーも残っていないような状態に追いこまれる。このとき人間は本当に疲れたと思う。彼はほとんど倒れんばかり、眠りこまんばかりで、そうでもしなければ彼の有機体は冒されて、頭痛がしたり、動悸が激しくなったり、気分が悪くなったりする。
それから突然に、再び小休止や外的なショックや努力などによって新しいエネルギーが流れこみ、彼はもう一度考えたり歩いたり働いたりできるようになる。
これはつまり、センターが大蓄積機と直接連結したということだ。大蓄積機は膨大な量のエネルギーを蓄えている。大蓄積機と連結すれば、人間は文字通り奇蹟を行うことができる。しかし当然のことながら、もし〈記録装置〉が回転し続け、空気、食物、印象からつくられたエネルギーが注ぎこむのよりも早くこの大蓄積機から流れだし続ければ、大蓄積機といえども全エネルギーを使い果たし、有機体が死んでしまうという時もくる。しかしそんなことは滅多に起こらない。普通、有機体はこんなことが起こる前に自動的にその働きを停止するからだ。全エネルギーが枯渇して有機体を死に至らしめるには、特殊な条件が必要だ。普通の状態では本当に危険になるずっと前に、人間は眠りこむか気絶するか、それとも働きを止めるような内的併発症を起こしてしまうだろう。
だから
努力を恐れる必要はない。努力したために死ぬという危険性などたかがしれたものだ。無為、怠惰、あるいは努力に対する恐怖から死ぬことの方がよほど簡単なのだ
その反対に、我々の目的は必要なセンターを大蓄積機と連結させることである。これができないと、我々の全ワークは水泡に帰してしまう。なぜなら、我々は自分の努力が何らかの結果を生みだす前に眠りこんでしまうからだ。
日常の普通の仕事には小蓄積機だけで十分だ。しかし自己修練や内的生長のためには、また道を歩み始めた人間に要求される努力のためには、これら小蓄積機からのエネルギーでは十分ではない。
だから、大蓄積機から直接にエネルギーをひきだす方法を習得しなければならない。
これは感情センターの助けを借りて初めて可能となる。このことは必ず理解しなくてはならない。大蓄積機との連結は感情センターを通してのみ果たすことができる。本能、動作、知性センターは小蓄積機だけで働くことができるのだ。
人々はこの点がわかっていない。だから彼らの目的は感情センターの活動の発達でなくてはならない。感情センターは知性センターよりもずっと微妙な器官で、それは次のことを考慮すればよくわかる。すなわち、知性センター全体の中で働いている唯一の部分は〈構成器官・フォーマトリイ・アパラタス〉であり、そのため知性センターには理解できないことが沢山あるという事実だ。もし今以上に知り、理解したいと思うなら、この新しい知識と理解は、知性センターではなく、感情センターを通してやってくるのだということを覚えておかなくてはならない。
蓄積機に関する話につけ加えて、Gはあくび笑いについてとても興味深い話をした。
G:科学的観点からは理解し難い2つの機能が、我々の有機体にはある。といってももちろん、科学はそれらが説明不可能だとは認めないだろうが。それはあくびと笑いだ。このどちらも蓄積機とその有機体中での役割を知らなくては正しく理解することはできない。
人間が疲れたときにあくびをするのは知られている。例えば、慣れない人が山に登るとほとんど絶え間なくあくびをするのを見れば特によくわかる。あくびは小蓄積機にエネルギーを送りこむ動作なのだ。
それらがあまり早くからになると、つまり一方が使われている間にもう一方がいっぱいになる時間がない場合、ひっきりなしにあくびがでる。あくびがしたくてもできないときには心臓が止まる原因となるような悪い状態も起こるし、またポンプの調子が悪いと働きが無駄になる。つまり始終あくびをしていても、全然エネルギーを送りこんでいないという状態も起こる。
この観点からあくびを観察し研究すれば、新しく興味深いことがたくさん明らかになるだろう。
笑いも蓄積機と直接結びついている。ただ、笑いはあくびとは正反対の機能、すなわち供給ではなくて放出だ。つまり蓄積機に集められた余分なエネルギーを送りだし、捨てているのだ。しかし笑いは全部のセンターにあるわけではなく、2つ、すなわち積極的、消極的の二面に分かれているセンターにだけある。このことをまだ話していなかったのなら、もっと詳細にセンターを研究するところで話そう。今は知性センターだけをとりあげてみる。例えば、センターの両面に同時に働きかけて、すぐに明確な〈肯定〉と〈否定〉を引き起こすような印象があるはずだ。このような同時的な〈肯定〉と〈否定〉は、1つの事実に対する2つの相反する印象を調和させて消化することができないために、センターに一種のけいれんを引き起こし、それでセンターは、供給役の蓄積機から流れこむエネルギーを笑いという形で捨て始めるのだ。別の例としては、蓄積機にセンターが使いきることができないほど多量のエネルギーが集められるということも起こる。そうなると、ひどくありきたりの印象もすべて二重に受けとられ、つまりセンターの両面に同時に作用し、そのために笑い、すなわちエネルギーの放出が起こるのだ。
私はただアウトラインだけを示していることを銘記しておきなさい。あくびも笑いも、共に非常に伝染性があることを覚えておかなくてはならない。これはそれらが基本的に本能センターと動作センターの機能であることを示している。
「でも笑いはどうしてあんなに気持ちがいいのでしょう?」と誰かが聞いた。
G:なぜかと言うと、笑いは我々を余分なエネルギーから救ってくれるからだ。もし余分なエネルギーが使われずに残っていると、良くないもの、つまり毒になる恐れがある。我々はいつもこの毒をたくさん体内にもっている。
笑いは解毒剤なのだ。しかしこの解毒剤は、我々が有益な仕事に全エネルギーを使えないでいる、そういう状態にいるときにのみ必要なのだ。キリストは一度も笑わなかったといわれている。たしかに福音書にはキリストが笑ったということは全く書かれていない。しかし笑わないのにも様々ある。否定的感情、悪意、恐怖、憎悪、疑惑に完全にひたりきっているために笑わない人もいるし、否定的な感情をもつことができないために笑わない人もいるかもしれない。ただ次のことだけは理解しなさい。高次のセンターには笑いはありえない。なぜならば、高次のセンターには分割が、つまりいかなる〈肯定〉も〈否定〉もないからだ。

29
その当時、つまり1916年の盛夏までには、我々のグループでのワークは新しいもっと集中的な形態をとり始めていた。Gはほとんどの時間をペテルスブルグで過ごし、数日間だけモスクワに行っては、たいてい2、3人のモスクワの生徒を連れて帰ってくるのであった。そのときまでには、我々の講義と会合はすでにその形式ばった性格を失っていた。我々はみな互いによく知りあい始めていたし、いくらかの摩擦はあったとはいえ、今学びつつある新しい考えや、目前で開示されつつある知識、自己知の新たな可能性への興味で結びついていた。
そんなわけで我々は非常にまとまった集団としてあらゆるものに反応していた。その当時のメンバーは約30人で、ほとんど毎晩会っていた。Gはモスクワからくると、シャシュリク(焼肉)などをやる大パーティや郊外へのピクニックを何度か計画した。しかし、そういったパーティやピクニックは、なぜかペテルスプルグには全くそぐわなかった。そのうちでも、ネヴァ川上流のオストロフキヘの小旅行がとりわけ記憶に残っている。というのは、なぜGがわざわざこんな全く目的もないように見える娯楽を計画するかが、この小旅行で突然わかったからである。つまり、我々の多くがペテルスブルグの形式ばった会合では隠しおおせていた全く新しい側面が、こういう機会に現れるのをGは常に観察しているのだということに気づいたのである。
そのとき私はGのモスクワの生徒たちと会ったのだが、前年の春に彼らに初めて会ったときとは全然様子が違っていた。彼らはもうわざとらしくも暗記した役割を演じているようにも見えなかった。それどころか、私はいつも彼らの到着を心待ちにし、彼らがモスクワでのワークでどんなことをしているか、またGが彼らに我々の知らないようなことを言ったかどうかなどを聞きだそうとしていたのである。そして、後に私のワークに非常に役に立ったものをたくさん彼らから聞きだした。彼らとの新たな話し合いで、私はある非常にはっきりした計画が進められていることを見てとった。我々はただGから学ぶだけでなく、お互いからもまた学ばねばならなかった。私はGのグループをある中世の画家の〈スクール〉として見るようになった。そこでは弟子たちは画家と一緒に住み、共に働き、彼から学びながら弟子同士で互いに教えあうのである。同時に私は、なぜモスクワの生徒が、最初に会ったとき私の質問に答えられなかったかがわかった。つまり私は、自分の質問がいかに素朴であったかに気づいたのである。それは次のようなものだった。
「あなたたちの自己修練は何に基づいているのか?」「あなたたちの研究している体系は何によって構成されているのか?」「この体系の起源は何か?」等々。
今では私は、これらの質問が解答不能であることを知っている。これを理解するためには学ばなければならないのだ。それなのに私は、その当時、つまり一年ちょっと前には、自分がそういった質問をする権利があると思っていたのだった。それはちょうど、今我々のところにやってくる人たちがまさに同様の質問を発し、我々がそれに答えないのに驚き、我々を(すでに我々にはよく見てとれるのだが)わざとらしくて、習った役を演じていると考えるのと全く同様だった。
しかし新しい人たちは、Gが加わる大きな会合にだけ現れた。元のグループの会合はその当時別にもたれていた。その理由はきわめてはっきりしていた。我々はすでに、自己過信から自由になり始め、また、自分はあらゆることを知っているという気持ち(たいていの者はそういう気持ちを抱いてワークに近づいてくるのだが)から解放されはじめていたので、Gを前よりよく理解できるようになっていたからである。
しかしそれでも、全体の会合で新しい人たちが、我々がかつて最初にしたのと同じような質問をしたり、また、かつて我々が理解できなかったのと同様に、基本的かつ単純なことをいかに理解しないかを聞いたりするのはすこぶる興味深いことであった。新しい人たちとのそういった会合は我々にある程度の自己満足を与えた。
しかし我々だけになると、Gはたびたびほんの一語で、我々のこういった自己満足をもろくも打ち崩し、そして、実際には我々はまだ何も(自分たちの内部のことも他人のことも)知ってもわかってもいないということを見すえるようにと強く要求するのであった。

G:
問題はすべて、君たちが、自分はいつも同一だと頭から信じこんでいる点にある。しかし私は君たちを全く違ったふうに見る。例えば私は、今日はあるウスペンスキーがここにきたのに、昨日ここには別のウスペンスキーがいたのを知っている。あるいはここにいる医師もそうだ。君たちがくる前に私と彼はここに座って話していたのだが、そのとき彼はある一人の人物だった。それから君たちみんながきた。私がたまたま彼を見やると、何とそこには全く別の医師が座っているではないか。私が彼と二人だけでいたときのような彼を、君たちは滅多に見ることはないだろう。
つまり、一人一人の人間は普通の状況で演じる役割の一定のレパートリーをもっているということに気づかなければならない。人は通常生きていく上で自分が置かれたあらゆる状況に対して、それぞれ一定の役割をもっている。しかし、彼をほんのわずかでも違った状況に置いてみると、もう適当な役割を見つけることができず、ほんの短時間ではあるが彼は自分自身になる。人間の演ずる役割の研究は、自己知の中で絶対に欠くことのできないものだ。一人一人の役割は非常に限定されている。だから、もし人が単に〈私〉とか〈イワン・イワノヴィッチ〉とか言うとき、〈イワン・イワノヴィッチ〉も一人ではないために、その人は自分自身の全体を見てはいないのだ。
人間は少なくとも5つか6つの〈私〉をもっている。1つか2つは家族用に、別の1つか2つは会社用(つまり1つは部下、1つは上司用)、1つはレストランでの友人用、そしておそらく1つは崇高な考えに興味をもち、知的な会話の好きな〈私〉用といった具合だ。そして、その時々に応じて特定の1つと完全に一体化し、それから自己をひき離すことはできない。役割を知ること、自分のレパートリー、とりわけその限界を知ることは、実にたくさんのことを知ることになる。しかし肝要なのは次の点だ。人間は自分のレパートリーの外に出ると、つまりたとえ一時的にでも自分の決まった役割から何かによって押しだされると、非常な居心地の悪さを感じ、何とか普通の役割の1つに戻ろうと必死の努力をする。通常の役割に戻るとすぐにすべてはまたスムーズに運び、ぎこちない感じや緊張は消えてしまう。これが人生の有様だ。しかしワークでは、自己を観察するためにこのぎこちなさと緊張に適応し、不快感と無力感に慣れなければならない。この不快感を経験することによってのみ人は、本当に自己を観察することができるのだ。理由ははっきりしている。いつもの役を演じていないとき、人はまるで服を着ていないかのように感じる。彼は興ざめし、恥ずかしさを感じて、みんなの前から逃げだしたいと思う。しかしここで疑問が起こる。
彼は何が欲しいのか? 平穏な生活? それとも自己修練?
もし平穏な生活を望むのなら、彼は何よりもまず、絶対に自分のレパートリーから出てはならない。通常の役割の中にいる限り快適で平和だからだ。しかし、もし自己修練を望むなら、彼はこの平和を打ち破らなければならない。この両方、つまり平和と自己修練を同時に両立させるのは絶対に不可能だ。選択しなければならない。しかしその選択の結果が欺瞞となることが実に多い。言いかえれば、人間は自己を欺こうとするのだ。口ではワークを選びながら実は平和を失いたくないのだ。その結果、彼は2つの椅子の間に座ることになる。こんな居心地の悪い場所もまずあるまい。彼はワークも全くしなければ、いかなる快適さも得ることはない。とはいえ人間にとって、すべてを悪魔に投げだして真のワークを始めるのは実に難しいことだ。でも、なぜ難しいのだろう。それは主として、彼の生き方があまりに安楽で、たとえ悪いとわかっていてもすでにそれに慣れきっているからだ。とはいえ、悪いと知ってさえいれば、悪くてもまだましだ。しかし、このワークには何かしら目新しくて未知のものがある。彼はそれから何か得ることができるかどうかさえ知りはしない。そのうえここで最も困難なことは、誰かの言いつけに従い、服従しなければならないということだ。もし独力で困難と犠牲を案出できたら、時にはかなり進むことだろう。しかし要は、それは不可能だということだ。人に従うか、あるいは一人の人物だけが統率力をもつ全体的なワークに従う必要があるのだ。このような服従は、自分は何でも決断でき、また何でもすることができると思っている人にとっては最も困難なことだろう。もちろん、彼がこのような幻想を振りはらって自分が本当は何者であるかを見れば、困難は消え去る。しかし、これはワークの途上においてのみ起こりうるのだ。だが、ワークを始めること、とりわけワークを続けることは、生活が平穏に続くからこそ難しいのだ。
あるとき、グループでのワークに関する話に続けてGは言った。
G:今後は君たちすべてに、自分自身の型(タイプ)、あるいは主要な特徴や主要な欠点に応じた個人的課題が課せられる。つまり、自分の主要な欠点ともっと激しく闘う契機となる課題が与えられることになるだろう。しかし個人的課題以外にも、グループ全体に与えられる全体的課題があり、こちらの方は、それを実践するかしないかに対してグループ全体に責任がある。もっともいくつかの場合には、グループは個人の課題にも責任を負わなければならない。しかしまず全体的課題をとりあげてみよう。例えば、君たちは今までの研究でこのシステムの性質とその原理的方法についていくらかは理解し、またその考えを他の人々に伝えることができなければならない。最初の頃私が君たちに、グループ外でシステムの思想について話すのを禁じたことを覚えているだろう。それどころか、私が特別にそうしろと指示した者を除いて、グループについても講義や考えについても誰にも話してはならないという明確な規則さえあった。そして私はそれが必要な理由も説明した。もし許していても、君たちは人々に正確な描写、正確な印象を与えられなかっただろう。すなわち、人々にこのような考え方に親しむ可能性を与えるかわりに、彼らを永久に寄せつけずにいたことだろう。以後彼らがこのような考え方に近づく可能性さえ奪ったことだろう。しかし今は状況が違う。君たちはもう十分に聞いた。そして本当に聞いたことを理解しようと努力したのであれば、君たちはそれを他の人々に伝えることができるはずだ。だからこそ私は君たちみんなに、はっきりした課題を与えるのだ。
友人や知人と話すとき、話題をこういう問題にもっていくようにしてみなさい。興味をもった人たちに答えられるよう準備もしておきなさい。そして彼らが望めば、会合に連れてきなさい。けれどもこれは君たち一人一人の課題であって、他人が自分に代わってやってくれるなどと期待してはいけないことを肝に銘じておきなさい。この課題を適切に遂行すれば、まず各自が何かをすでに吸収し理解したかどうかが、次に人々を評価できるか、つまり、どの話し相手に価値があり、どの相手には価値がないかを見分けられるかどうかが判明するだろう。というのは、ほとんどの人々はこれらの考えのどれ1つとして受けいれることはできず、話しあうのは完全に無駄だからだ。しかし同時に、これらの考えを受けいれることのできる人たちもおり、彼らとは話す価値がある。
この次の会合はとても面白かった。誰もが友人と話したときの印象をたくさんもってきており、また多くの質問をかかえ、そのうえみんな少なからず勇気をくじかれ、失望していた。
これは友人や知り合いたちがひどくうがった質問をして、我々のほとんどはそれに答えられなかったことを示していた。彼らは、例えば私たちがワークから何を得たかを聞き、また私たちの〈自己想起〉をあからさまに疑った。その一方では、ある人たちは自分が〈自己を想起している〉ことに何の疑いももっていなかった。またある者は〈創造の光〉や〈七つの宇宙〉をばかげた無駄なものと考えた。私の友人の一人は、つい先頃までやっていた面白可笑しい芝居のセリフをもじってウィットたっぷりに、「これは〈地理学〉とはどう関係しているんだい?」と聞いた。別の者は、センターを見た者はいるのか?、それはどうすれば見れるのか?と聞き、また別の者は、人間は〈為す〉ことができないという考えをばかばかしいものと考えた。別の者は秘教主義という思想を〈面白いが説得力のないもの〉とみなした。この思想は全体として〈新たな発明〉だと言う者もいたし、システムには一片の〈人類愛〉の観念もないと考える者もいた。またある人は、我々の考えは完全な唯物主義であり、我々は人々を機械にしたがっているのであって、そこには奇蹟という観念もなければ理想主義もない、と言うのであった。
友人との会話を話すたびにGは笑った。

G:そんなのは何でもない。人々がこのシステムについて言っていることを全部集めてみれば、君たちは自分でもそれを信じられなくなる。
このシステムはすばらしい特質をもっている。これにほんのちょっとでもふれれば、人の内部の最善のものかそれとも最悪のものが呼びさまされる。例えば君たちがある男を知っていて、しかも彼はそれほど悪いやつでもなく、むしろ知的だとさえ感じているとしよう。その男とこれらのことについて話してみなさい。すぐに君たちは彼が全くの馬鹿であることを見ぬいてしまうだろう。一方中身がからっぽのように思える別の男にこういった問題を話すと、ひどく深刻に考え始めるかもしれない。
「ワークに加わることができる人間をどうしたら識別できるのでしょうか?」と出席者の一人が聞いた。
G:どのように識別するかは別の問題だ。それを識別するためには、ある程度〈存在していること〉が必要だ。しかしこれについて話す前に、どんな種類の人がワークに加わることができ、どんな人ができないかをはっきりさせなければなるまい。
君たちは、人はまず一定の準備をし、一定の手荷物を持っていなければならないことを理解しなくてはならない。つまり彼は、秘教主義に関する思想や隠された知識、また人間の内的進化の可能性などに関して、普通の手段で知りうることはみな知っていなくてはならないのだ。つまり私が言いたいのは、これらの考えは彼にとって全く新しいものであってはならないということだ。そうでないと彼と話すのはとても難しいだろう。また、もし彼に何らかの科学的、哲学的準備があれば、それも有益だろう。宗教に関して的確な知識をもっていれば、それも助けになるだろう。しかし、もし彼が宗教的な形式に縛りつけられていて、その本質を全然理解していなければ、彼にとってワークは非常に難しいものになるだろう。一般に、あまりものを知らない人やわずかしか本を読んでいない人、あるいはあまり考えたりしたことのない人とは話しにくいのは確かだ。もし彼が良い本質をもっていれば、話を交わさなくても他の意思疎通の道があるが、その場合、彼は従順で自己の意志を放棄していなければならない。彼はこの状態に何とかしてたどりつかなくてはならない。これに関しては、誰にでもあてはまる1つの一般的な規則があると言ってもいいだろう。
このシステムに真剣に近づくためには、まず第一に自分自身に失望していなければならない。つまり自分の力に対してだ。そして次にはあらゆる古い方法に対して。自分がしてきたこと、それまで捜し続けてきたものに失望していない限り、このシステムの中の最も価値あるものを感じとることはできない。科学者なら科学に失望していなければならない。もし宗教的な人間であれば自分の宗教に失望していなければならない。政治家なら政治に失望すべきであり、哲学者なら哲学に、神智学者ならば神智学に、オカルティストであればオカルティズムに、その他何であれ、それぞれに失望すべきなのだ。これの意味するところを理解してみなさい。私は、例えば宗教的な人間は宗教に失望すべきだと言った。これは信仰を失うべきだということではない。全くその逆で、その教えと方法にだけ〈失望する〉、つまり彼の知っている宗教の教えは彼には十分でなく、彼をどこにも導くことができないということを悟ることなのだ。野蛮人の完全に退化した宗教とか現代の新興宗教や宗派を別にすれば、すべての宗教的教えは2つの部分、つまり見える部分と隠された部分とから成っている。宗教に失望するとは、この見える部分に失望し、宗教の隠された未知の部分を見いだす必要性を感じることにほかならない。科学に失望するとは、知識への興味を失うことではない。そうではなく、普通の科学的方法は無益なだけでなく、ばかげた自己撞着的な論理の構築へ導きさえするということを納得することであり、そしてその上で、他のものを捜し始めることだ。哲学に失望するとは、普通の哲学は(ロシアのことわざにもあるように)単にからの器から他の器へと注いでいるにすぎないということ、また、真の哲学は存在しうるしまた存在すべきではあるが、人々は哲学とは何なのかさえわかっていないということを確信することだ。オカルティズムに失望するとは、奇蹟的なものに対する信頼を失うことではなく、ただ、普通の理解可能な、公開さえされているオカルティズムは、それがどんな名で流布していようと、単なる大ぼらであり自己欺瞞であり、どこかに何かが存在しているのは確かだが、既知のあるいは普通の方法で習得しうるものは何であれ、彼が必要としているものではないということを納得することにほかならない
そういうわけで、それまで何をやっていたにせよ、何に興味をもっていたにせよ、ともかく彼なりに可能な方法でやってきて失望に至ったのだとすれば、我々のシステムを話してみる価値があり、そうなれば彼の方でもワークに入ってくるかもしれない。しかしもし彼が、自分はこれまでの方法で何かを見つけることができるとか、まだすべての方法を試していないとか思ったり、あるいはまた、独力で何かを見つけたりやったりすることができるといまだに考えているとすれば、まだ彼には準備ができていないのだ。私はそれまでにやっていたことをすべて放棄しろと言っているのではない。そんなことは全く不要だ。それどころか、それまでしていたことを続けた方がいい場合さえ多い。しかしその場合でも彼は、それが単なる職業、あるいは習慣、または必要物にすぎないことを自覚していなくてはならない。それができれば問題は別だ。つまりそうすれば彼は〈自己同一化〉しないでおれるのだ。
ワークと相入れないものが一つだけある。それは〈職業的オカルティズム〉、言いかえれば職業的大ぼら吹きだ。こういったもろもろの降霊術者、治療師、透視者等、あるいは彼らと親密な関係をもつ者たちでさえ、一人として我々に益する者はいない。常にこれを覚えておいて、彼らに多くを語らないよう注意しなさい。なぜならば、彼らは君たちから学ぶことをみな自分たちの目的、つまり他人を騙すことに使うからだ
この他にも良くないものがあるが、それについては後で話そう。今のところは1つのことだけ覚えておきなさい。つまり、人間は普通の方法に完全に失望していなければならず、それと同時に、何かがどこかにあるという考えに思いをこらし、受けいれ態勢を整えていなければならないということだ。このような人間に話をすれば、君たちの話し方がどんなに下手でも彼はきっとその言葉の中に真実の匂いをかぎつけるだろう。ところが、何か別のことを確信している人に話しかけると、君たちが言うことはみな彼には馬鹿げていて、二度と君たちの言うことを真剣に聞こうとはしないだろう。このような人間には時間を費やす価値はない。
このシステムは、すでに捜しつくし、自己を焼きつくした人々のためにあるのだ。捜し求めたことのない人や今捜し求めていない人にはこんなものは必要ない。自己を焼きつくしたことのない人にも同様に必要ないのだ
「でも人々はそんなことから聞きはじめはしません。」と仲間の一人が言った。「彼らはこんなことを聞くのです。あなたたちはエーテルの存在を認めるか? 進化をいかに見るか? なぜ進歩を信じないのか? なぜ人々は、正義と公共の善との基盤の上に生活を組織しうるし、またすべきだとは考えないのか?等々、これに類したことです。」
G:どんな質問でもよろしい。誠実なものでさえあれば、どんな質問からでも始めることができる。私の言っていることはわかるだろう。つまり、そういったエーテルや進化や公共の善についての質問は単に何かを言うために、あるいは誰かが言ったことや何かの本で読んだことを繰り返すために発せられたのだとも考えられるし、あるいは逆に、その問題に苦しんでいるからこそ聞いたのかもしれない。もしそれが彼にとって痛みうずく問題であれば、君たちは彼に答えを与え、どんな質問にもいとわず答えることで彼をこのシステムに近づけることができる。しかしそのためには、彼がその問題に本当に苦しんでいる必要がある。
こんなふうに、どんな人がこのシステムに興味をもつことができるとか、あるいはワークに加わることができるかなどについて話していると、おのずから自分たちの友人を全く新しい視点から評価するようになっていった。このことでは、我々はみな苦い失望を経験した。Gがこのシステムを友人に話すよう我々に表だって要請する以前にも、無論のこと最も親しい人には何らかの形で話していた。そしてこのシステムに対する我々の熱情は、十中八、九ひどく冷遇されたのである。彼らは我々を理解しなかった。我々には新しく独自のものであると思われた考えも、彼らには古くて退屈で、何も生みださないいやらしいものにさえ思われたのである。これは何にもまして我々を仰天させた。我々が内的な親近感を感じ、以前は心にかかったあらゆる問題を話しあい、そしてそれに反応を示していた人々でさえもが我々の見たものを見逃し、そのうえ、あることに関しては全く反対に解釈したことにびっくりしたのである。
私自身の経験では、これに私はとても奇妙な、苦痛とさえ言える印象を受けたことを告白せねばならない。私は、人々に我々を理解させることは絶対に不可能だと言った。無論のこと我々は、日常生活や通俗的な問題の範囲内ではこういうことには慣れていた。つまり心中我々に敵意を抱いている人々、心の狭い人々、思考できない人々は我々を誤解し、我々の言うことを曲解し、我々が考えたこともない考えや、言ったこともない言葉を我々のものだとすること等々は承知していた。しかし今それと同じことが、それまでは自分たちと同類だと思ってきた人々や、共に多くの時間を過ごした人々、また以前は誰よりもよく我々を理解してくれると思っていた人々によって為されるのを目にして、苦い失望を味わったのである。だがこんなことでさえむしろ例外だった。友人のほとんどは単に無関心で、彼らをGのシステムに対する我々の関心に引き込もうとする試みはすべて水泡に帰した。しかし時には彼らに、我々はとても奇妙な印象を与えたようである。誰だったか今となっては思いだせないが、我々が悪い方に変わりつつあると友人たちが思っていることに誰かが気づいた。彼らは我々が前より面白くない人間になったと思っていた。つまり彼らは、我々はまるで消え去るかのごとく色が薄れ、以前もっていた自発性や、あらゆるものに反応する性質を失いつつあり、だんだんと〈機械〉になり、自分でものを考えることをやめ、感じることもやめ、ただGから聞いたことをおうむのように繰り返しているにすぎない、と言ったのである。
我々がこれを話したとき、Gはひどく笑った。

G:まあ待っていなさい、もっとひどいことがやってくるだろう。君たちはこれが本当は何を意味しているかわかるかね? これは君たちが嘘をつくのをやめた、少なくともそれほど上手く嘘をつかなくなった、つまり以前ほどには面白可笑しく嘘がつけなくなったということだ。嘘を上手くつく人間はたしかに面白いだろう。しかし、君たちはもう嘘をつくのは恥だと思っている。今や君たちは知らないことも理解できないこともあるのだから、何でも知っているような顔で話すことはできないことに時折は気づくだろう。これは当然のことながら、君たちが前より面白くなくなり、独自性も失い、また、彼らの言葉を借りれば、反応も鈍くなったということだ。というわけで、今こそ君たちは、友人がどんな人間であったかが心底わかっただろう。だが、彼らの方ではむしろ君たちを気の毒に思っているのだ。無論彼らは彼らなりに正しい。
君たちは既にに始めているのだから〔彼はこの言葉を力をこめて言った〕。完全に死に切るにはまだまだ先は長いが、ともかくある程度の愚かさは君たちから離れつつある。君たちはもう以前のように誠実に自分を騙すことはできない。真理の味を知ってしまったのだから
「時々私は何一つ全く理解していないように思えるのですが、これはどうしてでしょうか?」と出席者の一人が聞いた。「以前には、少なくとも時々は、自分は何かを理解していると思ったものですが、今では何一つ理解できないのです。」
G:それは君が理解し始めたということだ。何も理解していなかったときには、君は何でも理解していると思っていたか、あるいは少なくとも何でも理解できると思っていたことだろう。ところが、理解をし始めると、自分は理解していないと思う。これは理解の味が君に全く未知であったためだ。だから今、理解の味は君には理解の欠如のように思われるのだ。
我々は何度も、我々に対する友人たちの印象と、彼らに対する我々の新しい印象について話しあった。そこで何よりも強く認識したことは、このGの思想は人を団結させるか、でなければ引き離してしまうかのどちらかだということであった。

あるとき〈タイプ〉に関するとても面白い話があった。Gは個人的なワークに多くのことをつけ加え、指示を与えながら、それまでこれについて話したことを全部繰り返した。
G:君たちはみんな、おそらくこれまでに全く同じタイプの人間に会ったことがあると思う。そういう人たちは互いによく似ていて、ものごとに対する内的な反応も全く同じだ。つまり一人が好きなものはもう一人の者も好きで、一人が嫌いなものはもう一人の者も嫌う。こういったことを目にした折には逃さず覚えておかなければならない。なぜならば、タイプの科学はいろいろなタイプの人間に会うことによってしか研究できないからだ。他に方法はない。この他のものは何であろうと空想にすぎない。君たちが生きている状況の中では、6つか7つ以上のタイプに会うことはまずできないということを覚えておきなさい。もちろん実際はもっとたくさんの基本的なタイプがある。残りはみなこの基本的なタイプの組み合わせだ。
「基本的なタイプは全部でいくつあるのですか?」と誰かが聞いた。
G:ある人は12と言っている。聖人伝によれば、十二使徒は12のタイプを表している。もっと多いと言う人々もいる。
彼はしばらく間をおいた。
「その12のタイプ、つまりその定義と性格を聞かせてもらえるでしょうか?」と出席者の一人が言った。
G:そんな質問があるだろうと思っていた。これまでにタイプについて話したときはいつでも、必ず誰か頭のまわる人がこの質問をした。しかし、もし説明できるものならとっくの昔にしていただろうということに誰一人思いあたらないとはいったいどういうわけだろう? しかしともかく肝心なのは、タイプやその違いといったことは普通の言語で定義することはできず、それが可能な言語を君たちはまだ知らないし、またこの先も長い間知ることはないだろうという点だ。これは〈48法則〉についても同様だ。ある者はきまって自分はこの48法則を知らないのではないか?と聞く。まるでそんなことが可能かでもあるかのようにだ。君たちは与えることができるものはすべて与えられているのだということを理解しなさい。与えられているものを使って残りのものを見つけださねばならない。今こんなことを言って時間を浪費しているのは自分でもわかっている。君たちはまだ私を理解していないし、まだこれからも長い間理解できないだろう。知識と存在の違いを考えてみなさい。その理解のためには違った存在が必要であるような、そんなものごとも存在するのだ。
「しかし、もし我々のまわりに7つ以上のタイプがないのなら、なぜ我々はそれらを、つまりその主要な違いを知って、それらのタイプに会ったときにそれと気づいて識別することができないのでしょう?」とある者が言った。
G:君は自分自身と、私がこれまでに話した観察とから始めなければならない。でないと、それは全く使いものにならない知識になってしまう。君たちのうち何人かは自分はタイプを見分けられると思っているだろうが、その人の見ているものは全くタイプなどではない。タイプを見分けるためには自分自身の夕イプを知り、しかもそれから離れることができなくてはならない。自分自身のタイプを知るためには自分の生、自分の全生活を一番最初からよく研究し、なぜ、そしてどのようにものごとが起こるかを知らなくてはならない。私は君たちみんなに課題を与えたいと思う。これは全体的課題であると同時に個人的課題でもある。グループの一人一人に自分の生活について話してもらおう。何一つ潤色したり隠したりせずにこと細かに話さねばならぬ。とるにたりない小さなことにこだわらずに、最も重要で本質的なことを強調しなさい。誠実に、また他人の誤解などを恐れてはいけない。誰もが同じ位置におり、誰もが自分を裸にしてありのままの自分を見せなければならないからだ。なぜ何一つグループの外にもちだしてはならないのか、この課題で再度わかるだろう。もしグループ内で言ったことが外部で話されるかもしれないと思えば、誰も話す気にはならないだろう。しかし、君たちは何一つ洩れはしないことを心底確信すべきだ。そうすれば他の者も同じようにすることがわかり、恐れず話ができるようになるだろう。
この後すぐにGはモスクワに行き、彼のいない間に我々は割りあてられた課題を実行しようとやってみた。まず最初に私の提案で、実行しやすくするために、よく知っている者同士何人かでいくつかの小グループをつくり、全体会合の前にそこでまず自分の生活の話をすることにした。こういった試みはすべて水泡に帰したと言わざるをえない。ある者は話しすぎたし、ある者はほんのわずかしか話さなかった。またある者は不必要なほど細かいことを話したり、今話しているのは自分独自の、本来の性格であると述べたりした。かと思えば自分の〈罪〉や過ちばかり話す者もいた。しかし全体として見ると、Gが明らかに期待していたものを生みだすことには失敗した。出てきたものといえば、誰の興味もひかない逸話や年代順の回想、もしくはあくびを催させるていの家族の思い出などであった。何かが間違っていたのだが、できる限り誠実にやった者でもそれが何なのか正確に言うことはできなかった。ここで私自身の話を思いだしてみよう。最初に私は、心理学的に興味深いと思われた幼年時代の印象を話そうとした。なぜそれが興味深いかというと、私は自分がずっと小さかったときにどんなふうであったかを覚えていて、自分自身いつもこういった小さい頃の印象に驚かされていたからである。ところが誰もこれに興味を示さないので、私はすぐに我々に要求されたのはきっとこんなことではないのだと悟った。私は先を続けたが、ほとんど間髪をいれず、全然話すつもりのなかったものがたくさん私の話の中にあったのをはっきりと感じたのである。これは全く予期しない自覚であった。私はGの考えを何の反対もなく受けいれており、特別困難もなく自分の経歴を話せるものと思っていた。ところが実際には、それが全く不可能であることがわかったのだ。私の中の何かが猛烈な抵抗を示したので私は闘おうとすることさえできず、ある時期のことを話す段になると、ただ一般的なことだけを言い、話したくないことにはふれず、そのかわりにその重要性だけを伝えたのである。これに関連して、私は自分がこんなふうに話すとき、声と抑揚が変わるのに気づいた。これは他の人々を理解する助けになった。彼らが自分自身やその生活について話すときも、その声と抑揚が普段と違うのに気づいた。それは初めて耳にするような特殊な抑揚であり、そしてこれは人々が話の中で何かを隠したいと思っていることをはっきり示していた。抑揚が彼らの内部を暴露してしまったのである。抑揚の観察は後で多くのことを理解する手助けとなった。
Gが次にペテルスブルグにきたとき〔今回は2、3週間モスクワに帰っていた〕、我々は自分たちのしたことを話した。彼は全部聞き終わってから、我々はどのように〈人格〉を〈本質〉から引き離せばよいかを知らないのだとだけ言った。
G;人格は本質の後ろに隠れている。しかも本質も人格の後ろに隠れている。つまり両者は相互に隠しあっているのだ。
「本質はどのようにして、人格から分離しうるのですか?」と一人が聞いた。
G:君はどんなふうに自分自身のものを自分のものでないものから分離させるのか? 君の性格の中のあれやこれやがどこからきたのかよく考え、知る必要がある。それにほとんどの人、とりわけ社会で君たちとつきあいのある人々はほとんど自分自身のものをもっていない。彼らのもっているものはすべて自分のではなく盗んだものだ。つまり、彼らの世界についての観念とか確信とか見解とか概念とか呼んでいるものはみな、いろんなものからくすねとってきたものばかりだ。そして、これらが一緒になって人格をつくりあげているわけだが、君たちはこういったものをみな捨ててしまわなければならない。
「しかし、あなた自身がワークは人格から始まると言ったではありませんか?」と誰かが言った。
G:いや全くその通り。だからこそ我々は何よりもまず、今ここで話していることを、つまりその人が人間の発展のどの時点にいるか、存在のいかなる段階にいるかということをはっきりさせておかなければならないのだ。今私はワークと何のつながりもない人間について話している。このような人間は、とりわけ彼が〈インテリ〉層に属していれば、ほとんど完全に人格だけで構成されている。ほとんどの場合、彼の本質は非常に早い時期に発達を停止している。私は、家族に尊敬されている父親とか、種々の思想ではちきれんばかりの教授達、有名な著作家、大臣クラスの重要な官吏たちをたくさん知っているが、彼らの本質はだいたい12歳で発達を停止している。だが、これはそれほど悪い方ではない。時には本質のある側面が5、6歳で発達をやめ、それですべてが終わってしまうということも起こるのだから。残りの側面はすべて彼ら自身のものではなく、単なるレパートリーか、本からとったものか、もしくは既成の手本をまねてつくったものにすぎない。

30

この後活発な討論があり、Gもそれに参加した。そこで我々はGが出した課題の遂行に失敗した理由を見つけだそうとした。しかし話せば話すほど、彼が実際我々に求めたものへの理解から遠ざかるばかりだった。
G:この失敗は、君たちがどれほど自分を知らないかを明らかにしているにすぎない。私は、少なくとも君たちのうちの何人かは私の課題、めいめいの生活を話すという課題を真剣にやりとげようと思っていたことを少しも疑ってはいない。しかしながら君たちは、それができないことに、いや、どうやって始めたらいいかさえわからないことに気づいた。しかし、これは遅かれ早かれ通りぬけなければならないことだ。このことは銘記しておきなさい。これはこの道におけるいわゆる最初の試練の1つだ。誰もここを通りぬけないで先に進むことはできない。
「我々が理解していないものは何なのですか?」と誰かが聞いた。
G:君たちの理解していないのは、誠実であるとはどういうことかということだ。君たちは自分にも他人にも嘘をつくのに慣れきっているために、真実を話したくても言葉も思考も見つけられない。自分自身について完全な真実を言うのは難しいことだ。しかし、言う前にまず知らなくてはならない。しかるに君たちは自分自身についての真実が何から成っているかさえ知らないのだ。いつか私は君たちにそれぞれの主要な特徴もしくは欠点を指摘するつもりだ。そのとき、君たちが私を理解するかどうかがはっきりするだろう。
この頃、ひとつ非常に面白い会話があった。この当時起こったことにはすべて強烈な印象を受けたのだが、どれほど努力しても全く自己を想起することができないことはとりわけ身にしみた。最初は何かが成功しそうに思えるのだが、しばらくするとすべては消え去り、自分がその中に沈みこんでいる深い眠りをはっきりと感じるばかりだった。自分の生活を話す試みの失敗と、また特にGが求めたものをはっきり理解できなかったことでさらに気が滅入った。その気分はしかし、いつもそうであるように、意気消沈という形でではなく苛立ちという形で現れた。
こんな状態にあったとき私は一度Gと、ゴスチヌイ・ドヴォールの向かいのサドヴァヤにあるレストランに昼食にいった。私はたぶん恐ろしくそっけなかったか、それともひどく黙りこんでいたのだろう。
G:今日はまたどうしたんだね。
「自分でもわからないのです。」と私は答えた。「ただ、我々は何ひとつ成し遂げていない、いやむしろ私が何も成し遂げていないことを感じているのです。他の人は知りません。しかし、私はあなたを理解するのをやめており、またあなたももう何ひとつ初めの頃のようには説明してくれません。私はこんなやり方では何もやり遂げることはできないと思うのです。」
G:ちょっと待ちなさい。すぐにまた話し合いが始まる。私を理解しようとしてみなさい。これまで我々は一つ一つのものの場所を捜してきたのだが、まもなくそれらのものを固有の名前で呼ぶことになるだろう。
Gの言葉は記憶に残ったが、私はその中に入っていかずに自分の思索を続けていった。
「何も結びつけることができないのに、ものに名前をつけて何になるでしょう。あなたは私の質問には何ひとつ答えてくれないのです。」
G:よろしい。君が今聞きたいと思っているどんな質問にも答えることを約束しよう。
私は彼が私を嫌な気分から連れだそうとしているのを感じて心中彼に感謝したが、それでも私の内部の何かがなだめられるのを拒んでいた。
突然私は、かねてから何より知りたいと思っていたのは、Gが〈永却回帰〉を、つまり、私の理解するところでは生の反復であるものをどう考えているかということであるのを思いだした。私はこれについては何度もGと話をして私の見解を伝えようとしたのだが、こうした会話はいつも独白に近いものになった。Gは黙って聞いていて、それから別のことを話し始めるのだった。
「そうですか、では」と私は言った。「循環についてどう考えているか話してください。これにはいくばくかの真理があるのでしょうか、それとも全然ないのでしょうか? つまり私の言いたいのは、我々はこの生を1回だけ生きて消滅してしまうのか、それともすべては何度も何度も、おそらくは無限に繰り返されるのに、我々がそれを知らず、また気づかないだけなのでしょうか?」
G:この反復の考えは完全かつ絶対的な真理ではないが、それでも考えうるものの中では最も真理に近いだろう。この場合真理は言葉で表すことはできない。しかし、君の言ったことはそれに非常に近い。それにもし君が、なぜ私がこれについて話さないかを理解すれば、君はもっと真理に近づくだろう。循環について知っても、もし人がそれを意識せず、また彼自身が変わるのでもないのなら、何の役に立つだろう? もしその人が変わらないのなら、彼にとっては反復は存在しないとさえいえる。彼に反復のことを話してみてもいたずらにその眠りを深くするだけだ。眼の前、すなわち全永遠の中にはこんなにたくさんの時間と可能性があるのに、どうして今日努力などする必要があるのか?どうして今日にわずらわされる必要があるのか?というわけだ。これこそ、システムが反復に関して何も言わず、我々の知っているこのひとつの生だけをとりあげる理由なのだ。このシステムは、自己変革の努力がないところではいかなる意味も意義ももたない。しかも自己変革の努力は今、まさに今すぐに始めなければならないのだ。全法則はこの一つの生の中で見ることができる。生の反復に関する知識は、彼が一つの生、つまりこの生においてどのようにすべてのものが反復するかを知らなければ、またこの反復から逃れるために自己を変革しようと闘わなければ、何の益にもならない。しかし、もし彼が内部の本質的なものを変革すれば、つまり何かを勝ちとれば、その何かは失われることはない。
「つくられ、形成されたすべての性癖は生長するはずだという推論は正しいのですか?」と私は聞いた。
G:イエスでありノーでもある。それはこの一つの生において真実であるのと同様、ほとんどの場合真実だ。しかし大きな規模になると新しい力が入ってくる。これについては今は説明しない。しかし、私が言わんとするところを考えてみなさい。つまり惑星の影響も変化しうるのだ。それは恒久的なものではない。これを別にしても、性癖そのものが異なるということはありうる。いったん現れるとそれ自体で自動的に継続し発展する性癖もあり、また他にも、絶えず後押ししてやる必要のあるものやすぐに弱って完全に消滅するもの、あるいは自分でそれに働きかけなければ夢に変わってしまうような性癖もある。それ以上に、あらゆるものには一定の時間、一定の期間というものがある。あらゆるものに対する可能性は〔彼はこの言葉を強調した〕ある一定の時間内だけ存在するのだ。
私はGの言ったことすべてにいたく興味をひかれた。そのうちの多くは私が以前に〈推測した〉ことのあるものだった。しかし、彼が私の基本的な前提を理解したという事実と、それに対して示唆してくれたものはみな、私にとっては非常に重要な意味をもつものであった。すべてはただちに関係をもち始めた。私は『真理のきらめき』の中で語られている〈壮麗な建物〉の輪郭を見た思いがした。私の嫌な気分は消えたが、それがいつであったかさえ気がつかなかった。
Gは微笑みながらそこに坐っていた。
G:気分を変えることがいかにやさしいかわかっただろう。でもたぶん私はつくり話をしていただけで、おそらく循環など全く存在しないかもしれないよ。機嫌の悪いウスペンスキーが何も口にせずにそこに座っていては面白くないだろう。それで、「ひとつ彼を元気づけてやろう」と考えたわけだ。しかし、人を元気づけるのにはどうしたらいいだろう? ある人は面白おかしい話が好きだろうし、別の人には趣味の話をするのもいいだろう。私はちょうどウスペンスキーの趣味を、つまり〈永却回帰〉という趣味を知っていた。それでどんな質問にも答えようと申しでたわけだ。彼の聞きそうなことも知っていたからね。
だが、Gのこんなからかいも気にならなかった。彼は私に非常に実質的なものを与えてくれたのであり、それをとり消すことはできなかった。私は彼の冗談を本当だとは思わなかったし、循環について言ったことがつくりごとだとも思わなかった。私はまた彼の抑揚を理解するようになった。後になって私が正しかったことがわかった。というのは、システムの解説にこそ循環の観念をもちこまなかったものの、Gは何度かこれに言及したからである。とりわけ、この組織に近づきはしたが最終的に離れていった人々の失った可能性についての話の中で。

31
グループの話し合いはいつものように進んでいった。あるときGは人格と本質を分離する実験をやってみたいと言った。彼はずっと前にこの〈実験〉を約束していたのにそれまで何もしていなかったので、我々はみんな非常な興味をもった。しかし私は彼の方法ではなく、ただ彼が最初の夜、実験のために選んだ人たちのことだけを述べてみようと思う。
一人はもう若いとは言えず、社会的にかなり重きをなしている人物だった。ミーティングでは彼はよくしゃべり、それもほとんど自分のことか自分の家族、キリスト教、あるいはその当時の戦争に関係したことか、彼をうんざりさせていたあらゆる〈スキャンダル〉についてであった。
もう一人は若かった。我々の多くは彼を真面目な人間とは思っていなかった。彼はよく、いわゆる馬鹿を演じたり、全く反対に、システムとは何の関係もないようなこまごましたことについての形式的な議論を果てしなくやったりした。彼を理解するのはかなり難しかった。彼は簡単なことでもこみいらせて話し、ほとんど考えもつかないやり方で別々のカテゴリーやレベルに属している観点や言葉をまぜこぜにして使った。
私は実験の初めの方を見逃した。我々は大きな客間に坐っていた。話し合いはごく普通に進んでいた。
G「さあ、観察してみなさい。」とGがささやき声で言った。
何かを熱心に話していた二人のうち、年長者の方が話の途中で急に黙りこみ、前方をまっすぐに見ながら椅子の中に沈みこんでいくように思われた。Gの指図で我々は彼を見ないようにして話し続けた。若い方の男は話を聞き、それから彼自身話し始めた。我々は互いに目を見合わせた。彼の声が違っていたのである。彼はある自己観察を、はっきりと、簡潔かつ明瞭に、余計な言葉や無節制でおどけた調子を全然まじえずに語った。それから彼は黙りこみ、煙草を吸いながら明らかに何かを考えている様子であった。年長者の方はまるで縮んだボールにでもなったかのように身動きもせず坐っていた。
G「彼
(年長者)に何を考えているのか聞いてみなさい。」とGが静かに言った。
「私?」と彼は、まるで目が覚めたかのように頭をあげた。「何も」彼は謝るように、あるいは驚かされたかのように弱々しくほほえんだ。
「あのね、ちょうど今あなたは戦争について話していたんですよ。つまり我々とドイツの間に平和がくると何が起こるだろうということについてね。あなたはまだ同じように考えていますか?」と一人が言った。
「そんなこと知りませんよ。」と彼は確信のなさそうな声で言った。「本当にそう言いましたか?」
「ええ、もちろん。あなたは、みんながこれについて考える義務があり、誰も考えなくてよい権利はないし、戦争を忘れる権利もない、誰もがはっきりした意見、つまりイエスかノーか、戦争に賛成か反対かをはっきりさせるべきだと言ったばかりですよ。」
彼はたずねている人が何を言っているのかわからないといった様子で聞いていた。
「本当ですか?」と彼は言った。「何て奇妙なことだ。私はそんなこと何ひとつ覚えちゃいませんよ。」
「でも今はそれに関心があるのですか?」
「いいえ、全くないですね。」
「あなたは今起こっていることの成り行きやロシア、ひいては全文明に対するその影響については考えていませんか?」
彼は残念そうに頭を振った。
「私はあなたが何を話しているのかわからないんですよ。」と彼は言った。「そんなことには全然興味がないし、それに何も知らないんです。」
「それなら、あなたは前に家族について話したでしょう。もし家族の方が我々の考えに興味を覚えてワークに加わったとしたら、あなたはずっとやりやすいのではないですか?」
「ええ、たぶんそうでしょうね。」と、またはっきりしない声で言った。「でもどうしてそんなことを考えなくちゃいけないんです。」
「もっともです。でもあなたは、あなたと家族との間に広がりつつある、あなたの言葉によれば深い裂け目を恐れていると言いましたね。」
返事はなかった。
「今はそれについてどう思っていますか?」
「そんなことはこれっぽっちも考えちゃいません。」
「もし何が欲しいのかと聞かれたら何と答えますか?」
彼はまた驚いたような目つきで言った。「何も欲しくありません。」
「とにかく何か考えてごらんなさい、何が欲しいのです?」
彼のかたわらのテーブルの上に飲みかけのお茶があった。彼は何か考えこむようにそれを長い間見つめていた。
彼はまわりを二度見まわしてから、またお茶のカップを見、それから我々が互いに目を見合わせるほど真剣な声と抑揚で言った。
ラズベリー・ジャムが少しばかり欲しい
「なぜあなたたちは彼に質問しているのです?」と、ほとんど聞きとれないほどの声が部屋の隅から聞こえてきた。
これが第二の〈実験〉だった。
「彼が眠っているのがわからないのですか?」
「あなた自身もですか?」と誰かが聞いた。
「私はその反対に目が覚めました。」
「あなたが目を覚ましたのになぜ彼は眠ってしまったのですか?」
「わかりません。」
これで実験は終わった。

彼らは二人とも、次の日には何も覚えていなかった。Gは次のように説明した。すなわち、最初の人の普通の会話、驚き、動揺の原因を形成しているものはすべて人格の中にある。それで、彼の人格が眠っているときには実際何一つ残っていない。もう一人の方の人格には非常な話し好きの性癖があるが、それでもその背後には人格と同じだけ、しかもそれよりもよくものを知っている本質があり、人格が眠りこむときには本質が代わってその部署につく、しかもその部署に対してはもともと本質の方がずっと正当な権利をもっているのである、と。

G:彼が自分の習慣に反してほとんど話さなかったことに注意しなさい。しかも彼は君たち全員と、そこで起こったことをすべて観察し、何一つ見逃していない。
「しかし、もし彼がそれを覚えていないとしたら、観察は何の役に立つのですか?」と誰かが聞いた。
G:本質が覚えている。人格は忘れる。でもそれは必要なことなのだ。というのは、そうでないと人格は何もかも歪めてそれを全部自分のものだと思いこむにちがいないからだ。
「でもこれは一種の黒魔術でしょう?」と一人が言った。
G:もっと悪い。しばらく待てば、それより悪いものを目にすることになるだろう。
〈タイプ〉について話しているとき、Gは言った。
G:男女の関係において〈タイプ〉がいかに大きな役割を演じるか気がついたかな?
「生涯にわたって」と私は言った。「どの男性もある特定のタイプの女性と接触をもち、またどの女性もある特定のタイプの男性と関係に入ることに私は気づきました。まるであらゆる男性にとっての女性のタイプが、またあらゆる女性にとっての男性のタイプがあらかじめ決められているかのようにです。」
G:君の言ったことの中には多くの真実がある。しかしそんな形ではむろん一般的すぎる。実際には君は、男女のタイプではなく出来事のタイプを見たのだ。私の話していることは真のタイプ、つまり本質に関わっている。もし人が本質の中で生きる運命にあれば、あるタイプは常にある決まったタイプを見つけ、不適当なタイプとは決して一緒になることはない。しかし人々は人格の中に住んでいる。人格は自身の興味と趣味をもっており、しかもそれらは本質の興味や趣味とは何の共通点もない。我々の人格はセンターの間違った働きの結果生じたものだ。そのために、人格が本質の嫌いなものを好んだり、またその反対のことも起こりうるのだ。ここにおいて本質と人格の闘いが始まる。本質は自己の望むものを知ってはいるが説明できない。人格はそんなものは聞きたくないので一顧だにしない。それは自身の欲求をもっていて、自己流に行動する。しかしその力はその時点より先には及ばない。その後は、何とかして2つの本質が一緒に生きていかなければならないのだ。しかもその2つは互いに憎みあっている。ここではいかなる演技も助けにはならない。何らかの形で本質かタイプが支配権を握り、そして決定を下すのだ。
この場合には理性や計算、熟慮といったものは何の役にも立たない。いや、愛と呼ばれるものさえ助けにならないのだ。なぜかといえば、言葉の真の意味においては、機械的な人間は愛することができず、彼においてはそれが愛する、または
それが愛さない、という具合になっているからだ。
同時に性も、生の機械性の維持において非常に大きな役割を果たしている。人々のやることはすべて〈性〉に結びついており、政治、宗教、美術、演劇、音楽などはみな〈性〉なのだ。君たちはそもそも、人々が祈ったり新しい芝居を観たりするために教会や劇場に行くと思っているのかね? それはただの外っつらだ。劇場でも教会でも重要なことは、そこにたくさんの女性と男性がいるということだ。これがあらゆる集会の核心だ。どうして人々は喫茶店やレストランや種々雑多な祝宴に出かけると思うかね? 理由はたった一つ、だ。これこそあらゆる機械性の中心をなす動機だ。あらゆる眠り、催眠はこれに依存している。
私の言わんとするところを理解しないといけない。機械性は、その現実の姿を見ず何か別のものにすりかえられるとき、ことのほか危険になる。性がそれ自身を明確に意識し、他のもので自分を隠そうとしなければ、それは私の言う意味で機械的であることにはならない。それどころか、自立し、何ものにも依存しない性はそれだけで大したものだ。しかし、悪はこの絶え間ない自己欺瞞の内にひそんでいるのだ。

「とすれば結論はどうなるのでしょう。それは今のままであるべきなのですか、それとも変えるべきなのですか?」と誰かが聞いた。
Gは微笑んだ。
G:きまって誰かがそう聞く。何について話していようとお構いなくね。それは今のままであるべきか、あるいはいかにして変えられるか、つまりこんな場合には何を為すべきか?と。
まるで何でも変えられるし、何でもできるかのごとくにだ。ここまで学んできたからには、少なくともこんな質問がいかに愚直なものかぐらいは気がついてしかるべきだ。宇宙の力があらゆる事態をこのような状態にしており、またその同じ力がこの状態を支配しているのだ。それでもなお君たちは聞く。
それはこのままにしておけるのか、それとも変えるべきか?と。神自身でさえ何ひとつ変えることはできないだろう。48の法則に関して言ったことを覚えているかね? それを変えることはできないが、そのかなりの部分から自由になることはできる。つまり自分に関わる事態を変えること、普遍的法則から逃れることは可能だということだ。他の場合と同様、この場合にも普遍的法則は変えられないということを理解しなければならぬ。しかし、一人の人間が法則との関係の中で自分の位置を変えることはできるのであり、それが普遍的法則から逃れるということだ。私の話しているこの法則、すなわち人々に対する性の力の中には、多くの異なった可能性が含まれているために、このことはよりいっそう真実である。この力は奴隷性の主要な形態を含んでおり、それはまた自由への大きな可能性でもある。これこそ理解しなければならない点だし前に話した〈新生〉は、肉体的な誕生や種の繁殖にと同じだけ性エネルギーにも依存している。
〈水素〉シ12は人体中の食物変性の最終的産物である〈水素〉だ。性はこの物質で働き、またこれを製造しもする。その物質とは〈種〉もしくは〈果実〉だ。
〈水素〉シ12は〈付加的ショック〉の助けを借りて次のオクターブのドになることができる。しかしこの〈ショック〉は二重の性質をもつこともあるので、異なったオクターブを生む可能性もある。つまり1つはシを生みだした有機体の外に、もう1つは有機体中に。男性のシ12と女性のシ12の結合と、それに伴う一切のものは第一種の〈ショック〉をつくりだし、その力で始まった新しいオクターヴは新しい有機体、あるいは新しい生命として独立して進展する。
これがシ12のエネルギーの正常で自然な使い方だ。しかし同じ有機体中にはそれ以上の可能性が含まれている。それは、シ12を製造している実際の有機体の中で2つの原理、すなわち男性と女性の結合なしで新しい生命を生みだす可能性である。そのとき、新しいオクターヴは有機体の外ではなくて内で進展する。これが〈アストラル体〉の誕生だ。〈アストラル体〉は肉体と同一の素材、同一の物質から生まれ、ただその過程が違っているだけだということを理解しなくてはならない。肉体全体、その全細胞は、いうなれば物質シ12の放射物に浸透されている。そしてそれが十分しみわたったとき、物質シ12は結晶化を始める。この物質の結晶化が〈アストラル体〉を形成するのだ。
物質シ12が放射物に変化し、それがしだいに全有機体に浸透することを、錬金術では〈変成〉または変質と呼んでいる。
錬金術で〈粗悪なもの〉から〈上質のもの〉への変成とか、卑金属から貴金属への変成と呼んでいるのは、まさにこの肉体からアストラル体への変性のことなのだ
変性の完成、つまりアストラル体の形成は、健康で正常に機能する有機体の中でのみ可能なのだ。病んだり歪んだり不具であったりする有機体内では、いかなる変性も不可能だ。

「変性には完全な性的禁欲が必要なのでしょうか? また一般に性的禁欲は自己修練に役立つのでしょうか?」と我々は聞いた。
G:その質問には多くの問題がある。まず第一に、変性にとって性的禁欲はある特定の場合にのみ、つまりあるタイプの人にのみ必要だ。他の人には全く必要ない。とはいえ、それは変性が始まるとひとりでにその人たちの中でも始まる。もっと詳しく説明しよう。あるタイプの人には、変性を始めるためには長期間の完全な性的禁欲が必要だ。言いかえると、長期の完全な性的禁欲なしでは変性は始まらないということだ。しかし、いったん始まれば禁欲はもう必要ない。他の場合、つまり他のタイプでは、変性は通常の性生活の中で始まりうる。いやそれどころか、性エネルギーの外への大量消費がその始まりを早め、またより円滑に進行させさえするのだ。いま一つの場合には、変性の開始は禁欲を必要としない。しかしいったん始まれば、変性は性エネルギーを全部使い、通常の性生活や性エネルギーの外的消費に終止符を打つ。
それから次の質問、「性的禁欲はワークに有益かどうか?」について。
全センターで禁欲が行われればそれは有益だ。しかしもし1つのセンターでは禁欲が行われているのに、他のセンターはいくらでも空想や白昼夢を見れるとしたら、これ以上悪いことはないだろう。またそれ以上に、人間がこのようにして貯えたエネルギーをどう使えばよいかを知っていれば禁欲は有益になりうる。しかし、それをどうしてよいのかわからないのなら禁欲は何の足しにもならない。

「一般的に言って、ワークの観点からすれば、これに関する最も正しい生の形態とはどんなものなのでしょう?」
G:それに答えるのは不可能だ。ただ次のことを繰り返しておこう。すなわち、知らない間は何も試みない方がいいということだ。もし彼の生が普通の規則と原理によって導かれているのなら、新しくて正確な知識をもつまではそれだけで十分だ。彼がこの領域内で理論化したり工夫したりしても、精神病以外には何も出てこないだろう。しかしこれも覚えておかねばならないことだが、性に関して完全に正常である人だけがワークで可能性をもっているのだ。あらゆる種類の〈独創性〉、奇抜な趣味、変わった欲望、また反対に恐怖や絶え間なく働く〈緩衝器〉、こういったものは最初からうち壊さなければならない。現代の教育と生活はおびただしい性的精神異常者を生みだしている。彼らはワークでは全く可能性がない。
一般的に言えば、性エネルギーの正しい消費の道は2つしかない。すなわち普通の性生活と変性だ。この領域で何か新しいことをやろうとすれば、それがどんなものでも非常に危険である。
人は記憶にないほどの昔から禁欲に努めてきた。時々、といっても本当にまれにだが、何らかの成果をあげることもあったが、ほとんどの場合、禁欲と称されるものは単に正常な感覚を異常なものに変えただけだった。というのも、異常なものの方が隠しやすいからだ。しかし私が話したいのはこのことではない。どこに主要な悪がひそんでおり、何が奴隷状態を助長しているかをこそ理解しなければならないのだ。それは性自体の中にではなく、性の誤用の中にある。しかし、性の誤用の意味するものがこれまた誤解されている。人は普通これを過剰とか悪用とか考える。しかし性の誤用には比較的無害なものもある。
言葉の真の意味での性の誤用とは何かを把握するためには、人間機械に精通する必要がある。つまり性の誤用とは、性に関するセンターのまちがった働き、つまり他のセンターを通して性センターが活動すること、もしくは性センターを通して他のセンターが作動すること、もっと正確に言えば、他のセンターから借りたエネルギーを使って性センターが機能し、また性センターから借りたエネルギーを使って他のセンターが作動することなのだ。

「性は独立したセンターと考えることができますか?」と一人が聞いた。
G:できる。同時に、もし下位の層全部を1つの全体と考えれば、性は動作センターの中和部分と考えることができる。
「どの〈水素〉で性センターは働いているのですか?」と別の者が聞いた。
この問題は長い間我々の興味をひいていたのだが、それまで答えることができなかった。それにGは、前に聞いたときには直接の返答をしなかった。
G:性センターは〈水素〉12で働いている〔このときは彼は言った〕。いやむしろ、それで働くべきだと言った方がいいだろう。これがシ12だ。しかしそれが適切な水素で働くことは実にまれだというのが実情だ。性センターの働きにおける異常性は特別の研究を必要とする。
まず第一に、通常、性センターと高次感情センターと高次思考センターには否定的な側面がないということを銘記しておかねばならない。高次のセンターを除けば他の全センターには、つまり思考、感情、動作、本能センターにはいわば2つの面がある。すなわち積極的な面と消極的な面、つまり思考センターの肯定と否定、動作センターおよび本能センターの快感と不快感だ。性センターにはこのような区分はない。そこには肯定も否定もないのだ。不快な感覚、感情も、快適な感覚、感情もないばかりか、そこには全く何もない。あらゆる感覚の欠如、完全なる無関心があるばかりだ。しかし、諸センターの誤った働きの結果、しばしば性センターは感情センターや本能センターの否定的部分と結びつく。そして性センターのある種の刺激が、いやどんな小さな刺激でも、不快な感情や感覚を生みだす。性に関連した観念や空想で喚起された不快な感情や感覚を経験すると、人はそれを大きな美徳、あるいは何か独創的なものだと考える。が、実はそれは単なる病気にすぎない。
性に結びついたあらゆるものは快か、それとも無関心だ。不快な感情や感覚はすべて感情センターか本能センターから出てくるのだ
これが〈性の誤用〉だ。さらに性センターは〈水素〉12で働くことを覚えておく必要がある。これは性センターは他のセンターよりも強くまた速いということだ。事実、性は他のすべてのセンターを支配している。普通の状態、つまり人間が意識も意志ももっていないときに、性センターを服従させる唯一のものは〈緩衝器〉だ。〈緩衝器〉はそれを完全にゼロにしてしまう。つまりそれは性センターの正常な機能を妨害することができるのだ。しかしそのエネルギーまで破壊することはできない。
そのためそのエネルギーは残り、他のセンターに移ってそれを通して自己を表現しようとする。言いかえれば、他のセンターは性センターが使わないエネルギーを盗むのだ。思考、感情、動作のそれぞれのセンターの働きの中での性エネルギーの存在は、特殊な〈嗜好〉や熱情、あるいは活動の性質上不必要と思われる熱狂などから認知することができる。思考センターは本を書くが、その際、性センターのエネルギーを使うことによって、ただ哲学、科学、政治などに関わるだけでなく、常に何かと闘い、言い争い、批判し、新しい主観的な理論を生みだす。
感情センターはキリスト教、禁欲、禁欲主義、罪の恐怖、地獄、罪人の責苦、永遠の生を説くが、それはすべて性センターのエネルギーを使ってやるのだ。また他方、このセンターは同じエネルギーで革命や強盗、放火、殺人などをやらせたりもする。
動作センターは、スポーツ、いろいろな記録の更新、登山、跳躍、フェンシング、レスリング、喧嘩などに関わっている。

以上すべての例、つまり思考、感情、動作センターの働きにおいて、それらが性センターのエネルギーを使って働くときには常にある一般的な特徴が見られ、その特徴とはある特殊な熱情と、それと結びついたその働きの無用性ということだ。思考、感情、動作のどのセンターも性センターのエネルギーを使って有益なものを生みだすことはできない。これは〈性の誤用〉の一例だ。
しかしこれはその一面にすぎない。別の側面は次の事実にある。すなわち、性センターのエネルギーが他のセンターに奪われて無用な働きに使われれば、性センターには何一つ残らないので他のセンターのエネルギーを盗まねばならず、しかもそのエネルギーは、性センター自体のエネルギーよりずっと下位の粗悪なものだということだ。それでも性センターは、一般的な活動にとって、とりわけ有機体の内的生長にとっては非常に重要である。なぜなら、〈水素〉12で働くとき、それは他の普通のセンターが受けとることのできない非常に微細な印象という食物を受けとることができるからだ。微細な印象から成る食物は、高次の〈水素〉製造のために非常に重要だ。しかし、性センターが自分のものでないエネルギーで働くときには、つまり比較的下位の〈水素〉48や24を使うときには、その印象はずっと粗雑になり、有機体中で果たしうる役割を停止してしまう。同時に、それが思考センターと結合し、そのエネルギーを思考センターに使われると、性に関するとてつもなく大きな想像力が生じ、それに加えてこの想像で満足するという傾向が生まれる。感情センターと結合すると、感傷性や反対に嫉妬や残酷さなどを生みだす。これもまた〈性の誤用〉の一例だ。

「(性の誤用〉と闘うには何をしなければならないのですか?」と誰かが尋ねた。
Gは笑った。
G:ちょうどその質問を待っていたところだ。すでに理解しているべきことだが、ワークを始めていない者、機械の構造を知らない者に〈性の誤用〉とは何かを説明できないのと同様、これらの誤用を避けるために何をしなければならないかを言うのは不可能だ。正しいワークは恒久的な重心をつくりだすことから始まる。恒久的な重心がつくりだされたとき、他のすべてはそれに従うように配置され、割りあてられる。だから問題はこうなる、つまり何から、またどのように恒久的重心をつくりだすことができるのか? これに対しては次のように答えよう。すなわち、その人のワークとスクールに対する態度、ワークに対する評価、そしてそれ以外のすべてのものの機械性と目的のなさの自覚だけが、彼の内部に恒久的重心を生みだすことができるのだ、と。
全体的な均衡と恒久的重心の創造において性センターの役割は非常に大きなものになりうる。そのエネルギーに従えば、つまりそれが自分自身のエネルギーを使うなら、性センターは高次感情センターのレベルに立つ。そして他の全センターはこれに従う。だから、もし性センターがそれ自身のエネルギーで働けばすごいことになる。これだけでも存在のレベルがかなり高いことを示している。またこの場合、つまり性センターが自己のエネルギーで、しかもそれ本来の場所で働けば、他のすべてのセンターもそれぞれの本来の場所で自己のエネルギーを使って正しく働くことができるのだ。


32

この時期、つまり1916年の盛夏は、ワークにおける非常に強烈な時期としてグループ全員の記憶に残った。
我々はみな急がなければならないと感じ、自らに課した課題の計り知れぬ大きさに比べて何とわずかなことしかやっていないかを痛感していた。より以上のことを知る機会は、やってきたのと同じように突然に去っていくだろうということを我々は自覚し、各自の内部でワークの圧力を高め、状況が許す限りあらゆることをやるべく努めていた。私は、この方面での以前の経験を生かして、一連の実験もしくは訓練を始めた。まず短期間ではあるが、極めて徹底的な一連の断食を行った。〈徹底的〉というのは、健康という観点を全く考慮せず、それどころか、できる限りの強いショックを肉体に与えようとしたということである。これに加えて、以前、断食と相まって興味深い心理学的効果をもたらしたある明確な体系による〈呼吸〉法を始めた。また同時に以前、注意の集中と自己観察に非常な助けとなった〈心の祈り〉の方式に則る〈暗誦〉も始めた。そして、注意集中のためのかなりこみいった一連の心理的訓練も始めた。しかし、これらの実験や訓練の詳細をここに記そうとは思わない。というのも、それは結局、どんな結果になるか正確な知識もないまま、自分の方法を探ろうとした試みにすぎなかったのだから。
しかしこういったことがみな一体となって、話し合いやミーティングと同様に私を尋常でない緊張状態に導いた。また、もちろんそれらは、私が1916年の8月に経験しなければならなかった一連の驚くべき実験への大きな準備ともなった。なぜならGは約束を守り、私は事実を見、そして同時に、Gが事実の前に他の多くのことが必要であると言ったとき、何を意味したかがわかったからである。
他の多くのこととは、準備、ある考えの理解、ある状態における存在であった。この状態(それは感情的なものであるが)こそ、まさに我々が理解していなかったものであった。つまりそれは必要不可欠で、それなしでは事実はありえないということを理解していなかったのである。
今や私は最も困難な問題に直面していた。何にせよ、事実そのものを記述する方法はどこにもないからだ。
なぜか?
私は度々この質問を自分に問うてみた。しかし、事実には私的なものがありすぎて共有財産にすることはできないと答えるのが精一杯だった。そして、これは私の場合に限らず常にそうであるとも考えた。
驚くべき経験をしたものの、その記述を断念した人々が回想録や手記の中でこの種の主張をしているのにぶつかるたびに腹が立ったのを私は覚えている。彼らは奇蹟を捜し求め、形はいろいろであろうが、ともかくそれを見つけたと考えた。しかし、見つけたときに彼らはきまってこう言うのだ。
「私は見つけた。しかしそれを記述することはできない。」
私にはいつもこれは手のこんだつくり話のように思えた。
それでいて私は今、自分がそれと全く同じ状態にあるのを発見した。私は捜し求めていたものを見つけた。すなわち、可能であるとか、承認されているとか、是認しうるとか考えられているものの領域を完全に超越した事実を見、観察したのだが、それについて何一つ言うことができないのであった。
この経験の中心部分は、その内的な内容と、この経験に伴って現れた新しい知識にあった。とはいえ、その外的な様相でさえおぼろにしか描写できない。すでに言ったように、断食やその他あらゆる実験の後で、私はかなり高ぶった神経過敏な状態にあり、肉体的にも普段より不安定だった。私はフィンランドのE・N・Mの家に着いた。彼はペテルスブルグにも家をもっていて、我々はその頃そこでよく会合を開いていた。Gと8人ほどの仲間がそこにいた。夜には、自分の生活を話すという例の試みが続けられた。Gはひどく厳しく、また皮肉っぼく、まるで我々を次から次へと怒らせようとしているかのように、我々の臆病さと思考の怠惰を特に強調した。Gがみんなの前で、私が以前にドクターSについて絶対の自信をもって彼に言ったことを繰り返し始めたとき、私はとりわけ動揺した。他の者がそういう話をするのを私はいつも非難していたので、Gの話したことは私にはひどく不愉快だった。
Gが私とドクターSとZを小さな別室に呼んだのは10時頃だったと思う。我々は〈トルコ式〉に床にあぐらをかき、Gは説明の後、ある種の姿勢や動作を示し始めた。動作や姿勢そのものにはとりわけ問題はなく、優秀な体操選手だったら難なくやりおおせるだろうと思いはしたものの、Gのあらゆる動作の驚くべき確実さと正確さには注目せざるをえなかった。私は運動選手をもって任じたことなど一度もなかったが、見かけをまねることだけはできた。Gは、体操選手ならもちろんこれらの動作はできるだろうが、自分とは違った方法でやるだろうし、また自分のは筋肉をリラックスさせた特別の方法なのだと説明した。
後でGは再び、なぜ我々は自分の生活の話ができないのか?という問題に入っていった。奇蹟が始まったのはこのときだった。
Gはいかなる外的手段も用いなかった。つまり、麻薬やいかなる既知の催眠法も私に用いたりはしなかった。これだけは断言できる。
すべては私が彼の思考を聞き始めることから始まった。それは田舎の家で起こった。そのとき我々は、カーペットの敷いてない小さな部屋の木の床に坐っていた。私の向かいにはGが、両側にはドクターSとZがいた。Gは我々の〈特徴〉や、真実を見ぬき、またそれを語ることにおける我々の無能力について話していた。Gの言葉は私をひどく狼狽させた。そして突然私は、話しかけているGの言葉の中に、私に向けられた〈思考〉があることに気づいた。私はその思考の一つをとらえ、普通の方法で声に出してそれに答えた。彼は私に頷いてから話すのをやめた。かなり長い休止があった。彼は無言で静かに坐っていた。しばらくして私は彼の声を私の内部に、心臓近くの胸の中に聞いた。彼はある明確な質問を私にしていた。私は彼を見た。彼は微笑みながら坐っていた。彼の質問は私に非常に強い感情を引き起こした。しかし私はGに「そうです。」と答えた。
G:なぜ彼はあんなことを言ったのかな。私は彼に何か聞いたかね?
GはZとドクターSを交互に見ながら尋ねた。
それからすぐに彼は、前と同じやり方でもっと難しい質問をしてきた。私はまた普通に声に出して答えた。ZとS、ことにZは眼前で起こっていることに対して、見るからに驚いた様子を表した。この会話(もしこれをそう呼ぶことができるなら)は、このような形で30分以上も続いた。Gは言葉を使わずに私に質問し、私はそれに普通に言葉を使って答えた。私はGの言ったこと(それは言葉では伝えようもないが)でひどく動揺した。事は、私がそれを受けいれるか、さもなくばワークを離れるかしなければならないある条件と関わっていた。Gは1ヵ月の時間をくれた。私はそれを断り、要求がいかに困難なものでもすぐにやり遂げるつもりだと言った。しかし彼は1ヵ月という期間を主張しつづけた。
ほどなく彼は立ちあがり、我々はベランダに出ていった。その家には他にもベランダがあり、そこでは仲間たちが坐っていた。
この後起こったことを私はほとんど話すことができない。といっても、重要なことは、GがZやSと話した後に起こったのである。そのとき彼が私について言ったことに強く打たれ、私は椅子から飛びあがって庭に出ていった。そこから私は森へ入った。そして、恐ろしく異常な想念や感情の力に完全にとらわれて長い間歩きまわった。時には何かを見つけたようにも思えたが、すぐまた失うのであった。
こんなことが1、2時間も続いた。ついに、矛盾や内的混乱がその極に達したと思われた瞬間、心に一つの考えがひらめき、それに続いてGの言ったことすべてと私自身の位置とを瞬時に明確に理解したのである。私はGが正しかったことを理解した。つまり、自分の中で確実で信頼できると考えていたものが、実際には存在しないことがわかったのだ。しかし私はそれ以外のものも見つけた。それをGに話しても、彼は信じないばかりか私を笑うだろうことはわかっていた。だが、私にとってそれは疑問の余地がなく、また後で起こったことは私が正しかったことを証明したのである。林の空地のようなところで、私は長い間坐って煙草を吸っていた。家に帰りつくと小さなベランダはすでに暗くなっていた。みんなもう寝たのだなと思いつつ、自室のベッドに入った。しかし実は、Gと他の人たちは大きなベランダで夕食をとっていたのである。ベッドに入ってしばらくすると、また体内に不思議な興奮が起こり、動悸は高まり、それから再びGの声を胸の中に聞いた。このときには、私はただ聞くだけでなく、心の中で答えたのである。Gはそれを聞き、また答えてきた。この会話にはどこかとても不思議なところがあった。私は、これを事実として証明するものを見つけようとしたが駄目だった。それに結局のところ、それは〈空想〉か白昼夢であるのかもしれなかった。なぜなら私はGに、この会話が実際にあったこと、しかもそれがGとの間に交わされたものであることを疑問の余地なく証明するような具体的な質問をしようとしたが、それを証明できるだけの質問を案出できなかったからである。それに、彼が答えた質問のあるものは私が自問自答できるものであった。彼は後で〈証拠〉となるかもしれない具体的な答えを避けたのではないかという印象さえ私は受けた。私の質問の1つ2つに対し、彼は意識的に曖昧な答えをしたからである。しかし、それが会話であったという感じは非常に強く、また全く未知のもので何ものにも似ていなかった。
長く間をおいてからGは私に何か尋ねたが、それは私をすぐに油断なく身構えさせた。それから彼は答えを待つかのように黙った。
彼の言ったことは突然私のすべての思考と感情を停止させた。それは恐怖ではなかった。少なくとも自分が恐れていると感じるときのような意識的な恐怖ではなかった。しかし私は全身が震え、文字通り完全に動転していたので、はっきり答えようと懸命に努めたにもかかわらず一言半句も正確に発音することができなかった。
私はGが待っていることを感じ、またそう長くは待たないだろうとも感じた。
G:どうやら君は疲れているようだね〔ついに彼は言った〕。これはまた別の機会にとっておこう。
私は何か言った。この考えに慣れるまで少し時間をくれるよう頼んだのだと思う。
G:別の機会にしよう。眠りなさい。
そして彼の声は止んだ。
私は長いこと寝つかれなかった。翌朝、前の晩我々が坐っていた小さなテラスに出ていくと、Gは20ヤードほど離れた庭の円いテーブルの近くに坐っていた。そこには他に3人の仲間がいた。
G:彼に咋夜何が起こったか聞いてみなさい。
どういうわけかこれを聞いて私は腹が立ち、向きをかえてテラスの方へ歩いていった。そこにきたときまたGの声が胸の中で聞こえた。
G:止まりなさい!
私は立ち止まってGの方を振り返った。彼は微笑んでいた。
G:どこへ行くんだね。まあここへ坐りなさい。
彼は普通の声で言った。
私はそこに坐ったが、何も言えず、話したくもなかった。同時に私は、思考が驚くほど明晰なのを感じ、特に難しく思えたある問題に集中しようと決心した。この異常ともいえる状態でなら、普通では見つけられなかった解答を見いだせるかもしれないという思いが脳裏をよぎったのである。
私は創造の光の第一の三つ組、つまり1つの力を形成する3つの力について考え始めた。それは何を意味するのだろう? 定義することはできるか? その意味を認識することはできるだろうか? 頭の中で何かがひとりでに系統立てられていったが、それを言葉にしようとすると、たちまちすべては消えてしまった。意志意識・・・三番目は何だったろう? 私は自問した。三番目のものに名前をつけることさえできれば、他のすべてはたちまち理解できるように思われた。
G:そこまで!
Gが大きな声で言った。私が目をやると彼は私を見た。
G:まだまだそこまでは遠い道のりだ。今は答えを見つけることはできない。自分のこと、自分のワークのことを考える方がはるかにいいだろう。
一緒に坐っていた人たちは当惑した様子で私たちを見た。Gは私の思考に答えたのである。
それからとても不思議なことが始まり、それは一日中、いやその後も続いた。フィンランドには予定より3日はど長く滞在した。この3日間にいろいろな問題についての多くの議論がなされた。私はといえば、時には重荷に感じるほど異常な感情状態にあった。
「どうしたらこの状態から抜けだせるでしょう。もうこんな状態には耐えられません。」と私はGに聞いた。
G:君は眠りたいのかね。
「もちろん違います。」と私は言った。
G:それなら君は何を尋ねているのだ。これこそ君が望んでいたものなのだ。役立てなければいかん。君はこの瞬間には眠っていないのだ!
私はこれが全くの真実だとは思わない。私は間違いなくある瞬間には〈眠っていた〉のである。
このときの私の発言の多くは、この奇異な出来事に居合わせた仲間をひどく驚かせたにちがいない。私自身、多くのことに驚かされた。多くのことが眠りのようであり、現実とは何の関係もなかった。私がその大部分をつくりだしたことは間違いない。後になって自分の言ったことを思いだすと、とても奇妙に思えたものだ。
ほどなく我々はペテルスブルグに帰った。Gがモスクワへ行くので我々はフィンランド駅からまっすぐニコラエフスキー駅に行った。
かなりの数の仲間がGの見送りに集まった。Gは行った。
しかし、奇蹟はまだまだ終わらなかった。その日の夜半、また新たな非常に不思議な現象が起こった。モスクワ行きの列車のコンパートメントにいるGを見ながら私は〈話を交わした〉のである。
不思議な時期が続いた。それは約3週間だった。この間、私は折々に〈眠れる人々〉を見た。
これにはもっと詳しい説明が必要だろう。
Gが行ってから2、3日後、私はトロイツキー通りを歩いていたが、突然こちらに歩いてくる人が眠っているのを見たのである。間違いはなかった。彼は目こそ開いていたが、その顔を雲のようによぎる夢に明らかにひたりきって歩いていた。そのときある考えが浮かんだ。すなわち、もし十分に彼を見続けることができれば彼の夢が、つまり彼が夢の中で見ているものがわかるのではないか?と。しかし彼は通り過ぎていった。彼の後にまた別の眠れる人がやってきた。眠れるイズヴォースチク(馬車)は2人の眠れる人を乗せて通り過ぎていった。突然私は、自分が『眠れる森の美女』の王子の立場にいるのに気がついた。まわりの誰も彼もが眠っていた。それは疑いようのないほど確かな感覚であった。普段見ていない多くのものを我々の目は見ることができるというのがいかなる意味であるのかを悟った。この感覚は数分間続いた。翌日も、非常に弱くではあるが、その感覚は繰り返し現れた。すぐに私は、散漫にならず、つまりまわりのどんな物事にも注意をとられずに十分なエネルギーを保っている限り、自己を想起しようと努めることによってこの感覚を強化し、永続させることができるということに気づいた。注意が散漫なとき、私は〈眠れる人々〉を見るのをやめていた。私自身も明らかに眠っていたからである。私は仲間の数人の者にだけこの実験の話をした。するとその内の2人も自己想起に努めたときに似たような経験をしていたのである。
その後はすべてが平常に戻った。私は起こったことを正確に記述することができなかった。しかし、私の内のすべてが逆さまになってしまった。しかもこの3週間の間に私が言ったり考えたりしたことの中には、かなりの幻想があったことも間違いなかった。
とはいえ、私は自分自身を見た。つまり以前には一度も見たことのないものを自分の中に見たのである。この点については疑問の余地はなく、たとえ後で以前と同じ自分に戻ったとしても、この出来事は知らなかったことにはできないし、また何一つ忘れることもできないだろう。
その当時でも、疑いようもなく明晰に理解していたことが一つあった。それは、日常的に観察しうる物事の範疇を超えた高次の序列の現象、あるいは〈形而上学的〉と呼ばれることもある現象は、物理的現象のように普通の方法や普通の意識状態では観察したり調べたりすることはできないということである。〈テレパシー〉、〈透視〉、未来予知、降霊現象等々の高次の現象を、電気や化学、気象現象などと同じ方法で研究できると考えるのは全くばかげていた。高次の序列の現象には、その観察と研究のために特殊な感情状態を必要とする何かがあるのである。そしてこのことが、〈きちんと管理された〉実験室での実験や観察を許さないのである
『宇宙の新しいモデル』の「実験的神秘主義」の章に書いた私自身の実験の後で、私はこれと同じ結論に前もって行きついていた。しかし、今ではなぜそれらが不可能であったかがわかった。
私の行きついたもう一つの興味ある結論は、もっと説明しにくいものである。私は自分の見解のあるものや目的、欲望、抱負などの表し方に変化が起こったことに気づいていたが、その結論はこの変化に関連していた。これに関する多くの側面は後になって初めてはっきりした。また後になって、私の自分自身に対する見方、私のまわりのもの、またとりわけ〈行動の方法〉(的確な言葉が見つかりそうにもないのでこんな言い方を許してほしいのだが)に対する考えに、ある非常に確かな変化が起こったのはこの時期であったことがはっきりわかったのである。変化そのものを説明するのは非常に困難だ。ただ次のことだけは言える。つまり、それはフィンランドで言われたことには全く関係しておらず、私がそこで経験した感情の結果として出てきたのだと。私の記録しえた最初のことは、それまでの生に対する私の態度の最も基本的な特徴であった極端な個人主義が、私の内部で弱まったということである。私は人々をもっとよく見始め、私と彼らの関係をもっと強く感じ始めた。2番目は、私の内部のどこか非常に深いところで、暴力の不可能性という秘教の原理を、つまり何を獲得するためであろうと暴力的手段は無益であるということを理解したことである。
いかなることにおいてであろうと、暴力的な手段や方法は必ず否定的な結果、つまり目指す結果とは裏腹の結果を生みだすということを疑いようもなくはっきりと理解し、この感じは後になっても完全に消えることはなかった。私のたどりついたものは外見的にはトルストイの無抵抗のようなものだったが、実際には無抵抗では全くなかった。というのも、私はそれに倫理的観点からではなく実際的な観点からたどりついたのであり、何が良い何が悪いといった見地からではなく実際的、便宜的見地からたどりついたからである。
次にGがペテルスブルグにきたのは9月の初めであった。私は彼にフィンランドで実際には何が起こったのか?と質問した。つまり私を驚かすようなことを彼が言ったのは本当だったのか? またなぜ私は驚いたのか?と。
G:本当に驚いたのなら、それは君が用意できていなかったということだ。
彼はそれ以上は説明しなかった。
今回の訪問では、話の重点は我々一人一人の〈主要な特徴〉あるいは〈主要な欠点〉にあった。
Gの特徴の定義は非常に巧妙だった。今回私は、あらゆる人の主要な特徴が定義できるわけではないことを知った。ある人のこの特徴は、見つけるのがほとんど不可能なほど、異なった表面的言動の下に深く隠されていることもある。それで人は、自分自身を自分の主要な特徴だと考えるのである。ちょうど私が自分の主要な特徴を〈ウスペンスキー〉と言ったり、Gがいつもそれを〈ピョートル・デミアノヴィッチ〉と言ったりするように。
これに関しては間違いはありえない。なぜならば一人一人の〈ピョートル・デミアノヴィッチ〉はいわば〈彼の主要な特徴のまわりに〉形成されるからである。
この主要な特徴の定義に同意しない者がいると、いつでもGは、同意しない者がいるというまさにその事実が、自分の正しいことを示していると言うのだった。
「私はただ、あなたの言うのが実際私の主要な特徴であるという点にだけ同意できないのです。」と仲間の一人が言った。「私が自分の主要な特徴であると考えているものはもっともっと悪いものです。しかし人々が私をあなたが言ったように見ることを論駁(ろんばく・相手の説に反対して、論じ攻撃すること)しようとは思いません。」
G:君は自分のことを何も知らないね。もし知っていればそんな特徴をもっているはずはないだろう。それに、人々はきっと私が言ったように君を見る。しかし君には、彼らが君をどんなふうに見るかはわからない。もし君が、私の言ったことを自分の主要な特徴として受けいれれば、人がどんなふうに君を見ているかがわかるだろう。それにもしこの特徴と闘い、打ち壊す道を見つければ、つまりその特徴の無意識的表現〔Gはこの言葉を強調した〕を撲滅する道を見つければ、君が今人々に与えている印象ではなく、お望みの印象を与えることができるようになるのだ。
ここから、人が他人に与える印象、また、いかにして望ましい、あるいは望ましくない印象を生みだせるかに関しての長い討論が始まった。
いかに隠されていようと、まわりにいる人々は彼の主要な特徴を見てしまう。もちろん彼らがいつもそれをはっきり示せるわけではないが。しかし、彼らの指摘はほとんどの場合的を射ており、非常に真実に近いのである。
あだ名を考えてみるといい。それはときに主要な特徴を非常にうまく言いあてている。
印象に関する討論は再び〈内的考慮〉と〈外的考慮〉に進んでいった。
G:自分の主要な特徴に腰をおろしている限り、適切な外的考慮はありえない。例えば彼だ〔Gは出席者の一人を名指しで言った〕。彼の特徴は一時もくつろぐことがないことだ。どうして彼が何かを、あるいは誰かを考慮することなどできよう。
私はGの示した特徴の芸術的仕上げに驚嘆した。それは心理学でさえなかった。まさに芸術であった。
G:それに、心理学は芸術であるべきだ。心理学はとても単なる科学などで終わることはできない
また彼は別の者に向かって、こう言った。
G:君の特徴は全く存在していないことだ。わかるだろう。私は君が見えないのだ。といっても、君がいつもそうであるということではない。しかし君が今のようであれば、君は全く存在していない。
また別の者には、君の主要な特徴は誰とでも何についてでも議論する性質であると言った。
でも私は議論なんかしたことはないですよ。」とその男はすぐに力をこめて言った。
誰もが笑いを禁じえなかった。
Gはまた、別の者に次のように話した。(それはGが人格と本質を分離する実験を行ったとき、ラズベリージャムが欲しいと言った中年の男だった) 君の特徴は、良心を全然もっていないことだと。
次の日その男は、〈良心〉という語の意味を調べるため図書館で四カ国語の百科辞典に目を通してきたと言った。
Gはただ手を振っただけだった。
実験で彼と組になったもう一人の男に向かっては、君は恥を知らないと言った。するとその男はすぐに、自分自身に向けてひどくおかしいしゃれを飛ばした。

この折、Gはネフスキー通りの近くのリチェイニー通りの住居に立ち寄った。彼がひどい悪感を覚えていたので、我々は少人数で彼のところに集まった。
彼は一度、この方向にこれ以上進んでも意味がないと言った。つまり我々は、これから先も彼とともに進みたいのか、それともこの方向でのあらゆる試みを放棄してしまう方がいいのかはっきり決めるべきだ、生半可な態度などいかなる成果も生みだしはしないから、と言うのだった。そして、
自己の内の機械性や眠りと闘う確固たる真剣な決意をする者とだけワークを続けるつもりだとつけ加えた。
G:君たちはすでに知っているはずだが、恐ろしいことなど何一つ要求してはいない。しかし二つの椅子の間に坐っていてもしょうがないだろう。目を覚ますことなど望まない者は、ともかく安らかに寝かせておけばいい
Gは我々一人一人と個人的に面談するから、そこで各自は、なぜ彼が骨を折って我々の面倒を見ているのか、その理由を十分に説明しなければならないと言った。
G:君たちはたぶん、私は君たちの面倒を見ることで大きな満足を得ていると思っていることだろう。あるいはこれ以外は私は何もできないと思っているかもしれない。とすれば、どちらの場合も君たちは重大な間違いを犯していることになる。私は他にもたくさんのことができる。だから、もし私がこのことに時間を割くとしたら、私がはっきりとした目的をもっているからに他ならない。ここまでやってきたからには、もう君たちは私の目的が何であるかを理解し、自分が私と同じ道にいるかどうかを知っているべきだ。もうこれ以上何も言うまい。しかしこれから先は、この目的達成に有益な者とだけ一緒にワークをするつもりだ。そして自己と闘う、つまり機械性と闘うことを固く決意した者だけが私には有益なのだ

33

そこで話は終わった。Gと我々メンバーとの対話は約1週間続いた。ある者とは非常に長く話し、ある者とは短かった。最終的にはほとんど全員が留まることになった。P、つまりあの人格と本質を分離する実験台になった中年の男は、面目にかけて以前の状態から抜けだし、急速に非常に活動的なメンバーになり、形式的な態度や〈文字通りの解釈〉などに陥ることは少なくなった。
抜け落ちたのは2人だけであった。彼らは(我々にはまるで魔術か何かにかかったように思えたのだが)急に何も理解しなくなり、Gの言うことすべてに誤りを見つけ、また我々には同情や感情というものがないと思うようになったのである。
この態度、つまり最初は不信と疑惑であったものが、やがてほとんど全員に対するはっきりした敵対心となった態度は我々をとても驚かせた。それがどこからでてきたのやら皆目見当もつかないし、また奇妙で全く予期せぬ中傷に満ちていた。彼らの中傷は次のようなものだった。
〈我々はすべてを秘密にした〉
つまり我々は彼らがいないときにGが言ったことを、彼らに伝えなかった。あるいは我々は彼らについての作り話をGにして、彼らを信じないようにしむけた。我々は彼らとの会話を全部Gに話し、あらゆる事実を曲げ、意識的にすべてを偽りの光の中で示すことで、絶えずGに誤った観念を植えつけようとしていた。我々はGに、事実とかけ離れたことを見るようにしむけて、彼らに対する誤った印象を与えた、等々。
同時にG自身も〈完全に変わった〉。以前の彼とは完全に違って、辛辣に、命令的になり、個人に対する感情や興味を全く失い、人に真実を要求しなくなり、むしろ彼に真実を言うのを恐れるような人々、つまり偽善者や、お世辞を言いながら同時に相手を盗み見るような輩がまわりにいる方を好むようになった、等々。我々は彼らのするこういった話やこれに類する話にびっくりしてしまった。そういう会話はすぐに、そのときまではなかった一種の全く新しい雰囲気をもちこんだ。しかもそれは特に奇妙なものだった。というのも、ちょうどこの当時、我々のほとんどが非常に感情的な状態にあり、またとりわけこの2人の反抗的なメンバーには好意を抱いていたからである。
我々は努めてGとこの2人に関する話をしようとした。Gに、彼らの意見では我々はいつも彼らについての〈誤った印象〉をあなたに与えてきたということになるらしいと話すと、彼は大笑いした。
G:彼らはいったいどんなふうにワークを評価しているのだろう? それに彼らの目から見れば、私はなんとひどく哀れな白痴に見えることだろうな。私も何とも簡単に騙されたものだ! 君たちも彼らが最も重要なことを理解しなくなったことに気づいただろう。ワークでは、師を騙すことなどできはしない。これは知識と存在に関して言ったことから出てくる法則だ。私はそうしようと思えば君たちを騙すこともできる。しかし、君たちは私を騙すことはできない。もしこれが逆であれば、君たちは私から学ぶことは何もない。むしろ私が君たちから学ばねばならないだろう。
「私たちはどんなふうに彼らと話すべきですか? また彼らがグループに戻ってくる手助けをすることができるでしょうか?」と誰かがGに聞いた。
G:何もできないし、またそれだけではない。何もすべきではないのだ。そのようなことをすれば君たちは彼らの自己理解と自己直視の最後の可能性までもぶち壊すことになるからだ。帰ってくることは常に非常に難しい。しかもそれは説得や強制によらない、完全に自発的な決意でなくてはならない。君たちが私や君たち自身について聞かされたことはみな自己正当化の試み、すなわち自分は正しいと感じたいがために、他人をひどく非難したのだということを理解しないといけない。それはますます嘘を重ねることに他ならない。これは打ち壊されなければならないが、苦しみを通してのみできることなのだ。以前彼らが自己を見るのが困難であったのなら、今はそれより十倍も難しくなっているだろう。
「どうしてそんなことが起こりうるのですか?」と別の者が聞いた。「我々みんなやあなたに対する彼らの態度が、どうしてあんなに急に不意に変わったのでしょうか?」
G:これは君たちには初めてのケースだろう。だから奇妙に思えるのだろうが、もっと時間が経てば、こんなことはよく起こるし、しかもいつも同じように起こることがわかるだろう。その主な理由は、2つの椅子の間に坐るのは不可能だということだ。ところが人々は普通そこに坐れると、つまり新しいものを獲得しながら古いものを保持しておくことは可能だと考えている。むろん彼らは意識的にそう考えているわけではないが、結果的には同じことだ。
では、彼らが何よりも保持したいと思っているものは何だろう? 第一は、思想や人々に対する自分の価値観をもつ権利だ。これは彼らには何にもまして有害なものだ。彼らは馬鹿で、自分でもそれを知っている。つまり一度はそのことを自覚したのだ。だからこそ彼らは学びにきた。ところが次の瞬間にはそんなことはすっかり忘れてしまい、早くもワークの中に彼ら自身のくだらない主観的態度をもちこんでいる。
つまり彼らは、あたかも自分たちは何でも判断できるかのように、私や他のみんなについて判断を下し始めるのだ。そしてこれはすぐに、ワークの思想や私の言ったことに対する彼らの態度に反映する。早くもここで彼らは〈1つのことを受けいれ〉、〈別のことは受けいれない〉、つまり、あることには同意するが別のことには反対し、あることでは私を信頼するが別のことでは信用しない、という具合になってしまうのだ。
そのうえ最も驚くべきことは、自分たちがそんな状態でも〈ワーク〉ができると考えていることだ。あらゆることにおいて私を信頼しもせず、すべてを受けいれることもなしにだ。実際には、そんなことは絶対に不可能だ。何かを受けいれなかったり信用しなかったりすると、すぐそのかわりに何か自分自身のものをつくりだしてしまう。そして〈イカサマ〉が始まる。ワークや私の言ったこととは何の共通点もない新しい理論、新しい説明がでっちあげられる。そして彼らは、私や他の人の言うこと為すことすべてに失敗や誤りを捜すようになる。まさにこのときから、私が何を言っても、それについては私は何の知識も概念ももたず、むしろ彼らが私よりずっとよく知り、理解しているということになる。そしてこのグループの自分たち以外のメンバーはみな馬鹿か白痴だ等々と、手風琴のごとくに言い続ける。こんなふうに言い始めたら、彼らがどんなふうに続けるか私にはすぐわかる。君たちもその成り行きを考えればわかるだろう。しかも、人が他人に関して、これを見ることができるというのはとてもおもしろい。ところが彼ら自身がばかげたことをするときには、たちどころに見るのをやめてしまうのだ。これは法則だ。丘を登るのは大変なことだが、滑り降りるのはいとも簡単だ。彼らは、私や他の人たちとそんなふうに話すことを恥ずかしいとも思わない。しかも、これは何かの〈ワーク〉と結びつけることができるなどと考えるのは主として彼らなのだ。彼らは、人がこの段階に達すれば、彼のとるにたりない歌はもう歌われてしまったことをわかろうとはしないのだ。
もうひとつだけ覚えておきなさい。彼らはペアだ。もし彼らが別々に独立していれば、自分の状況を見て、帰ってくることもずっと容易だ。しかし彼らはペアになっており、友達同士で弱点をカバーしあっている。だから彼らは一緒でないと帰ってこれない。仮にもし彼らが帰ってきたいと望んでも、私はその内の一人しか受けいれないだろう。

「どうしてですか?」と誰かが聞いた。
G:それは全然別の問題だ。今の場合は単に、一方が、私と友人とどちらが重要か自問できるようにするためだ。もし友人の方が大切なのであれば何も言うことはない。しかし、もし私の方が重要であるというのなら、彼は友人と別れて一人で帰ってこなければならない。そうすれば後でもう一人も帰ってくるかもしれない。ともかく私は君たちに、彼らは互いにしがみつき、隠しあっているのだということを言っておく。これは、人々が、彼らの内なる善きものから離れたとき、いかにして考えうる最悪のことをするかのちょうど良い見本だ。

34
その10月、私はGとともにモスクワにいた。ボリシャヤ・ドミトロフカにある彼の小さなアパートはその特異な雰囲気で私を驚かせた。床や壁はすき間なく東洋風のカーペットでおおわれ、天井は絹のショールで飾ってあった。それよりもまず、そこにきた人々(みなGの生徒であった)は沈黙を守ることを恐れなかった。これだけでも尋常なことではなかった。彼らはやってきて、坐り、煙草を吸い、何時間ものあいだ一語も発しないこともまれではなかった。それにこの沈黙には何ら圧迫的な、不快なところはなかった。それどころか、そこにはある落ちついた感じと、強制されたり、つくられた役を演じたりする必要がないという自由な雰囲気があった。しかしたまたま好奇心の強い訪問者があると、この沈黙は異常なまでに奇異な印象を生みだした。この訪問者たちは、いったん話し始めると、話をやめて何かを感じるのを恐れるかのように休まず話し続けた。かと思えば他の訪問者たちはムッとしていた。彼らは、沈黙は自分たちに向けられており、しかもそれは、いかにGの生徒は優れているかを示し、また自分たちとは話すに価しないことをわからせるためにそうしている、と考えたのである。また別の訪問者たちはそれをばかげた、滑稽な、〈不自然な〉ものと思い、しかもそれはGの生徒の最も悪い特徴、とりわけ我々の弱さと、〈我々を圧制している〉Gへの完全な服従をさらけだしていると考えたのである。
Pなどはいろいろなタイプの人の〈沈黙〉に対する反応をノートにとろうとさえした。私がその場で気づいたのは、人々は何よりも沈黙を恐れており、話したがる性向は自己防御に起因し、またその性向は常に、何かを見たり、自らに告白するのを嫌がることに基づいているということだ。私はすぐにGのアパートのもっと不思議な特性に気づいた。
そこでは嘘を言うことは不可能だったのである。嘘はすぐにばれ、明白、確実かつ疑う余地のないものになるのであった。一度そこにGの知人が来たことがある。その人は時々Gのグループを訪れており私は既に面識があった。アパートには私の他に2、3人いた。Gはいなかった。その客は坐ってしばらくは黙っていたが、たった今ある男に会い、その男が戦争や平和の可能性などについてとても面白い話をしたと言い始めた。すると急に、全く予期しなかったことだが、私は彼が嘘をついていると感じた。彼は誰にも会っておらず、誰も彼に話などしていないのに、ただ沈黙に耐えられないために全部その場ででっちあげたのだ。私は彼を見るのが何ともきまり悪かった。彼を見れば、彼は私が嘘を見破ったことに気づくような気がしたのである。別の人たちにチラッと目をやると、彼らも私と同じように感じており、しかも笑いを押し殺すのに非常に苦労しているのが目に入った。それからまた話している男に目をやると、彼だけが何一つ気づかずに早口にまくしたてており、しかもますます自分の話題に夢中になり、我々が何げなく目くばせしあっているのにも全然気づかない様子だった。
例はこれにとどまらない。私は突然、夏にやった自分の生活を話す試みと、事実を隠そうとする時の〈抑揚〉を思いだした。私はここでも核心は〈抑揚〉にあることに気づいた。とりとめもない話をしたり、またその機会を待っているときには、人は他人の抑揚には気づかず、嘘と真実を区別することもできない。しかしすぐに自分を静めれば、つまり少しばかり覚醒すれば、彼は違った抑揚を聞くことができるようになり、人々の嘘を識別し始めるのである。我々はこの問題について何度かGの生徒たちと話しあった。私は彼らにフィンランドで起こったことや、ペテルスブルグの路上で見た〈眠れる人々〉について話した。このGのアパートで見た機械的に嘘をつく人々の感じは、この〈眠れる人々〉の感じを大変強く呼び覚ましたのである。
私はGにモスクワの友人を何人か紹介したいと思っていたのだが、この時期に会った友人の中ではたった一人、新聞社の古い友人V・A・Aだけが、相変わらず過労気味で、あちこち飛びまわっているというのにとても生き生きとした印象を与えた。私がGのことを話し、Gの許可を得て昼食に招待すると、彼は非常な関心を示した。Gは仲間から15人ばかりを呼びだして昼食を準備した。それはザクースキ(前菜)やパイ、シャシュリク、カゲティアワインなどを揃えた当時としては豪華なもので、一言で言えば、昼に始まって夜まで続くあのコーカサスランチの1つであった。GはAを近くに坐らせ、非常に親切に終始彼をもてなし、ワインをついだりした。ところが、何たる試練の場に古い友人を連れてきてしまったのかと気づいた瞬間、私の心は沈んだ。事実、誰もが沈黙を守っていた。Aは5分間もちこたえた。それから話し始めた。戦争について、あらゆる同盟国や敵国について話し、考えうる限りの問題に関して、モスクワやペテルスブルグのあらゆる公人の意見を伝えた。
それから軍隊用の野菜、特に玉ネギの乾燥について語った(その当時彼はジャーナリストとしての仕事の他にこの仕事に関わっていたのである)。それから化学肥料、農芸化学、次いで化学一般、それから〈改良〉について、降霊術、〈聖霊の手の物質化〉などについて話したが、もう全部は覚えていない。Gも他の者もただの一語も発しなかった。私は、Aが腹を立てるのを恐れてもう少しで話し始めるところだったが、Gがひどく厳しい目で私を見たので思いとどまった。しかし私の恐れは徒労であった。可哀そうなAは何も気づかず、自分の話と雄弁に完全に夢中になっていたので、喜々として席につき、4時まで一時も休まず話し続けた。それから非常に愉快そうにGと握手し、〈とても興味深い会話〉に感謝した。Gは私を見てずるそうに笑った。
私はひどく恥ずかしかった。Gは哀れなAをばかにしてしまったのだ。Aはまさかこんなことになろうとは夢にも思わず、完全にひっかかってしまったのだ。私はGがみんなに実例を示したのだということに気づいた。
彼はAが行ってしまってから言った。
G:どうだね、わかったかね。彼は賢い人間と呼ばれている。ところが彼は私がズボンを脱がせても気づかないだろう。ただ喋らせておきなさい。それ以外は何も求めていないのだから。しかも誰もが彼と同じだ。彼はむしろましな方だ。嘘はつかなかったからね。それに彼は、むろん彼なりにだが、自分が何を話しているかを十分にわきまえていた。しかし考えてもみなさい。彼が何の役に立つだろう。彼はもう若くはない。それに、たぶんこれは彼の生涯で真理を聞く唯一の機会だっただろう。なのに彼は最初から最後まで自分で喋り通してしまったのだ。

35
モスクワでのGとの話し合いのひとつを覚えている。それは以前に記したペテルスブルグでの話に関連していた。このときはGが話し始めた。
G:これまでに学んだことの中で何が最も重要なことだと思うかね?
「もちろん8月にした経験です。」と私は言った。「もし自由にあれを呼び起こして使うことができたら、それ以上望むものはありません。というのは、そうなれば私は残りのすべてを見つけることができると思うからです。しかし同時に、その〈経験〉、他に言葉がないのでこの語を選んだのですが、言わんとするところをわかってくださいますね。〔Gはうなずいた〕。その〈経験〉はそのときの私の感情に依っていたことはわかっています。またそれが常に感情に依存することも知っています。もし私の内部にこのような感情状態をつくりだすことができれば、すぐにこの種の経験をすることができるでしょう。しかし私は、まるで眠ってでもいるように、この感情状態から無限に隔たっているのを感じています。これは〈眠り〉で、あれは〈覚醒〉です。あの感情状態はどのようにしたらつくりだすことができるのでしょう? 教えてください。」
G:それには三つの方法がある。第一に、この状態はひとりでに、偶然やってくることもありうる。第二に、誰か他の人が君の中につくりだすことができる。そして第三は、君が自分でつくりだすことができる。どれがいいかな?
正直に言うと、私は一瞬誰か他の人、つまりGにその感情状態をつくりだしてほしいと言いたい強い欲望を覚えた。しかしすぐに、Gは、すでに一度はそうしてあげたのだから、今度はこれがひとりでにやってくるのを待つか、それともそれを獲得するために自分で何かやってみるかすべきだと言うだろうと思った。
「もちろん自分で生みだしたいと思います。」と私は言った。「しかし、どうすればできるのでしょうか?」
G:前に言ったように犠牲が必要だ。犠牲なしには何も得ることはできない。しかし、この世に人々が理解しないものがあるとすれば、それは犠牲という観念だ。彼らは自分のもっている何かを犠牲にしなければならないと思っている。例えば私はかつて、〈信仰〉〈平安〉〈健康〉を犠牲にしなければならないと言った。人はこれを文字通りに理解する。ところが問題は、彼らが信仰も平安も健康ももっていないということだ。これらの言葉はみんなカッコつきで考えなければならない。実際は、自分がもっていると想像しているが本当はもっていないものだけを犠牲にしなければならない。つまり空想を犠牲にしなければならないのだ。しかしこれは彼らには難しい、大変難しい。実際にあるものを犠牲にする方がずっと簡単だからだ。
犠牲にすべきもう一つのものは、苦しみだ。自分の苦しみを犠牲にするのもこれまた非常に難しい。人間はいかなる快楽でも放棄するだろうが、苦しみだけは手放さないだろう。
人間は何よりも強く自分の苦悩に執着する。そのようにつくられているのだ
苦しみから解放されていない人、自分の苦しみを犠牲にしない人はワークを行うことはできない。苦しみについてはもっと後でたくさん言うことがある。犠牲なしでは何一つ獲得することはできないが、同時に、人は苦しみを犠牲にすることから始めなければならない。さあ、これの意味するところを解読してみなさい。

私は約一週間モスクワにいて、新たな考えや印象をたずさえてペテルスブルグヘ帰ってきた。ここで非常に興味深いことが起こったのだが、それはこの組織とGの指導方法について多くのことを説明してくれた。

36
我々のグループでは、モスクワに行って新しい説明や講義を聞いてきた者は、ペテルスブルグに帰ってそれをみんなに伝えるという合意ができていた。しかし帰る途上、私は頭の中で注意深くモスクワでの話を思い浮かべながらも、重要なことは伝えられないと感じた。私自身理解していなかったからである。私は苛立ち、どうすればよいかわからなくなった。こんな状態でペテルスブルグに着き、次の日ミーティングに出た。
我々がGのシステムの一部と呼んでいる〈図表〉の最初の部分をできるだけ多く描き、一般的な問題や法則を扱いながら、私は旅行の全体的な印象を伝えた。1つのことを話している間中、頭の中ではもう1つのことが駆けめぐっていた。どのように始めるべきか。1、2、3から1、3、2への変化は何を意味するのか。このような変化の例は、我々の知っている現象の中に見いだせるのだろうか?
私は今すぐ何かを見つけなければならないと感じた。まず自分で見つけなければ、他人には何も言えないからである。
私は黒板に図を描いた。3つのオクターヴの放射線の図、つまり〈絶対〉太陽地球である。我々はこういった語彙やGの説明の形式には既に慣れていた。しかし私は、彼らが既に知っていること以上に何を言ったらいいのか皆目わからなかった。
すると突然、モスクワでは誰一人口にしなかった一つの言葉が頭に浮かび、それがすべてを結びつけ、説明してくれた。それは〈動く図〉というものであった。私はこの図を動く図と考えることが必要なことに気づいた。つまり、鎖の中のすべての輪が、神秘的な踊りのように場所を変えるのである。
私はこの言葉にひどく心を動かされたので、しばらくの間自分の言っていることすら聞いていなかった。しかし思考を集中すると、みんなが聞いており、ここへ来るまではわかっていなかったことを全部説明し終えているのに気づいた。これは私に、新しい可能性を、すなわち他の人に説明することによる知覚と理解の新しい方法を発見したかのような、異常なまでに強い明晰な感覚をもたらした。そしてこの強烈な感覚のうちに、力1、2、3から1、3、2への変化の例、または相似物は、現実の世界に見いだされなければならないと言うやいなや、私はその例を人体、天文学の世界、波の動きの力学の中に見たのである。
後日、私はGと種々の等級について、また私の理解できなかった目的について話した。「私たちは謎解きに時間を潰しています。」と私は言った。「もっと早く解けるように助けてくれた方がずっと簡単ではないですか? 私たちの前にはまだ多くの困難があり、このペースでいくとそれに行きつくことさえできないのをあなたはご存知でしょう。あなた自身が、それもたびたび言われたことですが、我々にはほんのわずかしか時間がないのです。」
G:まさに、時間はほとんどなく、また行く手に多くの困難が待ち受けているからこそ、私のしているようにすることが必要なのだ。この困難を恐れていたら、後にはどうなると思う? スクールから何かを完全な形でもらえるとでも思っているのかね? 君たちは事をひどく愚直に見ている。もっと巧妙に、何かにかこつけて、話を問題の方に導かねばならない。時には冗談や逸話から大事なことを学ぶこともあるからね。しかも君たちは、すべてが非常に簡単であってほしいと望んでいるようだが、そんなことは絶対に起こりはしない。知るべきことは、与えられないときにいかにとるか、必要とあらばいかに盗むかであって、誰かがやってきて与えてくれるのを待つことではないのだ

37

外部からの参加が許されているフォーマルな講義の後、Gがきまって立ち戻る問題がいくつかあった。第一は、自己想起と、それを手に入れるための絶え間ない自己修練の必要性という問題であり、第二には、我々の言語の不完全性、及び言葉で〈客観的真理〉を伝達することの難しさの問題であった。
前にもちょっとふれたように、Gは〈主観的〉〈客観的〉という表現を特殊な意味で、つまり〈主観的〉意識状態と〈客観的〉意識状態との区別をその根底において使っていた。Gが主観的と呼ぶものは、普通の観察方法とその観察の証明とに基づいた普通の知識や、主観的意識状態における身近な事実の観察から帰結する科学的理論などであった。反面、古代の方法やその観察の原理に基づいた知識、ものそれ自体の知識、〈客観的意識状態〉を伴う知識、〈すべてのもの〉の知識などは客観的な知識であった。

一部はGのモスクワの生徒のノートを使い、また一部はペテルスブルグでとった私のノートを使いながら、この後どんなことが起こったか、覚えている限り伝えようと思う。
G:客観的知識の最も中心となる考えの一つは、あらゆるものは一であるという考え、多様性の調和という考えだ。この考えの内容と意味を理解した人々、またその中に客観的知識の根本原理を見た人々は、古代から、この考えを他の人々にも理解できる形で伝達する方法を懸命に捜してきた。客観的知識の考えをうまく伝えることは、常にこの知識を所有した人々に課せられた仕事であった。そのような場合、すべてのものの調和という考えは、この知識の基本的、中心的概念として最初に、また完全かつ正確に伝達されなければならなかった。そのためには、この考えは、人々に的確な理解を保証し、同時に伝達途上での曲解や改悪の可能性を排除するような形式をもたなければならなかったのだ。この目的のために、伝達される側の人々はしかるべく準備しておくことが要求され、また考えそのものは、あらゆるものがそれから導きだされる、〈基本的原理〉やαρχη【読み方:アルケー、意味:「はじめ、始源・原初・根源・原理・根拠」等のことであり、哲学用語としては「万物の根源」また「根源的原理」を指す。宇宙の神的・神話的な起原である】の定義に全力をあげる哲学体系のような論理的な形式に組みこまれるか、信仰を生みだし、〈客観的意識〉のレベルにまで人々を高める感情の波を喚起することに懸命な宗教的教えの中に入れられるかしたのだ。その試みはどちらも、成功したりしなかったりしながら、最も古い時代から現代に至るまで人類の全歴史を貫いており、また宗教的、哲学的教義という形で、人類の思想と秘教の思想とを結びつけるこれらの道の上に記念碑のごとく残っている。
しかし、調和の概念を含む客観的知識は客観的意識に属している。この知識を表現する形式が主観的意識によって受けとられれば、必然的に曲解され、それは真理のかわりにもっと巨大な幻想をつくりだす。
客観的意識をもってすればあらゆるものの調和を見、感じることが可能になる。しかし、主観的意識にとって、世界は無数のバラバラな、関連のない現象に分裂している。これらの現象を、何らかの科学的あるいは哲学的体系にまとめあげようとしてみても何も生まれはしない。なぜなら、人間はバラバラな事実から始めて全体を再構築することはできず、またこの分裂が基づく法則を知らずして全体の分裂の原理を察知することはできないからだ。
にもかかわらず、このあらゆるものの調和という考えは知的思考の中にも存在している。が、この考えを多様性と正確に関連付けながら言葉や論理で明確に表現することは決してできない。そこには常に越え難い言語の障害が残る。主観的意識状態の中で、複数の多様な印象を表現することを通して構築されてきた言語には、客観的な意識状態にとってはわかりやすく明白でさえある調和の概念を、十分な完全さと明晰さをもって伝達することは絶対にできないのだ。
通常の言語の不完全性と欠陥を認識したからこそ、客観的知識を所有した人々はその調和の概念を〈神話〉や〈象徴〉や、特に〈定式文句〉の形で表そうとしたのだ。それらは、手を加えられることなく伝えられ、スクールからスクールへ、時代から時代へとその考えを運んだ。
すでに言ったことだが、高次心霊センター、すなわち〈高次感情〉センターと〈高次知性〉センターは人間の高次の意識状態の中で働く。〈神話〉や〈象徴〉の目的は、人間の高次センターに達して、知性には理解しえない考えを、誤った解釈の可能性を排除するような形で伝達することにある。
〈神話〉は高次感情センターの、〈象徴〉は高次思考センターのためのものと運命づけられているのだ。このため、〈神話〉や〈象徴〉を知性で理解し説明しようとしたり、ある公式や表現でその内容を要約しようとしても、それらはみな失敗する運命にある。適切なセンターを使えば、何でも理解することが常に可能だ。しかし、客観的知識に属している考えを受けとる準備は知性を通して進めなければならない。なぜなら、適切に用意のできた知性のみがこれらの考えを、無関係な要素をまじえることなく高次センターに伝えることができるからだ。
客観的知識に属する考えを伝達するのに使われていた象徴は、宇宙の基本的な法則の図式を含んでおり、それらの図式は知識そのものを伝達するだけでなく、知識への道も示している。象徴の研究、その構造と意味の研究は客観的知識を受けとる準備の重要な部分を成しており、またそれ自体が一つの試金石なのだ。というのも、象徴を字義通りに、または形式的に理解すると、それ以上の知識を受けとることがたちまち不可能になってしまうからだ。
象徴は基本的なものと従属的なものとに分けられる。前者は知識の個々の領域の原理を含んでおり、後者は調和との関係における諸現象の本質的な性質を表している。
多くの象徴の内容を要約した公式の中でも特別に重要性をもつものがある。それは〈ヘルメス・トリスメギストスのエメラルド・タブレット〉の中に見られる、「上がそうであるように下もまたそうである」というものだ。宇宙のすべての法則は、原子の中にも、何らかの法則に従って完成されたその他いかなる現象の中にも見いだされる、とこの公式は述べているのだ。これと同じ意味が、ミクロコスモスすなわち人間と、マクロコスモス、すなわち宇宙との間の相似性にも含まれている。3つ組やオクターヴの基本的な法則はあらゆるものに浸透しているので、それは世界と人間の両者において同時に研究されなければならない。しかし、人間自身に関して言えば、人間の方が外部の現象世界よりも研究や知識の対象としては身近で手に入れやすい。だから、宇宙の知識の獲得のためには、人間は自分自身の研究と自己の内部の基本的法則の認識から始めなければならないのだ。
この観点からすれば、もう一つの公式、汝自身を知れは特別深い意味を帯び、また真の知識へ導く象徴の一つとなる。世界の研究と人間の研究とは互いに補助しあう。世界とその法則を研究することで人間は自分自身を研究し、また自分自身を研究することで世界を研究するのだ。この意味で、あらゆる象徴は自分自身に関する何かを教えてくれる。
象徴の理解には次のような方法で近づくことができる。現象世界を研究する中で、人はまず最初に、すべてのものの内に互いに相反する2つの原理の現れを見る。それら2つは結合するにせよ対立するにせよ、何らかの結果を生みだす。つまり、それらの現象を生みだした諸原理の本質を反映するのだ。この深遠な二元性の原理と三元性の原理の現れを、人は宇宙と自分自身の中に同時に見る。しかし宇宙に関しては彼は単なる見物人であり、またそれ以上に彼は、一方向に動いているように見えながら実は様々な方向に動いている現象の表面だけしか見ない。しかし人間自身に関して言えば、二元性と三元性の法則に関する彼の理解は実際的な形で表しうる。つまり自己の内部でこれらの法則を理解してしまえば、いわば二元性と三元性の法則は、自己認識への途上における自分自身との果てしなき闘いの進路においてのみ現れうるのだ。このようにして彼は意志の進路を最初は時の円環の中に、また後には永遠の円環の中に導きいれ、そしてこれを完遂すれば、彼の内部にはソロモンの印章
【図43の右端の図。〈ダビデの楯〉としても知られる。この象徴には古来様々な解釈がなされている。1つの三角形は水を示し、もう1つは火を示し、組みあわされた三角形は対立する諸要素の調和を表す、あるいは2つの三角形は天と地を象徴し、その間にあって両者を連結し均衡をとる人間をも象徴する、等々。ただしこれは、普通そう考えられているように、ユダヤ、ないしはユダヤ教の象徴ではない。】の名で知られている深遠な象徴がつくりだされる。
自己の内部で象徴の理解に達していない者にその意味を伝えることは不可能だ。これは逆説的に聞こえるだろうが、象徴の意味は、すでにこの象徴の含蓄するものを知っている人にしか伝えられず、したがって、その本質はそのような人にしか明らかにならないのだ。が、もしそうなれば、象徴は彼の知識を統合し、ちょうどその象徴がそれをつくった人に役立ったように、彼の知識の表現や伝達に役立つのだ。
簡単なシンボルには次のようなものがある(図43)。

これらのシンボルを表現している数2、3、4、5、6は人間の内的発展に関する特定の意味をもっている。つまり人間の自己完成と存在の生長の途上の様々な段階を示しているのだ。
自然な普通の状態では、人間は二元性として考えられている。彼は完全に二元性、もしくは〈相反する一対〉から成っているのだ。あらゆる人間の感覚、印象、感情、思考は肯定的-否定的、有益-有害、必要-不必要、善-悪、快-不快に分割されている。センターの働きはこの分割の標識のもとで進行する。思考は感情に対立する。運動の刺激は本能的な静寂への欲求に対立する。これが、その中であらゆる知覚、あらゆる反応が起こり、人間の生全体が進行している二元性なのだ。少しでも自分を観察している人間なら、この二元性を自己の内部に見ることができるだろう。
しかし、この二元性は始終変化するように見えるにちがいない。つまり今日勝者であったものが明日には征服され、今日我々を導いたものが明日には副次的、従属的なものとなる。しかもすべてのものが同様に機械的で、意志から分離し、いかなる目的にも達しない。自己の内の二元性の理解は機械性の自覚から、機械的なものと意識的なものとの違いの認識から始まる。この理解は、その中で人間が生きている自己欺瞞をうち破ることによって進められなければならない。というのも、人間は自分の最も機械的な行動を意志的かつ意識的と考え、また自分は単独で全体的な存在だと思いこんでいるからだ。
自己欺瞞がうち壊され、人間が自分の内の機械的なものと意識的なものとの違いを見始めるとき、生における意識の実現に向けての闘い、機械的なものを意識的なものに服従させようとする闘いが始まる。そのために人間は決然と、二元性の法則に従って進む機械的なプロセスに抗して、意識的な動機から生まれるある明確な決意を固めるのである。恒久的な第三の原理の創造とは、人間にとっては二元性の三元性への変性なのだ
この決意を強め、それまでは偶発的、中和的〈ショック〉の働きで偶然の結果を生じていたあらゆる出来事にそれを絶えず誤りなくもちこめば、やがてはその結果は恒久的な道となる。そしてそれは三元性の四元性への変性である。次の段階、つまり四元性から五元性への変性と五芒(ごぼう)星の構築は、人間についても多くの意味をもっている。中でも、普通まず最初にわかるのは、全く疑問の余地なく、それはセンターの働きに関連しているということである。
人間機械の発達とその存在を豊かにすることは、この機械の新しい、習慣化されていない機能から始まる。我々は人間が5つのセンター、すなわち思考、感情、動作、本能、性のセンターをもっているのを知っている。他のセンターを犠牲にして1つのセンターだけが優勢に発達すれば、著しくかたよったタイプの人間を生みだし、それ以上の発達はできない。しかし、人間がその5つのセンターの働きを調和させれば、彼は〈内部の五芒星(ペンタグラム)に錠をかけ〉、肉体的に完全な人間のタイプが完成される。
5つのセンターが完全かつ適切に機能すれば、それらは高次センターと結合し、そして高次センターは見失われた原理を導入して、人間を客観的意識、客観的知識と直接かつ恒久的に結合させるのだ
そのとき人間は6つの頂点をもつ星になる。つまりそれ自身で独立し完結している生の円環の中に閉じこもることによって、外部の影響や偶発的ショックから孤立し、自己の内部にソロモンの印章を具現するのだ。
今の例では一連のシンボル〈2、3、4、5、6〉は1つのプロセスに適用できるものと解釈されている。しかしこの解釈でもなお不完全だ。なぜならシンボルは決して完全には解釈されえないからだ。それは、例えば自己を知るという観念が経験されなければならないのと同様に、ただ経験されうるだけだ。人間の調和のとれた発達のこれと同様のプロセスは、オクターヴの法則の観点から調べることができる。オクターヴの法則は別のシンボル体系を提示する。この法則の観点からすれば、あらゆる完結したプロセスは、ド音が一連の連続した音を経て次のドに至る推移にほかならない。オクターヴの7つの基本的な音は7つの法則を表している。次のオクターヴのドがそれに加われば、つまりプロセスを完成させれば、八番目の段階が出てくる。7つの基本的な音は、2つの〈インターヴァル〉と〈付加的ショック〉と一緒になって9つの段階を生みだす。次のオクターヴのドをそれに組みこむと10の段階になる。最後の10番目の段階は先行するサイクルの終わりであり、次のサイクルの始まりでもある。このように、オクターヴの法則とそれが表現している発達の過程とは1から10までの数を包含している。この時点で我々は数のシンボリズムとでも名づけられるものに遭遇する。この数のシンボリズムは、オクターヴの法則がないと、あるいは十進法システムの中でどのようにオクターヴが表されるか、またその逆についての明確な概念がないと理解することはできない。
西洋のオカルト組織には〈神智学的加法〉(例えば457であれば4+5+7で16とし、再び1+6で7とするような加法)の名で知られている方法、すなわち2つ以上の数字から成る数をそれらの数字の合計によって表す方法がある。数のシンボリズムを理解してない人には、この数の総合法は全く気まぐれで何の役にも立たないと思えるかもしれない。しかし存在するすべてのものの調和を理解し、この調和への鍵を手にした人には、神智学的加法は深遠な意味をもっている、というのも、神智学的加法はあらゆる多様性を、それを司る基本的法則に帰着させるからだ。そして、その法則は1から10までの数で表される。
前にも示したように、象徴学においては、は一定の幾何学的な形に結びついており、また相互に補足しあっている。カバラでは文字の象徴学も使用され、またそれとの組み合わせで言葉の象徴学も使われている。数、幾何学的図形、文字、言葉のシンボリズムの4つの方法を組み合わせると、複雑ではあるがより完全な方法が手に入る。さらには魔術の象徴学錬金術の象徴学天文学の象徴学があり、また同様に、それらを1つの全体にまとめあげるタロットの象徴学の体系がある。
これらの体系の一つ一つが調和の概念の伝達手段として役に立つ。
しかし無能で無知な者の手にかかっては、いかに善き意志をもっていたとしても全く同じシンボルがまさに〈幻想の道具〉になってしまう。その理由は、シンボルに最終的に確定した意味を付すことは絶対にできないという事実にある。無限の多様性の調和の法則を表現するとき、シンボルそのものは考察可能な無数の側面をもっており、そのためそれに近づく人間に、様々な視点から同時に見る能力を要求する。普通の言葉に置きかえられたシンボルはその内部で硬直し、不明確になって、いともたやすく〈それ自体の反対物〉になり、その意味を狭い教義の粋に閉じこめ、それについてのほんのわずかな論理的考察の自由さえ許さなくなる。その原因は、シンボルの字義通りの理解、シンボルにたった1つの意味しか与えないことにある。真理はここでも、嘘というヴェールにおおわれていて、それを発見するには、シンボルという概念自体が失われてしまうような並々ならぬ否定の努力が必要なのだ。宗教や錬金術、またとりわけ魔術のシンボルからいかなる幻想が生まれてきたかはよく知られるところだ。それというのも、人々はシンボルを字義通りに、1つの意味でだけ受けとるからだ。
同時に、シンボルの正しい理解が論争に進むということはありえない。それは知識を深めはするが、理論にとどまることはありえないのだ。というのは、それは本当の到達点へ、知識と存在の調和へ、つまり〈偉大なる行為〉へと向かう努力を強化するからだ。真の知識は伝達されえないが、シンボルで表現されることによって、それはちょうどヴェールでおおわれるようにシンボルでおおわれる。けれども、見たいと望む者、あるいはその見方を知っている者には、ヴェールは透けて見えるのだ。
だから、この意味でなら話のシンボリズムについて語ることもできる。もっともこのシンボリズムは誰にでもわかるというものではないが。話の内的意味は、一定の発達のレベルの上でのみ、しかもそれに相応する聞き手の努力と状態が伴っているときにのみ理解可能になる。ところが何か新しいことを聞くと、人はそれを理解しようと努力するかわりに、自分の意見を主張しつつ論じたり論駁したりする。しかもその意見ときたら、自分では正しいと思っているが、たいていの場合聞いたこととは何の関係もないものだ。こんな具合に、人は新しいものを手に入れるチャンスをことごとく失ってしまう。話が象徴的になってきたときにそれを理解するためには、既に学んでいることと、いかに聞くかを知っていることが必要不可欠となる。話が客観的知識や多様性、一なるものの調和を扱っているところでは、字義通りに解釈しようとする試みはすべて失敗する運命にあり、それどころかほとんどの場合、より大きな幻想を生みさえするのだ。これについてはよくよく思案することが必要だ。それというのも、現代教育の知性主義は、論理的な定義を捜し求め、聞いたことに対して何でもかんでも論理的に議論する傾向を人々に植えつけてきたし、おまけに人々はそれと気づかないまま、いわば正確な定義自体がその本質からして意味の不正確さを含蓄するような領域にも正確さを求めることで、無意識のうちに自らに足かせをはめているからだ。
だから、上述の思考傾向ゆえに、ものごとの本質を理解する前に細部にわたる正確な知識が伝えられると、この本質の理解が困難になるということもたびたび起こる。といっても、これは真の知識への道の途上には正確な定義が存在しないということではない。それどころか、そこにのみ正確な定義は存在するのだ。しかし、それは我々が普通そうであると考えているものとは想像もつかないほど違っている。だからもし誰かが、自分は詳細にわたる正確な知識に導かれて自己認識の道を進むことができると思っているとすれば、あるいは、最初に自分のワークに関して与えられた指示を消化する苦労を経ずにそのような知識を得ることを期待しているとすれば、彼は何よりもまず、必要な努力をするまでは知識を手に入れることはできないし、また、求めるものは自分自身の努力によってのみ手に入れることができるということを理解すべきだ。何人といえども彼に、前もって彼が所有していないものを与えることはできない。誰も、彼が自分のためにやるべきワークを代わってやることはできないのだ。他人が彼にしてやれることは、ワークに対する刺激くらいのもので、この観点からすれば、シンボリズムは、それが適切に受けとめられれば我々の知識に対してこの種の刺激の役割を果たしてくれる。前に我々はオクターヴの法則について、段階的な発展においてあらゆるプロセスは、それがどんな等級で起ころうと、七音階の構造の法則によって完全に決定されているということについて話した。またこれに関連して、すべての音、すべての音調は、別の等級で考えれば、全オクターヴに相当することを指摘しておいた。進行中のプロセスのもつエネルギーでは満たすことができず、外部のショック、いわば外部からの助けを必要とするミとファの間、シとドの間の〈インターヴァル〉は、まさにこの事実によって一つのプロセスを他のプロセスと結びつけるのだ。このことから次のことが出てくる。すなわち、
オクターヴの法則は、宇宙のあらゆるプロセスを結びつけ、またプロセスの等級とオクターヴの構造の法則を知る者に、すべてのものとすべての現象をその本質において正確に認識させ、現象とこれに関わる事物とのあらゆる相互関係の認識を可能にするのだ
オクターヴの構造の法則に関連するあらゆる知識を一つの全体にまとめあげるためのシンボルがある。それは円形で、円周は9つに区切られ、その九つの点は直線で一定の順に結ばれている。
シンボルそのものの考察に入る前に、このシンボルを用いる教えのいくつかの側面だけでなく、知識の伝達に象徴的方法を用いる他のシステムとこの教えとの関係を理解しておくことがぜひとも必要だ。
これらの教えの相互関係を理解するには、調和の認識に導く諸方法は放射線が中心に集まるようにその認識に向かって近づき、中心に近づけば近づくほど互いに近くなる、ということを常に覚えておかなければならない。その結果、1つの道の基礎を成す理論的所説を、時としては別の道の視点から説明できるし、またその逆のこともある。このため、時によっては2つの隣接する道の間に中間的な道を形成することも可能になる。しかし基本的な道に対する完全な知識と理解がないために、このような中間的な道は容易に単なる道の混合体になり、混乱と過ちに通じるのだ。
多少とも知られている主要な道の中では、4つの名をあげることができよう。
1. ヘブライ的
2. エジプト的
3. ペルシア的
4. ヒンドゥー的
しかし、最後のものに関しては我々はその哲学を知っているだけだし、初めの3つに関してはその理論の一部を知っているにすぎない。これらに加えてヨーロッパでは2つの道が知られている。すなわち神智学と、いわゆる西洋オカルティズムで、これらは基本的な道の混合から出てきたものだ。どちらの道も一片の真理はもっているものの、十全な知識を所有しておらず、そのため、それらを実際的な認識に導こうとする試みは否定的な結果しか生みださない。
一方、これからその理論を述べようとする教えは、完全に自立し、他の道から独立しており、現在までのところ全く知られていないものだ。他の道と同様この道も象徴的な方法を使い、その主要なシンボルの1つは既に述べた形、すなわち9つに分割された円だ。
このシンボルは次のような形をとっている。(図44)

次の図は、ある古神道系の書籍に載っていた日本で古来より伝来されているフトマニ図です。
驚いたことに、エニアグラムと同じ分割法だったのでここに載せておきます。面白いことに、ミからファのショックの部分が斜陽期から厳戒期に、ソからラのショックの部分が転換期から外吉内凶、ソからドが決算期になっております。

円周は9つに等分されている。6つの点は円周上の分割点の最上点を通る直径を挟んで対称的な形に結ばれている。さらに分割の最上点は、この複雑な形を構成していない分割点を結んだ正三角形の頂点に当たる。
このシンボルは〈オカルティズム〉研究の中のどこにも、本の中であろうと口伝の中であろうと、見ることはできない。これは知る者たちにとっては非常に重要であったので、彼らはその知識を秘密にしておくことが必要だと考えたのだ。
いくつかのヒントと部分的な描写だけなら書物の中で見ることができる。
【『ゾハールの性質の起源に関する研究』に9つに分割された円の図がある。

この円には次のような説明が付されている。「9と9をかけると、その結果は円の左側に8、右側に1がくる。同様に9×8は左側に7、右側に2を生じ、9×6まで全く同様である。9×5からは順序が逆になり、左側に一の位、右側に十の位がくるのである」(ゾハール『光輝の書』の意。十三世紀後半、スペインのカバラ学者モーセス・デ・レオンが古代の律法学者シメオン・ベン・ヨハイの残した文書として刊行したとされているが、真偽のほどは定かでない。ともかく、カバラの秘伝的思想を体系的に記したものとしては、現存する唯一の文献である。―訳者)】
同様に、その知識を例えば次のような図にしたものを見ることもできる。(図45・46)
円周を9つに分け、それらを線で結んだこのシンボルは、三の法則と調和する形で七の法則を表現している。オクターブは七つの音をもち、八番目は最初の音の繰り返しだ。ミとファ、シとド
の間の〈インターヴァル〉を埋める〈付加的ショック〉を加えると9要素になる。
オクターブの法則の完全な表現と結びつくこのシンボルの完全な構造は、ここに示されているものよりずっと複雑だ。しかしこの構造でも1つのオクターヴの内的法則は示されており、またそれは考察対象の本質を認識する方法をも指し示している。
考察の対象となる事物や現象の単独の存在は、永遠に回帰し、さえぎられることなくめぐるプロセスの閉じた円環だ。円はこのプロセスを象徴している。円周上の個々の分割点はこのプロセスの段階を象徴する。全体としてのこのシンボルは、、つまり秩序正しい完全な存在をもつものだ。それは円、すなわち完結したサイクルなのだ。それは我々の十進法のゼロであり、円を閉じることで閉じたサイクルを表している。それは自己の存在に必要なすべてのものを内包し、まわりから孤立している。プロセス内の諸段階の連続は、これから話そうとする1から9までの数の連続と結びついていなければならない。シとドの間の〈インターヴァル〉を埋める9番目のステップの存在がサイクルを完結させる。つまりそれは円を閉じ、この点から円はまた新しく始まるのだ。三角形の頂点はその底辺の二元性を閉じ、そして三角形の頂点がその底辺の線の中に自己を無限に増やすのと同じやり方で、いかなる種類の三角形においても多様な形態で自らを表すことを可能にするのだ。だからサイクルのあらゆる始まりと完結とは三角形の頂点、つまり始まりと終わりが合流するところ、円が閉じるところに位置する。それは無限にめぐり続けるサイクルの中ではオクターヴ内の2つのドの音を響かせるが、実はサイクルを閉じ、再び始める9番目のステツプなのだ。そういうわけで、ドに相当する三角形の頂点は9番に位置し、残りの点は番号1から8の順に配列される。(図47)
円の中のこみいった図形の考察に移るにあたって、その構造の法則を理解しなければならない。調和の法則はあらゆる現象の中に反映する。十進法も同じ法則の基盤の上につくられている。このシンボル全体を全オクターヴを内包している1つの音と考え、このオクターブの7音を手に入れるために、これを7つめ不均等な部分に分割しなければならない。しかし、図ではその不均等性ははっきりしない。そこで作図のためにまず1の1/7の部分を出し、それから2/7、3/7、4/7、5/7、6/7、7/7と見ていこう。十進法でこれを計算すると次のようになる。

ここで得られた一連の純循環小数を検討すると、最後のものを除くすべてが全く同一の6つの数字から成り、しかも一定の順序で続いているのがすぐに目にとまる。だから周期の最初の数字がわかればその周期全体を再構成することもできる。
さて、1から9までの番号全部を円周上に置き、周期中の数の順にそれらの番号を直線で結ぶと、どの番号から始めても円の中に同じ図形ができる。3、6、9はこの周期には含まれていない。この3つは別の三角形を、つまりそのシンボルの中の独立した三位一体を形成するのだ。
〈神智学的加法〉を使ってこの循環する数を合計すると、つまりオクターヴ全体になる。ここでもまた、一つ一つの音には最初の音と同じ法則に従うオクターブ全体が含まれている。音の位置は循環する数に相応しており、オクターヴを図にすると次のようになる。(図48)
9−3−6の三角形は(それは循環に含まれていない円周上の三点を1つにまとめあげたものだが)七の法則と三の法則を結びつける。3−6−9という数は周期中に含まれていない。その内の2つ、3と6はオクターヴの2つの〈インターヴァル〉に相当し、三番目のものはいわば余分で、同時にそれは循環の中に入らない基本的な音の位置を占める。さらに、類似の現象と相互補助的に働くことのできる現象はどんなものでも、それに相応するオクターヴの中ではド音として働く。したがってドはその円から出てきて、別の円との規則正しい相関関係に入ることができる。つまり、今考察中のサイクルの中ではオクターブの〈インターヴァル〉を埋める〈ショック〉によって演じられている。あの役割を、ドは別のサイクルの中で果たすことができるのだ。だからここでも、この可能性をもつがゆえに、ドは、外部からのショックが起こる場所、つまりオクターブが外部に存在するものと連結するためにその侵入を許す場所と、3−6−9の三角形によって結びついているのだ。三の法則は言ってみれば七の法則から突きだしており、三角形は周期を貫通し、これら2つの形の組み合わせはオクターヴの内的構造とその中の音を示している。
考察のこの時点では次のような質問をするのも至極当然だろう。
つまり「どうして番号3で呼ばれている〈インターヴァル〉はミとファの間の正当な場所にあり、もう1つの方、つまり番号6で呼ばれている〈インターヴァル〉は、その本来の場所はシとドの間なのにソとラの間にきているのか?」と。
もし第二のインターヴァル(6)を外観上の本来あるべき場所に置いていれば、我々は次のような円を手に入れていただろう。(図49)

そして閉じたサイクルの九要素は次のような形で対称的に分類されただろう。(図50)
我々が実際に手に入れた配置(図51)からは次のような分類しか出てこない。(図52) つまり一方では、Xはミとファの間に、他方ではソとラの間にくるが、後者にはXは必要ない。
インターヴァルを明らかに間違った場所に置くこと自体、シンボルを読むことのできる人々には、どんな種類の〈ショック〉がシからドヘの移行に必要とされているかを示している。
これを理解するためには、人間と宇宙の中で進行するプロセスにおける〈ショック〉の役割について話したことを思いだすことがぜひ必要だ。
オクターヴの法則の宇宙への適用を考察したとき、〈太陽−地球〉の段階は次のように表された。放射線の3つのオクターヴに関しては、ドからシヘの移行、すなわちその間のインターヴァルの充填は太陽の有機体中で起こること、またド−シ間の〈インターヴァル〉に関連した宇宙オクターブにおいてはこの移行は〈絶対〉の意志によって完遂されるということを指摘しておいた。宇宙オクターヴのファ−ミ間の移行はある特殊な機械の助けを借りて自動的に達成されるのだが、その機械は、そこに入ってくるファが音を変えないまま一連の内的プロセスを経てその上のソの特質を手に入れることを可能にする、つまり次の音ミに独力で移行するためのいわば内的エネルギーの蓄積を可能にするのだ。
全く同じ関係が全プロセスを通して繰り返される。人体中の栄養摂取のプロセスと有機体中にとりいれられた物質の変性の考察の中で、我々はこれらのプロセスの中に全く同一の〈インターヴァル〉と〈ショック〉を発見する。
すでに指摘したように、人間は三種の食物を摂っている。その一つ一つが新しいオクターヴを始める。
第二オクターブ、つまり空気オクターヴは、第一オクターヴ、つまり食料と飲料のオクターヴと、第一オクターヴがその進展をやめる点、つまりミ音でつながっている。そして第三オクターブは第二オクターブがその進展をやめる点、つまりミ音で第二オクターブと接合している。
しかし、次のことを理解しなければならない。すなわち、多くの化学的プロセスと同様、自然が正確に決定した一定量の物質があって初めて必要な質を具えた混合物が生まれるのであり、そのため人体中では〈三種の食物〉はある一定の割合で混ぜあわせられねばならないのだ。
食物オクターヴのプロセスの最後の物質は物質シ(第三等級の〈水素〉12)であり、それが新しいドになるためには〈付加的ショック〉を必要とする。しかし、3つのオクターブがこの物質の産出に加わっているので、これらの影響もその質の決定に最終的に反映する。その質と量は有機体の受けとる三種の食物を調整することによって調節することができる。プロセスのあちこちの部分を強めたり弱めたりすることによって三種の食物全部が完全に適合し、調和しているときにだけ必要な結果が手に入るのだ。
しかし、ぜひ覚えておかねばならないことは、文字通りの意味での食物、あるいは呼吸を行きあたりばったりに調整してみても、自分が何を、また、なぜしているかを、そしてどんな結果が出てくるかを正確に知らない限り、望ましい結果を得ることはできないということだ。
またそれ以上に、もしこのプロセスの2つの構成要素、つまり食物と呼吸の調整に成功したとしても、それだけでは十分でない。というのは、第三層の食物、すなわち〈印象〉をいかに調整するかを知ることがもっと重要なことだからだ。だから、内的プロセスへ実際に影響を与えることを考える前に、有機体に入る物質と考えうる〈ショック〉の性質と音の変移を司る法則との正確な相互関係を理解することが絶対に欠かせないのだ。これらの法則はどこでも同じだ。だから人間を研究することで我々は宇宙を研究し、宇宙を研究する中で人間を研究しているのだ。
〈〈絶対〉から月まで〉の宇宙オクターヴは、三の法則によれば、3つの従属的オクターヴに分割されている。この3つのオクターヴの中では宇宙は人間と同じように〈三層〉で、同じように3つのショックをもっている。
放射線の宇宙オクターブの中のファとミの間のインターヴァルが現れるところには、人体の中と同様な形で見いだされる〈機械〉が図中に記される(図54)。
ファからミヘの移行のプロセスを、最も図式的に表すと次のようになる。つまり宇宙のファは下層部に入る食物のようにこの機械に入り、その変化のサイクルを始める。したがって初めそれは機械の中でドの音を出す。宇宙オクターヴの物質ソは、呼吸における空気のように中層部に入り、機械内でファ音がミ音に移るのを助ける物質として機能する。このソも機械に入るときにはドの音を出す。このときまでに得られたものは、これもまたドとして機械の上層部に入る宇宙的物質ラと上層部で結合する。
これから見ると、ラ、ソ、ファと続く音はこの機械にとって食物の役割を果たしている。三の法則によると、それらの序列においては、ラが能動的要素でソは中和的、ファは受動的要素となる。能動的要素は受動的要素と反応して(つまり中和的原理の助けによってそれと結びついて)ある確かな結果を生みだす。これは次のように象徴的に表すことができる(図55)。
このシンボルは、物質ファが物質ラとミックスされるとその結果として物質ソを生むことを示している。そしてこのプロセスはオクターヴの中で、いうなればファ音の中で発展しつつ進行するので、ファはそのピッチ(音の高さ)を変えないままソの特性を手に入れることができるのだ。
これまでに放射線のオクターブ及び人体中の食物オクターヴに関して言ったことは、9つに分割された円のシンボルとすべて直接関係している。このシンボルは、完全なる統合の表現として、それが表している法則の全要素を内に含んでいる。だから、これらのオクターブに関連するすべてのものやその他多くのものをこのシンボルからひきだすこともできるし、その助けを借りて伝達することもできるのだ。

Gは何度もいろいろなことに関連してエニアグラムについて語った。【図44の図形をエニアグラム(the enneagram)と呼ぶ】
G:一つ一つの完結した全体、個々の宇宙、個々の有機体、個々の植物、これらはみなエニアグラムだ。しかし、これらのエニアグラムがみな内部の三角形をもっているわけではない。内部の三角形は、〈水素〉表によれば、有機体中の高度な元素の存在を象徴している。例えば麻、けし、ホップ、茶、コーヒー、タバコ、その他人間の生活の中で一定の役割を演じている植物はこの内部の三角形をもっている。これらの植物を研究すればエニアグラムに関する多くのことが明らかになるだろう。
一般的に言えば、エニアグラムは普遍的シンボルであることを理解しなければならない。あらゆる知識はエニアグラムの中に含まれうるし、エニアグラムを使って解釈することができる。またこれと関連することだが、人間は、自分がエニアグラムにあてはめられるものだけを実際に知っている、つまり理解しているのだ。言いかえると、エニアグラムにあてはめることのできないものは理解していないということだ。エニアグラムを使うことのできる人間には、本も図書館も全く不要だ。エニアグラムはあらゆるものを含むことができ、またその中にあらゆるものを読みとることができる。砂漠で一人になっても、砂にエニアグラムを描いてその中に宇宙の永遠の法則を読みとることができる。そして一回一回彼は何か新しいもの、以前には知らなかったものを学ぶのだ。
もし別々のスクールにいた2人の人間が会うとすれば、彼らはエニアグラムを使って、どちらが多くを知っているか、また2人はどの段階にいるか、つまりどちらが先生、または師で、どちらが弟子か?をただちに決めることができる。エニアグラムは、人間のレベルと同じ数だけ異なった意味をもつ宇宙言語の基本的な象形文字なのだ。
エニアグラムは恒久的運動だ。人間がはるかな昔から捜し続けて見つけることのできなかったのと同じ恒久的運動なのだ。なぜ彼らが恒久的運動を見つけられなかったかは明瞭だ。
彼らは自己の内にあるものを外に捜していたのだ。しかも彼らは恒久的運動を、機械を組み立てるように組み立てようとしたのだ。
真の恒久的運動は別の恒久的運動の一部であり、それから離れてはつくりえないというのに。エニアグラムは恒久的運動、つまり永遠に稼動する機械を図式化したものだ。しかし、この図式の読み方を知ることはもちろん必要だ。このシンボルを理解し、これを使いこなす能力を身につけると、人間はものすごい力を獲得する。それは恒久的運動であるとともに錬金術師たちの賢者の石でもあるのだ。
エニアグラムに関する知識は非常に長い間秘密にされてきた。もし今、例えば誰にでも利用できるとしても、それは不完全な理論的なものでしかなく、それを熟知している人の指導がなくては実用化することはできない。
エニアグラムを理解するためには、それを運動の中で、動きとして考えなければならない。動きのないエニアグラムなど死んだシンボルにすぎない。生きたシンボルは動いているのだ
ずっと後になって(1922年のことだが)Gがフランスで彼の学院を組織し、生徒たちが舞踊やダーヴィッシュの勤行をしていた時に、Gは彼らに〈エニアグラムの運動〉に関連したエクセサイズをして見せた。
ホールの床の上に大きなエニアグラムが描かれ、それに加わった生徒たちは1から9までの印のついた場所に立った。それから彼らはあの循環する数の方向に動き始め、非常に興味深い動作をしだした。出会いの点、つまりエニアグラムの中で線が交わる点で彼らは互いに回転し始めたのだ。
Gはその時、エニアグラムに従った動きのエクセサイズは、彼のバレエ「魔術師たちの闘争」で重要な位置を占めるであろうと言った。彼はまた、このエクセサイズに加わってその中で何らかの位置を占めなければ、エニアグラムを理解するのはほとんど不可能だろうとも言った。
G:エニアグラムは運動(ムーヴメント)によって経験することができる。これらの運動のリズム自体が必要な考えを示し、必要な緊張を含んでいるのだ。これなしでは最も重要なものを感じとるのは不可能だ。
エニアグラムは1920年、コンスタンティノープルで、やはりGの指導のもとで再度描かれた。その時にはエニアグラムの内側には黙示録の4つの動物、つまり雄牛、ライオン、人間、鷲と、それに加えて鳩が描かれた。これらの描き加えられたシンボルは〈センター〉に関連していた。

38
普遍的シンボルとしてのエニアグラムの意味に関する討論に関連して、Gは再び普遍的〈哲学的〉言語について語った。
G:人間は、長い間普遍的言語を創造しようとしてきた。そしてその場合でも、他の多くのことと同じように、はるか昔に見つけられたものを捜し、長い間存在し、知られてきたものについて考え、かつ創造しようとしたのだ。前に言ったように、普遍的言語は1つでなく3つある。もっと正確に言えば、それには3つの段階がある。その第一段階に達するだけで、普通の言語では表現できないようなことについて自分の考えを表現したり、他人の考えを理解したりすることができるようになる。
「それらの言語と芸術とはどういう関係にあるのですか?」と誰かが聞いた。「また、芸術そのものが、多くの人々が頭で捜し求めている〈哲学的言語〉を表象しているのではないのでしょうか?」
G:君がどの芸術について話しているのか知らないが、芸術にもいろいろある。講演や話し合いの時、私は何度も出席者から芸術に関するいろいろな質問を受けた。君もきっと気がついたと思うが、私はいつもこの問題について話すのを避けてきた。それは芸術に関してあちこちでやっている話はみな全く無意味だと思うからだ。彼らはあることを言うが、実は全然違ったことを意味しているのだ。しかも彼らには自分が何を言っているのかまるでわかっていない。自分自身に関する〈いろは〉も知らないような者、つまり人間について何も知らない者にものごとの真の関係を話したところで全く意味はない。我々はこれまでいくばくかの時間を一緒に話してきたのだから、それで君たちはこの〈いろは〉は知っているはずだ。だから今なら君たちに芸術についてでも話すこともできると思う。
まず思いださなければならないことは、芸術には互いに全く異なる2種類の芸術、つまり客観芸術と主観芸術があることだ。君たちが知っており、芸術と呼んでいるものはすべて主観芸術、つまり私なら決して芸術とは呼ばないものだ。なぜなら、私は客観芸術だけを芸術と呼ぶからだ。
しかし、私が何を客観芸術と呼ぶかを定義するのは難しい。その理由は第一に、君たちは客観芸術の特質を主観芸術のものだと思っているためであり、第二には、偶然に客観的な芸術作品に出くわしても、君たちはそれを主観的な芸術作品と同じレベルにあるものと受けとってしまうからだ。
私の考えをもっとはっきりさせてみよう。君たちはこう言う「芸術家が創造する」と。私は客観芸術に関してのみ、そう言おう。主観芸術に関しては、彼において〈それはつくられる〉と言おう。君たちはこれらの間に区別を立てないだろうが、ここにこそ違いのすべてがあるのだ。さらに君たちは、主観芸術には一定不変の作用があると思っている。つまり主観芸術の作品は、すべての人に同一の反応を引き起こすと思っている。例えば、葬式の行列は誰にも悲しい厳粛な思いを呼び起こすし、コマリンスキーのようなダンス音楽は楽しい気分を呼び起こすと思っている。ところが、実は全くそうではない。すべては連想にかかっているのだ。もし私が何かひどく不幸なことが起こった日に、それまで聞いたことのない陽気な曲を聞いたとしたら、その曲はその後の全生涯にわたって私に悲しいうちひしがれたような思いを呼び起こすだろう。かと思えばまた、とりわけ幸せに感じている日に悲しい調べを聞けば、それは常に幸福な思いを呼びさますだろう。すべてがこれと同じなのだ。
客観芸術と主観芸術との違いは、客観芸術では芸術家は本当に〈創造する〉、つまり彼はつくろうと思うものをつくり、その作品に注ぎこみたいものはいかなる考えであれ感情であれ注ぎこむ。そしてこの作品の人々に対する作用は絶対的に一定のものだ。彼らは、もちろん一人一人のレベルに従ってではあるが、芸術家が伝えたいと思ったのと同じ考えや感情を受けとる。客観芸術には、創造においても印象においても偶然のものはありえない。
主観芸術ではすべてが偶然だ。すでに言ったように、主観的な芸術家は創造しない。彼において〈それがひとりでにできあがる〉のだ。これはつまり、彼は自分でも理解していない考え、思考、気分の力につかまれていて、それに対しては何の支配力ももっていないということだ。それらは彼を操り、いろいろな形で自らを表現する。それで、その力が偶然あれこれの形態をとった時は、この形態は全く同様に偶然に、彼の気分、趣味、習慣、あるいは彼がその中で生きている催眠状態の性質などに従って、あれこれの行為をさせるのだ。不変のもの、確固たるものはここには何一つない。それに対して、客観芸術の中には不確かなものは何一つないのだ。

「そんなふうに確固としていれば、芸術は消えてしまうのではないでしょうか?」と一人が聞いた。「それに、ある不確かさ、捕えどころのなさこそが、そう、言うなれば科学と芸術とを分けているのではないでしょうか? もしこの不確かさがとり去られれば、つまり、もし芸術家本人は自分がどんなものを生みだすか、自分の作品がどんな印象を人々に与えるかを知らないという事実をとり去ってしまえば、それはもう芸術ではなくて〈本〉になるでしょう?」
G:私には、君が何のことを言っているのかわからない。我々は別々の基準をもっているのだ。私は芸術の価値をその意識性で計るし、君はそれをその無意識性で計っている。我々は互いに理解しあうことはできない。客観芸術の作品は君がそう呼ぶのなら〈本〉であるべきだ。唯一の違いは、芸術家は自分の考えを言葉や記号や象形文字で直接に伝えるのではなく、自ら意識的にかきたてているある感情を通して、しかも秩序立った形で、自分が何をしているか、なぜそうしているかをわきまえながら伝達するという点だ
出席者の一人が発言した。「古代ギリシア寺院の神々の像、例えばオリンピアのゼウスの像などにまつわる伝説が語り継がれてきていますが、それはどんな人にも常に明確で同一の印象を与えますね。」
G:全くその通りだ。そのような物語が存在しているという事実そのものが、真の芸術と空想的な芸術の違いはまさにこれ、つまりそれが不変的行為であるか偶然的行為であるかにかかっているということを人々が理解していたことを示している。
「もういくつか客観芸術の作品例をあげてもらえますか?」「現代芸術の中で客観芸術と呼びうるものがありますか?」「最後の客観芸術の作品は、いつつくられたのですか?」。出席者のほとんど全員がこう言った、または似たような質問をGに出し始めた。
G:これについて話す前に、原理を理解しておかなくてはならない。原理を把握すれば自分でこういった質問に答えることができる。しかし把握できなければ、私の言ういかなることも明らかにはならないだろう。今しがた言ったのはまさにこのことなのだ。つまり、彼らは目では見るかもしれないが知覚はしない、耳で聞くかもしれないが理解はしない。
では一つだけ例をあげよう。音楽だ。
客観的な音楽は完全に〈内的オクターヴ〉に基づいている。またそれは一定の心理学的結果を得ることができるだけでなく、確かな物理的結果をも獲得することができる。例えば、水を凍らせるような音楽がある。一瞬にして人を殺してしまうような音楽もある。聖書の中の、音楽によるジェリコの壁の破壊という言い伝えはまさに客観音楽の一伝説だ。平板な音楽なら、たとえそれがどんなものでも壁を壊すことはできないが、客観音楽は本当にそれができるのだ。いや、それは破壊ばかりでなく、つくりあげることもできる。オルフェウス伝説では客観音楽をほのめかしている。すなわち
オルフェウスは音楽によって知識を伝えていたのだ。東洋の蛇使いの音楽は、むろん非常に原始的なものではあるが、客観音楽に近いものだ。ほとんどの場合、それはただ一音をほんのわずか上げたり下げたりしながら長くひき延ばしただけのものだ。しかし、この一音の中では〈内的オクターヴ〉が進行しつづけており、そしてこの〈内的オクターブ〉のメロディーは耳では聞けないが感情センターには感じられる。それで蛇はこの音楽を聞くと、いやもっと正確に言えば感じると、その意のままに動くのだ。人間でも、ほんの少し複雑にすればこれと同じ音楽に従うのだ。
というわけで、君たちも芸術は単なる言語ではなく、時としてはそれよりずっと重要なものであることがわかっただろう。今言ったことと、前に人間の存在の様々なレベルについて話したことを結びつければ、芸術について言ったことも理解できるだろう。機械的人間は人間第一番、第二番、第三番であり、彼らはもちろん主観芸術しかもつことはできない。客観芸術は少なくとも客観的意識のひらめきを必要とする。このひらめきをちゃんと理解し、また適切に利用するためには、大きな内的統一と高度の自己統御が必要なのだ。


39

私が今述べている時期の、つまり1916年末のいくつかの講義で、Gは何度か宗教の問題にふれた。そして誰かが少しでも宗教に関連したことを質問すると、Gはきまって、宗教の問題に対する我々の通常の態度には、確かに何かひどく間違ったところがあると強調することから始めるのだった。

G:まず第一に、宗教とは相対的な概念だ。それは人間の存在のレベルに相応している。だから、ある人の宗教は他の人には全く適さないかもしれず、言いかえれば、ある存在のレベルにいる人間の宗教は他の存在レベルにいる人間には適さないのだ。
次のことを理解しなさい。つまり人間第一番の宗教はある種のもの、人間第二番の宗教は別種のもの、人間第三番の宗教は第三の種類のものであるということを。人間第四番、第五番、そしてそれ以上の人間の宗教は人間第一番、第二番、第三番の宗教とは全面的に違った種類のものだ。
第二に、宗教とは行為だ。人は自分の宗教を考えたり感じたりするだけでなく、できる限りそれを〈生きる〉べきなのだ。でないとそれは宗教ではなくて、ただの幻想か哲学になってしまう。好むと好まざるとにかかわらず、人は宗教に対する自己の態度を行為によって表す、いや行為によってしか表すことができないのだ。だから、もし彼の行為がある宗教の要求に反していれば、彼はこの宗教に属していると主張することはできない。クリスチャンを自称する大多数の人たちには、そうする権利は全くない。というのも、彼らはただその宗教が要求することを果たしていないだけでなく、そういった要求を果たすべきものとさえ考えもしないためだ。
キリスト教は殺人を禁じている。しかしながら、我々の進歩とは殺人技術の進歩、戦争の進歩にほかならない。これでどうして我々は自分をクリスチャンと呼ぶことができよう?
キリストの教えを実行しない者には、誰も自分をクリスチャンと呼ぶ権利はない。もしその教えを実行しようと努力しているなら、彼はクリスチャンになりたい、と言うことはできよう。しかし、その教えについて一瞬たりとも考えないのであれば、あるいはその教えを笑ったり、自分でつくりだしたものをその代わりにしたり、また単に忘れていたりするようであれば、自分をクリスチャンと呼ぶいかなる権利も彼にはない。
私は最も強烈な例として戦争をとりあげた。しかし、たとえ戦争がなくても生活全体はまさに同じだ。人々はやはり自分たちをクリスチャンと呼ぶわけだが、彼らは、自分がクリスチャンになりたいと思っていないということだけでなく、そうであることはできないのだということも自覚してない。というのも、クリスチャンであるためには、次のことを、望むだけではなくできなくてはならないからだ。それはつまり一つであることだ。
人間は、内部では一つではない。人は〈私〉ではなくて〈私たち〉であり、もっと正確に言えば、〈彼ら〉なのだ。すべてはこれから生じる。ちょっとこう考えてみよう。ある人が福音書に従って、右の頬を叩かれたら左の頬も差し出そうと決心したとする。ただしそれを決めたのは一つの〈私〉で、それも知性か感情センターの中で決めたのだ。だから一つの〈私〉はそれを知っているし覚えてもいるが、他の〈私〉は覚えてはいない。では、これが実際に起こったと、つまり誰かがこの男を叩いたと考えてみよう。彼は左の頬を差し出すと思うかね?
頬を差し出すためには長期間の指導、長期間のトレーニングが必要だ。しかしこのトレーニングが機械的なものであれば、これ以上悪いものはない。その場合、彼はただ他にどうすることもできないから頬を差し出すにすぎないからだ。

「祈りは、クリスチャンとして生きることの助けにはならないのでしょうか?」と誰かが聞いた。
G:それは誰の祈りかによる。主観的な人間、つまり人間第一番、第二番、第三番の祈りは、ただ主観的な結果、すなわち自己慰謝、自己暗示、自己催眠をもたらすことができるだけだ。客観的な結果を生みだすことはできない。
「しかし祈りは一般に、客観的な結果を生みだすことはできないのですか?」と出席者の一人が聞いた。
G:今言ったように、それは誰の祈りかによる。
いろいろなことを学ぶのとちょうど同じように、人は祈りを学ばねばならない。いかに祈るかを知っている者、適切な方法で集中することのできる者は誰であれ、その祈りは何かをもたらす。しかし理解しなければならないのは、様々な祈りがあり、その結果も様々だということだ。このことは普通の礼拝式からも知られる。しかし祈りや祈りの結果について話す段になると、我々は暗にただ一種類の祈り、つまり嘆願を意味するか、もしくは嘆願はあらゆる種類の祈りとつなげられると考えてしまう。これはもちろん真実ではない。ほとんどの祈りは、嘆願とは何の共通点ももっていない。私は古代の祈りのことを言っているのだ。それらの多くはキリスト教よりずっと古いものだ。それらの
祈りは言ってみれば要約だ。つまりそれを声に出して、あるいは心の中で復誦(ふくしょう)することによって、人はその中にあるもの、その全内容を、心と感情とで体験しようと努めるのだ。そして人間は常に自分自身のために新しい祈りをつくりだすことができる。例えばある人は言う。
「私は真摯になりたい(I want to be serious.)」。しかし肝心な点は、それをどう言うかだ。たとえ彼がそれを一日一万回唱えたとしても、いつになったら終わるだろう? 夕食は何だろう?などと考えていたのでは、それは祈りではなく単なる自己欺瞞にすぎない。もしその祈りを次のように朗誦(ろうしょう)すれば、それは祈りになる可能性がある。まず「私(I)」と言うとき、同時に〈私〉に関して知っている一切合切を思い浮かべる。ところがそんなものは存在していない。単一の〈私〉などないのだ。あるのは多数のとるにたりない、騒々しい議論好きな〈私〉だ。しかし彼は1つの〈私〉、つまり主人になりたいのだ。そこで彼は馬車、馬、御者、主人を思いだす。〈私〉が主人だ。次に「欲する(want)」、つまり〈私は欲する〉という意味を考える。しかし彼に欲することができるだろうか? 彼においては常に〈それが欲する〉か〈それが欲しない〉かのどちらかだ。しかしこの〈それが欲する〉〈それが欲しない〉に対して、彼は自分自身の〈私は欲する〉を対立させて頑張る。その〈私は欲する〉は自己修練の目的、つまり〈それが欲する〉〈それが欲しない〉という2つの力の習慣的な組み合わせの中に第三の力を導入するという目的と結びついている。次に「在る(to be)」、在るとは何か、〈存在〉とはいかなる意味か?と彼は考える。すべてのことが起こる機械的な人間の存在。為すことのできる人間の存在。様々な形で〈在る〉ことが可能だ。彼はただ存在という意味においてだけでなく、力の強大さという意味でも〈在る〉ことを欲する。〈在る〉という言葉は重みを増し、彼にとっては新しい意味をもってくる。そして「真摯(serious)」、〈真摯〉であるとはどういうことか?と考える。ここで自分にどう答えるかが非常に重要だ。もしこの意味を理解すれば、もし真摯であるとはいかなる意味かを自分で正しく定義できれば、心からそれを望んでいると感じるなら、彼の祈りは、力が増すという意味で、自分が真摯でない瞬間にもっとたびたび気づくだろうという意味で、またもっと容易に自己を克服し、自己を真摯にするだろうという意味で、何らかの結果を生みだすことができる。全く同じ方法でこう〈祈る〉こともできる。
「私は自己を想起したい(I want to remenber myself.)」
「想起する(to remenber)」
〈想起する〉とはどういうことだろう? 彼は記憶について考えてみなければならない。何とわずかしか覚えていないことか! 自分が決めたこと、見たこと、知っていることをどれほど忘れるか! もし想起することができれば彼の生涯は違ったものになることだろう。あらゆる病は想起しないことから出てくるのだ。「自分自身(myself)」、再び彼は彼自身に帰ってくる。どの自己を彼は想起したいのだろう? 彼自身の全体を想起することに価値があるのだろうか? 彼は自分が想起したいものをどうやって区別できるのだろう? ワークという観念! しかし、どうやって彼自身をワークという観念と結びつけることができるのか?等々。
クリスチャンの礼拝式にはこれと全く同じ祈りが非常にたくさんある。そこでは一つ一つの言葉を熟考する必要がある。ところが機械的に繰り返したり歌ったりすると、祈りのあらゆる意義と意味は失われてしまうのだ。
例えば、よく言われる、「神よ我を憐れみたまえ」というのをとりあげてみよう。これはどういう意味だろう? 人は神に哀願しているが、彼は少しばかり頭を働かせて、神とは何か、自分とは何かと比較しつつ自問すべきだ。そのとき彼は自分を憐れむよう神にお願いしているのだ。しかし憐れむためには、神はまず第一に、彼のことを考え彼に注意を払わなければならない。しかし、いったい自分には注意を払われる価値などあるのだろうか? 自分の内の何が考えるに価するだろう? そして誰が自分のことなど考えてくれるだろう?
神御自身だ。いいかね、彼がこの単純な祈りを口にするとき、こういった考えすべてが、いや、もっともっとたくさんの考えが心を横切る。そして、神にしてくれるようにと頼んだことを為すことができるのは、まさにこれらの考えにほかならないのだ。しかしながら、ただ単に「神よ我を憐れみたまえ! 憐れみたまえ! 憐れみたまえ!」とおうむのように繰り返すだけだとしたら、彼は何を考えることができよう。またそんな祈りがどんな結果を生むことができよう? いかなる結果も生みえないことはわかるだろう。
一般的に言って、キリスト教とその礼拝形態についてはほとんど知られていない。我々は多くの事柄の歴史や起源をまるで知らないのだ。例えば教会、信者たちが集い、特別な儀式に従って礼拝式がとり行われる寺院だ。これはいったいどこからきているのだろう? ほとんどの人はこんなことは考えてみようともしない。多くの人が、礼拝の外的形態、儀式、聖歌の詠唱などは教会の神父たちによってつくられたと思っている。ある人は、この外的形態は部分的には異教から、また部分的にはヘブライ人からとられたものだと考えている。しかしこれらはみな間違っている。キリスト教会の起源、つまりキリスト教寺院の起源の問題は私たちが考えているよりもずっと興味深いものだ。次のことから始めよう。キリスト教紀元一世紀における教会と礼拝の形態は異教から借りてきたものだとは考えられない。というのは、これに似たものはギリシアやローマの祭式には見あたらないからだ。ユダヤ教の教会堂、ユダヤ教寺院、ギリシア、ローマの神々の神殿、これらは一、二世紀に現れたキリスト教会とは全く異なったものだ。
キリスト教会はスクールなのだ。スクールであることを忘れられてしまったスクールなのだ。師自身それが講義やその公開実験であることも知らずにそれらを続けている。そんなスクールを想像してみなさい。さらにそこでは、弟子や単にスクールに来るだけの人たちも、これらの講義や公開実験を礼式とか儀式、あるいは〈秘蹟〉つまり魔術と考えるのだ。これは現代のキリスト教会によく似ている。
キリスト教会とキリスト教の礼拝形態は教会の神父によってつくられたのではない。すべて、既にできあがったものをエジプトからとりいれたのだ。それも我々の知っているエジプトからだけではなく、我々の知らないエジプトからもだ。この後者のエジプトは、前者と同じところにずっと以前に存在していた。歴史の時間の中ではそのほんのわずかな部分が生き残ったにすぎず、そのうえそのわずかな部分は秘密裡(り)に実に巧みに隠されてきたので、我々はどこに隠されているかさえ知らない。
この有史以前のエジプトは、キリストが生まれる何千年も前からすでにキリスト教国であった。つまり、その宗教は真のキリスト教を構成しているのと同じ原理と観念とから成っていた。こう聞くと多くの人は奇妙に思うかもしれない。この有史以前のエジプトには特殊なスクールが存在していて、それらは〈暗誦のスクール〉と呼ばれていた。これらのスクールではある決まった日に(毎日行うところもあったが)公開の暗誦がなされた。その暗誦には、そこで学びうる諸学の全コースが凝縮されていた。時にはこの暗誦は、1週間から1ヵ月にわたることもあった。この暗誦のおかげで、このコースを終えた人はスクールとのつながりも失わず、学んだことすべてを記憶にとどめることもできた。時には彼らはその暗誦を聞くためだけにはるばる遠方からやってきて、スクールとのつながりを強く感じて帰っていった。1年の内にはとりわけ完全な暗誦が行われる特別の日が何日かあり、その日には暗誦は特別の厳粛さをもって行われ、またこういった日そのものが象徴的な意味をもっていた。
こういった〈暗誦のスクール〉がキリスト教会のモデルとなった。だから、キリスト教会の礼拝形態は、ほとんど完全に、宇宙と人間を扱った知識体系の暗誦の過程を表しているのだ。それゆえ、個々の祈り、讃美歌、応唱聖歌などはすべて、聖日やあらゆる宗教的シンボルと同様にこの暗誦の中では独自の意味をもっていた。ところが、その意味ははるか昔に忘れられてしまったのだ
続けてGは、ギリシア正教の聖餐式の様々な部分をとても興味深い例をひいて解説した。残念なことにそのときにはノートをとらなかったので、記憶からそれを再構成するのはやめておこう。
最初の話から始めるなら、その要旨はこうだ。聖餐式は、創造のプロセスを、そのあらゆる段階と変化とを表示しつつ、いわば細かく検討していく。Gの説明の中で特に驚かされたのは、こんなにまで多くのものが純粋な形で保存されているということ、そしていかにわずかしか我々は理解していないかということであった。彼の説明は普通の神学的解釈とは、いや神秘学的解釈とさえ非常に異なっていた。その主な違いは、彼が数多くの寓話をとり払ってしまっていた点にあった。つまり私が言いたいのは、
寓話などでは全くない、それどころかもっとずっと単純に心理学的に理解されるべき多くのものを、我々は寓話とみなしていることがGの説明からはっきりしたということである。彼が以前に最後の晩餐について話したことはこれのよい例であろう。
G:あらゆる礼式や儀式は、改変せずにとり行われれば何らかの価値をもつ。儀式はおそろしくたくさんのことが書かれている本なのだ。理解することのできる者は誰でもそれを読むことができる。1つの儀式が百冊の本以上のものを含んでいることも稀ではない。
現代まで保存されてきたものについて簡単に述べながら、同時にGは失われたもの、忘れられたものを指摘した。例えば、〈暗誦の寺院〉の〈礼拝式〉には入っていたがキリスト教の礼拝形態には含まれていない聖なる舞踏について話した。彼はまた種々の勤行や様々な祈り、つまり様々な種類の瞑想のための特殊な姿勢、また呼吸に対する制御力の獲得、どんな筋肉群でも身体全体の筋肉でも思い通りに緊張させたり弛緩させたりできることの必要性、その他多くの、いわば宗教の〈テクニック〉に関することを話した。
ある機会に、集中のエクセサイズや身体のある部分から他の部分へ注意を移すエクセサイズの説明に関連して、Gはたずねた。
G:君たちが〈私〉という言葉を声に出して発音するとき、君たちの内部のどこでこの言葉が響いているか気がついたかね?
私たちは、すぐには彼が何を言っているのかわからなかった。しかし間もなく、この〈私〉という言葉を発音するとき、ある者はそれが頭の中で響くのをはっきり感じ、ある者は胸で、また、ある者は頭の上で、つまり身体の外で響くのを感じるようになったのである。
ここで私は、自分自身ではこの感覚を喚起することが全くできなかったので、他の人たちの言葉を信頼しなければならなかったことを言っておかねばならない。
Gは彼らの返事をみな聞いてから、これに関連した修練は(彼によれば)現代までアトス山に保存されていると言った。
僧はある姿勢でひざまずくか立つかして、ひじを曲げたまま腕を上げながらエゴと声に出して言い、同時にどこで〈エゴ〉という言葉が響いているかを聞きながらそれをひき延ばすのである。
この修練の目的は、人間が自分だと思っている〈私〉を一瞬一瞬感じ、〈私〉を一つのセンターから別のセンターヘ移すことにある。
Gは何度もこの忘れられた〈テクニック〉の研究の必要性を指摘し、あわせてそれなしでは、全く主観的なもの以外いかなるものも宗教の道で得ることはできないことを説いた。
G:あらゆる真の宗教、すなわち確かな目的のために知恵ある人々によってつくられた宗教は、2つの部分から成っていることを理解しなければならない。1つは何が為されなければならないかを教えている。この部分は公共の知識となり、時間が経つにつれて曲解され、元のものとは違ったものになってしまう。いま1つは、第一の部分の教えをいかに行為に移すかを教えている。この部分は特殊なスクールに秘密裡に保存されており、これを使えば第一の部分で曲解されたことを修正し、忘れられたことを再構成することがいつでも可能になる。
この第二の部分がなければ宗教のいかなる知識もありえず、あるいはあったにしてもそんな知識は不完全で非常に主観的なものにすぎない。
この秘密の部分は他の諸宗教と同様キリスト教にもあり、いかにキリストの教えを実行するか、その教えは本当は何を意味しているのかを教えているのだ。


私はもう1つのGとの会話をここに記さねばなるまい。それは再び宇宙に関するものであった。
「これはカントの言う、現象と物自体という考えに関連しています。」と私は言った。「そして結局はこれこそが核心です。つまり三次元体としての地球は〈現象〉であり、六次元体のそれは〈物自体〉なのです。」
G:全くその通りだ。ただそこに等級という概念をつけ加えよう。もしカントが、彼の説にこの等級の概念を導入していれば、多くの著作は非常に価値あるものとなっていただろう。それだけが彼に欠けていたのだ。
Gの言葉を聞いている間、私は、この意見を聞けばカントもさぞや驚くだろうと思った。しかし、等級の概念は、私にはごくなじみ深いものだった。これを出発点にすると、自分は知っていると考えているものの中に、新しくしかも予期せぬことをたくさん見いだすことが可能であるのに気づいたのである。
約一年後、時間の問題に関連して宇宙についての考察をおし進めていたとき、私は様々な宇宙の時間表をつくりだしたのだが、それについては後で述べることにしよう。

40
ある機会に、宇宙の万物の秩序立った結びつきについて話していたとき、Gは〈地上の有機生命体〉について詳しく論じた。
G:通常の学問では、有機生命体は機械的な組織の統一を乱す一種の偶発的付属物だと考えられている。通常の学問はそれを何とも結びつけようとはせず、それが存在するという事実からいかなる結論もひきださない。しかしもう既に君たちは理解したことと思うが、自然には偶発的なもの、不必要なものは何一つない。そんなものは存在しえないのだ。あらゆるものは自身の確固たる機能をもち、また明確な目的に仕えている。このように有機生命体は諸世界の連鎖の中の欠くことのできない輪であって、有機生命体が諸世界がなければ存在できないのと全く同様に、諸世界も有機生命体なしには存在しえないのだ。前に言ったように、有機生命体は様々な種類の惑星の影響を地球に伝え、また月への食料供給も行い、月が生長して強くなるのを可能ならしめる。しかし地球もまた生長している。といっても大きさが増しているのではなく、より高い意識、より鋭い感受性という意味で生長しているのだ。ある一時期には地球にとって十分であった惑星の影響が、今では不足してきた。地球にはもっと上質の影響が必要だ。上質の影響を受けとるためには、もっと上質で敏感な受信装置が必要だ。だからこそ、つまり惑星と地球の必要に応ずるために、有機生命体は進化発展したのだ
同様に月もある時期には有機生命体から与えられる一定の質の食料で満足できたのだが、後になるとその食料では満足できず、生長もできないで空腹を覚え始めるときがやってくる。有機生命体はこの空腹を満たしてやらねばならない。さもないと月はその機能を果たさず、その目的に応えないからだ。これはすなわち、その目的に応えるためには有機生命体は進化発展し、惑星、地球、月の必要とするレベルにまで達しなければならないということだ。
ここで、以前考えたように、〈絶対〉から月までの創造の光は木の枝、生長する枝のようなものであることを思いださなければならない。この枝の先、新しい若芽が芽生える枝の先、これが月だ。もし月が生長しなければ、つまりもしそれが新しい若枝を出さず、出す約束もしないとなれば、それは創造の光全体の生長がストップするか、あるいは何か横枝のようなものを出してその生長に別の道を見つけなければならないということを意味する。それと同時に、前に言ったことから、我々は月の生長が地球上の有機生命体に依存していることを知っている。つまり、創造の光の生長は地球上の有機生命体に依存しているということだ。もしこの有機生命体が消滅するか死ぬかしたら、木全体がすぐに枯れてしまうか、少なくとも有機生命体より先にある枝は全部枯れてしまうだろう。もし有機生命体がその発展を、その進化を阻まれ、課せられた要求に応えることができなければ、同じことが、ただもっとゆっくりではあろうが起こるにちがいない。枝は枯れるだろう。このことは覚えておかなければならない。創造の光、いやむしろ地球と月の間のその部分には、木の枝一つ一つに与えられてきたのと全く同じ発展と生長の可能性があった。しかし、この生長の達成には全然保証はない。それは、それ自身の組織の調和のとれた適正な活動次第なのだ。一つの組織の発達が止まると他のすべても止まる。創造の光、あるいはその〈月-地球間〉の部分について言いうるすべてのことは、地球上の有機生命体にも同様にあてはまる。地球上の有機生命体は、その中で各部分が互いに依存しあっている複雑な現象である。全体的な生長は〈枝の先〉が生長するという条件のもとでのみ可能なのだ。あるいは、もっと正確に言えば、有機生命体の中には進化しつつある組織があり、またその進化しつつある組織に食料や媒体として仕える組織があるのだ。そして進化している組織の中には、進化しつつある細胞と、その進化しつつある細胞に食料や媒体として仕える細胞がある。進化している細胞の一つ一つには、進化する部分とそれに食料を供給する部分とがある。しかし、進化は保証されているわけではないこと、それはただ可能性があるだけでいつでもまたどこでも止まりうることを、常にいかなることにおいても覚えておかねばならない。
有機生命体の進化する部分とは人類である。人類もまたその進化する部分をもっているが、これについては後で話そう。今のところは人類を全体としてとり扱っておく。もし人類が進化しなければ、それは有機生命体の進化の停止を意味し、それはまた創造の光の生長が止まる原因にもなる。それと同時に、もし人類が進化をやめたら、それは人類創造の目的という観点からすれば無用のものになり、その結果滅ぼされるかもしれない。そんなわけで、進化の停止は人類の滅亡を意味するかもしれないのだ。
私たちは、自分たちが惑星の進化のどの段階にいるのか、また月と地球には有機生命体の相応する進化を待つ時間があるのかどうかを判断しうる鍵を何ももっていない。しかしもちろん、知っている人々はこれについての正確な情報をもっている。つまり彼らは地球、月、人類がその可能な進化のどの段階にあるかを知っているのだ。我々はそれを知ることはできないが、可能性は決して無限ではないということは銘記しておかねばならない。
同時に、人類の生活を歴史的に考察することによって、我々は人類が円環運動をしていることに気づかざるをえない。ある世紀にあらゆるものを破壊したかと思うと別の世紀には創造している。また過去百年間の機械的な事物における進歩は、おそらく人類にとって最も大切な多くのものの犠牲の上に進められたのだ。
全体的に言えば、あらゆる点から見て人類は行きづまっており、この行きづまりからは下降と退化への一直線の道が続いていると考えられる、いや断言することができる。行きづまるとはプロセスが平衡のとれた状態になったということだ。ある一つの性質が現れると、ただちにそれに敵対する別の性質がよびおこされる。一つの領域での知識の増大は別の領域での無知の増大を喚起し、一方での上品さは他方の粗野を生みだし、あるものに関する自由は他に関する隷属を引き起こし、ある迷信が消えたかと思うと別のものが現れて増大するといったあんばいだ。
さて、今もしオクターヴの法則を思いだすなら、一定の方向に進んでいる平衡のとれたプロセスは、変化が必要な瞬間にも変化することはできない。それはある〈十字路〉でのみ変えられ、新しい道を始めることができるのだ。〈十字路〉と〈十字路〉の中間では何もすることはできない。それと同時に、もしプロセスが〈十字路〉を通り過ぎるときに何も起こらず、また何も為されないならば、後では何もできず、プロセスは機械的な法則に従って進む。しかも、たとえこのプロセスに加わっている人々があらゆるものの不可避的な滅亡を予見したとしても、何一つ為すことはできないだろう。もう1度繰り返すが、私が〈十字路〉と呼び、オクターヴの中ではミとファ、シとドの間の〈インターヴァル〉と呼んでいる一定の瞬間においてしか、何かを為すことはできないのだ。
もちろん人類の生が、彼らの信じるあるべき方向に進んでいないと考えている人はたくさんいる。そこで、彼らによれば人類の生全体を変えずにはおかない様々な理論を編み出す。ある者が一つの理論を編み出すと別の者がただちにそれとは相容れない理論をうちだす。そして両者とも誰もが自分の方を信じると期待しているのだ。また実際、多くの人がそのどちらかを信じる。生は自然にそれ自身の道をとるものだが、人々は自分の、もしくは他人の理論を信じるのをやめようとはせず、また何かをすることは可能だと信じている。むろんこれらの理論はみな全く空想的なもので、その理由は主に、
彼らが最も重要なことを、つまり宇宙のプロセスにおいて人類と有機生命体が演じている(課せられている)従属的な役割を考慮に入れていないことにある。知的な理論は、人間をあらゆるものの中心に置く。すべては人間のために存在しているかのようにだ。太陽、星、月、地球みなしかり。彼らは人間の相対的な大きさ、無であること、はかなく移ろいゆく存在であることを忘れている。彼らはこう主張する。
〈人間は、もし望むなら自分の生全体を変えることができる、つまり理性的な原理に則って生を組み立てることができる〉と。
そしてひきもきらずに新理論が現れ、それがまた別の相反する理論を喚起し、そしてこういった理論やその間の論争がみな、今あるような状態に人類をひきとめておく力の一つになっているのはまちがいない。そのうえ、全体的な福祉や平等に関するこれらの理論はみな実現しえないだけでなく、もし実現されれば致命的なものになるだろう。自然界のあらゆるものはそれ自身の目標と目的をもっており、人間が不平等であり、その苦しみが不平等であることにもまたその目標と目的があるのだ。不平等の破壊は進化の可能性の破壊を意味する。苦しみをなくすということは、第一に、人間がそれゆえに存在している一連の知覚全体を殺すことであり、また第二には〈ショック〉の破壊、つまり状況を変えることのできる唯一の力を破壊することになる。このことはあらゆる知的理論についても同様だ。
進化のプロセス、人類全体にとって可能な進化は、個人に可能な進化のプロセスと完全に相似している。しかもそれは同じものから始まる。つまりある細胞群が徐々に意識的になることから始まるのだ。それからその細胞群は他の細胞をひきつけ、従属させ、そして次第全有機体をその最初の細胞群の目的に仕えさせ、ただ食べ、飲み、眠るだけという状態から連れだすのだ。これが進化であり、この他にはいかなる進化もありえない。人間においては個人においてと同様に、すべては意識的な核の形成から始まる。生のあらゆる機械的な力は、この人間の中の意識的な核の形成に抗して闘う。ちょうどすべての機械的な習慣、嗜好、弱点が意識的な自己想起に対して闘うように。

「人類の進化に対して闘う意識的な力があると考えることはできませんか?」と私は聞いた。
G:ある観点から見ればそうとも言える。
私はこれがGの以前に言ったこと、つまり宇宙には2つの相闘う力、すなわち〈意識〉と〈機械性〉しかないと言ったことと矛盾するように思えたので記録しておくのである。
「この力はどこからくるのですか?」と私は聞いた。
G:それは説明するのにかなり時間がかかる。しかしそれは、現時点の我々に実質的な重要性をもつものではない。普通〈退化〉と〈進化〉と呼ばれる2つのプロセスがある。その違いは次の点にある。退化のプロセスは〈絶対〉から意識的に始まるが、次の段階ではもう機械的になり、しかも進むにつれてどんどん機械的になる。一方、進化のプロセスは半意識的に始まるが、進むにつれてどんどん意識的になる。しかし退化のプロセスのある時点で、意識と、進化のプロセスに対する意識的な抵抗とが現れることもある。この意識はどこからくるのだろう? もちろん進化のプロセスからだ。進化のプロセスは中断せずに進行しなければならない。いかなる停止でも元のプロセスからの離脱を引き起こす。そのような発展途上で停止した意識のパラパラな断片は、結びつけることもでき、少なくともしばしの間は進化のプロセスと闘うことによって生き延びることもできる。しかし結局それは進化のプロセスをもっと興味深いものにするだけだ。機械的な力に対する闘いのかわりに、ある時点で、先ほどのかなり強力な意図的抵抗に対する闘いが起こることもあるが、もちろんその抵抗力は進化のプロセスを導く力とは比較にならない。これらの抵抗力は時には勝ちさえするかもしれない。なぜなら、進化を導く力には手段の選択範囲がより限られている、言いかえれば、ある手段、ある方法だけしか使うことができないからだ。抵抗する力は手段の選択範囲が限定されておらず、あらゆる手段、一時的な成功しか生みださないような手段でも使うことができ、最終的な結果として進化、退化の両方を、今問題としている時点で破壊してしまうのだ。
しかし既に言ったように、この問題は今の我々には実質的な重要性をもっていない。今我々に重要な唯一のことは、進化の始まる徴候と進化の進行する徴候をより確かなものにすることだ。そして、もし我々が人類と個人の間の完全な相似を覚えていれば、人類が進化しているとみなしうるかどうかを立証するのは難しいことではないだろう。
例えば、人間の生は意識を有する一群の人々によって支配されていると言うことができるだろうか? 彼らはどこにいるのだろう? 彼らは何者なのだろう? 我々はそれとちょうど正反対のことを目にしている。
つまり生は最も意識の低い人々、つまり最も深く眠っている人々に支配されているのだ
生において、最良で最強、最も勇気ある諸要素が優勢であるのを目にしていると言うことができるだろうか? とんでもない。それどころか、
あらゆる種類の祖野や愚かしさの優勢を目にしている
また、単一性への、統一への熱望が我々の生の中に見てとれると言えるだろうか? もちろん言えはしない。
我々はただ新たな分裂、新たな敵対心、新たな誤解を見るばかりだ
というわけで、人類の現況には、進化が進みつつあることを示すものは何一つない。それどころか、
人類を個人と比較してみるなら、本質を犠牲にして人格が、つまり人工的で真実でないものが生長していること、また、自然で真実なその人本来のものを犠牲にして外部からきたものが生長していることをきわめてはっきりと見ることができる
これらとともに我々は自動性の増大を目にする。
現代文化は自動機械を必要としている。そして
人々は獲得した自立の習慣を疑いの余地なく失い、自動人形に、機械の一部になりつつあるのだ。これらすべてがどこまでいったら終わるのか、また出口はどこにあるのか、いやそれどころか終わりや出口があるかどうかさえ言うことはできない。ひとつだけ確かなことがある。人間の隷属状態は拡大しつづけているということだ。人間は喜んで奴隷になっているのだ。彼にはもう鎖はいらない。彼は奴隷であることを好み、誇りさえ感じているからだ。これこそ人間に起こりうる最も厭わしいことだ。
これまで言ったことはみな、人類全体について言ったのだ。しかし前にも指摘したように、人類の進化はあるグループの進化を通してのみ可能で、そのグループが残りの人々に影響を与え、導くのだ。
そんなグループが存在しているなんて言えるだろうか? ある徴候をそう考えればおそらく言えるだろう。しかしどちらにせよ、それは非常に小さなグループで、少なくとも他の人々を従わせるにはきわめて不十分であることを知らなければならない。あるいは、別の視点から見れば次のようにも言える。つまり人類は意識的なグループの指導を受けいれられない状態にあるのだ、と。

「その意識的なグループには何人くらい入れるのでしょうか?」と誰かが聞いた。
G:それを知っているのは彼らだけだ。
「それは、彼らはみな互いに知りあっているということですか?」と同じ人が聞いた。
G:それ以外考えられるかね。多数の眠っている人々の真只中に、2、3人の目覚めた人がいると想像してみなさい。彼らはまちがいなく互いに知りあうだろう。しかし眠っている人は彼らを知ることはできない。彼らが何人かだって? わからない。我々自身が彼らのようになるまでは知ることはできない。前にはっきり言ったように、人間は自分自身の存在のレベルしか見ることができないのだ。しかしもし彼らが存在し、しかもそうすることを必要かつ道理にかなったものであると考えるなら、意識的な200人で地上の生きとし生けるものすべてを変えることができる。しかし今は、彼らの数が十分でないか、彼らが望まないか、おそらくその時期がまだきていないか、あるいは他の人々があまりに深く眠っているかのいずれかなのだ。

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我々は秘教(エソテリシズム)の問題に近づいてきた。
人類の歴史について話したときに指摘したが、我々の属す人間の生活は2つの異なる源泉からくる力に支配されている。
一つは惑星の影響で、それは完全に機械的で、個々人にも集団にも何気なく無意識的に受けとられる。もう一つは人間の内なるサークルからくる影響で、大多数の人々は、この影響の存在と重要性に惑星の影響と同様気づいていない
我々の属す人類、つまり科学や文明に知られている歴史的、先史的人類全体は、実は人類の外側のサークルだけを形成しているのであって、人類の中には他にもいくつかのサークルがある。
だから、既知の人類も未知の人類も含めてその全体を、いわばいくつかの同心円を構成するものと考えることができるわけだ。
内側のサークルは〈エソテリック〉と呼ばれている。このサークルは、人間に可能な最高度の発展を達成した人々によってつくられている。彼らは最も完成した個性を有している。
つまり分割不能な〈私〉、人間に可能なあらゆる形態の意識とその完全なコントロール、人間に可能なあらゆる知識、自由で独立した意志などをもっている。彼らは、自分の理解に反する行動をとることはできないし、行動によって表現されない理解をもつこともない。また同時に、彼らの間には何の不和も、どんな理解の相異もありえない。だから、彼らの行動は完全に協調的で、いかなる強制もなく一つの共通目標へと進んでいく。というのも、それは共通かつ同一の理解を基盤としているからだ。
次のサークルは〈メソテリック〉、つまり中央と呼ばれている。このサークルに属する人々はエソテリック・サークルに属する人々が持つあらゆる特質を有しているが、そこにはわずかな違いがある。つまり彼らの知識はもっと理論的な性格のものなのだ。これはもちろん、宇宙の性質に関する知識にもあてはまる。彼らは、たくさんのことを知っているし理解もしているが、その知識はまだ行動にまでは表れない。すなわち、彼らの知っていることは彼らのすることを上まわっているのだ。しかし、彼らの理解はエソテリック・サークルの人々の理解と全く同じように正確で、それゆえ全く同一のものだ。彼らの間にはいかなる不和も誤解もありえない。一人は他のみんなが理解するのと同じように理解し、みんなは一人が理解するのと同じように理解している。しかし前に言ったように、この理解はエソテリック・サークルの理解に比べれば幾分か理論的なのだ。
第三のサークルは〈エクソテリック〉、つまり外側と呼ばれている。なぜならこれは人類の内的な部分の外側のサークルだからだ。このサークルに属している人々も、エソテリック・サークル、メソテリック・サークルの人々がもつ多くのものを所有しているが、彼らの宇宙に関する知識はもっと哲学的な性格のものだ。言いかえれば、それはメソテリック・サークルの知識よりさらに抽象的なのだ。メソテリック・サークルのメンバーは計算し、エクソテリック・サークルのメンバーは熟考する。彼らの理解は行動で表されることはないかもしれない。しかし理解の上では彼らの間に差異はない。一人が理解したものは他のみんなも理解するのだ。
エソテリシズムの存在を認めている文献では、人間は普通2つのサークルに分けられ、〈エソテリック〉に対立するものとしての〈エクソテリック・サークル〉は普通の人々と呼ばれている。実際には、今示したように、〈エクソテリック・サークル〉は我々から遠く隔たった非常に高次のものだ。普通の人間にとってはこれさえ既に〈エソテリシズム〉なのだ。
〈外側のサークル〉は機械的な人間のサークルで、我々はそれに属し、またそれしか知らない。このサークルの第一の特徴は、これに属する人々の間には共通の理解がなく、またありえないということだ。誰もが自分勝手に、様々に理解している。このサークルは時には〈混乱した言語〉のサークルと呼ばれる。つまり一人一人が勝手な言語で話すサークルということで、そこでは誰一人他人を理解しないし、またしようと骨折る者もいない。このサークル内では、まれな機会や大して重要でない事柄を除けば、相互理解は不可能で、それも彼らの存在の範囲内に限られている。もしこのサークルに属している人々がこの理解の全般的欠如を意識し、しかも相互に理解しあいたいという欲求をもつなら、彼らは内側のサークルの方に無意識のうちに傾斜したことになる。というのも、相互理解はエクソテリック・サークルの中で初めて始まるものであり、またそこでのみ可能だからだ。しかし、理解が欠如しているという意識は普通全く違った形で人々のところへやってくる。
だから人々が理解できるかどうかは、理解というものが始まるエクソテリック・サークルヘ入りこめるかどうかにかかっている。
人類を4つの同心円として考えてみると、内側の第三のサークル、つまりエクソテリック・サークルの円周上に4つの門を想像することができ、機械的なサークルに属す人々はここを通って中へ入ることができる。
この4つの門は前に述べた4つの道に相応している。
第一の道はファキールの道、人間第一番、肉体的な人間の道、知性や心情の方はあまり豊かでない本能・動作・感覚型人間の道だ。
第二の道は修道僧の道、宗教的な道、人間第二番、つまり感情的な人間の道だ。知性と肉体はそれほど強くない。
第三の道はヨーギの道だ。これは知性の道、人間第三番の道だ。心情と肉体はそれほど強くはない。でないとそれらはこの道での障害物になりうるからだ。
これら3つの他に第四の道があり、前の道のどれにも進めなかった人もこの道なら進むことができる。
最初の3つの道、つまりファキールの道、修道僧の道、ヨーギの道と第四の道との違いは、前の3つは、歴史上の長い期間、ほとんど変化することなく存続してきた恒久的形態に結びついているという点にある。これらの集団の基礎は宗教だ。ヨーギのスクールがあるところでは、それは宗教的なスクールと外見上ほとんど違わない。また歴史上の様々な時期にファキールの種々の共同体や教団がいろいろな国に存在したし、いまだに存続している。これら3つの伝統的な道は、歴史の範囲内にある恒久的な道なのだ。
二、三千年前には今はもう存在していない他の道もあったのだが、今あるいくつかの道は互いにそれほど隔たってはおらず、非常に接近している。
第四の道は次の点でこれら新旧の道とは異なっている。つまり、それは決して恒久的な道ではないという点だ。それはいかなる一定の形態ももたないし、それに結びついた集団もない。それはいくつかの独自の法則に支配されて現れたり消えたりするのだ。
第四の道は明確な重要性をもつワークを伴わずには決して存在しない。それは必ずある企てを伴い、その企てのまわりに、またそれとの関連においてのみ第四の道は存在しうるのだ。このワークが終われば、つまり設定された目標が達成されれば、第四の道は消滅する。すなわちその場所から消え、その形態も消えてしまうのだ。たぶん別の場所で違った形で存続するだろうが。だから第四の道のスクールは、目論まれた企てに関わるワークをやり遂げるのに必要な場合にだけ存在する。教育や指導のためだけに独立してスクールとして存在することは絶対にない。
第四の道では、いかなるワークにおいても機械的な助力は不要だ。第四の道で何をするにせよ、有益なのはただ意識的なワークだけだ。機械的な人間は意識的なワークをすることができないので、この種のワークを始める人の最初の課題は、意識的な助力者を獲得することだ。
第四の道のスクールのワーク自体、非常に多様な形態と意味をもちうる。生の普通の状態の真只中にあっては、人間に残された〈道〉を見いだす唯一のチャンスは、この種のワークの始まりに巡り合うかどうかにかかっている。しかしそのチャンスも、それを生かす可能性も共に、様々な状況や条件次第である。
遂行中のワークの目標をつかむのが早ければ早いほど、彼自身、ワークにもっと役立つようになり、また彼自身がそこから得るものも多くなるだろう。
しかし、ワークの基本的目標がいかなるものであろうと、スクールはワークが続く間しか存在しない。ワークが終わればスクールも閉鎖される。既にワークを始めている人は、その活動舞台を離れるわけだ。スクールから学びうるものを学び、この道を進み続ける可能性を見いだした者は、個々それぞれにいろいろな形でワークを続けることになる。
しかし時には、スクールが閉鎖されるとき、ワークのまわりをうろつき、その外観をながめ、しかもワーク全体をこの外観からしか見ていなかった人々が大勢とり残されるということが起こる。
自分自身に、あるいは自分の結論や理解にいかなる疑いも抱かないので、彼らはワークを続けることを決心する。そのために新しいスクールをつくり、自分たちが習ったことを人々に教え、自分たちがされたのと同じ約束を彼らにする。しかし当然、これらはみな上っ面の真似でしかない。しかし歴史を振り返ってみると、どこで本物が終わり、どこから模倣が始まっているかを区別するのはほとんど不可能だ。厳密に言えば、様々なオカルト、フリーメイソン、錬金術などのスクールについて我々の知るほとんどすべてのものが、この模倣に関係している。我々は実際、本当のスクールについて、そのワークの成果以外は何も知らない。いや、それさえ、真のワークの成果を偽ものや模倣から区別できたときに初めて知ることができるのだ。
しかし、そんな偽エソテリック組織も、エソテリック・サークルのワークや活動に何がしかの役割を演じている。つまりそれらは、完全に物質的生活にひたりきった人類と、ある一定数の人間の教育に関心をもつスクールとの間の仲介者なのだ。スクールは、自らが遂行する宇宙的性格のワークのためと同様、自身の存続のためにこの教育に関心をもっている。エソテリシズムという観念そのもの、あるいは秘儀伝授という観念は、ほとんどの場合偽エソテリック組織、あるいはスクールを通して人々に届く。だから、もしこういった偽エソテリック・スクールがなかったら、大多数の人々は日常生活を超えた深遠なるものの存在については何ひとつ聞いたり学んだりする可能性はないだろう。というのは、真理はその純粋な形においては彼らには手の届かないものだからだ。
人間の存在、とりわけ現代人の存在のもつ多くの性質ゆえに、真理は嘘という形でしか人々に届かない。この形でしか、人は真理を受けいれることも消化吸収することもできないのだ。純粋な真理は、消化できない食物なのだ
また時には、一片の真理が変化を受けないまま、偽エソテリック運動や教会宗教、オカルトや神智学のスクールの中に見つかることもある。例えば、その文書、儀式、伝統、そのヒエラルキーの概念、ドグマ、規律などの中に残っているかもしれない。
エソテリック・スクール、つまり偽エソテリックではないスクールは、東洋のどこかの国に存在しているだろうが、普通の僧院や寺院を装っているために見つけるのは難しい。チベットの僧院は、普通、高い壁で区切られた、4つの同心円、つまり4つの同心円状の中庭をもつ形に建てられている。インドの寺院、特に南インドの寺院も同じ形に建てられているが、ただ円ではなくて四角形になっている。普通信者たちは、また時には例外的に他宗教の人やヨーロッパの人も、外側の第一の中庭に出入りする権利を有している。第二の中庭に出入りする権利は特定のカーストの人々や特別の許可をもつ者に限られている。第三の中庭への出入権は寺院に属する者だけに、第四の中庭への権利はバラモンと僧侶だけにある。この種の組織はわずかの違いこそあれ至るところにあり、それがエソテリック・スクールが知られることなく存在するのを可能にしているのだ。僧院が1ダースあれば、そのうちの1つはこの種のスクールだ。しかし、どうやって見分けられるだろう? もし中に入れたとしても第一の中庭までだし、第二の中庭には弟子しか入れない。だから君たちはその中を知ることはできない。彼らは特別なカーストに属していると君たちは告げられるだろう。第三、第四の中庭に関しては何一つ知ることはできない。また事実、あらゆる寺院は同じ順序をもっているのを君たちは目にすることができる。だから、言われるまではエソテリックの寺院、僧院と普通のそれを識別することはできない。
偽エソテリック組織を通して我々に届く秘儀伝授の観念は、同時に、全く誤った形で伝えられる。秘儀伝授の外面的な儀式に関わる伝説は、古代の〈秘教儀式〉に関する情報の切れはしからでっちあげられたものだ。この〈秘教儀式〉は特殊な方法を表しており、その中には、困難な長期にわたる研究とともに、人間と宇宙の進化の全道程を寓話的な形で示す特殊な演劇的描写が盛りこまれている。
存在の1レベルから他のレベルへの移行は、特殊な授与儀式、つまり秘儀伝授によって表される。しかし、儀式は存在のレベルを変えることはできない。儀式はただ移行の達成を象徴しうるだけだ。儀式に独立した意味をもたせるのは偽エソテリック・スクールだけで、そこには儀式以外には何もない。儀式は秘蹟に変容することで、入門者にある力を伝達、伝授すると考えられている。これもまた模倣の心理学に関係している。
外面的な秘儀伝授などというものはなく、またありえない。実際にはただ自己伝授、自己授与があるだけだ。組織やスクールは方法や道を示すことはできるが、人間が自分でやらなければならないワークを代わってやることはできない。内的生長、存在の変化は、人間が自分に働きかけねばならないワークに全面的にかかっているのだ

42

この時期、つまり1916年の11月には、ロシア国内の事態(ロシア革命前夜を指す)はひどく陰鬱な様相を帯び始めていた。このときまで我々は、少なくともそのほとんどは、ある奇蹟によってこの〈出来事〉を避けてきた。が、いまや〈出来事〉は我々に近づきつつあった。言いかえれば、一人一人に個人的に近づいており、もはやそれに気づかずにはいられなかった。
この当時起こりつつあったことを記述したり分析したりするのは私の役目ではない。けれども、それはあまりに例外的な時期だったので、盲かつんぼでもない限りそれに一切言及しないことは無理である。それ以上に、物事の〈機械性〉の研究には、この当時の出来事はまたとない材料であった。つまり、意志という要素の完璧な欠如の研究には、絶好の機会だったのである。
人々は、いくらかのことは人間の意志次第だと思っていたかもしれないが、それさえも幻想で、実はこのときほどすべてが起こり、一人として何かを為す者はいないということがはっきりした時期はなかったのである。
まず第一に、事の次第を見ることのできる者、見たいと思う者の目には、戦争は終わりに近づいていること、すなわちある深い内的疲労と、こんな恐怖はすべて無意味だという自覚(鈍くぼんやりとしてはいたが確固たる根をもった自覚)とによって、ひとりでに終わりつつあることは明白であった。今では誰一人、いかなる類の言葉も信じなかった。戦争を活気づけようとするどんな試みも何の効果もなかった。また同時に、何一つ止めようもなく、戦争を継続すべきか停止すべきかといったあらゆる議論は、ただ人間精神のどうしようもなさを露にするばかりなのに、その精神は己のどうしようもなさに気づきさえしないのであった。第二に、崩壊が近づきつつあることは明らかだった。また誰も何一つ止めることはできず、出来事を回避したり安全な方向に導いたりするのが無理なことも同様に明らかであった。すべてはとりうる唯一の道をとっており、他の方向に進むことはできなかった。この時期、私が特別強い印象を受けたのは、そのときまでの受動的な役割から、いまや能動的な役割に移らんとしていた左翼の政治家たちの態度であった。正確に言えば、彼らは自分たちこそ最も盲目的で、最も準備不足であること、自分たちが本当は何をやっているのか、どこに向かっているのか、自分たちのために何を企てているのかさえ全く理解していないことをさらけだしたのである。
その生涯の最後の冬を迎えたペテルスブルグを、私はとてもよく覚えている。その時、たとえ最悪の事態を予測したとしても、それがペテルスブルグの最後の冬であるなどと誰が知りえただろう。しかし、あまりに多くの人がこの街を憎み、またこの街を恐れていた。そして、その最後の日々は秒読みに入っていたのである。
ミーティングは続いていた。1916年の最後の数ヶ月間、Gはペテルスブルグに来なかったが、我々のグループのメンバーの何人かがモスクワに行き、Gの指導のもとに生徒たちが作成した新しい図表やいくつかのノートを持ち帰った。
この時期、新しい人々が大勢我々のグループに姿を見せた。すべてがどんな結末に行きつくか予想もつかないということだけは明らかであったが、それでもGのシステムは我々にある信頼感と安心感を与えてくれた。我々はこの当時よく、日増しに自分のものになりつつあるこのシステムを知らなかったら、この混沌の真只中でいったいどう感じただろうか?と話しあった。今ではこれなしではどう生きたらいいのか想像もつかず、我々の道は現に存在するあらゆる矛盾の迷路の中に迷いこんだことであろう。
この時期にノアの箱舟に関する話し合いを始めた。私はずっとノアの箱舟の神話をエソテリックな寓話だと考えていた。仲間の多くは、この神話は単にエソテリシズムの一般的観念を表わす寓話であるだけでなく、同時に我々のものも含めたあらゆるエソテリックなワークの見取り図であると考え始めていた。つまり、このシステムそのものが、〈洪水〉のときに我々を救うことができる〈箱舟〉だったのである。
Gは1917年の2月初めになってやっとやってきた。そのときの話の1つで、Gはそれまでに話したすべてのことの全く新しい側面を説明した。


G:これまで私たちは〔とGは切りだした〕、〈水素表〉を振動とそれに反比例する物質の密度の表であると考えてきた。さて今度は、振動の密度と物質の密度は物質の他の多くの特質を表わしていることを認識しなければならない。たとえば、これまで我々は物質の知性や意識については何も話さなかった。つまりこれまでは、物質の振動の速度がその物質の知性の段階を表わすと考えていたのだ。ところで君たちは、自然には死んだもの、生命のないものは何ひとつないことを思いださねばならない。すべてのものはそれぞれの仕方で生きており、それなりに知性と意識をもっている。ただこの意識と知性は違った存在レベル、つまり異なった等級では違ったふうに表現される。というわけで、自然には死んだもの、生命のないものはなく、ただ生命の様々な段階と様々な等級があるだけだということを、今や最終的に理解しなければならない。
〈水素表〉が物質の密度と振動の速度を測定するのに役立つ間は、それは同時に知性と意識の段階を測定するのにも役立つ。なぜなら、意識の段階は密度の段階や振動の速度と相関しているからだ。これはつまり、物質の密度が高くなればなるほどその意識と知性は低くなるということだ。そして振動の密度が高くなればなるほど意識と知性は高くなる。
本当に死んだ物質は振動が止まったところから始まる。しかし地上における生の普通の条件下では、死んだ物質について心配する必要はない。科学もそれを手に入れることはできないのだから。我々の知っている物質はすべて生物であり、それなりに知性的なのだ。
〈水素表〉は物質の密度の段階を測定すると同時に、それを基にして知性の段階をも測定する。つまり、〈水素表〉において違った位置を占める物質を比較する場合、その密度だけでなく知性も測定するのだ。
だから我々は、それぞれの〈水素〉が他のものより何倍密度が高いか低いかだけでなく、その〈水素〉が別のものより何倍知性が高いかも言うことができる。
〈水素表〉を、多くの〈水素〉で構成されている物体や生物のいろいろな特性を測定するのに使うことができるのは、それぞれの生物あるいは物体の中には重心となる1つのはっきりした〈水素〉があるという原理があるためだ。その〈水素〉は、生物や物体を構成しているあらゆる〈水素〉のいわば〈平均的水素〉だ。この〈平均的水素〉を見つけるために、まず手始めに生物について話すことにしよう。最初に、調べようとする生物の存在のレベルを知ることが必要だ。存在のレベルは、第一にその機械の中の層の数によって決定される。これまでは人間についてだけ話してきた。そして人間を三層の機械と考えてきたのだが、人間と動物とを全く同様に論ずることはできない。動物は人間とは根本的に違うからだ。我々の知っている最高次の動物は二層から成り、最低次のものはただの一層だ。〔Gは図56を描いた〕


人間は三層から成っている。
羊は二層でできている。
虫はただ一層でできている。

それと同時に、人間の最下層と中層は言うなれば羊に相当し、最下層は虫に相当する。だから人間は、人間、羊、虫から成り、羊は羊と虫から成っているということができる。人間は複雑な生物だ。その存在のレベルは、それを構成している生物の存在のレベルによって決まる。つまり羊と虫とは人間の中で大なり小なりの役割を演じているのだ。というわけで、虫は人間第一番の中で主要な役を演じ、人間第二番の中では羊が、第三番の中では人間が主要な役を演じている。しかし、こういった定義は個々の場合にのみ重要なのであって、一般的には〈人間〉は中層の重心によって決定される。
人間の中層の重心は〈水素〉96だ。〈水素〉96の知性が〈人間〉、つまり人間の肉体の平均的知性を決定する。〈アストラル体〉の重心は〈水素〉48だ。第三の体の重心は〈水素〉24で、第四の体の重心は〈水素〉12となる。
前に見せた、上層の〈平均的水素〉を示した人間の4つの体の表を思いだせば、今言っていることは理解しやすくなるだろう。〔Gは図57を描いた〕
上層の重心は中層の重心より一つ上の〈水素〉であり、中層の重心は下層の重心より一つ上の〈水素〉だ。
しかしすでに言ったように、〈水素表〉によって存在のレベルを決定するには中層をとるのが普通だ。
これを出発点とすれば、たとえば次のような問題を解くことができる。
イエス・キリストを人間第八番と考えてみると、彼はテーブルより何倍知性が高いだろうか?
テーブルは層をもたない。〈水素表〉の第三等級によれば、その全体は〈水素〉1536と〈水素〉3072の間にあることになる。人間第八番は〈水素〉6だ。これは人間第八番の中層の重心だ。もし〈水素〉6が〈水素〉1536よりどれだけ知性が高いかを計算できれば、人間第八番がテーブルより何倍知性が高いかを知ることができる。ただその場合、〈知性〉は物質の密度によってではなく、振動の密度によって決定されるということを忘れてはならない。しかしながら、振動の密度は、〈水素〉のオクターヴにおけるように倍加しつつ増えていくのではなく、何倍もの増加を示す全く違った増え方をする。もしこの増加の正確な係数を知っていれば、君たちはこの問題を解ける位置にいることになる。奇妙に思うかもしれないが、ここではただ、この問題は解きうるということだけを言っておきたい。
今言ったことと部分的に関連することだが、分類の原理と生物の定義とを宇宙的観点から、つまりその宇宙的な存在という観点から理解することがぜひとも必要だ。普通の科学では、分類は、外的特性(骨とか歯、機能、または哺乳動物、脊椎動物、齧歯動物など)に従ってなされている。厳密な知識においては、分類は宇宙的特性に従ってなされる。事実、あらゆる生物において同一である厳密な特性があり、それによってある生物の網や種を、きわめて正確に、しかも宇宙におけるその生物の位置、及び他の生物との関係の両面において確定することができるのだ。
これらの特性は存在の特性とでも言うべきものだ。あらゆる生物の存在の宇宙レベルは決定されている。

第一に、その生物が食べるものによって、
第二に、何を呼吸するかによって、
第三に、いかなる生活環境に生きているかによって。
以上が存在の3つの宇宙的特性だ。

たとえば人間をとりあげてみよう。彼は〈水素〉768を食べて、〈水素〉192を呼吸し、〈水素〉192の中に生きている。我々の惑星には人間のような存在は他にはないが、人間より高次の存在はある。犬のような動物は〈水素〉768を食べることができるが、768ではなくて1536に近いもっと低次の〈水素〉を食べて生きていくこともできる。人間にはその種のものは食べられない。蜂は768よりずっと高次の、いや384よりも高次の〈水素〉を食べるが、人間には住めない環境の巣に住んでいる。外的に見れば人間は動物だ。しかし人間は他のいかなる動物とも違った序列の動物なのだ。
もう一つの例、小麦粉につく虫を考えてみよう。それは小麦粉を、つまり〈水素〉768よりずっと粗悪な〈水素〉を食べる。というのも、その虫は腐った小麦粉でも食べるからだ。これを1536と呼んでおこう。その虫は〈水素〉192を呼吸し、〈水素〉1536の中に住んでいる。
魚は〈水素〉1536を食べ、〈水素〉384の中に住み、〈水素〉192を呼吸している。
木は〈水素〉1536を食べ、一部〈水素〉192を、また一部〈水素〉96を呼吸し、そして部分的に〈水素〉3072(土)の中で生きている。
こういった定義を続けていけば、一見ひどく単純に見えるこのやり方が、生物の分類における最も微妙な区分の確定をも可能にすることがわかってくる。特にオクターヴによって理解してきた〈水素〉がきわめて広い概念であることを念頭におけばなおさらのことだ。例えば私は、犬も魚も小麦粉の虫も同様に〈水素〉1536を食べるとし、そしてその場合、この〈水素〉で人間の食用には適さないような有機物を暗示した。さて今、もしこれらの物質がある一定の類に分類できることがわかれば、我々は非常に厳密な定義の可能性を得たことになる。その点では空気も生活環境も全く同じことだ。
存在物のこれらの宇宙的特性は〈水素表〉によって知性の定義と直接結びつく。
物質の知性は、それを食物とする生物によって決定される。例えば、生の芋と焼いた芋はこの観点から見ればどちらが知性が高いことになるだろう。生の芋はブタの餌になり、焼いた芋は人間の食料になる。つまり焼いた芋は、生の芋より知性が高いということになる。
これらの分類や定義の原理が正しく理解されれば、多くのことがはっきりし、また理解できるようになる。いかなる生物も、その食物や呼吸する空気、生活環境を意のままに変えることはできない。それぞれの生物の宇宙的序列は、その食物だけでなく、呼吸している空気や生活環境までも決定しているからだ。
前に三層の工場の中での食物オクターヴについて話したとき、有機体の働き、生長、進化に必要なすべての上質の〈水素〉は、三種の食物、すなわち語の厳密な意味における食物(食べられるものと飲料)と呼吸する空気印象とからつくられていることを見た。さて今度は、我々が食物と空気の質を改善できる、つまり、〈水素〉768のかわりに〈水素〉384を食べ、〈水素〉192のかわりに〈水素〉96を呼吸することができると考えてみよう。そうなれば有機体中での上質の物質の準備はどれほど簡単で容易になることだろう。しかし問題は、それが不可能だということだ。有機体はまさにこれらの粗悪な物質を上質の物質に変性させるようにつくられており、もし粗悪な物質のかわりに上質のものを与えたとしてもそれを変性させることはできず、それどころかすぐに死んでしまう。だから空気も食物も変えることはできない。しかし印象は、つまり
人間の受け取りうる印象の質は、いかなる宇宙法則にも従わない。人間は自分の食物や空気を改善することはできない。この場合、改善は実際には改悪なのだ。たとえば〈水素〉192のかわりの〈水素〉96は、非常に希薄な空気か、それとも人間には全然呼吸できないような白熱した気体かのどちらかだ。ちなみには〈水素〉96だ。食物についても全く同様だ。〈水素〉384は水だ。もし人間が食物を改善する、つまりもっと上質のものを食べることができるとすれば、彼は水を食べ、火を呼吸しなければならなくなる。これは明らかに不可能だ。しかし、食物と空気を改善することはたしかに不可能だが、印象を非常に高次の段階にまで高めることはできる。そうすることによって、人間は有機体に上質の〈水素〉をもたらすことができるのだ。進化の可能性はまさしくこれに基づいている。
人間にはH48のおもしろくもない印象を受けとって生きる義務など全くない。彼はH24、H12、H6、いや、H3でさえ受けとることができるのだ。こうなると全体の見取り図は変わり、高次の〈水素〉を自分の機械の上層の食物としている人間は、低次の〈水素〉をとっている人間とは間違いなく異なってくるだろう。
しばらくして、Gはまた宇宙的特性による分類の問題に立ち戻った。
G:これまでに話したのとはまた別の理解すべき分類システムがある。これはオクターヴ間の全く違った比率による分類だ。〈食物〉、〈空気〉、生活環境による第一の分類は、植物を含む我々の知る限りの〈生物〉、つまり個体とはっきりと関連している。今話そうとしているもう一つの分類法を使うと、〈生物〉と呼ばれているものの範囲をはるかに超えた上方、つまり生物より高次のものと、下方、つまり生物より低次のものまで見ることができる。そういうわけで、この分類法は、個体ではなく非常に広い意味での類をとり扱う。この分類法は何にもまして、自然にはいかなる飛躍もないことを示している。
自然界ではあらゆるものは結びつき、そして生きている。この分類図は〈生きとし生けるものの図表〉と呼ばれている。
この表によると、あらゆる種類の生物、あらゆる段階の存在は、そのレベルの被造物または存在が何を食物にしているか、またそれ自身は何の食物になっているかによって定義される。というのは、宇宙の序列においては、各々の類の被造物はある決まった低次の類の被造物を食べ、同時にある決まった高次の類の被造物の食物となっているからだ。
Gは11の四角形から成るはしご状の図を描いた。そして上の2つを除く全部の四角形に、数字の入った3つの円を描きいれた。(図58)

G:それぞれの四角形は存在のレベルを示している。3つの円のうち、下の円の中にある〈水素〉はその類が何を食べるかを表わし、上の円の〈水素〉はこれを食物にしている類を示している。そして左の円の〈水素〉はこの被造物が何であるかを表わすこの類の平均的〈水素〉を示す。
人間の位置は下から7番目、上から5番目だ。この図によれば人間は〈水素〉24であり、〈水素〉96を食べ、また彼自身は〈水素〉6の食物となる。人間の下の四角形は〈脊椎動物〉、その次は〈無脊椎動物〉だ。無脊椎動物は〈水素〉96だ。だから人間は無脊椎動物を食べていることになる。
しばらくの間矛盾を捜しまわるのはやめて、この図が意味せんとするところを考えてみなさい。また、これを他の図と比較するのもやめておきなさい。食物の図によれば人間は〈水素〉768を食べているはずなのに、この図では〈水素〉96を食べていることになっている。なぜだろう? これはどういう意味だろう? 両方とも正しいのだ。これをしっかり理解すれば、あらゆる断片を一つにまとめあげることができるだろう。
その下の四角形は植物だ。その次は鉱物、その次は金属で、これは鉱物の中でも別の宇宙的グループを形成する。次の四角形は我々の言語では名づけられない。というのも、我々は地上ではこの状態にある物質に出くわしたことがないからだ。この四角形は〈絶対〉と接触している。前に〈聖なる堅きもの〉Holy the Firm について話したのを覚えているだろう。これがその〈聖なる堅きもの〉なのだ。
彼は最後の四角形の下部に頂点を下にした小さな三角形を描いた。
G:さて、人間から今度は逆の方向に行くと、3、12、48の入った四角形がある。これは我々の知らない類の被造物だ。これを〈天使〉と呼んでおこう。次の四角形は1、6、24で、この存在を〈大天使〉と呼ぼう。
次の四角に彼は数字の3と12と、中心に点をもつ2つの円を描きいれ、それを〈永久不変〉と呼んだ。それから次の四角には数字の1と6を書き、さらに真中に円を、そしてその中に、中心に点をもつ別の円を内包した三角形を描き、これを〈絶対〉と呼んだ。
G:この図は最初はちょっとわかりにくいだろう。でも徐々に何とかうまく読みとれるようになる。ただ一つ、これから先かなりの期間、君たちはこれを他のすべてのものと切り離して考えなければならない。
実際のところ、以上がこの奇妙な図に関して私がGから聞いたすべてであった。おまけにこれは本当に、前に聞いたことをかなり大幅にくつがえしてしまった。
この図に関する話し合いの中で、我々はすぐに〈天使〉を惑星と、〈大天使〉を太陽とみなすことで合意した。他の多くのことも次第にはっきりしていった。しかし、我々をひどく困惑させたのは〈水素〉6144なるものが出現したことで、それは前の〈水素〉表の第三等級の中には全然出てこないものだった。つまり、それは〈水素〉3072で終わっていたのである。そのうえGは、この図の〈水素〉の数字は第三等級に従って並べられたものだとはっきり言ったのである。
ずっと後になって私は彼に、これはどういう意味だったのかと尋ねた。

G:それは完結していない〈水素〉だ。聖霊を伴わない〈水素〉なのだ。それも同じ等級、つまり第三等級に属してはいるのだが、ただ完結していないのだ。
それぞれの完結した〈水素〉は〈炭素〉〈酸素〉〈窒素〉から成っている。今第三等級の最後の〈水素〉、つまり〈水素〉3072を考えてみると、これは〈炭素〉512、〈酸素〉1536、〈窒素〉1024から成っている。
先に進むと〈窒素〉は次の三つ組の〈炭素〉になるが、そこに進むための〈酸素〉も〈窒素〉もない。そのため、凝縮によってそれ自体が〈水素〉6144となるのだが、それはそれ以上進む可能性のない死んだ水素、すなわち聖霊を伴わない水素なのだ。
これがGの最期のペテルスブルグ訪問であった。私はさし迫った事件について彼と話してみた。しかし彼は、私の行動の基盤にしうるようなことは何一つ言わなかった。

43

Gがペテルスブルグを発つとき、駅でとてもおもしろい小事件が起きた。我々はみんなでニコラエフスキー駅に見送りにいった。
彼は客車のそばのプラットホームに立って話していた。彼は我々がよく知ってるいつものGであった。2回目のベルが鳴ってから彼は客車に乗りこみ(彼のコンパートメントはドアの隣りだった)窓のところへ来た。
Gはすっかり変貌していた! 窓の中に我々は、列車に乗りこんだ男とは別の人を見たのである。彼はわずか数秒の間にすっかり変わってしまったのだ。どう変わったかを言うのはとても難しいが、ともかくプラットホームでの彼はみんなと同じ普通の人間だった。それが客車の中からは、風采や動作すべてに並はずれた貫禄をそなえた、全然違った種類の人間が我々を見つめていたのだ。まるで彼が急に見知らぬ王国の王子か統治者にでもなり、我々は自国に旅立つ彼を見送りにきているかのようだった。
仲間の何人かはそのとき何が起こったのかをはっきりとつかめなかったらしいが、その彼らでさえ、尋常ならぬ何かを感じとったのである。これはせいぜい数秒間のことだった。間もなく3回目のベルが鳴り、列車は出ていった。
そこに残った我々のうち、最初にGの〈変貌〉のことを言ったのは誰だったろう。そのとき起こったことを等しく認めたわけではなかったが、ともかくみんながそれを口にしたことだけは明らかになった。そしてみんなが、一人の例外もなく、何か尋常でないものを感じたのである。
Gは以前、もし造形美術をマスターすれば、誰でも完全に自分の容貌を変えることができると言ったことがあった。つまり、人は美しくも醜くもなれるし、また人々に無理やり自分を気づかせることも、逆に実際に見えなくなることもできると言ったのである。
ではあれはいったい何だったのだ? たぶん〈造形美術〉と同じことだったのだろう。
しかし、話はそれだけではない。Gと同じ客車にA(著名なジャーナリスト)が乗っていた。彼はそのときペテルスブルグから派遣されていたのである(それは革命直前のことだった)。我々は車両の一方の端におり、もう一方の端にはAの見送りの人たちが立っていた。
私はAを個人的には知らなかったが、見送りの人たちの中には何人かの知り合いがおり、友人も数人混ざっていた。そのうちの2、3人は我々のミーティングにきたこともあり、彼らは2つの見送り人のグループの間を行ったり来たりしていた。
数日後、Aの寄稿していた新聞に「路上にて」という記事が載った。Aはそこにペテルスブルグからモスクワまでの旅で考えたことや印象などを書いていた。彼と同じ客車に一人の不思議な東洋人が乗っており、彼は車内で騒ぎ立てている空論家どもの中にあって、まるで彼らが小さなハエででもあるかのように、手の届かない高みから彼らを見おろしていた。彼のその並はずれた威厳と静けさにAは打たれたのであった。Aは彼をバクーからきた〈石油王〉だと見当をつけたが、実際彼との会話の中に出てきたいくつかの謎めいた言葉が、彼の巨万の富は眠っている間にも増え続け、それで彼は、生活のためや小金を貯めるためにあくせくしている騒々しい輩を見下しているのだというAの確信をいっそう強めたのである。

(以下Aの回想)
私の道連れは誰とも話さずに沈黙を守っていた。彼はペルシア人かタタール人で、高価な帽子をかぶり、フランスの小説を脇にかかえて黙りこんでいた。彼はお茶を飲んでおり、冷ますためにカップを注意深く窓際のテーブルに置いた。彼は時折、ジェスチャーたっぷりに目茶苦茶な大声で話している人々を軽蔑しきった様子で見やった。また彼らの方も、尊敬に満ちた畏怖の念とまでいかないにしても、少なくとも非常な注意を払って彼の方をちらちら見ていた。
私が最も興味をひかれたのは、彼がその空論家たち(腐肉か何かを食らいに糸とんぼの群れ飛ぶ中に突進するはげたかの一群のような)と同じ南方系の東洋人に見えたことである。彼は浅黒く、黒玉のような目をし、ゼリム・カーンのような口ひげをたくわえていた。・・・その彼がどうして同系同属の人たちをあんなに避け、軽蔑するのだろうか? しかし有難いことに、彼は私に話しかけてきた。
G「彼らはあれこれ心配している。」と彼は言った。土色の顔の表情はまるで変わらなかったが、その東洋人らしいいんぎんな黒い目はかすかに笑っていた。
彼はしばらく黙るとまた続けた。
G「そうです、今のロシアには、賢い者が大儲けできる商売がいくらでもあります。」またしばらく黙ってから彼は言った。
G「それも結局は戦争のためなのです。誰も彼もが億万長者になりたがっているのですから。」
彼の冷ややかで平静な口調に、私はほとんどシニシズムに近い一種の宿命論的かつ無慈悲な高慢さをかぎつけたので、そっけなく彼に聞いてみた。
A「じゃあ、あなたはどうなんです?」
G「えっ?」と彼は聞き返した。
A「つまり、あなたもそれを望んでいるのですか?」
彼は曖昧な、ちょっぴり皮肉の混じった身振りで答えた。
彼はどうやら聞いていなかったか、それとも理解できなかったようなので、私は繰り返した。
A「あなたも儲けたいのですか?」
彼はとりわけ静かに微笑み、それから威厳をもって言った。
G「我々はいつも儲けています。だから我々には関係ありません。戦争であろうがなかろうが同じことです。我々はいつも儲けているのです」〔P:Gはもちろん、エソテリックなワークのこと、つまり〈知識の収集〉や人々を集めることを言っているのである。しかしAは彼が石油のことを言っているのだと思いこんでしまったのだ〕
その資本が完全に太陽系の秩序に依存する男と話し、またその心理になじむのはすこぶる好奇心をそそられることであった。つまり太陽系の秩序が乱されることはまずあるまいから、彼の関心は戦争や平和をも明らかに超越している、というわけであった。・・・
ここでGが言った「我々はいつも儲けている」という言葉をPは上記のように解説していますが、私は「人々には、自然から必要十分な環境が整えられていて、与えられている」という意味で「儲けている」という言葉を使ったのではないかと思いました。

このようにAは〈石油王〉のエピソードをしめくくっていた。
我々はとりわけGの〈フランスの小説〉というのに驚いた。それはAが自分の印象につけ加えた創作か、それとも実際にGが黄色い表紙の、いや黄色ではなかったかもしれないが、ともかく小型本のフランス小説をもっていると彼に〈見〉させた、つまり思いこませたのかのどちらかだったのだろう。というのも、もちろんGはフランス語を読めなかったからだ。
Gが去ってから革命が起こるまで、彼の便りはモスクワから1、2回あっただけだった。
私の計画はすでに長い間めちゃめちゃになっていた。出版しようと思っていた本の出版はうまくいかず、また戦争が始まったときから文筆上の仕事は外国に移さねばならないことはわかっていたのだが、外国版への用意は何もしていなかった。過去2年間、私は自分のすべての時間をGのワークに、彼のグループに、ワークに関連した話し合いやあちこちへの旅行などに使い、自分の仕事は全くなおざりにしていたのである。
その間、周囲の状況はますます陰鬱なものになっていった。何かが、それもすぐに起こるに違いないと誰もが感じていた。ただ、この一連の出来事をまだどうにかできそうな人々だけが、このことを見ることも感ずることもできなかった。操り人形たちは自分を脅かす危険を理解していなかったし、短剣を手にした悪漢を灌木の後ろから操るのと同じ糸が、自分を月に振り向かせることも理解していなかった。現実も人形芝居と全く同じように進むのである。
動乱がついに起こった。〈大無血革命〉という、考えうる最も馬鹿げた、見えすいた嘘が起こったのである。
しかし、
一番不思議だったのは、現地にいた人々、事態の真只中にいた人々がこの嘘を信じ、殺戮の中にいて〈無血〉革命を語ることができたということだった。
当時〈理論の力〉について話し合ったことを覚えている。革命を待っていた人々、その中にあらゆる希望を託していた人々、何かからの解放を見ていた人々は、実際に起こっていることを見たいとも思わず、また事実見もせず、起こるべきだと思っていることだけを見ていたのである

片面だけ印刷されたビラでニコライ二世退位のニュースを読んだとき、私はすべての出来事の核心はここにあると感じた。私は独りごちた(意味:独り言を言った)。
「イロヴァイスキーが墓から起きあがって彼の本の末尾に書き加えるだろう。〈1917年3月、ロシア史の終焉〉と。」
私は王朝に対してはいかなる感情も抱いてはいなかったが、ただ多くの人々がその当時やっていたようには自分を欺きたくなかったのである。
私は皇帝ニコライ二世その人には常に興味をひかれていた。彼はいろいろな面で注目すべき人物に思えたのである。しかし彼は徹底的に誤解され、また彼自身も自分を理解していなかった。私が正しかったことは、ポルシェヴィキの手で出版された彼の日記の最後の部分で明らかになった。それは、彼が裏切られ、みんなに見離されながらも、すばらしい強さと心情の偉大さまでも示したあの時期に関するものであった。
しかし結局のところ、そのことは彼個人に関係するのではなく、むしろ権力集中の原理と、彼が自身において代表していたこの権力に対する責任とに関係していたのである。この原理がロシアのインテリゲンチャのかなりの部分によって否定されたことは事実である。またそういった人々にとっては〈皇帝〉(ツァー)という言葉はもうかなり前からいかなる重要性ももっていなかった。しかし軍隊や、非常に不完全ではあるが、ともかく機能してすべてを統制していた官僚機構にとっては、この言葉はいまだに非常に大きな意味をもっていた。〈皇帝〉はこの機構の必要不可欠な中枢部分だったのである。だから、そのような状況での〈皇帝〉の退位は、全機構の崩壊を引き起こさずにはいられなかった。しかも我々はそれ以外には何一つもっていなかったのである。それを生みだすために非常な犠牲が払われた祝福さるべき〈国民協同組合〉は、思っていた通りはったりであることが判明した。この〈目まぐるしい変転〉の中で何かをつくりだすのは不可能だった。出来事は息つく間もないスピードで進んでいた。軍隊は数日のうちに分裂した。戦争は実際のところすでに終わっていた。しかし新政権はこの事実を認めようとはしなかった。新たな嘘が生まれた。しかしここでもまた最も驚いたことは、人々は何か満足のいくものを見つけださずにはおれないということだった。兵舎から、あるいは彼らを殺戮の場へ運ばんとしていた列車から脱走してきた兵士たちのことを言っているのではない。むしろ私は、〈愛国者〉からすぐさま〈革命支持者〉〈社会主義者〉へと変身した我らが〈インテリゲンチャ〉にびっくりしたのである。「ノヴァヤ・ヴレミヤ」までが突如として社会主義新聞に衣がえしてしまったのだ。あの有名なメンシコフが「自由について」と題する記事を書いたが、明らかに彼は自分でもそれを真に受けることができずに降参してしまっていた。

私がグループの主なメンバーをドクターSのところに集め、情勢に関する私の見解を示したのは革命の約一週間後だったと思う。その中で私は、ロシアにとどまることには全く意味がないので国外に出るべきであり、またおそらく、あらゆるものが爆発して崩壊するまでの比較的平穏な期間はごく短いだろうと言った。
我々は事態をどうすることもできず、しかもワークをすることも不可能であった。私の意見が多数の賛成を得たとは言い難い。彼らのほとんどは状況の重大さを認識しておらず、いずれはすべてが平静かつ平常に戻るだろうと思っていた。また他の者は、すべては天のおぼしめしだというお定まりの幻想にとらわれていた。彼らには私の言葉は大げさに聞こえたことだろう。ともかく彼らはいささかも急ぐ必要を認めなかった。また別の者たちにとって最も辛かったのは、Gから何の連絡もなく、しかも長い間Gの消息が完全に途絶えていたことであった。革命以来モスクワからきた手紙はたった一通で、それによるとGが避難したことはわかったが、どこへかは誰も知らなかった。結局我々は待つことにした。
当時は総勢約40名の2つのグループがあり、他にも不定期的に集まるいくつかのグループがあった。
ドクターSの家での集まりの後間もなく、私はGからの葉書を受けとった。それは1ヵ月前にモスクワからコーカサスヘの車中で書かれたもので、当時の混乱のためにずっと郵便局で眠っていたのである。その葉書から明らかになったのは、Gは革命前にモスクワを離れ、それを書いた時点でも事件を全然知らなかったということだった。彼はアレクサンドロポール(トルコ国境にあるコーカサスの町で、グルジェフの生地)に行くつもりで、私に自分が戻るまでグループでのワークを続けるよう頼み、復活祭までには必ず帰ってくると書いていた。
この便りは私を非常に困難な問題に直面させた。私はロシア国内にとどまるのは無意味だし、ばかげていると考えていた。しかし同時に、私はGの同意なしには、いや、真実を言えば、彼と一緒でなければ国を離れたくなかった。それなのに彼はコーカサスに行ってしまい、2月、つまり革命前に書かれた葉書は現在の情勢とは何のつながりもなかった。結局私も待つことに肚(はら)を決めた。今日可能なことが明日には不可能になるかもしれないことがわかっていたにもかかわらず。
復活祭がきた。しかしGからは何の連絡もなかった。復活祭の一週間後に一通の電報がきて、彼は5月にこちらに着くと言ってきた。最初の〈臨時政府〉は行きづまっていた。国外に出るのはすでにずっと難しくなっていた。我々はミーティングを続け、Gを待った。
新たに加わった人たちがいるときには特に、話し合いはしばしば〈図表〉の問題に戻っていった。私はずっと、これらGから教えられた〈図表〉には言い残されていることがたくさんあり、より深く研究していけば、おそらくは徐々にその内的意味と重要性が明らかになってくるだろうと思っていた。
前の年につくったノートに目を通していたとき、私は〈宇宙〉のところでちょっと思案した。前に、この〈コスモス〉は私を特にひきつけたと書いた。それが『宇宙の新しいモデル』の中の〈次元の周期〉と完全に一致したからである。私はまた、〈ミクロコスモス〉と〈トリトコスモス〉の理解の相違に起因する困難についても書いたと思う。しかし、このときまでには我々はすでに〈ミクロコスモス〉を〈人間〉と、〈トリトコスモス〉を地上の有機生命体と考えることに決めていた。それにGも、最後の話し合いのときに暗黙のうちにこれを是認したのである。種々のコスモスにおける様々な時間に関するGの言葉は、ひどく私の興味をそそった。それで私は、Pが〈眠りと目覚め〉と〈有機生命体の呼吸〉について私に言ったことを思いだそうとした。しかし長い間何もわからなかった。それから私は〈時間は呼吸である〉というGの言葉を思いだした。
「呼吸とは何だろう?」と私は自問した。
「3秒だ、普通の状態にある人間は1分間に約20回の完全な呼吸、つまり吸気と呼気をする。だから1回の呼吸は約3秒ということになる。
でもどうして〈眠りと目覚め〉が〈有機生命体の呼吸〉なんだろう? 眠りと目覚めとはいったい何だ?
人間及び彼と同一の単位で計れるすべての有機体、植物も含め人間と類似した条件下で生きているあらゆる有機体にとっては、これは24時間になる。これを別にしても、眠りと目覚めはたしかに呼吸だ。なぜなら、例えば植物は眠っているときには、つまり夜には息を吐き、起きているとき、つまり昼間は息を吸うから。人間と同様すべての哺乳動物にとっても夜と昼、つまり眠っているときと起きているときでは、酸素と二酸化炭素の吸収には相違がある。」
このように推測しながら、次のように呼吸の周期と、眠りと目覚めの周期を配置してみた。

私は単純な〈三の法則〉を手に入れた。24時間を3秒で割ると29,800になる。28,800(昼と夜)を365で割ると、きちんとは割り切れないが、だいたい79年になる。これは私の興味をひいた。前の推測を続ければ、79年は〈有機生命体〉の眠りと目覚めを形成することになる。これは私が有機生命体について考ええた何ものとも相応していなかったが、しかしこれは人間の生命を表していた。
「この対比をもっと先まで続けることはできないだろうか?」と私は自問した。そこで私は手に入った数字を次のように配列してみた。

ここでも79年は地球の生命の中では何の意味ももたない。そこで79年に28,800をかけてみると、250万年よりわずかに少ない数になった。250万年に、簡単にするために28,800のかわりに3万をかけると11ケタの数字、すなわち750億年になった。この数字は地球の生命の長さを表しているにちがいない。これまでのところでは、これらの数字、つまり有機生命体の250万年、地球の750億年というのは論理的には可能なようである。
「しかし人間より低次のコスモスもある。」と私は独りごちた。
「それらのコスモスがこれとどういう関係にあるのかひとつ考えてみよう。」
そこで私は、表でミクロコスモスの左側に2つの宇宙をまず考えてみることにし、最初に極微の細胞の中でも比較的大きなもの、次に(認めうる限りの)最も小さな、ほとんど不可視に近い細胞に移ることにした。
細胞をこのように2つのカテゴリーに分割することは科学的にはっきり容認されているとは言い難い。しかし、もし次元を〈極微の世界〉内で考えるとすると、人間の世界と比較的大きな微生物や細胞の世界との関係のように、この世界自体がはっきりと異なる2つの世界から成っているということを、認めずにはすまされないのである。私は次のような表をつくってみた。(表7)

これは非常におもしろい形になった。24時間は細胞の生命の長さである。個々の細胞の生命の長さが確定されているとはとても考えられないが、それでも多くの研究者は次の事実につきあたっている。すなわち、例えば人体の細胞のような特殊化された細胞では、その生命の長さはちょうど24時間である。その呼吸は3秒である。これで別に何かがわかったわけではない。しかし、小細胞の3秒間の生命というものは、私に非常に多くのものを教えてくれたし、また何よりも、なぜそれらの細胞がそんなに見にくいのかを明らかにしていた。とはいえ、いい顕微鏡を使えば十分見ることはできるのではあるが。
私はさらに、もし〈呼吸〉つまり3秒を3万で割るとどうなるだろうと思ってやってみた。出てきたのは1秒の1万分の1であった。それは電気がスパークする間の長さであると同時に、最も短い視覚印象の長さでもある。ここで28,800のかわりに3万を使ったのは計算上の便宜をはかり、明瞭にするためである。この4つの長さ、つまり最も短い視覚印象、呼吸もしくは吸気と呼気、眠りと目覚めの長さ、それに生命の最大限の長さの平均値は、3万という同一の係数によって互いに結びついているようにも見えれば、バラバラのようにも見える。と同時に、各々の長さは一段高次のコスモスの中の1つ短い長さに一致し、また一段低次のコスモスの中の1つ長い長さに一致する。しかしまだこの時点では結論を出さずに、もっと完全な表をつくろうとしてみた。つまりこの表に全コスモスを入れ、低次のコスモスを2つつけ加え、初めの方を〈分子〉、後の方を〈電子〉と名づけた。それから3万をかけたときにはっきりわかるように、端数のない数と、2つの係数すなわち3と9だけを使うことにし、それで240万を300万と、720億を900億と、79を80とした。
その結果、このような表ができあがった。(表8)

この表はすぐに多くの考えをよびおこした。しかし私にはまだ、この表が正しく、コスモス間の関係を正確に定義しているとみなせるかどうかについては何とも言えなかった。3万という係数は大きすぎるようにも思えた。
しかし同時に、1つのコスモスと他のコスモスとの関係は〈ゼロと無限の関係と同じ〉であることを思いだした。だから、このような関係が存在するのであれば、どんな係数でも大きすぎるということはありえなかった。
〈ゼロと無限の関係〉とは、異なる次元の大きさの関係だからである。
Gはあらゆるコスモスはそれ自体にとって三次元であると言った。これは、1つ上のコスモスは元のコスモスに対して四次元であり、1つ下のコスモスは二次元であることを意味する。だから、そのまた1つ上は五次元でもう1つ下は一次元ということになる。コスモスとコスモスとの関係は次元数の大きさの違いで示される。
しかし、次元は6つ、あるいはゼロを加えて7つしか存在しえない。そしてこの表では11のコスモスが得られた。一見すると奇妙に思えるだろうが、それは最初だけである。というのは、より高次の諸コスモスとの関係からあるコスモスの存在期間を考慮すると、低次の諸コスモスは第七次元に到達するはるか以前に消えてしまうからである。例として太陽との関係における人間を考えてみよう。人間との関係においては、太陽は人間を第一コスモスと考えると第四コスモスになるが、人間の生涯の長さ約80年は時間的には太陽にとっては1つの電気スパーク、つまり最も短い視覚印象に等しいのである。
私はGがコスモスに関して言ったことを全部思いだそうと努めた。

G:それぞれのコスモスは生命と知性をもった存在だ。あらゆるコスモスは生まれ、生き、そして死ぬ。1つのコスモスによって宇宙のあらゆる法則を理解するのは不可能だが、3つのコスモスを総合すれば、その中には宇宙のあらゆる法則が合まれ、また上下2つのコスモスはその間のコスモスを決定するということがわかる。意識の中で、より高次のコスモスのレベルに移ることによって、人間はまさにそのことによってより低次のコスモスのレベルに移るのだ。
私はこれら一つ一つの言葉の中に全宇宙の構造を理解する鍵があるのを感じたが、それにしても鍵が多すぎてどれから使い始めてよいかわからなかった。
1つのコスモスから他のコスモスへの移行はどのように現れ、またいつどこで消滅するのだろうか? 私の見いだした数字は宇宙の運動に関して多少とも確証されている数字、例えば天体の巡行速度とか原子中の電子の運動速度とか光の速度などの数字とどのような関係にあるのだろうか?
いろいろなコスモスの運動を比較し始めたとき、私はいくつかの驚くべき相関関係を発見した。例えば、地球にとってはその自転周期は1万分の1秒、つまり電気スパークの速度に等しい。そのようなすさまじい速さでは、地球が自転に気づきうるかどうか極めて疑問である。もし人間が回転しているとすれば、太陽のまわりをまわるには約1/25秒、シャッター・スピードと同じ時間を必要とする。そしてその時間内に地球が移動するものすごい距離を考えれば、必然的に次の推論が導かれる。つまり地球は我々が知っているようには、つまりそれ自身を球形としては感じず、むしろとして、あるいは複数の輪のつながった長い螺旋として感じているはずである。現在を呼吸の時間と定義するならば、後者の方が妥当性がある。ところでこれは、前の年、コスモスについての最初の講義の後でGが時間は呼吸であるとつけ加えたときに、最初に私の心に浮かんだ考えであった。そのときは、彼はおそらく呼吸は時間の単位である、つまり直接的な感覚にとっては、呼吸の長さが現在として感じられるということを言おうとしたのだと私は考えた。これから出発して、自己の感覚、つまり自分の身体に対する感覚は現在の感覚と結びついていると考えたとき、私は80年を一呼吸とする地球にとっては、それ自身の感覚は螺旋の80の輪と関係しているにちがいない、という結論に達したのである。つまり、ここで私は『宇宙の新しいモデル』で出したすべての結論と推論に対する全く予期しない確証を得たのである。
下位のコスモス、つまり表の中で人間の左側にあるコスモスに目をやると、その最初のコスモスの中にいち早く、私にはずっと我々の有機体の働きの中で最も謎に満ちて不可解だと思われた現象、つまり多くの内的作用のほとんど瞬間的ともいえる驚くべき速さを説明する鍵を見つけたのである。常々私は、このことにそれ相応の重要性を認めないのは、生理学者のほとんどイカサマ行為であるとさえ思っていた。もちろん科学はできる限りのことは説明する。しかしこの場合、私の意見では、科学はその事実があたかも存在しないかのように隠したり避けたりすべきではなく、逆に絶えずそれに注意を払い、あらゆる機会をとらえて記録すべきであると思う。生理学の問題に全く関心のない人は、強いコーヒーやブランデーを飲んだり煙草の煙を吸いこんだりすると、すぐに身体全体がそれを感じ、諸力の内的相互関係と反応の形態、及び性質が変わるという事実には驚かないかもしれない。しかし生理学者は、だいたい一呼吸に等しい長さのほとんど知覚されないくらいの時間内に、一連の複雑な化学的その他の作用が有機体内で完了することをはっきり知っているはずである。有機体中に入った物質は慎重に分析され、わずかな異常もチェックされ、分析の過程で一連の実験室を経めぐり、構成要素に分解されて他の物質と混ぜ合わされ、そしてこの混合物の形で様々な神経中枢を養う燃料に加えられるのである。これだけやるにはかなりの時間がいるはずだ。我々の時間でいえばほんの数秒間でこれを完了してしまうことは、この過程を全く幻想的で奇蹟的なものにする。しかしいったん、有機体の生命を明らかに統御している大細胞にとっては我々の一呼吸は24時間以上も続くということを認識すれば、幻想的な側面はただちに消えてしまう。24時間あれば、いやその半分あるいは1/3の時間内でも、つまり8時間でも(それは1秒間に等しいのだが)、それだけあれば前に言ったすべての作用が、さまざまな実験室を備えた大きくてよく整備された〈化学工場〉の中でと同じように、秩序正しく完了されることを想像するのはさして難しいことではない。
さらに、顕微鏡でかろうじて見えるか見えないかの小細胞のコスモスに目をやると、ここでも私は不可解であったものを説明してくれる鍵を見つけた。例えば一般的な流行病や伝染病によるほとんど瞬間的な感染の場合、特に感染の原因がまだ発見されていない場合の説明である。もし3秒がこの種の小細胞の生命の限界であるとすれば、そしてそれが人間生命の長さに等しいものであるなら、15秒が四世紀にも相当する彼らにとってこの細胞が増える速度とはいかなるものとなるであろうか!
さらに分子の世界に進むと、私はまず最初に、分子の存在期間の短さはほとんど予期しないものであったという事実に直面した。普通分子は、構造的には非常に複雑なものではあるが、物質をつくりあげているレンガの基本的な、いわば生きた内部であるとされ、物質が存在する限り存在すると考えられている。我々はこの都合のいい考えから離れなければならない。内側で生きている分子が外側で死んでいるはずはなく、そして生命ある間は、あらゆる生物と同様生まれ、生き、死ぬのである。その生命の期間、つまり一瞬の電気スパークもしくは1秒の1万分の1に等しい長さは、我々の想像力に直接働きかけるにはあまりに短すぎる。この意味するところを理解するには、何らかの比較か類推が必要である。我々の有機体中の死んでいく細胞と他の細胞との入れ替わりが、この考えを理解する一助となる。鉄、銅、花崗岩などの死んだ物質は他の有機体よりも速く内側から新しくなるはずである。実際その変化は我々の目にも見える。石を見るとき、目をつむってそれからすぐに開けると、それはもうさっき見た石ではなくなっている。その中にはあなたが最初見たときの分子はただの一つも残っていない。
しかしそれでも、あなたは分子自体は見ないで、その痕跡だけを見たのである。私は再び『宇宙の新しいモデル』に戻ってきた。これは、〈なぜ我々は分子を見ることができないか〉、つまり私が『宇宙の新しいモデル』の第二章で述べたことをも説明していたのである。
(中略)
センターとコスモス一般との関係に関しては、私が思うに、非常に多くの研究の可能性が開かれてきた。
次に私の注意をひいたのは、私の表がグノーシス派の間やインドに存在していた〈時間の宇宙的計算〉(そう呼ぶことができれば)の考えと、ある場合にはその具体的な数字までが偶然一致していたということである。

「光の一日は世界の1000年にあたり、世界の365,000年が光の一年に相当する」(『ピスティス・ソフィア』英訳版。203頁、1921年。)

ここでは数字こそ一致していないものの、インドのいくつかの文献の中では、その照応は全く疑う余地がなかった。それらは〈ブラフマンの息〉や〈ブラフマンの昼と夜〉〈ブラフマンの年齢〉などについて語っている。もしインドの文献中の数字を年数と考えると、マハマンヴァンターラ、すなわち〈ブラフマンの息〉8,640,000,000(15けたの数)は太陽の生存期間(16けたの数)とほとんど一致し、〈ブラフマンの昼と夜〉8,640,000,000(10けたの数)は〈太陽の昼と夜〉(11けたの数)とほとんど一致するのである。
また、もし宇宙時間に関するインドの考えを数字に関係なく考えれば、他にも興味のある一致が出てくる。すなわち、もしブラフマンをプロトコスモスと考えれば、「ブラフマンは宇宙を吸いこみ、宇宙を吐きだせり」という表現は表と一致する。というのは、ブラフマン(あるいはプロトコスモス)の息(20けたの数)は、マクロコスモス、すなわち我々が見ることのできる宇宙もしくは星雲界の生命と一致するからである。
私は〈時間表〉に関してZといろいろと話しあったが、Gと会った時に彼がこれについて何と言うか非常に興味を覚えた。

44
そうこうするうちにも時は過ぎていった。ついに(すでに6月初めだったが)私はアレクサンドロポールからの一通の電報を受けとった。
「もし休養したければ私のところへきなさい」 Gだった!
2日後に私はペテルスプルグを離れた。〈権威をもたない〉ロシアは実に興味ある見ものであった。あらゆるものはただそれまでの惰性で存在し、結びついているように感じられた。しかし、それでもまだ列車は定期的に走り、駅では歩哨たちが無賃乗車の怒れる群衆を客車から追いだしていた。普通なら3日で行くところを5日かかってティフリス(現トビリシ)に着いた。
列車がティフリスに着いたのは夜だった。街を歩きまわるのは不可能だった。私はやむなく駅の食堂で朝を待った。駅はコーカサスの前線から勝手に戻ってきた兵士たちであふれていた。彼らの多くは酔っぱらっていた。食堂の窓の向かいのプラットホームでは夜通し〈集会〉が開かれていた。そして何らかの解決案が通った。集会の間に3つの軍法会議があり、そのプラットホーム上で3人が銃殺刑に処された。食堂に現れた一人の酔いどれ〈同志〉の説明によると、最初の男は盗みのために銃殺され、二番目の男は最初の男と間違われて、三番目の男も二番目の男と間違われてそれぞれ銃殺されたということだった。
私はその日をやむなくティフリスで過ごした。アレクサンドロポールヘの列車は夕方しかなかったのである。次の朝、私はそこに着いた。そしてGが彼の弟のために発電機を据えつけているのを見つけた。
以前と同じく私は、いかなる労働、いかなる仕事にでも自分を適応させる彼の驚嘆すべき能力を目のあたりにしたのである。私は彼の家族、彼の父や母に会った。彼らは非常に古い独特の文化をもつ人々であった。Gの父は地方の民話や伝説、伝統などを愛好する一種の吟遊詩人のような人であり、何千何万という詩歌をその地方特有の言いまわしでそらんじていた。彼らは小アジアからきたギリシア人であったが、家庭では、アレクサンドロポールの他のすべての人たちと同じくアルメニア語で話していた。
私が着いて数日は、Gはひどく忙しくて、状況全般について彼がどう思っているかとか、何をしようと考えているかなどを聞く機会がなかった。しかし、いよいよ私がそのことについて彼に話しかけた時、Gは、私には同意しない、つまり間もなくすべてはおさまって、またロシア国内で活動できるようになるだろうと言った。それから彼は、いずれにせよペテルスブルグに行って、ネフスキー通りで行商人たちがひまわりの種を売っている(これは私が彼に話したのだが)のを見たいし、また何をしたら一番良いかはそこで決めたいとつけ加えた。私は彼の言葉を真剣には受けとれなかった。というのも、私はすでに彼の話し方を知っていたし、またそれ以上の何かを待ち望んでいたからでもあった。
事実、大真面目な顔でこう言いながら、Gはそれとは全然違ったことも言った。つまり、ペルシアかあるいはもっと遠いところへ行くのもいいだろうし、またトランス・コーカシア山脈に誰にも知られずに数年間住むことのできる場所を知っている、等々と言うのだった。
しかし全体としては私には不安定な感じがつきまとっていた。それでもともかく、ペテルスブルグヘ行く途中で、もしまだ可能なら国外に出ることを彼に説得しようと考えていた。
Gは明らかに何かを待っていた。発電機は調子よく働いたのだが、結局は使われずじまいだった。
家の中には非常に興味深いGの写真があり、それは私に彼に関する多くのことを教えてくれた。それは大きくひきのばした彼の若い時の肖像で、黒のフロックコートを着、巻き髪をまっすぐ後ろになでつけていた。
その写真は疑いの余地もないほど正確に、それが撮られた当時彼がどんな職についていたかを語っていた。とはいえ、彼はそれについては話したことはなかった。この発見から私はたくさんの興味深いことを考えた。だがそれは私の個人的な発見なのでそっとしまっておこうと思う。

何度かGに〈様々なコスモスの時間表〉について話したのだが、理論的な会話には彼は全然耳をかさなかった。
私はアレクサンドロポールがとても気に入った。そこにはいまだに固有で独自のものがたくさん残っていた。
外観的には、町のアルメニア人地区はエジプトや北インドの町を思いおこさせた。家々の屋根は平らで、上には草がはえていた。丘の上にはとても古いアルメニア大墓地があり、そこからは雪をいただいたアララト山の頂上が見えた。アルメニア人の教会の一つには聖母マリアのすばらしい彫像があった。町の中心部はロシアの田舎町を彷彿とさせたが、そこをとり囲む市場は完全に東洋風で、銅細工師たちの開け放した店が並ぶ通りは特にその感が深かった。そこにはギリシア人地区もあり、外観的には一番興味をひかないところであったが、Gの家はそこにあった。また郊外の谷あいにはタタール人の住む地区があった。そこは非常に絵画的であったが、他の地区の人々によればかなり危険な場所だということだった。
これらの自治区、共和国、連邦の影響をとり除いたらアレクサンドロポールに何が残るか、私は知らない。思い浮かぶのはアララト山の景観だけである。
私はGが一人でいるのをほとんど見なかったし、めったに話しかけることもできなかった。彼はほとんどの時間を両親と過ごしていた。私は深い心遣いにあふれた彼と父との関係をとても好ましく思った。Gの父は歳はとっていたがまだ逞(たくま)しく、中背で、きまってパイプをくわえ、アストラカン帽をかぶっていた。80を越しているとはちょっと信じられないほどだった。彼はロシア語はほとんど話さなかったが、Gとはよく何時間もぶっ通しで話していた。
私はGが彼の話に耳を傾けているのを見るのが好きだった。Gは時折ちょっと笑いはしたが、明らかに一瞬たりとも話の筋を聞きのがしてはいず、しかもその間中質問したり意見をはさんだりして話を続けるのであった。老人は見るからにその会話を楽しんでいる様子だった。Gはといえば空いた時間があると話に熱中し、しかもイライラしたところなどかけらも見せないばかりか、その間ずっと老人の言うことに大きな興味を示し続けていた。
もしこれが部分的には演技だったとしても、全部が全部そうであろうはずもなく、さもなければその会話には意味がなかったであろう。私はGのこの感情の表し方にとても興味をひかれた。
私は全部で2週間アレクサンドロポールにいた。とうとうある気持ちのいい朝、Gは2日後にペテルスブルグに発とうと言い、我々は出発した。
ティフリスで我々はS将軍に会った。彼は一時期ペテルスプルグの我々のグループによく来ていた。彼と話したことでGは情勢に関して新しい見方をしはじめ、計画をいくらか変えたようであった。
ティフリスからの旅行中、たしかバクーとデルベントの間の小さな駅で、とてもおもしろい会話をしたのを覚えている。我々の列車はコーカサスの前線からの〈同志たち〉の列車の通過のために長い間止まっていた。ひどく暑く、数百メートル先にはカスピ海が光り、まわりにあるものといっては、きらきら輝く光と遠くに見える2匹のラクダの輪郭ぐらいのものだった。私はさしあたってのワークの前途について、Gを話にひきこもうとしてみた。彼が何をしようとしているのか、我々に何を求めているのかを知りたかったのである・
「状況は我々には不利です。」と私は言った。「こんな集団的狂気の真只中で何かをやるのが不可能なことは、もはやはっきりしています。」

G:ところが、それが可能なのは今だけなんだよ。しかも事態は我々には完全に不利なわけではない。それはただひどく早く動いているだけだ。問題はそれだけだ。しかし5年待ってみなさい。そうすれば今妨げになっているものが、いかに我々に有益であったかがおのずとわかるだろう。
私はGが何を言わんとしたのかわからなかった。これは5年後にも、15年経っても少しもはっきりしなかった。〈事実〉という点から見ても、〈内乱〉、〈殺人〉、伝染病、飢餓、ロシア全体の野蛮状態への移行、ヨーロッパの政治の果てしない嘘、そして、まごうかたなくこの嘘がもたらした全体的な危機などの状況下で、我々がうまく切りぬけていけると想像するのは困難であった。
しかし、もし〈事実〉という観点からではなく秘教の原理という観点から見るなら、Gの言ったことは少しばかり理解できるようになった。
なぜ以前にはこう考えなかったのだろう? どうして我々は、ロシアがまだ存在し、ヨーロッパが快適で楽しい〈外国〉であった時分にこういう考えをもたなかったのだろう? Gの謎めいた言葉への糸口は、おそらくこの辺にひそんでいるのだろう。どうしてこういう考えがなかったのか? それは、おそらくこういった秘教的な考えは、衆目の注意が何か別の方向に向かっていて、そういった考えを捜し求めている人々にのみ達することができる時にだけ現れるからであろう。私は〈事実〉という観点からすれば正しかったのである。〈事件〉以上に我々を妨げるものはなかった。それと同時に、まさにその〈事件〉こそが我々が得たものを受けとめることを可能にしたのだということも十分考えられることである。
この旅行中のもう一つの会話が記憶に残っている。ある時我々の列車はある駅に長い間止まっていた。一緒にいた旅行者たちがプラットホームを歩きまわっている時、私は自分では答えられない質問をGにしてみた。それは、自分を〈私〉と〈ウスペンスキー〉に分ける際、どうやって〈私〉の感じを強め、〈私〉の活動を強めることができるのか?というものであった。

G:それについては何もできない。それは君の努力の結果として生ずべきものだ〔彼は〈全〉という言葉を強調した〕。自分自身を例にとってみなさい。もうすでに君は君の〈私〉を違ったふうに感じているはずだ。その違いに気づいているかどうか自分に問いてみなさい。
私はGが言ったように〈自分自身を感じよう〉としてみたが、以前の感じ方と違ったものは何も見つけることができなかったことを告白しなければならない。
G:それはやがてやってくるだろう。そしてそれが本当にきた時、君は気づくだろう。いかなる疑いもさしはさむことはできない。それは全く違った感じなのだ。
後になって私は彼の話したことを、つまりそれがいかなる種類の感じ、いかなる類の変化であるかを理解した。
しかし、これに気づくようになったのはやっと2年後のことであった。

ティフリスからの旅の3日目、列車がモズドクで止まっていた時、Gは我々に(我々は4人だった)、私一人がペテルスプルグに行き、彼と他の3人はミネラリヌィエ・ヴォディで降りてキスロヴォツクに行くことにしようと言った。

G:モスクワに寄ってからペテルスブルグに行きなさい〔P:と彼は私に言った〕。そして、そこのみんなに、私がここで新しいワークを始めるつもりでいることを伝えなさい。私と一緒にやりたい者は来てもよろしい。それに一つ忠告しておくが、そこにはあまり長くいないように。
私はGと仲間にミネラリヌィエ・ヴォディで別れを告げ、一人で旅を続けた。
私の心には国外脱出という計画はもはや全く残っていなかった。しかし、それももう私の心を乱さなかった。我々がひどく困難な時代を生きぬかねばならないことに疑いの余地はなかったが、それも今の私には問題ではなかった。私は自分が何を恐れ続けていたかに気づいた。それは実際の危険ではなく、ばかな行動をとること、つまり何がやってきつつあるかをはっきり知っているにもかかわらず立ち去らないことを恐れていたのである。今や自分に対する全責任は自分からとり去られたような感じであった。いや、意見を変えたわけではない。私は今でも前と同じようにロシアにとどまるのは狂気の沙汰だと言うこともできた。しかし、このことに対する私の態度は全くの無関心であった。それは私の決定ではなかったのだ。
私はいまだに昔のままのやり方で、つまりファーストクラスに一人座って旅を続けた。モスクワ近くで超過料金をとられた。予約していた行き先と違うからということだった。一言で言えば、すべてはそうあるべきようになっていた。途中で手に入れた新聞はペテルスブルグでの市街戦に関する記事でいっぱいだった。何より目をひいたのは、今や群衆に発砲しているのはポルシェヴィキであるということだった。彼らは自分の力を試しているのであった。
当時の状況はしだいに明らかになりつつあった。一方にはポルシェヴィキがおり、彼らはまだ、やがて訪れる信じ難いような成功にはっきり気づいてはいなかったが、すでに抵抗のないことを感知し始め、しだいに傲慢な行動をとり始めていた。もう一方の側には第二臨時政府があり、その中の低い地位には状況を理解した真剣な人々もいるにはいたが、重要な地位にはとるにたりないお喋り屋や理論屋が占めていた。それから、戦争でその大半が殺されたインテリゲンチャがおり、また以前の党や軍の関係者も残っていた。これらを全体として見ると、2つのグループに分かれていた。一方は常識を失わず、あらゆる事実に顔をそむけず直面し、ポルシェヴィキとの平和交渉の可能性を信じているグループであったが、ポルシェヴィキの方は狡猾にもこれを逆手にとってしだいに自らの地位を高めつつあった。もう一方のグループはポルシェヴィキとのいかなる交渉も不可能であることを認識こそしていたが、団結することも表立って活動することもなかった。
人々は沈黙を守っていたが、おそらく歴史上でこれほど人民の意志がはっきり表明されたこともなかったであろう。
その意志とは、戦争をやめろ! であった。
しかし、誰が戦争を止めることができただろう。これこそが、この時点での主要な問題であった。臨時政府はあえてそんなことをしようとはしなかった。当然それは軍の方からくることもなかった。しかしそれでも権力は、誰にせよ最初に〈平和〉という言葉を口にする者の手に渡ることは間違いなかった。そしてこういう場合、そのような時を得た言葉は、得てして誤った側から出てくるものである。つまりポルシェヴィキが〈平和〉を口にしたのであった。それは何よりもまず、自分たちの発言に対して彼ら自身が全く無関心だったからである。彼らには約束手形を決済する気は全然なかったのであり、だからこそ好きなだけ乱発できたのだ。これこそ彼らの有利な点であり強みだった。
しかし、この他にも理由があった。破壊は常に建設よりもはるかに簡単である。家を建てるより燃やす方がどれだけやさしいことか。
ポルシェヴィキは破壊の先導者であった。彼らの大言壮語や、公然の、あるいは隠れた支持者たちの支えにもかかわらず、そのときもまたその後も、彼らは破壊者以外の何者でもありえなかった。しかし、ともかく彼らは非常に巧みに破壊した。といっても、実際の破壊よりは彼らの存在自体がまわりのものすべてを堕落させ崩壊させたことの方がずっと大きかったのではあるが。彼らのこの特殊な能力は、彼らが勝利に近づいたこと、そしてまたずっと後に起こることをすべて説明していた。
Gのシステムの観点から事を見守っていた我々は、すべてが起こっているという事実だけではなく、どのようにそれが起こるかさえ、つまりひとたび一つの刺激が与えられれば、いかにたやすくすべては坂を転げ落ち、崩壊してしまうかまでも見ることができたのである。

モスクワには泊まらなかったが、ペテルスブルグヘの夕方の列車を待つ間に何人かの人に会うことができた。そしてGの言ったことを伝えた。それから私はペテルスブルグヘ行き、我々のグループに同じことを伝えた。
12日後には私は再びコーカサスにいた。ピアチゴルスクで、Gがキスロヴォツクではなくエッセントゥキに住んでいることを知り、2時間後にはパンテレイモン通りの小さな田舎屋で彼に会った。
Gは私の会った者一人一人について、彼らが何と言っていたか、誰がくるつもりで誰がそうでないかなどについて詳しく尋ねた。次の日、ペテルスプルグから私を追ってきた3人が着き、それから2人・・・と続いた。結局全部で、Gと私を入れて12人がそこに集まった。


45

この時期を思いだすと、私はいつも非常に不思議な感情に襲われる。当時、我々は約6週間をエッセントゥキで過ごした。しかし、これは今ではすべて信じ難いことのように思える。そこで一緒に過ごした者と何かの折に話すことがあると、きまって彼らは、それがたったの6週間だったとはとても信じられないと言うのであった。たしかに、たとえ6年間でも、当時起こったこと、あの期間を満たしたあれだけの出来事には短すぎると思われた。
私を含めたメンバーの半分は、この期間ずっとGと村はずれの小さな家に住んでいた。他の者は朝やってきて夜遅くまでいた。我々は非常に遅く床につき、朝は早く起きた。寝るのはせいぜい4時間、長くても5時間だった。家事も全部自分たちでやり、他の時間は後で話すエクセサイズに費やされた。Gは何度かキスロヴォツクやジェレズノヴォツク、ピアチゴルスク、ベシュタウなどへ小旅行を計画、実行した。
Gは台所を監督し、自分でもよく夕食をつくった。彼は実際すばらしい料理人で、たくさんの珍しい東洋料理を知っていた。我々は毎日東洋風の夕食をとり、チベット料理やペルシア料理などを楽しんだ。
エッセントゥキで起こったことをすべて書くつもりはない。そのためには丸々一冊の本が必要になろう。Gは寸暇を惜しみ、速いペースで我々を導いた。音楽が演奏されているエッセントゥキ公園を散歩しているとき、あるいは家事の真最中にも多くのことを説明したのである。
全体的に言えば、エッセントゥキでの短期間の滞在中に、Gは我々にワーク全体の見取り図を説明したと言える。我々は、すべての方法と考えの糸口、またそれらの間のつながり、関連性や方向などを知った。しかし一方では、多くのことが曖昧なまま残り、正しく理解できないこともたくさんあった。がともかく、後で我々の指針になると思える、いくつかの全般的な要点を与えられた。
このときまでに知った考えはことごとく、自己修練の実際的な実現に関連する一連の問題に我々を直面させ、また当然それらは多くの議論をひきおこした。
Gはいつもこれらの議論に加わり、スクールの組織の様々な側面を説明した。

G:スクールは命令的なものだ〔P:と、あるときGは言った〕。それは何よりもまず、人間の組織の複雑さのせいだ。人間は自分自身全体を、つまり自分の全側面を見続けることはできない。スクールだけが、スクールの方法と訓練だけができるのだ。人間は怠惰すぎる。それに応じた集中力もなく多くのことを為し、何かをやっていると思いながら何もしていないのだ。集中力が必要もない時に集中的に働くかと思えば、集中力が必要な時をぼんやり過ごしてしまったりする。それから彼は苦労を避けようとする。ちょっとでも不快なことをするのを恐れているからだ。人間は一人で必要な集中力を獲得することなど絶対にできない。もし君たちが適当な方法で自分を観察すれば、これに同意するだろう。もし人が自分に何か仕事を課しても、次の瞬間にはもう自分を大目に見はじめる。つまり、例えばそれを一番簡単な方法でやったりするのだ。これはワークではない。ワークでは超努力、つまり通常必要な努力を超えた努力のみが価値ありとされ、普通の努力は勘定に入れられないのだ。
「超努力とはどういうことなんでしょう?」と誰かが聞いた。
G:ある目的の達成に必要な努力を超える努力だ。私が一日中歩いて非常に疲れていると想像してみなさい。天気は悪く、雨の降る寒い日だ。夕方私は家に帰り着いた。まあ25マイルばかり歩いたとしよう。家には夕食が用意され、暖かくて快適だ。しかし、座って夕食をとるかわりに、私はもう一度雨の中へ出てもう2マイル歩き、それから帰ってこようと決心する。これが超努力だ。私が家に向かっていたとき、それは単なる努力で、これは勘定に入らない。私は帰宅途中であり、寒さ、空腹、雨、こういったものが私を歩かせていたのだ。しかしその後の場合、私は自分がそう決めたから歩くのだ。この種の超努力は、自分で決定するのでなく師に従うとき、つまり自分では一日の努力は終わったと思っているときに彼が予期しなかった新たな努力を要求するとき、いっそう困難になる。
超努力のもう一つの形態は、あらゆる仕事を、その仕事の性質上要求されるスピードよりも速くやることだ。君は何か、例えば洗濯とかまき割りとかをやっている。1時間分の仕事だ。それを30分でやる。これが超努力だ。しかし実際には、人は自分に、持続的にあるいは長期間、超努力をさせることは決してできない。これをするためには、容赦のない他者、方法をもっている他者の意志が必要だ。
人間に自己修練ができさえすれば、すべては非常に簡単で、スクールは不要だろう。ところがそれができない。そしてその理由は、彼の性質の非常に深いところにひそんでいる。私はしばらくの間、人間の自分自身に対する不誠実や自分に絶え間なくつき続ける嘘などにはふれずに、センターの区分だけをとりあげることにする。これだけでも独力でやる自己修練を不可能にしてしまう。3つのセンター、つまり思考、感情、動作センターはすべて連結しており、平均的人間においては常に連動して働いていることを理解しなくてはならない。この連動こそ自己修練における主要な困難をひきおこすものなのだ。この連動は何を意味するのだろう。それは、思考センターの一定の働きは、感情、動作センターの一定の働きと連結している、つまりある種の思考は必然的にある種の感情(もしくは精神状態)とある種の動作(もしくは姿勢)と結びついているということであり、またその逆もしかり、つまりある種の感情(もしくは精神状態)はある動作または姿勢やある思考を喚起し、またある種の動作、姿勢はある感情または精神状態をひきおこすということだ。すべては連結しており、あるものは他のものなしには存在しえないのだ。
さて、人が新たな方法で考えようと決心したと想像してみよう。しかし感じ方は古いままだ。例えば彼がRを嫌っているとしよう。〔彼はそこにいる一人を指差した〕
このRへの嫌悪はただちに古い思考を呼び起こし、彼は新たな考え方をしようという決心を忘れてしまう。あるいは、彼は考える際に煙草を吸う癖があると考えてみよう。これは動作習慣だ。彼は新たな方法で考えようと決心する。ところが煙草を吸い始めると、それと気づかずに古いやり方で考えている。煙草に火をつけるという習慣的動作が彼の思考を古い調子に変えてしまうのだ。人は一人では決してこの連結を打ち破れないことを知らねばならない。他者の意志とムチが必要なのだ。自己修練を望む者が修練のある段階でできるすべては、ただ従うことだ。自分一人では何一つできないのだ。
何よりも彼には絶え間ない監視と観察とが必要だ。彼には自分を絶えず観察することはできない。それで彼は明確な規則を必要とし、第一にそれを完全に守るためにはある種の自己想起が必要であり、第二にそれは習慣との闘いに役立つ。人はこれを全部一人でやることはできない。人生では、常にあらゆることが、人が働くのにあまりに快適に整えられすぎている。スクールでは、自分が選んだのではない人たち、一緒に生活し働くのがとても厄介そうな人たちの中に、それもたいてい快適とはいえない不慣れな状況の中に自分を置くことになる。これが彼と他者との間に緊張を生む。この緊張はまた、しだいに彼の鋭い角を削り落とすがゆえに必要不可欠なのだ。そういうわけで、動作センターへの働きかけは、スクールの中でしか適切に組織立ててやることはできない。すでに言ったように、動作センターの誤った、独立した機械的な働きは、他の諸センターからそれらを養っているものを奪いとり、そのためそれらは意志をもたぬまま動作センターに従う。だから多くの場合、新しい方法で他のセンターを働かせる唯一の可能性は、動作センター、つまり身体から始めることにある。怠惰で機械的でくだらない習慣が詰まっている身体は、あらゆる種類の働きを止めてしまうからだ。
「しかし」と一人が言った。「人間は自己の性質の霊的、道徳的側面を発達させるべきであり、もしこの方向で何らかの結果が得られるなら、身体は何の妨害もしないだろうという説があります。これは可能でしょうか?」
G:イエスでもありノーでもある。核心は〈もし〉という条件にある。もし人間が身体による妨害もなく道徳的、霊的完成を得るなら、身体はそれ以上の成果の獲得を妨げはしないだろう。しかし残念ながらこんなことは絶対に起こらない。なぜかというと、身体は第一段階で、その機械性、習慣への執着、また何よりその誤った機能によって妨害するからだ。もし身体の妨害なしに道徳的、霊的性質を発達させることが理論的に可能であるとすれば、それは身体が理想的に機能するときにのみそうなのだ。しかし誰が自分の身体は理想的に機能していると言えるだろう。
それを別にしても、まさに〈道徳的〉〈霊的〉という言葉そのものの中に欺瞞がある。私は前から、機械について話すときには〈道徳性〉や〈霊性〉から始めることはできず、その機械性とそれを司っている法則から始めなければならないと口を酸っぱくして言ってきた。
人間第一番、第二番、第三番は機械として存在しており、それらは機械であることをやめることはできるのに、いまだにやめていないのだ
「しかし人間は感情の波によって、存在の別の段階にただちに移ることはできないのですか?」と誰かが聞いた。
G:わからない。我々はまた別々の言葉で話している。感情の波は必要不可欠だが、それは動作の習慣を変えることはできない。つまり、この波自体はそれまでずっと誤って働いてきたセンターを正しく働かせることはできないのだ。これを変え、矯正するためには、それとは別の特殊な長期の努力が必要だ。そこで君はこう言う。“人間を存在の別の段階に移す”と。しかしこの観点からすれば、私にとっては人間は存在していない。一連の複雑な部分から成る複雑な機械があるだけだ。〈感情の波〉は一部分では起こるが、他の部分は全くその影響を受けない。機械にはいかなる奇蹟も不可能だ。
機械が変わりうるということでさえ、すでに十分な奇蹟なのだ。しかし、君たちはどうやらあらゆる法則が破られることを望んでいるようだね。
「十字架上の強盗についてはどうですか?」と出席者の一人が聞いた。「それには何か意味があるのですか?」
G:それは全く別のことだ。それに、それは全く別の考えを説明している。第一にそれは十字架の上で、つまり普通の生には匹敵するものがないようなものすごい苦しみのさなかに起こったことであり、第二にそれは死の瞬間のことだ。これは死の瞬間の人間の最後の思考と感情という考えに関連している。
(通常の)生の中ではこれらは通り過ぎ、他の習慣的な思考にとってかわられる。生にはひき伸ばされた感情の波は存在せず、したがってそれが存在の変化をひきおこすこともありえない。
またそれ以上に、我々は起こるか起こらないかわからない例外や偶発事について話しているのではなく、一般的な法則、日々あらゆる人に起こっていることについて話していることを理解しておかなければならない。
普通の人間は、たとえ自己修練が必要だという結論に達したとしても、なお自分の身体の奴隷だ。彼は認知された、目にふれうる身体の行為の奴隷であるばかりか、認知されず、目にふれない行為の奴隷でもある。しかも彼をその支配下においてしまうものは、まさにこの見えない行為なのだ。だから自由のために闘おうと決意したのなら、第一に自分の身体と闘わねばならない。
これから君たちに、どうしても統御しなくてはならない身体機能の一側面を指摘しよう。この機能が誤った形で働く限り、道徳的なものであろうと霊的なものであろうと、他のいかなる働きも正しい形で進むことはできない。
私が〈三層の工場〉について話したとき、工場で産出されるエネルギーは無駄使いされている、特に不必要な筋肉の緊張に浪費されていると指摘したのを覚えているだろう。この緊張は多量のエネルギーを食う。自己修練では、まずこれに注意を向けねばならない。
工場の働き一般について語るときには、産出量を増やすことに何らかの意味があると言う前に、不必要な浪費を止めることが必要であることをはっきりさせなければならない。もしこの不必要な浪費が続き、対策が何一つ講じられないまま産出量が増やされても、産出された新しいエネルギーはただこの浪費を増やすだけだ。いやそれどころか不健康な類の現象さえひきおこすかもしれない。だから、いかなる肉体的な自己修練にも先立って習得すべきことは、筋肉の緊張を観察し、それを感じ、必要に応じて筋肉を弛緩させること、つまり不必要な緊張を緩めることだ。
これに関連してGは、筋肉の緊張をコントロールする力を得るための様々なエクセサイズを教えてくれた。
彼は祈りや瞑想をするときに多くのスクールが使っている姿勢を見せてくれたが、それは筋肉の不必要な緊張を解きほぐせるようになって初めてできるものであった。その中には、いわゆるブッダの姿勢といわれるひざの上に足を組むものや、もっと難しいものがあり、Gは完全にやれたが、我々は似たような格好をするのが精一杯だった。この姿勢をとるためにGはひざをつき、それから両足を密着させてかかとの上に坐った(靴は履いていなかった)。1、2分以上そうしているのは非常に難しかった。彼はそれから両手を上げ、肩の高さに保つたままゆっくり後ろに倒れ、足をひざのところで曲げたまま地面に寝た。しばらくこの姿勢を保ってから、腕を伸ばしたまま同じようにゆっくりと上体を起こし、それからまた横になるという具合に続けた。
彼は我々に、思い通りに手足や指を〈感じる〉エクセサイズとともに、筋肉をしだいに緩める様々なエクセサイズを与えたが、それは
常に顔の筋肉から始まった。筋肉を弛緩させる必要があるという考えはとりわけ新しいものではなかったが、それは顔の筋肉から始めなければならないというGの説明は、私には全く新しいものであった。〈ヨーガ〉の本の中でも生理学の文献の中でも、こんな考えに出くわしたことはなかった。
非常に興味深かったのは、Gが〈循環感覚〉と呼んでいるものを伴うエクセサイズであった。床にあおむけに寝る。全筋肉を弛緩させながら自分の鼻を感じようと注意を集中する。それを感じるようになると、次に注意を右耳を感じることに向ける。これができたら注意を右足に移す。右足から左足へ、それから左手、左耳、そしてまた鼻に還る。
これが特に私の興味をひいたのは、以前行なった実験の結果、次のような結論に達していたからである。つまり、新しい心的経験と結びついている肉体の状態は、身体全体に鼓動を感じるという普通の状態では感じられないことから始まり、またこれと関連して、鼓動は身体のあらゆる部分で同時に1つの脈拍として感じられるというものである。私自身の個人的な実験では、脈動を身体全体に〈感じる〉ことは、たとえば何日かの断食とともに行なったある呼吸練習によってひきおこされた。私は自分の実験からはいかなる確かな結果も得ていなかったが、身体のコントロールは、脈拍に対する制御力を獲得することから始まるということは確信していた。ほんの短い間、脈を整えたり速めたり遅くしたりすることができたとき、私は同時に心臓の鼓動を速くしたり遅くしたりすることもできたが、これは非常に興味深い心理的結果を私にもたらした。私は一般に、心臓をコントロールする力は心臓の筋肉から出てくることはできず、それは脈拍(第二の鼓動あるいは〈大きな心臓〉)をコントロールすることにかかっていると理解していたが、Gは、〈第二の心臓〉に対するコントロールは、筋肉の緊張をコントロールすることにかかっていると指摘することで多くのことを説明してくれたのである。というのは、主として種々の筋肉群の誤った不規則な緊張ゆえに、我々はこの制御力をもてないでいるからである。
我々の始めた筋肉弛緩のエクセサイズは、仲間の何人かに非常に興味深い結果をもたらした。その一人は、こんなふうにリラックスすることで腕の悪性の神経痛をたちまち止めることができた。またこれは、適正な眠りにも非常に意義があった。このエクセサイズを真剣にやった者は誰でもすぐに、眠りが深くなり、睡眠時間が短くてすむことに気づいたのである。
これに関連して、Gは全く新しいエクセサイズを教えてくれた。彼によれば、それなしでは動作の性質を知りつくすことは不可能だということだった。これを彼は〈停止〉エクセサイズと呼んだ。


46

G:あらゆる民族、あらゆる国家、あらゆる時代、あらゆる地方、あらゆる階級、あらゆる職業は、それ自身一定数の姿勢と動作をもっている。これらの動作や姿勢は、人間の内の最も恒久的で不変のものと同様、彼の思考の型と感情の型をコントロールする。しかし人間は、自分に可能な姿勢や動作でさえ全部有効に用いているとは言えない。つまり彼は、個性に従って自分に可能な姿勢と動作のうちの一定の数しか使っていないのだ。そのため、個々の人間の姿勢と動作のレパートリーは非常に限られている。
あらゆる時代、民族、階級の動作と姿勢の性質は、思考と感情の一定の型と分離しがたく結びついている。つまり姿勢や動作のレパートリーを変えない限り、思考や感情の型を変えることはできないのだ。思考と感情の型は、思考と感情の姿勢と動作と呼ぶことができる。各々の人間は一定数の思考と感情の姿勢と動作をもっている。それ以上に、動作、思考、感情の姿勢は人間の中で互いに結びついており、動作の姿勢を変えない限り、思考、感情の姿勢のレパートリー外へ抜けだすことはできない。人間の思考と感情を分析し、一定の方向に調整されたその動作機能を研究すれば、意識的、無意識的にかかわらず、我々の動作の一つ一つは、等しく機械的な1つの姿勢から他の姿勢への無意識的な移行であることが明らかになる。
我々の動作が意識的であるというのは幻想だ。それはすべて自動的だ。我々の思考と感情も全く同様に自動的だ。思考と感情の自動性はたしかに動作の自動性と結びついている。他のものを変えずに1つだけ変えることはできない。だから、たとえば自動的な思考を変えることに注意が集中されていても、習慣的な動作と姿勢とがそれに古い習慣的連想を伴わせ、新しい思考方式を妨害するのだ。
普通の状態では、気分や感情の状態がどれほど動作や姿勢に依存しているかを知っていたとしても、思考、感情、動作機能がどれほど互いに依存しあっているかについては、我々はいかなる考えももっていない。悲しみや落胆の感情と結びついた姿勢をとれば、まちがいなく人はすぐに悲しくなったり落胆したりする。恐れ、嫌悪、神経的興奮、あるいは逆に平静さも、姿勢の意識的変化によってつくりだすことができる。しかし、思考、感情、動作という人間の機能の各々が絶えず相互に作用しあう独自のレパートリーをもつため、人は決して自分の姿勢という呪縛された円環から抜けだすことができないのだ。
もしこれに気づき、これと闘いはじめるとしても、彼の意志は十分強くはない。人間の意志には、1つのセンターをほんのわずかの間コントロールする力しかないことを理解しなさい。しかも他の2つのセンターはこれさえも妨げる。人間の意志は決して3つのセンターを管理するに足るほどの力を持つことはできないのだ。
この自動性に抗し、それぞれのセンターの姿勢や動作に対するコントロールを次第に獲得するための1つの特殊なエクセサイズがある。それは、指導者が前もって決めた言葉もしくは合図で、それを聞くか見るかした弟子はすべて、どんなことをしていようとすぐにその動作を止めなければならず、しかも、それを聞いたときの姿勢のままじっとしていなければならない、というものだ。そのうえ、動作を止めることに加えて、合図があったときに見ていたところに目をとどめ、もし笑っていたなら笑いを保ち、話していたなら口は開けたままにし、顔の表情や身体のあらゆる筋肉の緊張を合図の瞬間と全く同じ状態に保たなければならない。この〈止められた〉状態のまま思考の流れも止め、身体のさまざまな部分の筋肉の緊張を合図の瞬間と同じに保つことに全注意を集中し、この緊張をずっと見続け、いうなれば注意を身体のある部分から他の部分へ移さなければならない。そして、別の決められた合図があって通常の姿勢をとることを許されるか、疲れてその姿勢をそれ以上保つことができずに倒れるかするまで、その状態でその位置にとどまらなければならない。しかも彼は、その内の何一つ、目つきも体重を支える点も、何一つ変える権利はない。もし我慢できなければ倒れるほかはない。もう一度言うが、彼は自分を打撲から守ったりしようとせずに、袋のように倒れなければならない。全く同様に、もし何か手に持っていたらできる限り長く持ち続けねばならず、もし手が彼に従うことを拒んでそれが落ちても、彼の過失とはならない。
転倒や慣れない姿勢によって身体を傷つけないように見張るのが指導者の責任だし、またこれに関して弟子は指導者を完全に信頼し、危険に関しては何も考えないようにしなくてはならない。
このエクセサイズに対する考えやその効果は様々だ。最初に動作と姿勢の研究という点からこれを考えてみよう。
このエクセサイズは人間が自動性の輪から抜けでることを可能にし、また特に自己修練の初期には、これなしですませることはできない。
自己の非機械的な研究は、〈ストップ〉エクセサイズを理解した人の指導によるそのエクセサイズの力を借りて初めて可能になる。
起こることを順にたどってみよう。まず人は、歩いているか座っているか働いているかする。そのとき彼は合図を聞く。やっていた動作はこの突然の合図で妨害され、止まることを要求される。彼の身体は動けなくなり、
ある姿勢から別の姿勢に移ろうとしていた最中に、つまり普通の生活では決して止まることのない位置で止められる。この状態、つまり不慣れな姿勢にある自分を感じるとき、人は無意識のうちに自分を新しい視点から見、新しい方法で観察する。つまりこの不慣れな姿勢の中でなら、彼は新たな方法で考え、新鮮な感じ方をし、新しい形で自分を知ることができるのだ。このようにして古い自動性の輪は壊される。身体は普通の安楽な姿勢をとろうと空しくもがくが、指導者の意志によって活動しはじめた彼の意志がそれを阻むのだ。闘いは無限ではなく両者のどちらかが死ぬまで続くだけだ。ともかくこのようにすれば意志が勝つ可能性もある。このエクセサイズは、これまで言ったこと全部と考えあわせてみると、自己想起の練習にほかならない。まず合図を逃さないように自己を想起していなければならない。そして最初の瞬間に最も楽な姿勢をとらないように、あるいは身体のいろいろな部分の筋肉の緊張や目の方向、顔の表情などを見るために自己を想起せねばならない。また、足、手、背中などの不慣れな姿勢からくる苦痛を克服するため、あるいは倒れたり重いものを足の上に落とすのを恐れたりしないためにも自己を想起しなければならない。自己を忘れるには一瞬あれば十分で、身体はひとりでに、ほとんど気づかないうちにもっと楽な姿勢をとり、一方の足から他方へ体重を移したり筋肉を緩めたりする。このエクセサイズは、意志、注意力、思考、感情、そして動作センターに同時に働きかける練習なのだ
しかし、自分を不慣れな姿勢に保つだけの十分な意志の力を発動させるためには、外部からの要求もしくは命令、つまり〈ストップ〉が必要不可欠であることを理解しなくてはならない。自分にストップを命令することはできない。彼の意志はこの命令には従わないだろう。それは前に言ったように、習慣的な思考、感情、動作の姿勢の組み合わせは人間の意志よりも強いからだ。動作の姿勢に関して外部からくるストップの命令は思考と感情の姿勢のかわりをする。これらの姿勢とその影響はストップの命令によっていわばとり去られ、そしてそうなれば動作の姿勢は意志に従うのだ。
その後まもなく、Gは〈ストップ〉(と我々はこのエクセサイズを呼んでいたが)をさまざまな状況のもとで実行しはじめた。
Gは最初、どうやって〈ストップ〉の命令を聞いた時ただちに〈不動のまま立つ〉か、いかに動かないようにするか、また何が起ころうとも脇を見ず、誰かが話しかけても、例えば何かたずねたり難癖をつけたりしても答えないようにする方法を教えた。

G:〈ストップ〉エクセサイズはスクールでは神聖なものと考えられている。中心的指導者か、もしくは彼が任命した人物以外誰も〈ストップ〉を命令する権利をもたない。〈ストップ〉は弟子の間での遊びや練習にすることはできない。君たちは人間がどのような姿勢をとれるか全然知らない。もし彼と同じように感じることができなければ、どの筋肉がどのくらい緊張しているか知ることはできない。その間もしひどい緊張が続いていれば、重要な血管の破裂の原因にもなりうるし、ある場合にはたちまちにして彼を死に至らしめる可能性さえある。だから、自分が何をしているか知っていると確信する者だけに〈ストップ〉の命令をすることが許されるのだ。
同時に、〈ストップ〉はためらいも疑いもない無条件の服従を要求する。またそれゆえにこそ、これはスクールの訓練を学ぶための不変の方法となっているのだ。スクールの訓練は、例えば軍隊の訓練とは全く違ったものだ。軍隊の訓練ではすべては機械的で、またそうであればあるほどよい。一方この訓練では、その目的は意識を覚醒させることにあるのだから、すべては意識的でなくてはならない。だから多くの人にとってスクールの訓練は軍隊のそれよりずっと難しい。軍隊ではそれは常に同じであり、ここでは常に異なっている。
しかし、非常に難しい場合もでてくる。私自身の経験を1つ話そう。
ずっと以前、中央アジアでのことだ。我々はアリック、つまり灌漑用運河のそばにテントを張った。そして3人がアリックの一方の側からテントのある側へ荷物を運んでいた。アリックの水は腰まであった。私ともう一人の男は、荷物を持って岸に上がり服を着る用意をしており、3人目の男はまだ水の中にいた。彼は何かを水の中に落とし、それは後で斧だとわかったのだが、棒で底を探っていた。その瞬間テントから〈ストップ〉という声が聞こえた。我々2人は岸の上でそのまま身じろぎもせずに立った。水の中の男はかろうじて我々の視界に入っていた。彼は水の方に腰をかがめていたので、〈ストップ〉を聞いたときその姿勢で止まった。1、2分後、突然我々はアリックの水が増えているのに気づいた。たぶん1マイルぐらい向こうで誰かがその小さなアリックに水を入れるために水門をあけたのだろう。水は急速に増え、すぐに彼の顎に届いた。我々はテントの中の男が水の増えているのを知っているかどうかわからなかったが、むろん彼を呼ぶことも、彼がどこにいるか見るために首を動かしたり、互いに見合うことさえできなかった。ただその仲間が呼吸しているのが聞こえるだけだった。水はものすごい勢いで増えはじめ、すぐにその男の頭は完全に水に隠れてしまった。杖に支えられて出ていた片手だけが見えた。とても長い時間がたったような気がした。ついに〈それまで〉という声を聞いた。我々はすぐに水に飛び込み仲間をひきあげたが、彼は溺死寸前だった。
我々もすぐに〈ストップ〉エクセサイズが全く冗談などではないことを思い知らされた。第一にそれは我々に、絶えず油断なく警戒し、話や動作を中断する準備をしておくことを要求し、第二に、時にきわめて特殊な種類の忍耐と決意を要求した。〈ストップ〉は一日のいかなる瞬間にでも起こった。ある時お茶の時間に、私の向かいに座っていたPは熱い茶をついだばかりのカップを口にあてて吹いていた。その瞬間我々は隣りの部屋からの〈ストップ〉を聞いた。Pの顔とコップをもっている手は、私の目の前にあった。私は彼が紫色になり、目の近くの小さな筋肉がひきつっているのを見た。しかし彼はカップを持ち続けた。彼は後で、指が痛かったのは最初の一分間だけで、その後特に辛かったのは、動作の途中で止められ、ひじのところで変に曲がった腕だったと言った。とはいえ、彼の指には大きな水ぶくれができ、長い間痛んだようだ。
またあるときには、〈ストップ〉はちょうど煙草の煙を吸いこんだばかりのZを捕えた。後で彼は、人生であれほど不快な経験をしたことはなかったと言った。彼は煙を吐きだせず、目に涙をいっぱいためて座っており、煙はゆっくりと彼の口から漏れてきた。
〈ストップ〉は我々の生活全体、ワークの理解とワークへの態度に非常な影響を及ぼした。まず第一に、〈ストップ〉への態度は、疑いようのない正確さである人のワークに対する態度を示した。ワークを避けようとしている人たちは〈ストップ〉も避けた。つまり彼らは、〈ストップ〉の声を聞かなかったとか、それは直接彼らに向けられたものではなかったとか言うのであった。しかも他方では、彼らは常に〈ストップ〉に対する準備をしており、不注意な動作は絶対にしないのだ。例えば熱いお茶など間違っても手にせず、すごい速さで座ったり立ったりするのだった。ある程度なら〈ストップ〉をごまかすことも可能である。しかし、そんなことをしてももちろん見破られ、ついには誰が骨惜しみし、誰が骨惜しみせずに頑張れるか、つまりワークを真剣にとることができるかどうかを、また誰が自分流にいい加減に対処し、困難を避け、〈自分を順応〉させようとしているかをたちまちさらけだしてしまうのである。全く同様に〈ストップ〉は、スクールの訓練に従う能力のない者や従う気のない者、またそれを真剣にとっていない者を明らかにした。
我々は、〈ストップ〉とそれに伴う他のエクセサイズなしでは、つまり純粋な心理学的方法では何も獲得できないことを極めて明確に知ったのである
しかしその後、ワークは心理学的方法を扱った。
ほとんどの人にすぐに現れる大きな困難は、お喋りの習慣である。誰もこの習慣を自分の中に見ることも、これと闘うこともできはしない。なぜなら、それは常に人間が自分の内の積極的なものと考えている特質に関連しているからである。彼は自分や他人のことを話すことによって〈誠実〉でありたいとか、他人が何を考えているか知りたいとか、誰かを助けてあげたいなどと考えているのだ。
私はすぐに、お喋りや話す習慣一般の、それも必要以上のそれとの闘いは自己修練の中心となりうることを見抜いた。なぜかというと、この習慣はあらゆるものにふれ、あらゆるものに浸透しているのに、多くの人はほとんど全くと言っていいほどそのことに気づいていないからである。人が何をし始めていようと、この習慣(私が〈習慣〉というのは他に言葉がないからにすぎず、より正確には〈この罪〉とか〈この不幸〉とか言うべきであろう)がいかなる具合に、一瞬のうちにすべてを飲み込んでしまうかを観察するのは何とも興味深いことであった。
その当時エッセントゥキでは、Gは他のことと並行して、断食におけるある小さな実験をやらせた。私は以前にもこの種の実験はやったことがあり、その大部分はなじみ深いものであった。しかし多くの者にとっては、日々が果てしなく長く感じられ、完全なる無の感情、存在自体が無益であると感じられるこの感情は新しいものであった。
「うむ、今こそはっきりわかった。」と仲間の一人は言った。「何のために生きているか、生の中で食物がいかなる位置を占めているかがよくわかった。」
しかし私個人としては、おしゃべりが生活の中で占めている位置を観察することに特に興味があった。私の見たところでは、最初の断食のときは、みんな数日間のべつまくなしに、断食について、つまりは自分自身について話し続けていたようである。この点に関して、私はずっと前にモスクワの友人とした話を思いだした。それは、人間が服従しうる規律の中でも自発的な沈黙は最も辛いものである、というものであった。しかしそのときは完全な沈黙のことを話していたのである。だがGはこれにさえ驚くほど実践的な要素を導入した。そしてそれこそが、彼のシステムと方法とを私が以前知っていたいかなるものからも際立たせていたのである。

G:完全な沈黙は簡単だ〔P:かつて私がその考えを述べたとき、彼はそう言った〕。完全な沈黙は人生からの脱出口にすぎない。そのためには砂漠の真中か僧院に行かなければならないだろう。我々は生活の中でのワークを問題にしているのだ。しかも人間は誰一人気づかないやり方で沈黙を守ることもできる。要は我々がものを言いすぎるということだ。もし我々が必要なことだけを言うように自己を制御すれば、それだけで沈黙を守ることになる。そしてこれは他のどんなことにおいても、つまり食物、楽しみ、睡眠などにおいても同様で、あらゆることに必要な限度というものがあるのだ。そしてそれを越えると〈罪〉が始まる。これは把握すべきことだ。
つまり〈罪〉とは不必要なものなのだ
「しかし、もし人々が今不必要なものをすべて切り捨てるとしたら、生全体はどんなものになるのでしょう?」と私は言った。「それにどうやって必要なもの、不必要なものを見分けることができるのですか?」
G:また君は自己流に話している。私は人々についてなど全然話してはいない。彼らはどこかへ向かっているわけでもなく、彼らにとっては罪などない。罪とは、人が動こうと決意し、また動けるときに彼をその場にひきとめるものだ。つまり
罪は、道の上にいるか、道に近づきつつある者にとってのみ存在するのだ。だから罪は、人間をひきとめ、自己を欺く手助けをし、眠っているのを働いていると錯覚させるものなのだ。罪は目覚めようと決意している者を眠りにひきずりこむ。しかし、何が人間を眠りにひきずりこむのだろう? ここでもそれは、必要でも不可欠でもないものすべてだ。必要不可欠なものはいつでも許されている。しかしこの範囲を越えるとすぐに催眠が始まる。しかし覚えておくべきことは、これはワークの中にいる者か、あるいは自分がその中にいると考えている者にだけあてはまるということだ。そしてワークとは、永遠の苦しみから自由になるために一時的な苦しみへ自発的に自己を投げいれることにほかならない。しかし人々は苦しみを恐れる。彼らは今すぐに、そして永遠に快楽が欲しいのだ。快楽は楽園の付属物であり、それゆえ働いて得なければならないということをわかろうとはしない。これを理解することは、気まぐれな、あるいは内的な道徳律のために必要なのではなく、働く前に快楽を手に入れてもそれを保持できず、そのため快楽は苦しみに変わってしまうからこそ必要なのだ。だから要点は、快楽を手に入れ、それを保持しうるということにある。これのできる者は学ぶことは何もない。しかし、そこへ行く道は苦しみの中を通っている。現状のままで快楽を享受できると考えている者は、ひどい誤りを犯していることになる。そしてもし彼が自己に誠実であることができれば、これがわかるときがきっとくるだろう。

ここでもう一度、その当時行なった肉体的なエクセサイズのことに戻ろう。Gは我々に、いろいろなスクールで使われてきた様々な方法を見せてくれた。エクセサイズはとても興味深かったが、信じられないほど難しく、そこでは一連の連続的動作が、注意を肉体の一部分から他の部分へ移しながら行われるのであった。
例えば、ひざを曲げ、掌を合わせたまま両手を足の間に置いて座る。それから片足をもちあげ、その間オーム、オーム、オーム、オーム、オーム、オーム、オーム、オーム、オーム、オームと10回唱え、それから9回、8回、7回と1回まで減らし、また2回、3回と増やし、同時に右目を〈感じる〉のである。それから親指を離して左耳を〈感じる〉、等々。
最初は動作の順序を覚えることと〈感じること〉が必要で、次に数え違いをしないこと、動作の回数と感じることを覚えておくことが必要であった。これはひどく難しかったが、それで終わりではなかった。このエクセサイズをマスターして例えば10分なり15分なりできるようになると、これに加えて特殊な呼吸方法が課せられる。つまりオームを数回唱えながら空気を吸い、またそれを数回唱えながら吐くのである。しかもそれに加えて声を出して数を数えなければならないのだ。さらに進むと、もっともっと複雑なエクセサイズがあり、それらはほとんど不可能に近かった。それでいてGは、人々が何日間も続けてこの種のエクセサイズをしているのを見たことがあると言うのであった。
前に記した短期間の断食は特殊なエクセサイズを伴っていた。まずGは断食を始める際に、断食における困難は、食物消化のために体内に準備された物質が使われないまま残ることのないようにすることだと説明した。

G:これらの物質は非常に強い溶解液でできている。だからもしそれらが何の注意も払われないまま残ると有機体を毒する。それらは全部使われなければならない。しかし食物が入ってこないのにどうやって使い切ることができるだろう。ただ労働を増やし、発汗を増やすことによってするしかない。断食の際、〈力をセーブしよう〉として普段より身体を動かさないようにするのはひどいまちがいだ。それどころか、できる限りエネルギーを消費することが必要だ。そうしてこそ断食は有益になりうるのだ。

そういうわけで、断食を始めたとき、我々は一瞬たりとも心安らぐことはなかった。Gは暑い中我々を走らせて2マイルもあるところを一周させたり、腕を伸ばしたまま立たせたり、その場に立ったまま普通の倍の速さで駆け足をさせたり、彼の見せてくれた一風変わった一連の体操を練習させたりしたのである。
しかも彼は始終、今我々がやっているエクセサイズは本物ではなく、単なる予備的、準備的なものにすぎないと言い続けていた。
呼吸と疲労についてGの言ったことに関連した1つの実験が多くのことを私に説明してくれた。それは主に、普通の生活状態で何かを得るのがなぜかくも難しいかを説明してくれたのである。
私は誰にも見られない部屋に入り、特殊な数え方で呼吸しながら、つまり一定の歩数の間吸い、一定の歩数の間吐きながら、立ったままの状態で普通の倍の速さで駆け足をしてみた。しばらくして疲れが出始めた頃、自分の呼吸は人工的であてにならないことに気づいた、というより、もっと正確に言えば、実にはっきりと感じたのである。つまり、このまま続ければすぐにも今やっているようには呼吸できなくなり、もちろん非常に速くなってはいるが、ともかく数を数えない普通の呼吸がまた主導権を握ってしまうだろうと感じた。
駆け足しながら呼吸し、呼吸と歩数を数えるのを観察するのがしだいに困難になってきた。汗は流れ、頭はぐるぐるまわり始め、倒れるのではないかと思った。それで、何らかの結果を得るのを諦めてすべてをやめようとしたとき、突然私の中で何かが砕け、または動いたように感じられ、呼吸が望んでいた通りの速さで規則正しくなったのである。私自身はいかなる努力もしなかった。それでも必要量の空気はちゃんと摂っていた。それは異常なまでに快適な感覚であった。私は楽に自由に息をしながら目を閉じて駆け足を続けたが、それはちょうど私の内部で力が増大し、自分がより軽く、より強くなっているような感じだった。もしこんなふうにしばらく走り続けることができれば、もっと興味ある結果を得られるにちがいないと思った。それというのも、歓喜の震えとでもいえるうねりがすでに私の内部に拡がりつつあり、それは、以前の実験に照らしあわせてみると、私が内的意識の開花と呼んでいるものに先立つものだったからである。
しかしこのとき誰かが部屋に入ってきたので私は止まった。
この後しばらく心臓は激しく打っていたが、不快な感じではなかった。結局約30分これを続けていたようだ。
このエクセサイズは心臓の弱い人には勧められない。がともかく、このエクセサイズは動作センターに伝達されうる、言いかえれば動作センターを新しい方法で働かしうることが、この実験ではっきりわかった。しかしそれと同時に、この伝達は著しい疲労をもたらすことも納得した。人があらゆる訓練を知性でもってやり始めるとする。しかしその場合、疲労の最後の段階に達したときのみ、そのコントロールは動作センターに届くことができるのである。これはGが〈超努力〉に関して言ったことを説明し、また後の彼の要求の多くを理解する助けにもなった。
しかしその後は、いくらやってみてもその実験を繰り返すこと、言いかえれば同じ感覚を呼びさますことに成功しなかった。断食は終わっていたし、あの実験の成功がかなりの程度断食と結びついていたのも確かであった。
Gにこの実験のことを話したとき、彼は、全体的なワークがなければ、つまり肉体全体に働きかけなければ、そんな成功は偶然にすぎないと言った。
後日私は、Gのもとで舞踏やダーヴィッシュのムーヴメンツなどを学んでいた人たちが、私とよく似た経験を話すのを何度か聞いた。

47
自己修練の方法の複雑さと多様さを目のあたりに見、それを自覚すればするほど、この道の困難さがいよいよはっきりしてくるのであった。すなわち、深遠なる知識、途方もない努力、あてにできない、あるいはあてにする権利のない助力、これらのどれ1つとして欠くことができないことがわかったのである。いかなる形であれ真剣な自己修練を始めること自体が、無数の好適な内的、外的条件を必要とする例外的な現象であることをつくづく思い知ったのであった。しかも始めること自体は未来へのいかなる保証にもならない。各段階がそれぞれに努力を要求し、助力を必要とした。その難しさに比べると何かが得られる可能性などとてもわずかに思えたので、我々の多くはいかなる努力をしようとする欲求も失ってしまった。
これは、はるか彼方の大成功の可能性に心をくだくのは無益であり、明日何を得るかなど考えずに、今日手に入れたものを尊重しなければならぬということを理解するところに行きつくまでに、誰もが通りぬけねばならない必然的な段階であった。
しかしながら、この道が困難であり、排他的であるという考えもたしかに正当なものであった。そしてこの考えから事あるごとに様々な疑問が湧きだし、それがGにぶつけられるのであった。
「我々と、このシステムを全然知らない人々との間に何か違いがあるということは、いったいありうるのでしょうか?」
「いかなる道もたどっていない人々は、永久に同じところをまわり続けるよう運命づけられており、彼らは単なる〈月の食料〉であって脱出口や可能性は全くないと考えるべきなのでしょうか?」
この道の他にはいかなる道もないと考えるのは正しいのでしょうか? それなら、弱くて取るに足りないような人々が道の可能性に接することもあるのに、ある人々、おそらくはずっと出来の良い人々が道と出合わないのはどうしたことなのでしょう?」
あるとき、こういった問題についての議論が進んでいた(我々はしょっちゅうそれらの問題に立ち戻っていた)そのときGが、それ以前とは少し違ったふうに話しはじめた。というのも、それまで彼はいつもこの道の他には何もないことを強調していたからだ。

G:〈種々の道〉にふれる人々に関しては、いかなる選択もないし、またありえない。換言すれば、
誰かが彼らを選ぶのではなく、彼らは、半分は偶然に、半分はある飢餓感から自分自身を選ぶのだ。この飢餓感のない者は、偶然をもってしてもどうすることもできない。そしてこの飢餓感を強くもつ者は、いかなる不都合な状況にもかかわらず、偶然によって道の始まりへ連れてこられるのだ。
「しかしたとえば、戦争中に殺されたり病気で死んだりした人たちはどうなるのですか?」と誰かがたずねた。「彼らはこの飢餓感をもつことができなかったのですか? それならこの飢餓感は何の役に立つというのです?」
G:それは全く別のことだ。そういった人々は普遍的法則に支配されているのだ。我々はそういう人たちのことを話しているのではないし、また話せもしない。我々が話せるのは、偶然のおかげか、運命か、あるいは彼ら自身の賢明さからか、ともかくこの普遍的法則に支配されていない、つまり破壊の一般法則の活動の外にいる人々についてだけだ。たとえば統計で見ると、モスクワでは一年間に一定数の人が市街電車に轢かれる。で、もしある人が電車にひかれたとしたら、たとえ彼がいかに大きな飢餓感をもっていたとしても、道でのワークという観点からあれこれ言うことはできない。つまりは生きている者についてだけ、しかも彼が生きている間だけ話すことができるのだ。電車と戦争、この2つは全く同じものだ。一方は大きく、他方は小さいというだけの話だ。我々は電車に轢かれない者についてだけ話すのだ。
もし飢餓感があれば、道が始まるところと接触するチャンスがある。しかし飢餓感の他に〈記録装置〉も必要だ。それがないと道に出合うことはないだろう。例えば、一人の教養あるヨーロッパ人、ということは宗教に関しては何一つ知らない人が、宗教的な道に入る可能性と接触をもったと考えてみなさい。彼は何も見ないし、理解もしないだろう。彼には、それはただ愚かしさであり迷信であるにすぎない。それでいて彼は、知的に系統立てられてはいるかもしれないが、ともかく大いなる飢餓感を抱いているかもしれないのだ。ヨーガの方法や意識の進化など一度も耳にしたことのない人にとっても全く同様だ。もし彼がヨーガの道と接したにしろ、何を聞いても全然通じないだろう。第四の道はそれよりもっと難しい。第四の道に正当な評価を与えるためには、その前に多くのことを考え、感じ、そしてそれらに失望していなければならない。たとえ実際に前もってファキールの道、修道僧の道、ヨーギの道を経験していなくても、少なくともあらかじめそれらを知り、それらについて考え、それらは自分には向いていないことを確信しているべきだ。私の言っていることを文字通りに理解する必要はない。彼自身はこの思考過程を自覚していないということもありうるからだ。しかし少なくとも、その過程で得たものは彼の中にあるはずだし、またそれだけが第四の道を認知するのを助けることができる。さもないと、そのすぐそばにいながら見えないということにもなりかねない。
とはいえ、そういった道の1つに入らなければそれ以上の可能性はないというのは明らかに間違っている。〈道〉は単なる助けにすぎない。つまり人々のタイプに応じて与えられる助けなのだ。しかしながら道は、つまり加速された道、一般的進化とは区別される個人的、個的進化の道は、一般的進化に先立ち、徐々に人をそれに導くこともできるが、ともかくそれとは別のものだ。
一般的進化が進行中かどうかということも別の問題だ。それは可能であり、したがって〈道〉の外にいる人にも進化は可能だということを認識すればそれで十分だ。もっと正確に言えば、2つの〈道〉がある。1つを〈主観的な道〉と呼ぼう。これには今までに話した4つの道が全部含まれる。もう1つを〈客観的な道〉と呼ぼう。これは生活している人々の道だ。しかしこの〈主観的〉〈客観的〉という呼び方を文字通りにとりすぎてはいけない。それらは一面を表わしているにすぎず、他に言葉がないから使ったまでのことだ。
「それは〈個人的な〉道と〈一般的な〉道がある、というふうに言うこともできますか?」と誰かがたずねた。
G:いや、それは〈主観的〉〈客観的〉と言うよりもっと不正確だ。なぜかというと、主観的な道とはこの言葉の一般的な意味におけるように個人的なものではないからだ。というのは、この道は〈スクールの道〉だからだ。この観点から見るなら、〈客観的な道〉の方がずっと個人的だ。それの方がずっと多くの個人的な特性を許すからだ。まあ、この〈主観的〉〈客観的〉という言葉は放っておいた方がいいだろう。それはぴったりあてはまる言葉ではないが条件つきで使うことにしよう。
客観的な道の人間はただ単に生活しているだけだ。
彼らは我々が善良な人々と呼んでいる人たちだ。彼らには特別な体系や方法は不要だ。彼らは普通の宗教的、知的な教えや普通の道徳を利用しつつ同時に良心に従って生きている。必然的に多くの善も為さないが、ともかく悪は全く犯さない。時には無教育で単純であることもあるが、それでも生を非常に深く理解し、ものごとに対する正当な評価と視野とをもっている。そしてもちろん自己を完成し、進化しつつある。唯一の欠点は、彼らの道は多くの不必要な繰り返しを続けて非常に長くなる可能性があることだけだ
私はもう長い間、Gに反復についての話をしてもらいたいと思っていたが、彼はいつもそれを避けた。やっとその機会が到来したのだ。しかし私の質問には答えずに彼は続けた。
G:主観的な道にある人々、特にその道を進みはじめたばかりの人には、他の人々、つまり客観的な道にある人は動いていないように思えるものだ。しかしこれは大きな間違いだ。一人の単純なオビヴァチェリは、時には彼の内部で他の者、すなわち修道僧や、いやヨーギをさえしのぐような仕事をやっているかもしれないからだ。
オビヴァチェリはロシア語の中でも奇妙な言葉だ。それは、何ら特別な含蓄もなく〈住人〉という意味で使われている。と同時にそれは、〈オビヴァチェリ〉として、それ以上悪いものはないかのように、軽蔑やあざけりを表わすものとしても使われている。しかしそんな使い方をする人は、オビヴァチェリが生の健全なる核であることがわかっていないのだ。そればかりか、進化の可能性という観点から見れば、善良なオビヴァチェリは、〈きじるし〉(異常者)や〈浮浪者〉などよりもずっと多くの可能性をもっている。後で私はこの2つの言葉で何を言おうとしたかを説明しよう。それまではとりあえずオビヴァチェリについて話そう。
あらゆるオビヴァチェリが客観的な道にある人だなどと言う気はさらさらない。私の言いたいのはそんなことではない。彼らの中には泥棒もいれば、ごろつきや馬鹿もいる。しかしそうでない人々もいる。善良なオビヴァチェリであること自体は何ら〈道〉の妨げにはならないということを言いたいだけだ。そして最も肝心なことは、様々なタイプのオビヴァチェリがいるということだ。たとえば、一生まわりの人たちと同じように生活し、何一つ目立つところもなく、金を儲ける善い主人、あるいは締まり屋でさえあるかもしれないタイプのオビヴァチェリを想像してみなさい。それらと同時に彼は一生の間、たとえば僧院を夢見、いつの日かすべてを投げうって僧院に飛びこむことを夢想している。このようなことは東洋でも口シアでも起こっている。人は生き、働き、そして子供や孫が育ったとき、すべてを彼らに与えて僧院に入る。これが私の話しているオビヴァチェリだ。おそらく彼は僧院には入らないし、それを必要ともしないだろう。一人のオビヴァチェリとしての彼自身の生活が彼の道になりうるからだ。
たしかに、道について考えている人々、とりわけ知的な道を進んでいる人たちは非常にしばしばオビヴァチェリを見下し、一般的にオビヴァチェリの徳を軽蔑する。しかしそうすることで、彼ら自身がいかなる道にも不適格であることを示しているにすぎないのだ。なぜかといえば、いかなる道もオビヴァチェリより低いレベルから始めることはできないからだ。自分自身の私生活を組み立てられない人、人生と闘い、それにうち克つには弱すぎる人、道もしくは自分が道と考えるものを夢想する人々は、このことを見逃しがちだ。それというのも、道の方が生活より楽だと考え、またこれが自分の弱さと適応性のなさを、言ってみれば正当化してくれるからだ。道という観点から見れば、善きオビヴァチェリたりうる人は、自分はオビヴァチェリよりずっと高いところにいると考えている〈浮浪者〉よりずっと役に立つ。私は、いわゆる〈インテリ〉と呼ばれている者すべて、すなわち芸術家、詩人、あらゆる種類の〈ボヘミアン〉、オビヴァチェリを蔑み、そのくせ彼らがいなければ存在することさえできない人々を〈浮浪者〉と呼ぶのだ。自己を生に適応させる能力は、ワークから見れば非常に有益な特質なのだ。一人の善きオビヴァチェリは自分の労働で最低20人の面倒を見ることができなければならない。これくらいのこともできない人間にどれほどの価値があるだろう。
「実際にはオビヴァチェリは何を意味しているのですか?」と誰かが聞いた。
「オビヴァチェリは善き市民であると言ってさしつかえありませんか?」「オビヴァチェリは愛国者であるべきですか?」と別の者が聞いた。
「たとえば戦争があるとします。オビヴァチェリはそれに対していかなる態度をとるべきでしょう?」

G:いろいろな戦争があり、いろいろな愛国者がいる。
君たちはいまだに言葉を信じているのだ。オビヴァチェリは、もし善きオビヴァチェリであれば、言葉を信用しない。彼はどれだけ多くの無駄話がその背後に隠されているかに気づいている。自分の愛国心をふれまわる者など彼にとっては精神病者であり、また実際そんなふうに彼らを見ているのだ。
「それではオビヴァチェリは平和主義者や戦争拒否者たちをどう考えているのでしょう?」
G:同じようにきじるしだ! おそらくもっとたちが悪いだろう。
別の機会に、同じ問題に関してGは言った。
G:君たちが多くのことを理解できないのは、いくつかの最も単純な言葉の意味を考慮しないからだ。たとえば、真剣(シリアス)であるということの意味を一度も考えたことがないだろう。真剣であるとはどういうことかという問題に答えてみなさい。
「物事に真剣な態度をとることでしょう。」と誰かが言った。
G:それこそみんながみんな考えることだ。しかし実は全く逆だ。
物事に対して真剣な態度をとるというのは真剣であることを全然意味しない。というのも、問題の核心は、どんなことに対してかということだからだ。おそろしくたくさんの人々がとるにたりないことに真剣になっている。彼らを真剣と呼ぶことができるだろうか? もちろん否だ
間違いは〈真剣な〉という概念が、条件つきで受けとられているところにある。ある人にはあることが重大だろうし、また別の人には別のことが重大だろう。しかし事実は、真剣さとは、いかなる状況のもとでも絶対に条件つきでなど扱うことのできない概念の1つだ。ただ1つのことだけがあらゆる人にとって、またいついかなる時でも重大なのだ。このことに気づいている度合は人によって様々だろうが、物事の重大さがそれによって変わることはない。
もし、瑣末な興味や重要でもない目的の輪の中で空廻りしている普通人の生活の恐ろしさを仮借なく見抜くことができたら、そして彼らが何を失いつつあるかを知ることができたら、自分にとって重大なことはただ1つ、この普遍的法則から逃れること、自由になることしかありえないことを得心するだろう
死を宣告された囚人である人間にとって、他に何が重大だろう。ただ1つ、いかにして自己を救うか、いかにして逃げるか、これ以外に重要なことは何1つない。
オビヴァチェリは〈浮浪者〉や〈きじるし〉より真剣だと言うのは、オビヴァチェリは、〈道〉の可能性、〈解放〉や〈救済〉の可能性の価値を、自分の生活を空想的な価値や空想的な興味、空想的な可能性の中に閉じこめるのに慣れきっている者よりもよく、また早く認めるからだ。
オビヴァチェリにとって真剣でない人たちは空想によって、それも主に自分は何かをすることができるという空想で生きているのだ。オビヴァチェリは、そういう奴らはただ人を騙し、神のみぞ知ることを断言し、そのくせ実際には、ただ自分たちの都合のいいように物事を取りはからうだけだということ、あるいはそいつらはもっとタチの悪いきじるしであること、言いかえれば、人の言うことをすべて信じこんでしまうことを知っている。

〈オビヴァチェリ〉や〈オビヴァチェリの意見〉や〈オビヴァチェリの関心〉などについて見下したように話す政治家たちはどのカテゴリーに入るのですか?」と誰かがたずねた。

G:彼らはオビヴァチェリの中でも最悪だ。ということはつまり、長所が1つもないオビヴァチェリであり、大ぼら吹きで、きじるしで、ならず者だということだ。
「しかし政治家の中にも正直でかなり立派な人もいるのではないでしょうか?」と誰かが聞いた。
G:もちろんいるかもしれない。しかしこの場合、彼らは実践的ではなく夢想家であり、そのため彼らは、他の政治家たちに暗躍の隠れみのとして利用されるだけだろう。オビヴァチェリは哲学的に筋道立てて述べることはできないにせよ、ともかく次のことを知っている。すなわち、物事はただ実際に抜け目なくやれば〈うまくいく〉ということだ。だから彼は心の中では自分は何か重要なことを知らせているのだとか、すべては自分の決定一つにかかっているのだとか、自分は物事を変えられる、もっと一般的に言えば何でもすることができるのだと思いこみ、他人をも納得させたいと思っている者を嘲笑しているのだ。これらのことは彼にとっては真剣であることとは違う。真剣でないとはいかなることかを理解すれば、真剣であるとはどういうことかを判定する助けとなる。
我々はこの道の難しさという問題に何度も話を戻した。共同生活や労働から得た経験は、絶えず我々を自分たちの中にある新たな困難に直面させるのであった。
G:つまるところ、自己の自由を犠牲にする用意があるかどうかということだ。人は意識的ないしは無意識的に、自分の想像する自由に向かって闘っている。そしてそのことが、何にもまして真の自由を獲得するのを妨げているのだ。そして何でも手に入れる能力のある人は、遅かれ早かれ自分の自由は幻想であったという結論に達し、この幻想を犠牲にすることに同意する。彼は自ら進んで奴隷になるのだ。彼は言われたことをやり、言われたことを言い、言われたことを考える。彼は自分が何一つ持っていないことを知っているので、失うことを恐れてはいない。このようにして彼はすべてを手に入れる。彼の内の理解、感性、好み、欲望の中で真(リアル)であったものはすべて彼の手元へ帰ってくる。しかもそれには、彼が以前には持っておらず、また持つこともできなかったものが、内なる調和の感覚と意志と共に加えられているのだ。しかし、この地点に辿り着くためには、隷属と服従の険しい道を通らなければならない。そしてもし成果を得たければ、彼は単に外的にだけでなく内的にも服従しなければならない。これは非常な決意を要求し、またこの決意のためには、これより他に道はないこと、一人では何もできないこと、そしてそれにもかかわらず何かが為されなければならないということを深く理解することが必要なのだ。
自分がそれまで生きてきたような生き方ではもはや生きられないし、また生きたくもないという結論に至るなら、また自分の生活をつくりあげているものすべてを見抜き、努力を決意するなら、それまでよりもっと悪いところに転落しないよう、自分に対して誠実であらねばならない。なぜかというと、いったん自己修練を始めてからそれを離れ、その結果自分を2つの椅子の間に見いだすことほど悪いことはないからだ。そんなことなら始めない方がよっぽどましだ。始めたことを無駄にしないために、また自分一人で思い違いをする危険を冒さないためにも、人は何度も何度も自分の決意を試すべきだ。そして第一に、自分はどこまで行く用意があるのか、何を犠牲にする気があるのかを、自分で知らなければならない。すべて、と言うほど簡単なことはない。人間は絶対にすべてを犠牲にできはしないし、またそんなことは要求されてもいない。しかしともかく、自分は何を喜んで犠牲にするつもりかをはっきりさせ、また後になってそれを割引きするようなことがあってはならない。さもないと彼はアルメニアの童話にでてくる狼と何ら選ぶところはない。
君たちはアルメニアの狼と羊の童話を知っているかね?

その昔狼がいて、ひどく沢山の羊を殺して人々を涙にくれさせていました。
しかしとうとう、どうしてかはわかりませんが、急に良心の呵責を感じて、それまでの生き方を後悔しはじめました。
そんなわけで狼は改心し、もう羊を殺さないことに決めたのです。
これを本当に実行するために、狼は僧のところへ行って神への感謝のための礼拝式をやってくれるよう頼みました。
僧は式を始め、狼も教会の中に入って泣きながらお祈りをしていました。ところがその礼拝式は長かったのです。
狼はその僧の羊も沢山殺していて、それで僧は狼が本当に改心するよう熱心に祈っていました。
と、突然狼は窓ごしに羊が家に連れ戻されているのを見ました。
狼はそわそわしはじめましたが、僧は相変わらず延々と祈りを続けていました。
とうとう狼は我慢できなくなって叫びました!
狼「やめやがれ、この馬鹿坊主! 晩のごちそうが全部行っちまうじゃねえか!」


とてもよくできた話だと思わんかね。つまり人間というものを非常にうまく描いている。彼はあらゆるものを犠牲にする用意ができているのに、結局のところ今晩の夕食は別問題、というわけだ。
人間というものはいつでも、何か大きなことから始めたがるものだ。ところがそれは不可能ときている。つまりそこには選択の余地はない。我々はまさに今日のことから始めなければならないのだ。

48
ここで、Gの方法の特色がとてもよく表われている例としてひとつの会話をひいておこう。我々は公園を歩いていた。Gの他に5人いた。その中の一人が彼に、占星術に対する彼の意見と、多少とも知られた占星術理論の中には何か価値のあるものがあるかどうかを尋ねた。
G:結局のところ、それらがどんなふうに理解されているかによる。つまり、それらは価値あるものにも無価値にもなりうる。
占星術は人間の一部分、つまりそのタイプ、その本質しか扱っていない。つまりその人格や獲得された性質などには言及していないのだ。これがわかれば、占星術の内で何が価値があるかは君にもわかるだろう
以前にもタイプに関する議論はあったが、タイプに関する学(サイエンス)は人間研究の中でも最も難しいもののように思われた。というのも、Gはそれについてはほんのわずかしか言わなかったし、それでいて我々には自分や他人を観察することを要求したからだ。
我々は歩き続けた。Gは話を続け、人間の中の、惑星の影響に依存しうるものとしえないものとについて説明した。
公園を出たときGは話をやめた。彼は我々の数歩先を歩いていた。我々5人は話しながら彼の後ろを歩いていた。木のそばをまわるときGは持っていた杖を落とした(それはコーカサス風の銀の柄のついた黒檀の杖だった)、それで我々の一人がかがんでそれを拾いあげ、彼に渡した。Gは数歩進んでから振りむいて言った。

G:今のが占星術だ。わかったかね? 君たちはみんな私が杖を落としたのを見たね。なのにそれを拾ったのは一人とはどういうわけだろう。一人ずつ話してもらおう。
一人は別の方を見ていたので杖を落とすのを見なかったと言った。
2人目は、杖は偶然に落ちたのではない、つまり杖が何かにひっかかったとき、Gが意識的に手をゆるめて落としたことに気づいたと言った。これが好奇心をあおり、次に何が起こるか見ようと待ちかまえていたと言うのである。
3人目は、たしかにGが杖を落としたのは見たが、占星術に思いをめぐらすのに没頭し、とりわけGがその前に言ったことを思いだそうとしていたのでそれに十分な注意を払わなかったと言った。
4人目は杖が落ちるのを見たので拾おうと思ったのだが、その瞬間他の者が拾ってGに渡したのだと言った。
5人目は杖が落ちるのを見、それから自分自身がそれを拾ってGに渡すのを見たと言った。
Gは笑いながら聞いていた。

G:これが占星術だ。同じ一つの状況の中で、一人はあることを見、為し、別の者は別のことを、3人目はまた別のことを見、そして為す。しかもそれぞれが各自のタイプに従って行動する。他人や自分自身をこんなふうに観察してみなさい。そうすれば、たぶん後で別の占星術のことを話しあうことになるだろう。
時は非常な速さで流れていった。短いエッセントゥキの夏は終わろうとしていた。我々は冬のことを考え、いろいろ計画を立てはじめた。
そして突然すべてが変わった。私には偶然に思えたのだが、グループ内のあるメンバー間の摩擦を理由に、Gはグループを解散し、ワークをすべて中止するつもりであることを告げた。最初は私たちを試しているのだろうと思って信じもしなかった。だから、Zだけを連れて黒海沿岸へ行くと言ったときには、モスクワかペテルスブルグヘ帰らなければならない数人を除く全員が、彼の行くところならどこへでもついていくと言った。Gはそれを承諾しはしたが、同時に我々は自分のことは一切自分でやらねばならず、それにどれほどあてにしようとワークは一切しないと言った。
私は全く驚いてしまった。その瞬間は〈演技〉には最も不向きなものだったし、またもしGの言ったことが本気であったなら、そもそもいったいどうしてこんなことを始めたのだろう。この期間中には何も新しいことは起こっていない。それにもしGがそんな状態の我々とワークを始めたのだとしたら、なぜ今になってやめるのだろう。
このことは私に、実質上は何の変化もひきおこさなかった。私は、その冬をともかくコーカサスで過ごそうと決めていた。しかしまだ少しばかり不安定なメンバーにとって、これは大きな変化をもたらし、その困難を乗り越えがたいものにしたのだった。そして、告白しなければならないのだが、私のGに対する信頼はこのときから揺らぎはじめた。何が問題だったのか、特に何が私の感情を剌激したのか、今となってははっきりさせるのは難しい。しかしともかく
このときから、Gその人と彼の思想とは分離しているという考えが私の中に湧きあがってきたのは事実である。そのときまでは私はその2つを切り離してはいなかった。8月の終わりに私は、最初はGについてトゥアプセに行き、いくつかの物を取ってくるつもりでそこからペテルスプルグヘ向かった。残念ながら蔵書は全部置いてこなければならないと考えていた。そのときは、それらをコーカサスにもっていくのはとても危険だと思えたのである。しかし当然のことながら、ベテルスブルグではすべてが失われていた。

49

私は考えていたより長くペテルスブルグにとどまり、そこを出たのはやっと10月15日、つまりポルシェヴィキ革命の一週間前であった。それより長くいることは不可能だった。何かむかつくような、べとべとしたものが近づきつつあった。あらゆるものに、ある病的な緊張、不可避的な何かを待ち望む気持ちが感ぜられた。噂がひそかに広まり、そのどれもがこれ以上ないほどばかげたものだった。
誰も何一つわかってはいなかった。誰も何がやってくるのか想像だにできなかった。コルニロフをうち負かした〈臨時政府〉は、〈社会主義者の大臣たち〉をいっこう意に介さない態度をありありと示し、時間かせぎに努めているだけのポルシェヴィキたちともっともらしい会談を行なった。何かの理由でドイツ軍は、最前線は突破したにもかかわらずペテルスプルグには進軍してこなかった。いまや人々は彼らを、〈臨時政府〉とポルシェヴィキの両方からの救済者と考えていた。しかし私は、ドイツ軍への信頼に基づく希望を共有するわけにはいかなかった。というのも、私には、ロシアで起こっていることは手に負えないほど大きくならざるをえないと思われたからである。
トゥアプセはまだ比較的平穏であった。ある種のソヴィエト(評議会)がペルシア国王の山荘に居座っていたが、略奪はまだ始まっていなかった。Gはトゥアプセからかなり南の、ソチから15キロあまりのところに落ちついていた。彼は海を見下ろす田舎屋を借り、馬を2頭買い、少数の仲間と一緒に住んでいた。全部で10人もいたろうか。
私もそこへ行った。そこにはすばらしい場所で、バラは咲き乱れ、一方には海が、また一方にはすでに雪をいただいた山脈が望まれた。私はモスクワやペテルスブルグに残った仲間たちが可哀想になってきた。
しかし、早くも到着の翌日、何かおかしいことがあるのに気づいた。そこにはエッセントゥキでの雰囲気はかけらもなかった。とりわけZの置かれている状態には仰天した。9月の初め、私がペテルスブルグに向かって発ったときにはZは熱意にあふれていた。そしてひっきりなしに私に、ペテルスプルグで暮らしていくのはひどく難しくなるだろうから長くはとどまらないようにと勧めてくれた。
「君はもうペテルスプルグに帰ってくるつもりはないのかい?」と私はそのとき聞いた。
「一度山の中に身をひいた者は帰らないのさ。」とZは答えた。
そして今、私がこのウチ・デーレに着いた翌日、Zがペテルスブルグに帰るつもりであることを耳にした。
「何のために帰るっていうんだ。彼は仕事を辞めてきたんだぜ、帰って何をするつもりなんだい?」
「わからない」とそのことを私に知らせてくれたドクターSが言った。「GはZを気にいっておらず、去った方がいいと言ったんだ。」
Zを話にひきこむのは容易ではなかった。彼は明らかに話したくない様子だったが、ともかく本当に出ていくつもりであると言った。
他の人たちに聞いていくうちに、私は奇妙なことが起こったのをつきとめた。ひどくばかげた喧嘩がGと近くに住む何人かのレット人(バルト海東岸地方、特にラトヴィアに住んでいる種族)との間にあったのだ。Zもそこに居合わせた。Zの言ったことか何かがGの気に入らず、それでその日から彼はZに対する態度を完全に変え、話すのをやめ、またその他あれやこれやで、結局Zがそこを離れると言いださざるをえないような立場に追いこんだのである。
私はこれは愚の骨頂だと思った。こんなときにペテルスプルグヘ行くなど愚かさの極みに思えたのである。
そこには、深刻な飢饉と、御しがたい群衆と盗み以外には何もなかった。そのときはもちろん誰も、もう二度とペテルスプルグを見ることはないだろうとは想像すらしなかった。私も春には行くつもりでいた。春までには何か確固としたものができているだろうと考えたのである。しかし今、冬に行くなど正気の沙汰ではなかった。もしZが政治に興味があってその時期に起こっていることを研究するとでもいうのなら話もわかるが、そうでない以上ペテルスプルグ行きにはいかなる動機も見つけられなかった。私はZに、今は何も決めないで待ち、Gと話をして自分の立場を何とか明らかにするよう説得しはじめた。Zは急がないと約束した。それでも私は彼が実におかしな立場に置かれているのを見た。Gは彼を完全に無視し、それがZをひどく意気消沈させた。こんなふうにして2週間がたった。私の話は効を奏し、ついに彼はGさえ同意してくれたらここにとどまると言った。彼はGに話をしにいったが、すぐにひどく不安げな顔で帰ってきた。
「彼は何と言ったんだい?」
「特別なことは何も。ただ一度去ると決めたのなら去った方がいいと言うんだ。」
Zは行ってしまった。私には理解できなかった。私なら当時のペテルスブルグには、犬さえ行かせるようなことはしなかっただろう。
Gはその冬をウチ・デーレで過ごすつもりだった。我々はかなり広い土地に散在した何軒かの家に住んでいた。そこではエッセントゥキでやったような意味での〈ワーク〉は全く行なわれなかった。我々は冬のたきぎを得るために木を切ったり、野性の梨を集めたりした。Gはよくソチに行った。そこには、私がペテルスブルグから到着する前に腸チフスに感染した仲間が一人入院していた。
不意にGは別の場所に行くことを決めた。ここでは、ロシアの他の地域との伝達が断たれ、食糧もないまま忘れ去られる可能性が大いにあると言うのである。
Gは仲間の約半数を連れて発ち、残った者のために後でドクターSを送ってきた。我々は再び卜ゥアプセで合流し、そこから岸に沿って北へ旅行を始めた。そこは鉄道が通っていなかった。そんな旅行の折にSは、トゥアプセの北24マイルのところに家をもっているペテルスブルグの友人を見つけた。我々はそこに一晩泊まり、翌朝Gはそこから半マイルのところに家を借りた。そこに小人数の仲間が再び集まった。4人はエッセントゥキに行った。
そこには2ヶ月間いた。それは非常におもしろい時期だった。G、ドクターS、私の3人は食料と馬の飼料を買いに毎週トゥアプセに行った。これらの小旅行はずっと記憶に残るだろう。旅は思いもよらぬ冒険と非常に興味深い話し合いの連続だった。我々の家はオルグニキの村から3マイルの海を見下ろす場所に立っていた。私はここにはしばらくの間とどまることを望んでいた。しかし12月の後半になって、コーカサス軍の一部が徒歩で黒海沿いに進軍してくるという噂が流れた。Gはもう一度エッセントゥキに行って新たなワークを始めると言った。
私がまず最初に行った。我々の所持品の一部をピアチゴルスクまでもっていき、そして帰ってきたのである。アルマヴィールにポルシェヴィキがいたが、通りぬけることができた。全体にポルシェヴィキは北コーカサスで増えており、それで彼らとコサックたちとの間に摩擦が起こった。ミネラリヌィエ・ヴォディを通ったときには一見平穏だったが、ポルシェヴィキはすでに気に入らない者を殺しはじめていたのである。
エッセントゥキでGは大きな家を借り、2月12日付けで私のサインを入れた回状をモスクワとペテルスブルグのメンバーに送った。まわりの者を連れてこちらにきて、Gとともにワークをするよう誘ったのである。
ペテルスブルグとモスクワではすでに食糧不足が始まっていたが、コーカサスではまだ何でも豊富にあった。こんな時期を切りぬけるのは生易しいことではなく、現に何人かは望みと裏腹に失敗してしまった。それでも多くの者がやってきて、全部で40人ばかり集まった。彼らと一緒にZもやってきた。彼にも回状はまわされたのである。しかし到着したとき彼はひどく容態が悪かった。
2月、我々はまだ待っていた。あるとき彼が手配した家その他のものを示しながらGは私にこう言った。

G:今なら、なぜ我々がモスクワやペテルスブルグで金を集めたかわかるだろう。あのとき君は、千ルーブルは高すぎると言ったね。しかし千ルーブルでも十分だろうか? 結局一人半しか払わなかった。私はもうそのとき集めた以上の金を使ってしまった。
Gは一画の土地を借りるか買うかし、菜園を整え、そして全体的にはコロニーをつくるつもりでいた。しかしその計画は夏の間に起こった事件に阻まれてしまった。
1918年の3月、仲間が集まったとき、我々の家には非常に厳格な規則がつくられた。その土地を離れることは禁じられ、昼夜の当番が決められる、等々。そして非常に多彩なワークが始まったのである。
家と我々の生活の組織には非常に興味深いものがあった。
この時期のエクセサイズは、前の夏のものよりずっと難しく多様になっていた。音楽に合わせたリズム運動、ダーヴィッシュ・ダンス、さまざまなメンタル・エクセサイズ、いろいろな呼吸法の研究などが始まった。とりわけ集中的に行なわれたのは、種々の模擬心霊現象、読心術、透視、霊媒術の実演などを研究するためのエクセサイズであった。これらのエクセサイズを始める前に、Gは、これらの〈トリック〉(と彼は呼んだ)の研究は、東洋のあらゆるスクールでの必修科目であった、なぜなら、考えうるすべてのまがいものや模倣を研究せずして超常現象を研究しはじめることはできないからである、と説明した。人は、あらゆる偽ものを知り、また自分でもその偽ものを生みだすことができるようになって初めて、この圏内で真なるものと偽ものとを区別しうる立場に立つことができる。この他にGは、これらの〈心霊的トリック〉の実践的な研究は他の何をもってしても代替することのできないエクセサイズであり、それはまたある特性、すなわち観察の鋭さ、洞察力、そして普通の心理学用語にはそれを表わす適切な語はないが、絶対に開発しなければならない別種の特性の増強のためには絶好のものであるとも言った。
しかし、そのときに始まったワークの中心は、後で様々なダーヴィッシュのエクセサイズの複製を生みだすことになる音楽に合わせたリズミカルな舞踏、及び似たような不思議な舞踏であった。Gは目的や意図を説明しなかったが、前に言ったことから察すれば、これらのエクセサイズにより、肉体をコントロールできるようになると考えることも可能であった。
エクセサイズ、舞踏、体操、話し合い、講義、家事などに加えて、生計の道をもたない者には特別な仕事が与えられた。
私は、その一年前我々がアレクサンドロポールを発つとき、Gが特売で安く買ったのだと言って、かせ(木へんに上下)に巻いた絹糸をもっていたのを覚えていた。この絹を彼はずっと持ち歩いた。我々がエッセントゥキに集まったとき、Gはその絹を女や子供たちに渡して、自家製の星形のカードに巻きつけるように言った。それから商才のある何人かが、この絹をピアチゴルスクやキスロヴォツク、エッセントゥキに持って行って売ったのである。この時期を忘れるものはいないだろう。とにかく物資は何もなかったし、店は空っぽだからその絹はあっという間に売れてしまった。絹とか綿とかいったものは、信じ難いほど入手しにくかったのである。この仕事は2ヶ月ほど続き、絹の元値に比べたら比較にならないほどの収入が確実にしかも定期的に入った。
普通の時だったら、我々のコロニーのような共同生活は、エッセントゥキに限らず、おそらくロシアのいかなるところでも存在しえなかったであろう。おそらく我々は人々の好奇心をかきたて、注意をひき、警察はくるだろうし、きっと何らかのスキャンダルがもちあがり、考えうるあらゆる非難があびせられ、当時の政治的、党派的、あるいは反道徳的傾向の烙印がきっと押されたであろう。人々は、理解し難いものに対しては決まって非難するというふうにつくられているのだ。しかしその当時、1918年には、普通なら我々に好奇心を向けたであろう人々はポルシェヴィキから無事に逃げることに大わらわで、ポルシェヴィキも個人の生活や特定の政治的性格をもたない個人的団体に関心を示すほどにはまだ強くなっていなかった。そして、運命によるものか、当時たまたまミネラリヌィエ・ヴォディに居合わせた都落ちのインテリたちの間では、そういった状況を見たうえでいくつかのグループや労働者団体などが組織されていたので、誰一人我々に注意を払うものはいなかった。
夕方の全体集会でGは、コロニーに名前をつけて法的に正式なものにしなければならないと言った。これはポルシェヴィキの政府がピアチゴルスクにあったときのことである。

G:たとえばソドロージェストヴォ(〈共通目的のための友人の集まり〉の意)と〈ワークによって得られた〉と〈国際的〉ということを全部合わせて、何か考えてみなさい。どちらにしても彼らにはわかりはしない。しかし、とにかく彼らは我々に何らかの名前をつけなければおさまらないのだ。
そこで我々はいろいろな名前を出しはじめた。
公開講義は週2回我々の家で開かれ、それにはかなりの人々がやってきた。それに一度か二度は模擬心霊現象をやってみせたのだが、それはあまり成功しなかった。というのも彼らは我々の指示にちゃんと従わなかったからである。
Gのワークにおける私個人の位置は変わりはじめた。この丸一年間何かが少しずつ蓄積し続けており、私には理解できないことが沢山あり、去らなくてはならないことが次第にわかってきたのである。
ここまで書いておきながら今になってこんなことを言うのは奇妙で唐突に聞こえるかもしれないが、これは次第に蓄積してきたのである。私は前に、Gと彼の思想とを離して考えるようになったと書いた。彼の思想に関してはいささかの疑いも抱いていない。それどころか、考えれば考えるほど、深く入れば入るほど、ますます高く彼の思想を評価し、その重要性を認識するのであった。しかしそれでも私は、私が、いや、グループのほとんどの者がGの指導のもとでワークを続けていくことができるかどうかに非常に強い疑いを抱きはじめた。といっても、Gの行動や方法が間違っていたとか、それが期待に応えなかったとか言っているのでは全くない。私自身がそのエソテリックな性格を認めているワークの指導者に関してそんなことを言うのはおかしいし、全く的はずれでもある。一方は他方を排除するのである。このような性格をもつワークでは、あれこれの人についてのいかなる批判、いかなる〈不賛成〉も許されない。それどころか全く逆に、あらゆるワークは、指導者の指示通りに行動し、平明に言わなかったことも彼の持論と考えに合わせて理解し、彼の為すすべてのことにおいて彼を助けることで成立しているのである。ワークに対してはこれ以外のいかなる態度もありえない。G自身も何度か言った。ワークにおいて最も大切なことは、自分は学びにきたのだということを常に思いだし、それ以外の役を自分に課さないことである、と。
しかしながらこのことは、人には選択の余地がないとか、自分の探求に答えないものにも従う義務があるとかいうこととは全然違う。G自身も、〈一般的な〉スクールなどはなく、各々の〈グル〉やスクールの指導者が、ある者は彫刻、ある者は音楽、またある者は何か別なものというふうに自分の専門を教えるのであり、そしてそのようなグルのすべての弟子は師の専門とするものを学ばなくてはならないと言った。ここで選択が可能なことは理の当然である。人は、自分が研究しうる専門、自分の好み、性向、能力に適した専門をもつグルに会うまで待たなくてはならないのである。
音楽、彫刻といった非常に興味深い道があることは疑いを入れない。しかしすべての者が音楽や彫刻を学ぶことを要求されているということはありえない。スクールのワークにはむろん必修課目があり、またこういう言い方が可能なら、補助課目、つまりただ単に必修課目を学ぶ手段として設定されている課目もある。そういうわけで、スクールの方法はそれぞれ非常に異なるということも考えられる。前出の3つの道に従えば、各々のグルの方法はだいたいファキールの道、修道僧の道、ヨーギの道のどれかになる。それに、ワークを始めた人が過ちを犯すとか、あるいは全くついていけないような指導者につくということも大いにありうる。自分の方法や専門にいつまでもなじめず、理解もできず、ついてこれないような人と一緒にワークを始めることのないよう取り計らうのは、当然のことながら指導者の仕事である。しかし、もしそんなことが起こり、ついていけない指導者とワークを始めてしまったなら、彼はもちろんそのことに気づいて別の指導者を捜しにいくか、あるいはもしできれば自分一人でやるべきである。
私とGとの関係について言えば、Gのものだと思っていた多くのものに関して考え違いをしていたこと、また彼と一緒に居続ければ、最初にとったのと同じ方向には進めないだろうということを私はそのときはっきりと知ったのである。私はまた、ほんの数人を除いて、我々の小さなグループのほとんど全員が私と同じか、または似たような状況にあると思っていた。
これはとても奇妙な〈観察〉であったが、ともかく絶対に間違いないものだった。私は、それが自分に適さないということ以外にはGの方法に対して何一つ言うことはなかった。そのときそれを示す非常に明確な実例が心に浮かんだ。私はこれまで一度も〈修道僧の道〉、つまり宗教的、神秘的な道に対して否定的な態度をとったことはなかった。とはいえ、その道が自分に可能だとか適しているなどとは一瞬たりとも考えることはできなかった。だからもし私が、3年間のワークの後ですら、実はGは我々を宗教の道へ、僧院の道へと導いており、それであらゆる宗教形態や儀礼の遵守を要求しているのだと感じたとすれば、たとえ直接的な指導者を失う危険があったにせよ、やはりこの道と合わないということ、ここを去っていくということには十分な動機があったと言えるだろう。そうは言っても、私が宗教的な道一般が間違っていると考えていたということではもちろんない。
それは私の道より正しい道でさえあるかもしれないが、ともかく私の道ではなかった
GのワークとGから離れるという決心は、ものすごい内的葛藤を強いた。私はその上に非常に多くのものを築いたし、また今になってすべてを初めからやり直すのは大変なことだった。しかし他にどうしようもなかった。この3年間に習ったことは、もちろん大事にもち続けていた。しかし私がこれらのことをすべて考えつくし、その結果Gと同じ方向で、しかし独立してワークを続けることは可能だとわかったときには丸一年が過ぎていた。
私は別の家に移り、ペテルスブルグで中断していた本の仕事を再開した。それは後に『宇宙の新しいモデル』の題名で出版された。〈家〉の方ではまだ講義や舞踏がしばらく続いていたが、それもやがて中止された。
時々私は公園や道でGに会い、また時には彼が私の家にきた。しかし私は〈家〉へ行くのを避けていた。
この当時、北コーカサスの状況はますます悪化しはじめていた。我々は中央ロシアから完全に切り離され、そこで何が起こっているか全然わからなかった。
エッセントゥキヘの最初のコサックの侵入以後、事態は急速に悪化し、Gはミネラリヌィエ・ヴォディを離れることにした。実際どこに行くつもりか彼は言わなかったが、そのときの情勢を考えれば、それを言うのはたしかに困難だった。
その当時ミネラリヌィエ・ヴォディを離れた大衆はノヴォロシイスクの方に行こうとしていた。それで私は、彼もその方向に行くのではないかと思っていた。私もエッセントゥキを離れることに決めた。しかし彼が発つ前には発ちたくなかった。これに関しては不思議な感情を抱いていた。ともかく最後まで待ってみたかったのだ。そして、私に関わることはみんなやっておきたかった。後で自分に、たった一つの可能性も逃さなかったと言えるように。Gと共にワークをするという考えを退けるのは非常に難しかったのである。
8月初め、Gはエッセントゥキを出た。〈家〉にいた者はほとんど彼と一緒に行った。何人かはもっと前に出ていた。約10人がエッセントゥキに残った。
私はノヴォロシイスクに行くことに決めた。しかし情勢は急速に変化していた。Gが発った週のうちに、最も近い地域との連絡さえ途絶えてしまった。コサックたちはミネラリヌィエ・ヴォディや我々のいる地域へ通じる鉄道の支線を襲いはじめ、ポルシェヴィキの強奪や〈徴発〉などが始まった。このときピアチゴルスクで〈人質〉の大虐殺が起こり、ルースキイ将軍、ラツコ・ディミトリェフ将軍、ウルーソフ王子その他大勢が殺された。
私はとてもばかばかしい感じがしたのを告白しなければならない。Gとワークをするために国外へ行くのが可能だったときにはそうせず、それで最終的な結果はといえば、Gと別れ、ポルシェヴィキと同じところにとどまっているというざまである。
我々エッセントゥキにとどまった者はみんな、非常に苦しい時期を生きぬかなければならなかった。私や家族にとっては事態は比較的好転した。ただ4人のうち2人が腸チフスにかかったが死んだものはなかった。盗難にも一度もあわなかった。そして私にはいつも仕事があり、金が入った。他の人たちにとっては事態はもっと悪かった。1919年の1月、我々はデニーキンの率いるコサックから解放された。しかし私がエッセントゥキを出ることができたのは、やっとその年の夏になってからであった。
我々がGについて入手したニュースは非常にわずかなものだった。彼は鉄道でマイコプまで行き、そこから彼とその一行は、当時グルジア人に占拠されていたソチの海岸へ、とても興味深いが困難な道を徒歩で行ったのであった。自分たちの荷物を全部持ち考えうるあらゆる冒険と危険の中を彼らは、道もなくほんの時折猟師たちが通るだけの高い峠を越えて進んだ。それでも彼らがソチに着いたのは、エッセントゥキを出てほんの1ヵ月後のことであった。
しかし内的な状況は変わっていた。私の予見していた通り、グループの大部分の者がGの一行から離れた。彼らの中にはPやZもいた。4人だけがGのもとにとどまり、そのうちで元のペテルスブルグ・グループに属していたのはドクターSだけだった。他の3人はもっと〈新しい〉グループに入っていたのだった。
Gとの訣別後マイコプに落ちついたPが、2月にエッセントゥキにきた。そこに残った母親のためである。そのとき我々は彼から、ソチヘの途上、またそこに着いたときに起こったことなど、あらゆることを詳細に聞いた。
モスクワの人たちはキエフに行った。Gは4人とともにティフリスに行った。春になって我々は、彼がティフリスで新しい人々を集めて新しい方向でワークを続けていること、芸術、つまり音楽、舞踏、リズミックなエクセサイズにその中心を置いていることを知った。

生活状態が少しばかりよくなった冬の終わりに、私は、Gの許可を得てペテルスブルグからもってきていたノートやGの図表などに目を通しはじめた。私の注意はとりわけエニアグラムに向けられた。エニアグラムの説明は完全には終わっていなかったし、私はその中に、自分で解釈を続けられるだけのヒントがあると感じた。私はすぐに、その続きは、ソとラの間のインターヴァルでエニアグラムに入ってくる〈ショック〉の誤った位置との関連で捜さなければならないことに気づいた。それから私は、モスクワ・ノートが、エニアグラムの注釈に関連しつつ〈食物図〉において3つのオクターブが互いに及ぼしあっている影響について述べている個所に注意を向けた。私は教えられた通りにエニアグラムを描き、それがある点までは〈食物図〉を表わすことを見てとった。(図59)

点3もしくはミ-ファ間の〈インターヴァル〉は〈ショック〉が入ってくる場所で、そこは第二オクターヴのド192になる。エニアグラムにここから始まるオクターヴを加えると、点6は第二オクターヴのミ-ファ間の〈インターヴァル〉になり、同時にこの点から始まる第三オクターブのド48の形をとる〈ショック〉になることがわかった。オクターヴの図を完成すると上図のようになる。(図60)
この図は、〈ショック〉には間違った場所など全くないことを明白に示している。点6は〈ショック〉の第二オクターヴヘの進入を示し、そしてその〈ショック〉は第三オクターヴを始めるドなのである。この3つのオクターヴはみなH12に達する。その1つではそれはシであり、第二のものではソ、第三のものではミである。ここでは12で終わっているが第二オクターブはもっと先まで行っているべきである。しかしシ12とミ12は〈付加的ショック〉を必要とする。私は当時これらの〈ショック〉の性質についてかなり考えてみたが、それについては後で述べよう。
ともかく、エニアグラムには膨大な量の情報がつまっていると感じた。
点1、2、4、5、7、8は、〈食物図〉に従えば、有機体のさまざまな〈組織〉を表わしている。すなわち1−消化器官、2−呼吸器官、4−血液循環、5−脳、7−脊髄、8−交感神経系と生殖器官、これに従えば、内側の線1428571、つまり分母が7の分数の商は、有機体内の動脈血の流れ、もしくは供給の方向と、静脈血という形でのその帰還の方向を表わしていることになる。とりわけ興味深いのは帰還の点が心臓ではなくて消化器官であるということで、実際上もそうなのである。
なぜなら、まず静脈血が消化分解されたものと混合され、次いで右心耳を通って右心室に進み、次に酸素を吸収するために肺にいき、そこから左心耳、左心室、そして大動脈を通って動脈組織へといくからである。
さらにエニアグラムを研究するにつれて、その7つの点は古代世界の7つの惑星を表わしているということもありうる、換言すれば、エニアグラムは天文学的シンボルでもありうるということに気づいた。それらの惑星を週の日の順に並べると右のような図ができた。(図61)

しかし必要な本も手元になく、時間もなかったのでそれ以上先に進むことはしなかった。〈事件〉は哲学的省察にふける時間を一切与えてくれなかった。人は生活について、つまり単純率直に言えばどこに住みどこで働くかを考えなくてはならなかった。革命とそれにまつわる一切のことが私の内に深い生理的嫌悪感をひきおこした。
それと同時に、〈王党派〉に対する同情にもかかわらず、彼らが成功するとは信じられなかった。ポルシェヴィキたちは、自分たちも他人も果たせないようなことを躊躇なく約束していた。そこにこそ彼らの強みがあったのだ。それこそ他の誰もが彼らに太刀打ちできないことであった。これに加えて、彼らはドイツの支援を受けていた。もっとも、ドイツは彼らがこれから先復讐する可能性もあると思っていた。我々をポルシェヴィキから解放してくれた志願兵たちは彼らと闘って勝つ力はもっていた。しかし解放した地域での生活の方向を適切に指示する力を欠いていた。その指導者たちは計画も知識もなければ、この方面での経験もなかった。もちろんそれらを彼らに要求することはできなかった。しかし事実は事実だ。情勢は非常に不安定で、そのときもまだモスクワに押し寄せていた波は、いつ何時またひき返してくるかも知れなかった。
国外に出ることが必要だった。私は最終目的地をロンドンに決めた。まず他のところより知人が多いこと、次に他の誰よりもイギリス人なら今の私の新しい考えに大きな反応と興味を示すに違いないと思ったからである。
それとは別に、戦争前にインドに行く途中、また戦争が始まった頃に帰国途上でロンドンに立ち寄ったときから、本を書いて出版するためにそこへ行こうと決心していた。その本は1911年に書きはじめ、『神々の知慧』という題名だったが、最終的には『宇宙の新しいモデル』という題名になった。実を言えばこの本は(その中で私は宗教の問題、とりわけ新約聖書研究の方法にふれているのだが)ロシアでは出版することができなかったのである。そういうわけで私はロンドンに行くことに決め、そこでペテルスブルグでのように講義をし、グループをつくろうとした。しかしこれが実現したのはやっと3年半後のことだった。
1919年の6月初め、私はついにエッセントゥキを離れることに成功した。そのときにはそこもすっかり平穏になり、生活も少しは再建されていた。しかし私はその平穏を信じなかった。国外に出ることが必要だった。最初私はロストフに行き、それからエカチェリノダール、ノヴォロシイスク、それからまたエカチェリノダールに戻った。その当時エカチェリノダールはロシアの首府であった。そこで私は、私より前にエッセントゥキを出た何人かの仲間や、ベテルスブルグからの友人や知人たちに会った。
私の記憶には、最初の頃の会話の1つが残っている。
ペテルスブルグの友人とGのシステムや自己修練について話したとき、彼は、どんなものでもよいからこのワークの実際的な成果を示してくれないかと頼んだ。
私は前の年に経験したこと、とりわけGが去った後での経験をすべて思いだしながら、不思議な自信を獲得したことだと言った。それはとても一言では説明できないが、ともかく述べてみなければならなかった。
「それは普通の意味での自信ではないんだ。」と私は言った。「それどころか全く逆で、むしろそれは自我、つまり、我々が普通に知っている自我(セルフ)というものが、重要なものではない、取るに足りないものだということへの確信なんだ。ともかく私に確信があるのは、たとえば昨年多くの友人に起こったようなひどいことが起こっても、そのときそれに対処するのは私ではない、つまりこの普通の私ではなくて、その場に臨んで動じず、平然と事を処理する、私の中のもう一人の私なんだということだ。2年ほど前にGが私に、自分の中に新しい私を感じるかどうか?と聞いた。私は何の変化も感じないと答えるほかなかった。今は違ったふうに答えられる。しかもその変化がどのように起こったかも説明できる。変化は一時に起こったのではないんだ。つまりその変化は生のあらゆる瞬間に起こっているわけではないということだ。普通の生はすべて普通に進み、全く普通のばかげた卑小な私も同様に平凡に進み続けている。ただおそらくは、すでに存在しえなくなったほんのわずかの私は別だろうがね。しかし、もし何か大きなこと、全神経を緊張させるようなことが起きたとしても、そのときそれを処理するのは、今話している恐れというものを知っている普通の小さな私、あるいは何かそれに似たものではなく、別の、大きな私、何ものにも脅かされず起こることすべてに平然とあたることのできる私である、ということを私は知っている。これ以上うまくは説明できない。しかし私にはこれは事実なんだ。そして私にとっては、この事実は厳然としてワークと結びついている。君は私の生き方を知っているし、普通人々が恐れる多くのものを、内的なもの外的なものにかかわらず私が恐れていなかったことも知っているだろう。しかしそれはまた別のこと、違った意味合いのことだ。だから私自身にとって、この新しい自信は、ただ単に人生の大きな経験から出てきたものではないことがわかるんだ。それは4年前に始めたあの自己修練の結果なんだ。」

50
冬の間、エカチェリノダールと後にはロストフで、私は小さなグループをつくり、前の冬に考えた計画に基づいてGのシステムの解釈を講義し、同時にシステムのヒントになるような日常的な出来事をとりあげて説明を加えた。
1919年の夏と秋に、エカチェリノダールとノヴォロシイスクでGから2通の手紙を受けとった。
彼はティフリスで、非常に幅広いプログラムに基づく〈人間の調和的発展のための学院〉を開いたと書いており、この〈学院〉の設立趣意書も同封してあった。実のところ、私はこれでひどく考えこんでしまった。それは次のような書きだしであった。

国家教育庁長官の認可を得、G・I・G(ジョージ・イヴァノヴィッチ・グルジェフ)のシステムに基づいた人間の調和的発展のための学院がティフリスに開かれることになりました。この学院は老若男女を問わず、あらゆる人々に開かれています。研究は朝と夕方行なわれます。研究科目は、あらゆる種類の体操(律動的、医療的、その他)、意志、記憶、注意、聴覚、思考、感情、本能などの発達のためのエクセサイズ。
これにつけ加えて、G・I・Gのシステムは、ポンペイ、アレクサンドリア、カブール、ニューヨーク、シカゴ、クリスチャニア、ストックホルム、モスクワ、エッセントゥキなどの大きな都市で、また真に国際的なあらゆる集まり、家庭、厳しい活動を続けている宗教団体等においてすでに実施されています。

設立趣意書の末尾のこの学院の〈特別教師〉の中には私の名や〈機械技師〉Pの名前が並んでおり、他にも、当時ノヴォロシイスク在住の、ティフリスに行く気など全然なかった仲間の名前もあった。
Gはバレエ「魔術師たちの闘争」の準備を進めていると書いており、また過去のごたごたには全くふれず、ティフリスにきて一緒にワークをやっていこうと誘っていた。これは実に彼らしかった。しかし、いろいろな理由でそこへは行けなかった。まず非常に大きな実際上の障害があり、また次に、エッセントゥキで起こったごたごたは私には実にリアルなものだったからである。Gのもとを離れる決心をするのにあれほど大きな犠牲を払った以上、そんなに簡単にそれをくつがえすことはできなかったし、彼の動機がすっかり見抜けたのでなおさらのことだった。正直言って、人間の調和的発展のための学院に対してそれほどの熱意は湧かなかった。そして、当然のことながら気づいたのは、Gは明らかに、エッセントゥキの場合と同様、外部の状況への考慮からワークに何らかの外的な形態を与えざるをえなくなったこと、しかもその外的な形態は何かしら戯画的な性格のものであったということである。しかし同時に私は、この外的形態の背後には以前と同じものが横たわっており、そしてこれが変わることはありえないということも看破した。私はただ、自分をこの外的形態に適応させる私の能力に自信がなかったのだ。とはいえ。私はすぐに再びGと会わなくてはならないことも確信した。
Pがマイコプからエカチェリノダールにきた。我々はシステムやGについていろいろと話した。Pの気持ちはかなり否定的だった。しかし、システムとGとの間に区別をつけることが肝要だという私の考えは、彼が事態をよりよく埋解する助けになったようである。
私は自分のグループに非常な興味をもつようになった。ワークを継続する可能性を感じたのである。システムの思想に対して人々は反応を見せ、また明らかにそれは、自分たちの内外で起こっていることを理解しようとする人々の要求に応えたようであった。そして我々のまわりには、我々の友人や〈盟友たち〉をひどくおびえさせたあのロシア史の短い終幕が迫りつつあった。我々の前途は真暗だった。秋から初冬にかけて私はロストフにいた。そこで私は、キエフからやってきたZを含む2、3のペテルスブルグの仲間に会った。ZもPのようにワークに関するあらゆることに非常に否定的だった。我々は同じ地区に落ちつき、私と話すことで彼は多くのことを思いだし、そして最初の評価が正しかったと納得したようだった。彼はともかくティフリスのGのところに行ってみようと決心した。しかし運命は彼にこれをやり遂げることを許さなかった。私たちはほとんど同時にロストフを出た。Zは私より2、3日後に発ったが、ノヴォロシイスクに着いたときにはすでに彼の容態は悪化し、ついに1920年1月1日、天然痘で死んだのである。
その直後、私は何とかコンスタンティノープルに向けて発つことに成功した。
その当時コンスタンティノープルはロシア人でいっぱいだった。私はペテルスプルグからの知人に会い、彼らの助力を得て〈ルースキイ・ミャーク〉の事務所で講義を始めた。一時はかなりの聴衆が集まり、そのほとんどが若い人たちだった。私は心理学や哲学の中心的思想をエソテリシズムの思想に結びつけながら、ロストフやエカチェリノダールで考え始めた思想を発展させていった。
私はあれ以来Gから手紙をもらっていなかったが、彼がコンスタンティノープルにくることには確信があった。
実際Gは6月にかなり大勢の仲間を連れてやってきた。
旧ロシアでは、たとえかなりの僻地でもワークは不可能になっており、我々は徐々に、私がペテルスブルグで予見していた時期、つまりヨーロッパでワークを行う時期に近づきつつあったのだ。
私はGに会うのがとてもうれしかったし、私個人としてはワークのために以前のごたごたはすべて水に流して、ペテルスプルグでと同じくまた彼とともにワークをすることができるように思えた。私はGを講義に招き、聴講にきていた人たち、特に〈ミャーク〉の2階の事務所にきていた30人ばかりの小グループをGにゆだねた。Gはその当時バレエをワークの中心に置いていた。彼はまた、ティフリスの学院をコンスタンティノープルで続けることを望み、その中心に、バレエに加わるための準備となる舞踏やリズム・エクセサイズを置きたいと考えていた。彼の考えによれば、バレエはスクールになるべきであった。私は彼のバレエのシナリオに苦心して手を入れ、それでこの考えをもっとよく理解するようになった。そのバレエのダンスや他の〈ナンバー〉、いやむしろ〈レヴュー〉は、長期間の、しかも全く特殊な準備を必要としていた。バレエに出る準備のできていた人やそれに参加していた人たちは、そうすることで学び、かつ自己に対するコントロールを獲得することを強いられ、このようにして意識の高次形態の発現に近づくのである。そのバレエには、必要な部分として、舞踏、エクセサイズ、様々なダーヴィッシュの儀式、またあまり知られていない東方の舞踏もたくさん織りこまれた。
私にとっては非常に興味深い時期であった。Gはよくプリンキポの私のところへきた。我々はコンスタンティノープルのバザールをよく一緒に歩いたし、メウレヴィ・ダーヴィッシュのところへ行って、以前には理解できなかったことを彼が説明してくれたこともあった。それは、メウレヴィ・ダーヴィッシュの旋回運動は、彼がエッセントゥキで見せたエクセサイズのように、数えることに基づく頭脳の訓練であるということだった。時には私も丸一昼夜彼と一緒に仕事をした。特にある夜「魔術師たちの闘争」のためにダーヴィッシュの詩を〈翻訳〉したときのことが記憶に残っている。そのとき私は、芸術家であり、詩人であるG、とりわけ後者を見たのだが、彼は実に巧妙にそれを自分の内に隠していた。この翻訳は、Gがペルシアの詩を思いだし、時には小さな声を出して繰り返し、それから私のためにロシア語に直すという形で進められた。15分後、そう、私が完全にその形やシンボルや思想に没頭していたとき、彼は言った。

G「さあ、それでもって一行つくってごらん。」
私はただの1つの韻律もつくろうとせず、リズムを見つけようともしなかった。全く不可能だったのだ。Gは続けた。再び15分後に言った。
G「ほら、次の一行だ」。
我々は朝まで座っていた。そこはクームバラジ通りの、かつてのロシア領事館から少し下ったところだった。とうとう街が目覚め始めた。私はやっと5つの詩篇を書き、第5の詩篇の最終行で筆を置いたように思う。もういくら努力してもそれ以上頭を回転させることはできなかった。
Gは笑ったが、彼も疲れており、それ以上進むことはできなかった。詩はそのまま未完成で残された。彼は二度とその歌をとりあげなかったのだ。
こんなふうにして2、3ヵ月が過ぎた。私はGの学院の設立に助力を惜しまなかった。しかし徐々に、エッセントゥキで感じたのと同じごたごたが私の前にもちあがってきた。そのため、学院が開設されたとき(10月だったと思うが)それに加わることはできなかった。しかしGを邪魔したり、私の講義にくる人たちの間に不和が起こったりするのを恐れて私は講義をやめ、コンスタンティノープルに行くのもやめることにした。講義に出た者のうち、わずかな人数だけがプリンキポの私を訪れ、そこでコンスタンティノープルで始めた話し合いを続けたのである。
2ヵ月後、Gのワークがすでに軌道に乗った頃、私は再びコンスタンティノープルの〈ミャーク〉で講義を始め、半年続けた。Gの学院も折にふれて訪ね、Gも時々プリンキポの私のところへきた。我々の内的な関係はまだとてもうまくいっていた。春になると彼は私に、彼の学院で講義をしないかともちかけ、それで私は週に一度そこで講義をした。それにはG自身も加わり、私の説明の補足をした。
夏の終わりにはGは学院を閉じ、プリンキポにやってきた。この頃私は、彼のペテルスブルグでの講義と話し合いに私の注釈をつけて本にする計画について彼に詳細に話した。彼はこの計画に同意し、それを文字にして出版することを許してくれた。そのときまで私は、Gのワークの中でみんなが守らなければならない一般規則に従っていたのである。この規則によれば、いかなる状況のもとでも、たとえ自分が使うためでも、誰にも、Gや彼の思想、ワークの参加者に関連したことを書いたり、あるいは手紙やノートを保存したりするいかなる権利もなく、まして出版など厳しく禁じられていた。初めの数年間は、Gはこの規則の義務的な性格を強く主張したし、またワークに受けいれられた者はみな、特別の許可がない限り、もしワークとGを離れても、Gに関して何も書かないことを(出版しないことは言わずもがな)宣誓することになっていた。
これは基本的な規則の1つであった。新たに加わった人たちはみなこれを聞いていたので、それを基本的、義務的なものと考えた。しかし後になるとGは、この規則に全然注意を払わない人や、そんなことに煩わされたくない人をもワークに受けいれるようになった。このことは、これから書くGのワークにおける様々な時期の記述と符合する。
私は1921年の夏をコンスタンティノープルで過ごし、8月にロンドンに発った。出発の前、Gは一緒にドイツに行かないかと誘った。そこで彼はもう一度学院を開き、バレエの準備をするつもりだったのだ。しかし私には、ドイツでワークを組織立ててやることが可能だとは思えず、また第二に、Gとともにワークをやっていけるとは信じられなかった。
ロンドンに着くとすぐに私は、コンスタンティノープルとエカチェリノダールでのワークの続きとして講義を始めた。そこで私は、Gが、ティフリスでの仲間とそれに加わったコンスタンティノープルの私の弟子とを連れてドイツに行ったのを知った。彼はベルリンとドレスデンでワークを始めるべくあれこれ試み、またドレスデン近くのヘレランにある、以前はダルクローズ研究所であった建物を買おうとした。が、どちらもうまくいかず、そればかりかその購入に関して何かおかしなことが起こり、結局法律上の処置を受けておさまったらしい。1922年の2月、Gはロンドンにきた。もちろん私はすぐ彼を私の講義に招き、そこにきている人たちに紹介した。
このときの私の彼への態度は、ずっとはっきりしていた。私はまだ彼のワークから非常に多くのものを期待しており、彼が学院を開き、バレエを準備するのにできる限りの援助をしようと決心した。しかしそれでも私は、自分が彼と一緒にワークをするのは不可能だと思った。エッセントゥキで目につき始めた以前の障害がここでも全部見えたのである。このときは、その障害は彼が着く前から現れた。外的状況はといえば、Gは計画遂行のために非常な労力をつぎこんでいた。肝要なことは、開演に最低必要な20人ばかりの中心となる人たちは準備ができていたということだった。バレエの音楽は(ある著名な音楽家の協力を得て)ほとんどできあがっていた。学院の組織立ては完了していた。ただこれを実行に移す金が全くなかった。到着後まもなくGは、学院をイギリスで開こうと思っていると語った。私の講義にきている者の多くはその考えに興味を示し、資金面で援助するために仲間うちで寄付金を集め始めた。彼のグループ全員をイギリスに呼ぶ準備のために、かなりの金額がGに渡された。私は、Gがロンドン滞在中に言ったことと関連させて講義を続けた。しかし私は、もし学院がロンドンで開設されたら、私はパリかアメリカに行こうと決心していた。学院はついにロンドンで開設されたが、いろいろな理由でそれは失敗に終わった。しかし、私のロンドンの友人や私の講義にきていた人たちはかなりの金を彼のために集め、それでGはフォンテーヌブロー近くのアヴォンの由緒あるシャトー・プリオーレ(プリオーレはフランス語で小修道院の意)を購入した。そこにはうち捨てられた広大な庭がついていた。そこに彼は1922年の秋、学院を開いた。ひどく雑多な人々が集まった。そのうちの何人かはペテルスブルグを覚えていた。ティフリスの弟子たちもいた。コンスタンティノープルとロンドンで私の講義にきた人たちもいた。後者はいくつかのグループに分かれた。その何人かは、Gについていくにあたって、イギリスでの職を辞すのに性急すぎたように思われた。彼らがそのことを話しに来たときには、彼らはもう心を決めていたので、私には何も言えなかった。私は彼らが失望するのを心配していたのだ。というのも、Gのワークは十分正しく組織立てられておらず、そのうえ不安定に思われたからである。とはいえ私も自分の意見に確信はなく、それで彼らを押しとどめようとは思わなかった。もしすべてうまくいき、私の心配が思い過ごしであったなら、彼らがそれぞれの決断で利益を得ることは間違いなかったからである。
他の者たちは、私と一緒にやろうとしてみたがあれやこれやで結局私から離れ、今ではGとの方がやりやすいと考えていた。彼らは特に、彼らのいう近道を見つけるという思いつきにひかれたのだ。彼らが私に助言を求めたとき、私はもちろんフォンテーヌブローに行ってGと一緒にやることを勧めた。その他にも一時的に、つまり2週間とか1ヵ月間だけGのところに行く者もあった。また私の講義にきた者の中には、自分で決めたくないばかりに、他人の決心を聞いた上で私のところにやってきて、〈すべてを投げ捨てて〉フォンテーヌブローに行くべきか、ワークとともに進むのが唯一の道か?と尋ねる者もあった。彼らには私がそこに行くまで待ちなさいと言った。
私が最初にシャトー・プリオーレに着いたのは、1922年の10月の末か11月初めであった。そこでは、非常におもしろそうな生き生きとしたワークが進行していた。舞踏やエクセサイズのための別館が建設中で、家事はきちんと組織化され、家はすでに整えられていた。全体的な雰囲気は非常に好ましく、私はそれに強烈な印象を受けた。また、そのときそこに在住していたキャサリン・マンスフィールドとの会話が記憶に残っている。
それは彼女の死の3週間ばかり前のことだった。私自身が彼女にGの住所を教えたのである。彼女は私の講義に2、3回出たことがあり、それから私のところにきてパリヘ行くつもりだと言ったのだった。ロシア人の医者がX線で脾臓を治療しながら彼女の結核を治そうとしていた。もちろん私は、それについては何も彼女に話せなかった。彼女はすでに棺桶に片足を入れているように思われたのだ。そして私には、彼女が完全にそれに気づいているように思えた。しかしそうした容態にもかかわらず、その残り少ない最後の日々を精一杯使い、彼女自身はっきりとその存在を感じながらもふれることのできない真理を見いだそうとする彼女の姿に、人はみな打たれるのであった。私は彼女と再び会えるとは思わなかった。それでも彼女が、パリの私の友人の住所を教えてくれと頼んだときには断わることはできなかった。それは、彼女が私と話したのと同じようなことを話せる人たちの住所だった。そして私はここプリオーレで彼女に再会した。私たちは夕方サロンの一室に腰をおろし、彼女はまるで虚無から響いてくるようなか細い声で話したが、それは不快なものではなかった。
「私はこれが真理であることを知っています、そしてまたこの他に真理はないことも。実は私、随分長い間、私たちはみんな例外なく、難破して無人島にうちあげられながらまだそれに気づいていないのだと考えていたのです。でも、ここの人たちはそのことを知っています。しかし日常生活に埋没している人々は、いまだに、明日は船がきてすべては元通りになると思っているのです。ここの人たちは、もう古い道などないことをよく知っています。私、ここにこられて本当に幸せでした。」
ロンドンに帰ってすぐ、私は彼女の訃報を受けとった。Gは彼女にとてもよくし、彼女の死期が近いのははっきりしているのにそこを去ることを強要しなかった。後に彼はこのことで、予期していた通りに嘘を書かれ、中傷を受けたのである。

51
1923年には、私はかなりしばしばフォンテーヌブローのプリオーレに行った。
開校後しばらくは学院はマスコミの注目を集め、1、2ヶ月の間フランスとイギリスの新聞はそれについて書き立てた。Gと生徒たちは〈森の哲学者〉と呼ばれ、インタヴューを受けたり写真が載ったりした。
この時期、つまり1922年からのGのワークは、主にリズムと造形の研究方法の発展に向けられていた。彼は片時もバレエから離れず、その中に様々なダーヴィッシュやスーフィーの舞踏をもちこんだり、ずっと前にアジアで聞いた音楽を記憶を頼りに思いだしたりしていた。このワークの中には新しくかつ興味深いものがたくさんあった。ダーヴィッシュの舞踏や音楽がヨーロッパで披露されたのは、間違いなくこれが最初であったろう。
しかもそれらは、それを見たり聞いたりすることができた人々すべてに非常な感銘を与えたのである。
プリオーレでは、この他にも、記憶、注意力、想像力の発達のための非常に集中的なエクセサイズが行われており、さらにそれらに関連して〈模擬心霊現象〉の練習も行われていた。また、そこに住む者全員に多くの仕事が課せられていたが、家事に関したその仕事は、仕事の敏速性やその他様々な条件のため、ものすごい労力を要するものであった。
この時期の話の中では、とりわけ呼吸法に関したものを覚えている。他の多くの事柄と同様、そのときは気にも留めずに聞き流したのだが、それは考察中の問題に対して全く新しい視点の可能性を示してくれた。
Gはあるとき言った。

G:肉体を支配し、その意識的、無意識的機能を意志に従属させるという目的に直接つながる正しいエクセサイズは、呼吸の訓練から始まる。呼吸を支配しない限り何も支配できない。とはいえ呼吸を支配するのはそんなに簡単なことではない。
まず3種類の呼吸があることを認識しなさい。1つは普通の呼吸だ。第2は〈膨張〉だ。第3は〈運動〉に助けられた呼吸だ。これはどういう意味だろう。これはつまり、普通の呼吸は無意識に行われ、動作センターに管理されコントロールされているということだ。〈膨張〉とは人工的な呼吸のことだ。例えば10回数えながら吸って吐くとか、鼻の右穴から吸って左穴から吐くとかしようとすれば、このような呼吸は構成器官(フォーマトリィ・アパラタス)によって行われる。そして呼吸そのものも違う。動作センターとフォーマトリィ・アパラタスは違った筋肉群を通して働くからだ。動作センターの活動に使われる筋肉群はフォーマトリィ・アパラタスが使用することはできず、またそれに従属するものでもない。しかし、動作センターが一時的に停止したときには、フォーマトリィ・アパラタスには自由に動かせる筋肉群が与えられ、それを使ってこのフォーマトリィ・アパラタスは呼吸機構を作動させることができる。しかしその働きはもちろん動作センターの働きよりも雑で、しかも長く続けることはできない。君たちは〈ヨーギの呼吸法〉について読んだり、ギリシア正教の僧院の〈心の祈り〉に伴う特殊な呼吸について見聞したことがあるだろう。それらは全部同じものだ。フォーマトリィ・アパラタスによって行われる呼吸は、呼吸ではなくて〈膨張〉だ。つまり、もしフォーマトリィ・アパラタスを使ってこの種の呼吸を十分長くかつ頻繁にやれば、その間手持ちぶさたの動作センターは何もしないのに飽きて、フォーマトリィ・アパラタスの〈真似〉をし始める。実際こういうことは時々起こる。しかし、それが起こるには多くの条件、すなわち断食や祈り、わずかな睡眠や、肉体にとってのあらゆる困難と苦痛が必要だ。肉体が大事に扱われていればこれは起こらない。君たちはギリシア正教の僧院では肉体訓練などないと思っているのかね。まあ試しに、規則を完全に守りながら100回ほど祭壇の前でひれ伏してみなさい。どんな体操をするより背中が痛くなるだろう。
これらすべての目標はただ1つ、呼吸を正しい筋肉にやらせること、つまりそれを動作センターにゆだねることだ。たしかにこれは、今言ったように、時には成功する。しかしこれは常に、動作センターがその適正な活動の習慣を失う危険性を伴っている。つまりフォーマトリィ・アパラタスは常時働くことができず(例えば睡眠中のように)、また動作センターの方も働きたがらなくなるために、肉体が非常にみじめな状態に陥ることもありうるのだ。呼吸が止まって死ぬことさえある。適切な指導もなしに、自分一人で本からの知識で〈呼吸訓練〉などすれば、人間機械の機能はほとんど必然的に混乱する。本で読んだいわゆる〈ヨーギの呼吸法〉で身体の正常な機能を完全に狂わせてしまった人々が、モスクワではたくさん私のところへ来たものだ。このような訓練を勧める本は大きな危険性をはらんでいる。素人は決して呼吸をフォーマトリィ・アパラタスの支配下から動作センターの支配下に移すことはできない。この移行をうまくやるためには、肉体を最高度の強さにまで高めなければならないのだが、一人ではそんなことはできっこないのだ。
しかし、先ほど言ったように、第三の方法、つまり運動を通しての呼吸がある。この第三の方法は人間機械に関する多大な知識を必要とするが、この方法は非常に熟達した人たちの指導のもとに、いろいろなスクールで実施されている。これに比べれば他のどんな方法も〈自家製〉で、頼りにはならない。
この方法の基本的な考えは、ある運動と姿勢によりお好み次第の呼吸を生みだすことができ、しかもそれは普通の呼吸であって〈膨張〉ではないということだ。ただ難しいのは、どんな運動、どんな姿勢が、どのような人々にある種の呼吸を生じさせるかを知ることだ。これはとりわけ重要だ。というのは、この点から見れば人々はいくつかの明確なタイプに分けることができ、その各々のタイプは、全く同じ呼吸をするためにはそのタイプ固有の運動をせねばならない。というのも、同じ運動でも異なったタイプでは異なった呼吸を生みだすからだ。いろいろな呼吸を生みだす運動を知っている人はすでに自己の身体をコントロールすることができ、好きなときに望みのセンターを働かせることもできれば、働いている部分を止めることもできる。これらの運動に関する知識やそれらをコントロールする力にも、世界内の他のあらゆるものと同様、段階がある。知識の量には個人差があるし、またその活用の仕方にも違いがある。が、今のところは原理を理解することが何より大切だ。
またこれは、センターの区分の研究との関連において特に重要だ。以前これについては何度か言及しておいた。各センターは、〈思考〉〈感情〉〈動作〉というセンターの基本的区分に従って3つの部分に分かれているということを理解しなければならない。同じ原理に従って、これらの各部分はさらに3つの部分に分かれる。これに加えて、各センターは最初から積極的、消極的の2つの部分に分かれている。そして、それらの部分すべての中に、相互に結びついた一群の〈記録装置〉があり、あるものはある方向へ、別のものはもう一方へ回転する。これは人々の間の〈個性〉と呼ばれている違いを説明する。が、もちろんそこにはいかなる個性もなく、ただ〈記録装置〉と連想が違うだけなのだ。

この話は、Gがダーヴィッシュのテケー(ダーヴィッシュのいわゆる修行場。種々の講義、エクセサイズ、舞踏などが行われる)風に飾りつけた、庭にある大きな仕事部屋で行われた。
様々な呼吸の意味を説明してから、彼は出席者をそのタイプによって3つのグループに分け始めた。そこには約40人いた。Gのもくろみは、ある1つの運動がどのように別々の人々に、例えば誰かが息を吸えば別の者は吐くというように、異なった〈呼吸の長さ〉をもたらすか、また異なった運動や姿勢がどんな具合に全く同じ呼吸の長さ(呼気、吸気、息を止めること)を生みだすことができるかを示すことにあった。
しかしこの実験は最後まで行われなかった。また私の知る限り、Gはその後この問題には二度と立ち戻らなかった。
この期間中、Gは何度か私をプリオーレにきて住むよう誘った。これにはかなり心を動かされた。しかし、Gのワークに大いに興味があったにもかかわらず、私はその中に自分の場所を見つけることができず、またその方向を理解することもできなかった。それと同時に、1918年にエッセントゥキで見たように、この計画の組織自体の中に多くの破壊的要素が含まれ、それは分裂せざるをえないことを見過ごすことはできなかったのである。
1923年の12月、Gはダーヴィッシュの舞踏やリズム運動、その他様々なエクセサイズをパリのシャンゼリゼ劇場で披露した。
そのデモンストレーションの直後、つまり1924年1月の初め、Gは生徒を何人か連れて、講義とデモンストレーションをやるべくアメリカに向かった。
出発の日、私はプリオーレにいた。この出発は私に、1918年に彼がエッセントゥキを発ったことと、それにまつわるすべてのことをまざまざと思いださせた。
ロンドンに帰るとすぐに私は、これからの私のワークは完全に独立し、1921年にロンドンで始めたやり方で進めるつもりだと講義にきた人たちに伝えたのだった。
終わり